第三話 「今 ここにいる」
NOW HERE 〜傍観者〜
第三話「今 ここにいる」
自分と小早川、そして夢宮とで一緒に帰った最初の日から数日経った日のことだ。もう既に夢宮が二人以上と一緒に帰るのは日常化され、自分と夢宮も少しだけ話すことが多くなったように感じる。もちろん自分から話すことはないし、教室で話すなんてもっとあり得ない。小早川が振った話題に乗っかる、それくらいのことしかしていない。三人で帰る時は決まって周りの道には誰もいない。みんな部活だ。おかげで夢宮が人と話しているところは目撃されずに済み、教室内での夢宮は一見いじめられているかのように隅の机でじっとするばかりだった。まぁこれは夢宮が望んだことなので、その言うとおりにしてあげようというのが小早川の配慮だった。彼のことだ、本当は学年一の美人さんと親しい関係にあると言うことを鼻高々に自慢したいに決まっている。日が経つにつれ、夢宮の可愛らしい性格がよく出てきたのか、小早川が夢宮を好きになる度合が強くなってきている。それに比べると自分は恋愛的な意味では何の感情も抱くことはなかった。ただその美しい要望と澄み切った声により目の保養及び耳の保養に貢献してくれる存在ということで彼女との時間は重宝していた。だからと言ってわざわざ彼女に近づくこともなければ一緒に帰るときに話題を振ってみるだとか一切しない。あくまでも自分は自分のままだった。純粋に小早川の恋愛を応援するくらいだ。応援といっても何もしないのだが。
「なぁ水谷。なぁなぁ水谷。水谷君、水谷君。聞いているのかね水谷君」
「やけに騒がしいな。『なぁ』の時点でお前の声は認識している。なんだ」
「俺な、えっと、うん、夢宮がな、今見たい映画、劇場、スクリーン! があるとかないとかって話をしているんだよ、夢宮が、」
「一緒に行けばいいじゃないか。テンションを無理やり上げているのか? お前今日どうした」
「うるさい。ここ最近まともに寝てないんだ。誘うか誘わないかで」
今日は自分も込みの三人で帰り、夢宮と別れを告げてから電車に乗った。今日は優先席が空いていたので堂々と座ることにした。自分が先陣切って重い腰を下ろすと合わせるように小早川も座った。・・・優先席など存在しなくてもよいと思うのは自分だけだろうか。優先席以外は優先しなくてもいいですよと言っているようなものではないか。それに以前、自分が遠出をしたときに普通の席を座っていたら、体に皺こそあるが両手に買い物袋をぶら下げたお婆さんが「若い少年よ、私に席を譲って下さる?」と言ってきたので「優先する席ではないので自分は席を譲りません」と言ってやったら周囲の人は一斉に自分を見つめてきた。空気が固まったようで、電車のアナウンスだけがむなしく響いていた。お婆さんは自分を嘲笑ってからこういった。「私はまだ若いのよ、優先席に座らないわ」だったら最初から立てばいい。しかしお世辞にもそのお婆さんはどう見ても若くは見えず、何もしていなければ勝手に人が普通の席でさえも譲ってもおかしくないような容貌だったのだ。その他もろもろ、以上のことから、優先席は電車会社の自己満足、世間体にアピールした無意味な空間であるといえるだろう。
「おい・・・水谷? 聞こえてるか?」
「あ・・・いや、何のことだ? 悪い。お前の声を認識していなかった」
「何考えてたんだ」
「何でもない。そうだ、映画・・・なんだろ? 本当にどうするつもりなんだ」
「二人で行きたいけど、二人で行くのはどうもデートみたいで、なんていうのかな、例えるなら告白してないけど卒業式で憧れの先輩からボタンをもらう行為とさほど変わらない・・・みたいな気がしてならない」
「なるほどね。デートするくらいなら告白が先だと。んで、お前のことだからまだ告白もできやしないと」
「その通りだ。よくもまぁ代弁してくれた。お前読心術をどこで手に入れた」
「いや、常識的に考えてそうなるだろ」
「・・・そういうものなのか」
