第2話 世界樹
あの……ずっと好きでした……だから、付き合って、ください……くれますか?
前髪が長い、おとなし気な文学少女。白百合七海とはそれほど話したことがない。クラスが一緒になって、初めて対面し、三回くらいしか言葉を交わしてはいないと思う。
校舎裏で告白。七海が告白してきたのはそういう定番のシチュエーションだった。校舎の陰に彼女の親友の氏御岬の背中が見えた。彼女が七海を急かしたのだろう。
あ、いいよ。別に……。
別に、と付け加えたのは余計だったかもしれない。
だが、彼女は目に涙を浮かべて喜んでいた。
やったね! 七海!
岬が飛び出して七海に抱き着いた。自分が隠れていたことを忘れていたかのように。
うんうん、と涙をぬぐいながら岬に微笑む、彼女の顔を急に思い出していた。
× × ×
「ねぇ、話聞いてるの?」
脇を小突かれる。
意識が記憶から現実に呼び戻される。
隣を歩いているのは氏御岬。ロングヘア―の切れ長の瞳を持つ、気が強い女子だ。
俺の元カノ、七海の親友。
「あ、ごめん……聞いてなかった」
ちらりと岬の奥に視線を向ければ、気まずそうに俯いている七海の姿が見えた。少し離れたところに一人でいる。
「さっきの話、あんた信じてるの?」
俺たちは、階段を上っている。
先ほどの地下神殿のような場所を出て、ハンマ国王を先頭にひたすら階段を上らされている。島田のような真面目な生徒を先頭に、後ろの方には不良に近い奴らがいる。
「信じるも信じないも、とにかく従うしかないだろ? だって何が何だかわからないんだから」
「本当に、これっていわゆる異世界転生ってやつなの? バスも先生もいない。あのバスで起きた召喚陣みたいなのが光った後、バスが事故にあって……私らみんな死んじゃったの?」
「だから、わかんねぇって……あのおっさん。王様が呼び出したとか言ってたから、死んではいないんじゃないか?」
「私、こんな場所にいたくはないんだけど……異世界って電気も水道もないでしょう? 魔法があるかもしれないけど、私はトイレが汚いのは嫌なの」
「だぁから……知らねぇって……!」
小声だが、語気を強める。いらだちをそのまま声で出す。
岬もパニックに陥っているのだろうが、俺はそれどころではない。
手に浮かんだ王様が『神証』と呼んだ模様へ目を落とす。すると、俺の憂いに気が付いたのか、岬がその手を取る。
「それに、さっきの話。あんたが『神器』で他の女と、あ、愛をはぐくまなければいけないって……あんたその話信じてるんじゃないでしょうね⁉」
若干、岬の頬に赤みが差してきていた。
ギリッと岬の爪が俺の手に食い込んだ。
「イテッ、何だよ……⁉ 爪で刺すなよ……!」
「あ、ごめん……で、どうなのよ? あんた、あんたまさか、ハーレムでウハウハと思ってるんじゃないでしょうね⁉」
「思ってねぇよ!」
「嘘。ちょっと顔が赤いもの」
顔に手を当てる。確かに言われてみると、少し熱くなっているような気がする。
「嘘じゃねぇって」
「最低。彼女がいるのに。七海っていう可愛い彼女がいるくせに……! 浮気するんだ」
「だから……!」
岬は、俺と七海が別れたことを知らない。
「思ってねぇって……」
「さあ‼ 皆のもの着きましたよォ!」
ハンマ国王の声が響く。
光が見える。
地下から地上へ出たようだ。
「うわぁ……」
クラスメイト達の感嘆の声が聞こえる。
地上へ出た俺たちを迎えてくれたのは、巨大な木だった。
見たこともないほどの大きさ。多分現実世界にあるどんな大木よりも大きい。テレビで見る屋久島の杉の木の二倍三倍……それ以上はあった。
木というより、山。山がサイズ的に一番近い。
それほどの巨木がデン、と目の前にそびえ立っていた。
「これが『世界樹』である。この『世界樹』こそがこの世界に魔法と恵みを持たらす、神が与えられし天啓! そして、その『世界樹』は危機に陥れば、お主らのような『救世主』を召喚してくれる!」
「あの、ハンマ国王、気になっていたことを言ってもいいですか?」
島田がようやくタイミングができたと手を挙げて質問を投げかける。
「何だ? シマダ……と申したか?」
記憶を辿るかのようにハンマ国王は頭に手を当てながら答える。恐らく先ほど階段を上っていた時に自己紹介は済ませていたのだろうが、もう忘れられているようだ。
「島田航平! この2―A組最高責任者、リーダー島田航平です! 忘れてもらっては困ります……ゴホン、それで質問なのですが、国王様がいう『救世主』とは桜木さんを始めとする手に『聖痕』が刻まれた何名かの女子と、同じように『聖痕』が刻まれた上代君だけなのでしょう?」
島田の視線が俺に向けられる。俺の手の模様は『神証』と言うらしいのだが、関係のない島田はその名称を覚えなかったらしい。
「その通りだ」
「では、残りのほとんどの男子と何人かの女子は、何の役割も与えられていない。ということでしょうか?」
「その通りだ」
「その場合は……我々はどうなるのでしょうか?」
言いながら、島田の声が震え始めていた。
多分、俺も島田と同じ懸念を抱き始めている。
もしかしたら、残りのみんなは……要らない。用済み。無駄だと、あの王様は思っているのかもしれない。
「帰ってもらう」
ハンマ国王は、はっきりとそういった。
「は?」
「お主ら世界に、帰ってもらう。『世界樹』の前に連れてきたのは、そういうことである」
ハンマ国王が杖で地面をトンと叩くと、『世界樹』の葉が発光をはじめ、空間が歪み始める。
ハンマ国王の右斜め一メートルほどの何もない場所。
光る線が走り、空間が裂けた。
ジッパーで空間に穴を開けたような湾曲したひし形に近い世界と世界を繋ぐ出入口。穴の向こうは光っていて何も見えないが、ハンマ国王の言葉では、あの向こうに現実世界があるらしい。
島田はまだ状況が呑み込めていないようにポカンとしている。
「この世界にとどまってもよいが、当然、邪神が攻めてくるので我がラヴリアは戦争状態に陥る。そうなれば危険なのは何の力も持っていないお主らよ。だから、シマダのように男や何の『聖痕』も得られなかった女はここを通って現実世界に帰るがよい」
バッ、とハンマ国王は現実世界への出口を仰いだ。