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第七話 「独白」

NOW HERE 〜傍観者〜

第七話「独白」


『昔の自分は純粋その物といっても過言ではありませんでした。小学生のころ、自分は人をすぐに信じ、心を全て委ねていたのです。人というものが大好きでした。男も女も関係なしに交友を楽しみました。毎日人と会い、自ら話しかけ、冗談を言い合い、たまに恋をする、ごく普通の生活を送っていました。毎日放課後遊びました。その頃、テレビゲームなどはあまり流行ってはいないので、子供と言ったら外で遊ぶのが定番でした。だから自分も鬼ごっこやボールを使った遊びを飽きることなく繰り返していました。街の探検などもしました。体力のない自分でも、体を動かすことに嫌気がささなかったのです。遊んでいる時心の底から楽しいと思っていました。


ある日のことです。いつものように自分が遊ぼうと人に話しかけたのですが、一番信頼していた友人の返事は「NO」でした。その頃の自分は交友が盛んでした。クラスメートのほぼ全員と仲が良いと思っていたくらいの純粋な自分は、いつも遊ぶメンバーを片端から誘ってみたのですが、誰もが「今日は無理」の一言。放課後、女子と遊ぶことは滅多にないのだが、思い切って自分は女子に誘いをかけてみます。ほとんど予想はしていましたが、結局放課後は自分一人で過ごすことになったのです。小学生の学校生活初めての経験だったのかもしれません。まさか誰とも遊べないとは。家に帰る。ふと周りを見れば、用事があるのか生徒たちが心地よく走って帰っています。初めて一人でその道を歩くのも恐らく初めてだったのでは。寂しい、のそれだけ。だが何もかも信じ込んでいる自分は、何の疑いもなかったのです。彼らは偶然にも予定が入っているのだろう。何万分の一だろうと確率的には有り得る話なのだ、と。


家に着いて、母が「今日はどこで遊んでくるの?」と問いかけてくるのはいつものことです。家に滞在するのは慣れていない。何よりも人が大好きだった自分に、午前三時から夕飯時まで何をしろと言うのでしょうか。自分はいつも遊んでいる公園の名前と、適当に浮かんだ友人の名前を挙げて勢いよくドアを開けて外に飛び出しました。新しく買ったばかりの自転車に乗り、冒険しようと考えました。


しばらく自転車を心地よく漕いでいると、母親に告げた公園が見えてきました。いつも見る光景。誰かしらが広々とした公園で活発的に遊んでいます。どの学年が占領したのだろうと考えました。近頃自分たちの学年がそこの公園を占領していたので、今公園を使っている人は幸運だな、とか微笑んでいたのを覚えています。自転車で通り過ぎようとした時、そこには見たくもない景色が広がっていました。ブレーキを踏んで足を止めます。何度目を擦っても、頬を叩いても、目に映るものは紛れもなく自分のクラスメート。左手に大きめの手袋、長くて硬そうな棒、白くて丸い玉。今まで自分はしたことがなかったのですが、流石にこのスポーツの名前は知っていました。野球です。彼らは大声張り詰めて野球を楽しんでいるではありませんか。ベンチにはクラスの女子がキャーキャー言いながら応援をしています。最初、何が何なのか分からなかったのです。公園の前にあるスーパーマーケットに自転車を置き、公園の近くに身を潜めながら自分はその場を動きませんでした。きっと不可抗力ではなかったでしょう、女子の声が聞こえてきます。


「なんで水谷君はいないの?」

「男子が言うには、水谷がチームにいると負けるから、だって」

「運動出来ないもんね。それにいつもしつこいもんね。結構自己中だし」

「ね。偶数になったし、丁度いいんじゃない?」

「あ! 相場クンが打った! キャー!」


想像もしなかった会話でした。要するに自分は裏切られていたのです。誰からも愛されていなかったのです。普段から外で駆け回っていたのですが、確かに自分は誰よりも体力には劣っていました。それでも、遊んでいる時は対等にやりあっていたはずだと記憶を起こしてみます。鬼ごっことか、泥刑とか。ということは、こういうことなのですか? 自分は鼻からオマケされていたのですか? 自分を狙うとすぐにゲームが終わってしまうから、本気で走れば自分が鬼であり続けてしまい楽しくなくなってしまうから・・・。


家の近くの河原に座り、酷く悲しみました。涙こそ出ないでいましたが、こう言うときこそ涙が流れればなと目をこすっていたのを覚えています。下を向きながら様々なことを考えました。今までのこと、これからのこと。自分は人からどう思われていたのだろうか、邪魔ものだったに違いない、そんな疑念が後を絶ちませんでした。真っ青な空を見ました。放送が鳴り響くまで雲の流れを追い、しばらくその場に立ちつくした後、家に帰りました。


平穏な日々はいとも簡単に崩れたように感じました。初めて他人の腹の裏が見えてしまったとき、自分はおぞましい気分に陥りました。面として向き合っていれば話題が尽きることなく笑い合っていた相手が、急に表面上に創造された人物でしかなかったということに気付いてしまったのです。そして自分は周囲の人間そして疑うことに欠けていた自分にさえも絶望し、心を閉ざそうとしてしまうのです。


日常的な出来事にはとことん真っ直ぐ突っ走ることをやめない自分は、その足跡を堂々つけてきた道が間違っていることを悟ってしまい、全ての物事が間違っている他あり得ないと感ずるようになるのです。そして、その一回の振り向きこそが自分の思考全てを左右させるのです。人を疑って生きていこう、そう思う事にしました。