自分が普段から日常会話の中で曖昧で分かりづらく、しまいには国語の教師には間違っていると指摘されかねない比喩表現を使っていたのがアダとなったか、小早川にも浸透してしまったらしい。まぁ確かにそうだ。デート行くくらいなら告白してからの方がいい。もしくはデートの後に告白しないのはあまりにも意味がなさすぎる。決してどこかで読心術を習ったわけではないが、この流れからして小早川は「三人で行こうぜ」みたいなことを提案してくるだろう。自分は構わないが、仮に夢宮が小早川のことを少しでも好いていたらどう思うだろうかね。さぞかしショックであろう。チキンがいずれ人を傷つけていくのは目に見えている。
「あのさ・・・」
「『三人で行こう』とか言うなよ」
「・・・お前本当にどこで読心術を取得したわけだ」
「お前の性格はたかが知れている。ようするにチキンだ。もうここはデートに誘って、告白してこいよ。適当な映画観て、ファーストフードでもなんでもいい。適当なところ食べに行って、帰りに公園でも寄って告白すればいい」
しばらく小早川は黙り静まって、深刻そうな眼つきをして下を見つめた。何やら独り言を呪文のようにぶつぶつ唱えている。自分に何かを言い聞かせているのであろう。これは勝負時なのだ。小説みたいに彼女の方からイベントを用意してくれるとは到底思えない。現実はとことんリアルなんだ。案外あっさりとした結末を迎える。自分から何らかのアクションを起こさない限りあの手の子は何もしてこないだろう。なおも小早川は電車に揺れながら熟考する様子。心臓が鳴り響いているのだろうか、胸のあたりをたまに平手で抑えている。本当に分かりやすい人だ。
「決めた、そうする。映画見に行った後、告白する」
「よく言った。お前は鶏卒業だ」
「おう。明日土曜日だからね。明後日、日曜日。俺は思いを告げることにする」
「いい答えを期待しているよ。頑張れ」
すっかり週末だということを忘れていた自分は、明日から始まる二連休の有意義な過ごし方を考えるだけで今日一日は堪能できそうだなと考えていた。丁度今日の4時間目あたりに本が読み終わったので古本屋で買い足そうと考えていたところだ。同時に読み終えたのは売って、だ。そうだ、読書リストにも記入しなくちゃ。(読書リストとは、今まで自分が読んできた本を独自にパソコンに記入しているエクセルページのこと。同じ本を間違って買うのを防ぐのに大いに役立っている)自分は数々の期待を土日に抱いている。朝早くに起きれば十二時間以上の時間を読書に回すことができるからだ。まさに至福と呼ぶべきだろう。時間は有効に使いたい。有言実行を成し遂げる男だ、自分は。既に電車の中でにんまりしていた自分に小早川はお別れの定型句に月曜日のお昼時間の約束を取り付けると、若干のスキップを交えながら電車を降りて行った。よほど心が軽くなったのだろう。駆け足で階段を走り抜けていった。外ポケットに手がかかったところで本を読み終えたことに気付き、土日の妄想に耽ることに専念しようとした。
・・・日曜日。
土曜日の大体夜九時くらいだろうか、携帯で日記を書いていると小早川からメールが来た。土日は早寝早起きを目標としている自分はてっきり彼のメールに気付かなかった。まぁ気付いたところで返信するかは別問題だ。家にある本が全てなくなるという異常事態が起きて時間を持て余している時以外にメール返信することはないだろう。面倒くさい。直接話せ、直接。彼のメールの内容はわざわざ書いてくれた件名により大体の内容を推測することができ、メール本文もその通りの内容だった。
『件名: あは!行ってきますw』
『明日夢宮と都会に行ってくるぜ。付いてくんなよ、ストーカー反対だぜ。お前が言った通りの日程だ。よっしゃ、頑張るぜ。
PS 彼女の私服はお前には見せん』
大分浮かれているのが分かるだろう。生まれて初めての経験なのだろうな。週明け早々自分の机にへばりついて「俺は終わりだー」など言っている様子が容易に想像できるが、彼が妙に緊張してスベらないことを祈ってやることにしよう。さて、土曜日に欲しい本を探しにわざわざ自転車で十数分かけて出向いたわけだが、欲しい本がほとんど見当たらず妥協して購入した本も全て読み終えてしまったのだ。よって日曜日はすることがなくなってしまったのだ。同じ古本屋さんが一日二日で大量入荷するとは思えない。行くだけ徒労に終わるのは目に見えたことだ。やることもないので、これまでの夢宮さんの行動を思い返して安らぎをいただくことにしよう。
