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そんな、夢を見るーB面ー③

 ドアが開いて開口一番、アズサがあまりにも幸せそうな顔で『おかえりなさい』なんて言ってきた。

 おれは、その笑顔に固まってしまった。

 そして、頭の中に昔の彼女のことが浮かんだ。

 まだ、二十一歳の大学生だった頃につき合っていた彼女は、七つ年上のOLだった。

 ふんわりとした優しい雰囲気の彼女だった。

 フニャッ、とした笑顔で『おかえりなさい』と迎えてくれたのは、同棲を始めてからの三日間だけだった。

 彼女が言うには、時間にゆとりがあるはずのおれの方が帰宅が遅いのは、許せない、らしい。

 ただ遊び歩いていたわけじゃない。

 バイトだってしていたし、大学のサークルでのつき合いの飲み会だって参加していた。

 人間関係を築くのには、手っ取り早い方法だし必要だと思う。だから、できるだけ参加していた。

 彼女のことを放置していた気はない。大切にしていたつもりだ。

 でも、お互いを労らないおれたちの関係は、当然のように冷めていった。

 自然消滅のうちに会わなくなった。

 渡されていた合い鍵はまだ持っている。

 処分の仕方がわからないだけなんだけどな。

 そんなおれがよく偉そうに『愛と向き合ってみろ』なんて言えたもんだ。

 愛なんて恥ずかしいワードを言ってしまったし。おれのキャラじゃないだろうが…。

 こうして、昔の彼女のことを思い出してしまったのは、目の前にいるアズサのせいだ!


 柔らかな空気をまとったアズサは、今までつき合ってきたどんな彼女たちより……。

 って、何を考えているんだっ!アホか、おれは!!

 「あ、…なんだお父さんでしたか」

 ん?今、なんと?

 「てっきり、お母さんだと思っていました」

 アズサは少し残念そうに言う。

 待て待て待て、お父さんだって偉大なんだぞ。

 家族を養う為に日々、社会の荒波の中で戦っているお父さんたちだっているんだ。

 全世界の一所懸命に働いている、お父さんたちに謝れと言いたい。

 おれも将来、家族をもったとする。

 帰ってきてもガッカリされてしまうような父親になってしまうのだろうか。

 いやいや、そうじゃなくて!

 「あの…お父さんって何ですか?ぼくのことですか?」

 「え?はい」

 「よく見てください!ぼくは夕崎セイジですよ」

 「ふふ。またまた。お父さんと先生を間違えるわけがないじゃないですか」

 いや、思いっきり間違えているんだよ!


 「帰ってきてくれて嬉しいです。久しぶりに一緒に食事ができますね」

 学校から帰宅してから着替えていないのか?『勝田』と刺繍されたジャージを着ている。

 アズサは嬉しそうにニコニコとしている。

 でも、顔は変に赤くて具合がよさそうには見えないな。

 「熱は計りましたか?家の人は?」

 「いえ、まだです。というか、家の人って。目の前にいるじゃないですか!ふふ。お父さんったら頭からペンペン草を生やしているのですね」

 かなり重症だ。なんか幻覚まで見ているし。

 こうして、玄関でやり取りしている場合じゃないな。

 「入りますよ」

 「はい」

 「真っ暗ですね。電気ぐらい点けた方がいいですよ」

 「え?!今、何時ですか?」

 「十九時です」

 アズサ以外の人間の気配がしない。おれはネクタイをゆるめた。

 「ところで、お父さん。何で丁寧語なのですか?」

 アズサが小首をかしげる。

 言葉遣いも砕けさせてもいいかもな。


 教師となった今、一人の生徒だけを特別扱いするわけにはいかない。

 でも、気になるんだもんなー。

 ミサキとやらのせいで追加されたダークなイメージの影響力は大きかった。

 呪われたくないから、と誰も明日提出予定のプリントをアズサに届けてくれようとはしなかった。

 タイミングが悪かったのか、勝田も捕まらなかったしな。

 「なんて…何でもいいから理由が欲しかっただけか。はあ」

 「何ですか?」

 「いや、何でもない」


 玄関もそうだったけど、廊下もよく磨かれている。掃除の行き届いたキレイな家だ。

 母親が毎日やってんのかな。

 ぐうたらのオフクロにも見習って欲しいもんだ。

 それにしても、この時間帯にいないってことは共働きか?