次の日、自分は誰にも話しかけませんでした。親友だと思っていた人がさらに遠く感じるようになりました。その一日で、自分が話しかけることがなければ、自分の他者との会話はゼロと全くのイコールで繋がるほどの関係だったことに気付きました。この一日をキッカケに、疑心は自分をみるみる疎遠なものにしていったのです。自分の日々は孤独さを増していったのです。


平穏な中にも疑れと言い聞かせる自分は窮屈な思いで日々を過ごしてきました。疑心を絶やすことなく、常に目を光らせてきました。自分は人を疑わなくてはいけないという暗示を自らかけざる得ない状態に追い込められました。もともと人を信じていたがために、信じたい気持ちを抑えながら疑心を絶やさずに生きなくてはいけなくなってしまったのです。


しかし、自分は疎外された独りの自分に耐える精神力を持ち合わせていませんでした。裏切られてから間もないので、その日常の中で自分は疑心を忘れる時も幾度かありました。それは疑いの心を故意に取り除いたわけではなく、その平穏さに満ち足りて、できるだけ精神的に楽な方に自分を持っていこうとした結果、自ずとそうなっていったのです。当然彼らは自分を除け者にして野球をしていたことが自分にバレているとは知っていません。急に静かになった自分と前の通り話してくれるようになりました。自分も今まで通り話しかけました。しかし、自分は人と関わる途端にその影に気付いてしまうのです。同じようなことが繰り返されたのです。鬼ごっこをしたときでも、やはり相手はあと一歩のところで自分を捕まえることを断念してくれるのです。幾ら待っても話し掛けられることはありません。極たまに話しかけることがありましたが、必要な事項以外は聞いてきません。誘いに断られた時は野球をしていると以外考えられなくなりました。以前と変わらぬ風景のはずなのに、自然と疑念が頭に浮かび上がるのです。それはこの上ない悲しみでした。自分は裏切られるくらいなら、人を疑いながら人との関わりを避けて生きていこうと決めたのです。


疑うことが常になると、待ち受ける結果がどうであろうとそれを影だと気付かないまま、すんなりと受け入れることができていました。暇つぶしとして今まで通り彼らと話しながらも、心の中では彼らが自分に心を委ねていないように、自分も一切の信用を無くして彼らと接し合いました。そう接していると、疑った相手の思考を何かしらの理由で知り、悟った時、自分の仮説は間違ってなかったと再確認する程度で済みましたし、仮に自分の想像と異なっていた場合でも最悪の場合を想定していた自分にとって何の苦にもならなかったのです。途端に自分の心境は平和になってくれました。


仮に、普段は信じているのにふと他人を疑った場合では、疑いが事実であったら先ほど話した自分のように再確認するだけでは済まなく、疑うまで他人を信じていた自分を恨み、そして一人嘆き悲しむものです。疑う前に事実を突きつけられたら、あの時の自分のように、なおのことダメージは大きいのです。


小学生ながらにして、多くのことを考えさせられました。しかしまだ小学生と幼い頃です。一度決めた決心など、最速一夜にして忘れ去ってしまうことさえあったのです。まだまだ自分の心境は変わり続けます。疑いながらあたかも信じているかのように話す、この複雑な心境を上手にコントロールできなかったのでしょう。ここから自分はさらに不安定な日々を過ごすことになったのです。人を疑おうとし、でも結局裏切られることに変わりはなく、それを回避しようと無理やり人から遠ざかってみるが、それでも独りを拒絶し、過去の自分の意志を思い出し、人を信じて関わってみたくなって、支えてほしくなり・・・と、中途半端に自分の意思は左右し続けたのです。そして裏切られ、改めて決心して、また人の温もりを欲し、信頼しようとして。その繰り返しでした。


そして確立してしまったのは、心の中で人を警戒しながら行動は他人以上に人間の支えを欲するという矛盾でした。最もこの行動に出てしまったように思えます。最初のうちは何度も人を信じてしまったり、疑ったり、不安定な状態が続くのです。矛盾を繰り返しているうちに、信じるか信じないか、その二択で自分はついに疑うことを肯定しました。人を疑っている時の方が、待ち受ける結果が全くもって楽だったからです。昔のように疑わないでいると、裏切られたときにまた悲しい思いをしなくてはいけなくなる。心境が揺らいでいる時、自分が人を信じたとしてもすぐに相手の影を見つけてしまうのですから。何度もそう考えては挫折してきましたが、なんらかのキッカケがあったわけではないのですが、当たり前のようにそれを受け入れるようになったのです。最悪の状況を想定して生きる、そういう日々に慣れてしまったそれだけならまだ良かったのかもしれません。いずれ自分は意識的に信頼しないようにするのではなく、自然と人を信じないようになっていき、ついに人が好きでなくなりました。


そして、自分は親の棚に置いてある本を手に取りました。それは休み時間の暇つぶし。慣れませんでしたが、想像以上に面白い内容でした。いつの間にか趣味が読書になっていました。読書カードというのが学校で配られたのですが、自分は誰よりもカードの進行具合が早かったくらいです。


それからの自分は平静を保ち続けて生きてきました。裏切られたくないから人から離れるのではなく、自然と人から離れるようになったのです。もうすでに人との関わりに興味がなくなり、今の自分に形成されました。話しかけられたらそれ相応に適当な返答はします。積極的な行動は一切しません。あくまでも受動的に。人を信じるなんて愚か者のする行為だ、そう考えてきました。 』



携帯を閉じた。


そうだ。自分は、裏切られたくないからこう生きていたはずだったのだ。




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