「夢宮さんはいつもお弁当どうしてるんだ?」
小早川と自分と彼女の三人で村興しをした方がいいんじゃないかと思うくらい人気のない道を歩いている時のことだ。小早川が夢宮に向かってこんな質問をした。小早川は流石だった。しっかりと好きな人のお弁当にまで監視の目を入れている。いつか非通知で電話をかけて「もしもし、どなたですか?」の一言(それはもう綺麗な声だ)を聞くために電話料を気にせず何度も電話しかねない、いわばストーカー予備軍に入団できそうなレベルにまで達しそうであった。
「あれは私が作ってるの・・・!」
夢宮は普段から対面していないと判断できないだろう強気の表情を薄らと浮かべた。その返答に過剰反応したのは当然小早川で、キッチンに立っているだけで餌をくれるのではないかとご主人様の足元で強請る猫のように目を輝かせた。それに悟ったのだろうか、いや、悟っては無いだろう。夢宮は「今度作りましょうか・・・?」と丁寧語を交えて聞いてきた。
「まじで・・・!? あ、ありがとう!」
それは夏の日に甲子園で優勝したチームのキャッチャーのように今にも泣きそうな目だった。夢宮は暖かな微笑みを浮かべて小早川の顔を見ていた。これが春というものだろうか。こんな出来事が現実にありえるとは。小説でも見たことがない。
次の日、早速夢宮はお弁当を用意してきた。後日、小早川が勢いで撮ったお弁当の写メを見たのだが、そのお弁当を描写するのに要する文字は軽く一万文字では足りないだろうからここでは割愛させていただく。そのお弁当はいかにも女の子らしく、うん、もうこれは彼女が彼氏に作ってくるラブ弁当そのものだった。ハートの形をしたおかずがないのはまだ付き合ってないからだろうが。そこまでしてくれた夢宮に何故小早川の馬鹿は告白をすぐにできなかったのだろう。そのお弁当の渡し方がまた可愛らしく、自分の机の前でお腹を鳴らしている小早川の元にメールの一通を送って、ある部屋まで来て、と呼びだしたのである。よほどクラスの人に見つかりたくないのだろう。自分は緊張する小早川のために途中まで同行する羽目に合い、二人きりの状況を後ろの方遠くでちらっと見ることになったのだが、あぁ、アイツはなんて幸せ者なのだろう。夢宮はもじもじしながら小さな手でお弁当箱らしきものを掴んで、腕を伸ばしきってお弁当箱を彼の胸のあたりに差し出した。きっと「どうぞ・・・。おいしくなかったらごめんね」とかの言葉を付け足して。味に関しては言うまでもなく、小早川は「もう俺は他の食事を満足に食べられないだろうね」と誇らしげに語っていた。贅沢な思いをしやがって。栄養失調で死んでしまえばいい。
他にも、一緒に帰っているときに石ころにつまずいていたこととか、一年以上通ったはずの帰り道を間違えそうになって慌てふためきながら「ちっ、違うんです・・・!」と必死に何かを誤魔化そうとしていたこととか、ほんの少しだけドジな一面も覗かせる出来事もあったりする。自分が夢宮たちと一緒に帰ることは、自分が一人で帰る時と五分五分になってきた。その中で新たな一面の彼女を見ることが増え、確かに彼女は小早川ついでに自分にも心を開いてきたようである。クラスでは冷静沈着を守り抜き、他のクラスメートからはきっと暗い子だなとか思われているのだろうが、自分たちだけは本当の彼女に出会えているという満足感でいっぱいだ。人間に絶望している自分が言おう。夢宮は本当に良い子だ。小早川にはもったいないくらいだ。
おや、小早川からメールがきたみたいだ。毎度コイツは日記の邪魔をしてくれる。内容はこう書いてある。
『ありがとう。付き合えることになった。いや、決して嘘じゃない! ・・・本当にありがとうっ』
・・・この物語が幸福感に溢れた成長物語などに見えるかい?