 「急いで夕食を作りますね」

 「いや、ムリはするなよ?」

 おれに背中を向けて歩き出そうとしたアズサが、ピタリと動かなくなる。

 「どうした?」

 おれは肩を掴んで、身体ごと自分の方に向ける。

 「吐く…」

 「は?え、ちょ、ま…!!??!」




---しばらく、お待ちください---





 昔の彼女の中には、アルコールに弱いクセに飲みまくる困った子もいた。

 服が汚れることも何度もあった。

 だから、そのことに抵抗はない。ないけどー…。

 このスーツはかなり気合いを入れて買ったものだから、少しへこむな。

 「ごめんなさい」

 「わざとじゃないんだろう?」

 「はい!もちろんです!シミになってしまいますね。服を脱いでください!手伝いますから」

 「いや、一人でできるからっ!コラっ、変なところを触るな!」

 昔の彼女の中には、服を脱いでそのまま--ってこの回想はいらないな。



 「アズサ、お父さんの服を借りられないか?後でちゃんと本人にも事情を説明するから」

 「?自分で取りに行けばいいじゃないですか。その間にわたしは夕食を作りますね」

 「いや、おれがテキトーに作るから、頼むからアズサは服を持ってきてくれ」

 「え、まさか?!」

 アズサが目を丸くしておれを見る。

 ようやく、おれが父親ではないことに気がついたか。

 「とうとう自分の部屋もわからなくなってしまったのですか?!二階にあがってすぐですよ?!いくら方向音痴だからといっても家の中でも迷うなんて…」

 アズサの父親のプチ情報を入手した。

 『父親は方向音痴である』

 うん。果てしなく、どうでもいいな。

 「そうなんだよ。お父さんの方向音痴はもう末期なんだ」

 おれは悪乗りすることにした。

 アズサは涙を浮かべて、嗚咽をもらす。

 いつかはそうなる予感はしていました、と。そんなに酷いのか?!


 「あー、服は頼んだぞ。それから、アズサも着替えてきた方がいいぞ」

 「わかりました。あの、お父さん」

 「ん?」

 「無事に帰ってくることができてよかったですね」

 アズサの笑顔に心臓が跳ねる。ソッと胸を押さえた。落ち着け、おれ。

 相手はアズサ。妹みたいな存在だ。そう、落ち着くんだ。

 「ふぅ」

 アズサの父親が何をしている人かは知らない。

 だけど、駅からこの家まで十五分もかからない。しかも、ほぼ一本道だ。

 「あ、アズサ。悪い。キッチンはどこだ?」

 「本当に大丈夫ですか?!」

 本格的に心配され始めてきた。マズイよな。アズサに手を引かれる。その手は熱く汗ばんでいた。

 「服を置いたら、アズサは大人しく寝ているんだぞ?」

 「はい」


 アズサが出ていくのを確認すると、スーツを脱いだ。

 うーん。シャツも少し汚れがついている。

 だからといって、半裸でいるのはマズイだろうからな。我慢するか。

 服を持ってきてくれるまで、冷蔵庫のチェックでもするか。

 シメジ、カボチャ、玉ねぎ、グリーンピース…他にも結構あるな。

 これだけあれば、ちゃんとしたものが作れそうだ。

 それで、だ。米はどこだ?

 視界の隅にチラチラと入ってくる、存在感のある物体。

 米俵だよな…でも、まさかな。いや、しかし。

 こんなベタな形をしたものが一般の家庭に置いてあるものなのか?!


 確かめようとしたところで、生ゴミ処理機も視界に入る。

 ゴミがはみ出ている。

 何となく気になって開けてみる。

 「なんだ?」

 首をかしげる。

 調理済みの料理がそのままの形で棄てられていた。


 「着替えを持ってきました」

 「おお、ありが……」

 ドアの側に立っているアズサは、薄紫一色のシンプルな浴衣を着ていた。

 ちなみに、今は四月だ。

 「あの、アズサさん?今から祭りにでも行くつもりか?」

 夏でもないのに。そこまで、熱があったりするのか?

 …それとも、ソレが部屋着だったりして? はは、まさかなー。

 「何を言っているのですか?寝る時は、お父さんは甚平、お母さんとわたしは浴衣。昔からそうだったじゃないですか」

 そう言うアズサの腕には、紺色の甚平がかけられている。

 まさかの部屋着だったよ。

 今までつき合ってきた彼女の中にもいなかったので、ビックリだ。

 「普通にスエットでもいいからないのか?」

 「甚平だけは譲らないと言っていたのは、お父さんじゃないですか。仕事着以外は甚平しかありませんよ?」

 おれは無言で受け取った。帰りはどうしよう。

 季節感を無視して、甚平姿で帰宅する自分を想像して身震いした。


 「そうだ、アズサ。コレは?」

 ゴミ処理機の中を指差す。アズサは、ソレを見て苦笑する。

 「もったいないですけど、昨日の夕食です」

 「本当にもったいないな!何で食べなかったんだ」

 世の中にはな--ーと、説教じみたことを言いそうになるのをこらえた。

 相手は具合が悪いんだしな。労らなければならんだろう。

 「わたしが食べる分だけでお腹がいっぱいになってしまいまして、はい。ごめんなさい」

 アズサが深~く頭を下げる。

 「家族の分までは食べられませんでした」

 「ん?どういうことだ?」

 「お父さん、帰ってこなかったじゃ…ごめんなさい!迷って帰ることができなかったの間違いですね」

 おとーさーん!!

 「取り合えず、部屋で寝ていろ。暖かくしてな。あとで、食事を持っていくから」

 「…ありがとうございます」

 アズサは、フラフラとしながらキッチンから出ていく。


 「さて」

 おれはシャツを脱ぐと甚平に着替えを…着替えて……着………って半袖だった!

 まだ、肌寒い季節だ。

 アズサの浴衣も薄着に入るよな。

 それもあって、体調を崩したんじゃないだろうな。

 「おれは何をしにきたんだっけ。はあ」

 背筋を伸ばし、気合いを入れ直すと甚平に着替えた。


 料理でも作りますか。

 確か、お粥が苦手だったよな。

 昔は、熱を出すとオフクロがアズサの為に作っていた。家に誰もいない時だけだけど。

 昔のままだとしたら、食べないかもな。

 さて、どうするか。

 どうせなら、手鞠家みんなの夕食も一緒に作ってしまうか。

 頭の中で献立を組み立てていくと行動に移した。


 出来上がった料理を見てうなずく。

 「自分のことながら、惚れ惚れするわ」

 料理には、ちょっと自信がある。

 一人暮らしをしてきて自然と身についたことだけど、味も保証できる。

 カボチャのリゾットをおぼんに乗せると、キッチンのドアを開けた。

 「うおっ?!」

 目の前に長い黒髪の女がヌッと立っていた。

 ミサキか?ミサキさんなのか?!

 「ふふ」

 ニヤッ、と笑う女。

 「ひっ?!南無阿弥陀仏!アーメン!」

 十字をきりながら言う。どこの仏さまでも神さまでもいい!

 助けてくれるなら何でもいい!

 「あの、お父さん?怖いのですが」

 「怖いのはおまえだ。って、ん?…アズサ、なのか?」

 「はい」

 暗がりに立っていた、アズサがキッチンに入ってきた。

 明るいところで見れば、確かにアズサだ。間違いようがない。

 三つ編みをほどいた髪は、ふんわりとしていてパーマみたいだ。

 あの奇抜な赤いメガネは健在だが、印象がかわる。

 これで、金髪なら天使に近づくかもな。見た目だけだけど。

 浴衣姿の天使…うん、いいかもしれない。


 「寝ていろと言っただろうが」

 「わたしの部屋までたどり着けるか心配だったのです。キッチンすらわからなかったのですから。家の中で遭難するかもしれないじゃないですか」

 確かに、アズサの部屋を知らない。

 テキトーに歩いてまわろうとしていたけど、よそさまの家を許可なく探るのも気がひけるしな。

 「お父さんにとっては迷路となってしまったわが家で!今!部屋を案内できるのはわたしだけなのです!さあさあ、ついてきてください!」

 あ。これは、何かのスイッチが入ってしまったとみた。

 ホラー映画の登場人物を救うのが使命だとか言っていた時と同じ表情を浮かべている。

 赤いメガネを上げ下げしている。

 ふふふ、とか笑っているのがまた、不気味だ。

 「でも、遭難はないんじゃないか?」

 「わかっていませんね!お父さんは、驚異的なまでの方向音痴なのですよ!自覚が足りなさすぎです!」

 「そう、なのか?」

 「はい!昔、駅から徒歩一分の距離にあるデパートに到着するのに、十五分もかかったじゃないですか」

 「はあ」

 おれは、曖昧に返事する。だって、他人事だしな。

 「デパートの周りをグルグルと何周もしていました。まだ小さかったわたしは、遊んでいるのだと思っていました。デパート入り口で、お母さんはその様子を見て呆れたらしいです」

 「それは…スゴいな。そういえば、お母さんはまだ帰ってこないのか?」

 「そうですね。まだみたいです」

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