そんな、夢を見るーA面ー②
「ホラー映画がアズサに何をくれた?その先に何がある?」
「先はあります!それは言い切れます!みんながハッピーエンドになるのです!」
「その中に、あたしやソラくんはいるの?」
「もちろんです!」
「夕崎先生は?」
チラリ、と先生が肩にかけてくれた上着を見る。
今は部室のベンチに畳んで置いている。
それを見ただけでまた、落ち着かない気分になってきた。
「アズサ?」
「あ、はい。先生もです!お母さんとお父さんもです!」
先回りして、家族のこともつけ足す。
「じゃあ、自分自身は?」
思わず黙ってしまった。
わたしにはある確信がある。
ホラー映画の世界で、登場人物たちを助けられたら、現実でもうまくいくという確固たるものがある。
初めて、ある一作の登場人物をみんな助けられた時、その日に委員長たちがつき合い始めたのだ。
ホラー映画の世界と現実の世界、両方でハッピーなことが起きた。
無理矢理なこじつけに思われるかもしれない。
だけど、わたしはこう考えた。
ホラー映画のハッピーエンドは、現実でもハッピーなことを引き起こす、と。
お母さんもお父さんも委員長も彼氏さんも……先生もみんながみんな、ハッピーな世界になる。
でもー…。
その中にわたしを入れて考えたことがない。そもそも、必要なのだろうか。
仮面に触れる。
委員長は先を促すことはなかった。
だから、甘えてわたしも口にしなかった。
「着替え終わりました。ジャージをありがとうございます」
「アズサ、あたしはあんたの行く末が心配だよ」
「…迷惑かけていますよね。ごめんなさい」
ホームルームには、間に合わなかった。
ああ、委員長もですよね。
ごめんなさい、と心の中で謝る。
廊下で先生とバッタリと会う。
「遅刻ですよ、手鞠さん(遅刻とは、いい度胸じゃないか?なあ、アズサ?)」
何故か、心の声らしきものまで聞こえてくる。
「す、すみません」
「はあ…、あのあと、大丈夫でしたか?」
ジャージを指差されながら言われる。
「はい。コレ、ありがとうございました」
上着を返す。そのことに寂しさを感じた。
「そうだ!昼休みに授業で使うプリントをまとめる作業を手伝ってくれませんか?いいですか?」
言外に『断るわけないよな?』という圧がこめられている気がする。
「わ、わかりました」
「助かります。では、また」
教室に入るとすぐに、朝の三人組を探した。
隅に女子のかたまりができている。その中に彼女たちもいた。
謝らないと!
チラチラと様子をうかがうのだけど、わたしが視線を向ける度に一斉にお経を唱えてくる。
それが怖い…怖すぎる!!ムリだ!
この状況を作ったのはわたしだけど、謝る雰囲気なんてとてもじゃないが一ミリもない。
居心地の悪い状態のまま、午前の授業が終わった。
昼休み、約束していた通りに化学準備室に向かう。
たどり着いた時には、瀕死状態だった。
「呪詛師と呼ばれているらしいな」
プリントをまとめていると、先生が真面目なトーンで話しかけてきた。
「誰がそんな酷い呼ばれ方を!?」
「アズサ以外にいるかっ!!」
頬を左右に伸ばされる。
伸びきったところで、大きくため息を吐かれた。
「生徒たちの間で大騒ぎだ。心当たりはあるのかな?」
「…はい。朝に少し?いや、かなりやらかしました」
先生は一瞬、眉間にシワを寄せた。
頬から手を離し、考える素振りを見せる。
「踊り場で話しかけてきた奴と関係あるのか?妙にわざとらしい大人しく見せた女子生徒の手紙で呼び出されたとか」
「いいえ。今日は何故か命乞いまでされたぐらいです」
「…あー、うん。そうか。悪いな」
「何で、先生が謝るのですか?」
不思議に思うも、先生が何とも言えない表情をしているので、これ以上の追及をやめた。
「だったら、またホラーか?ソレが関係しているんだろう?」
「よくわかりましたね!?そうなのです。つい混同してしまって、あれこれ口に出してしまいました」
わたしも小さくため息を吐く。
猛反省だ。
「呪詛を覚えたての殺し屋は、実験台を求めて手当たり次第に呪っているんだとよ。どんなウワサだよ!それもタロウが原因か?」
「いいえ。ミサキです」
「そうか、ミサキか。ミサキさんなのか」
柔らかな顔を浮かべてはいるけど、目が全然笑っていない。
本能が一緒に逃げよう、と言ってくる。
ただ、両肩をガッシリと掴まれた状態ではムリだ。
わたしを見て逃げる人たちの気持ちが、本当の意味でわかった瞬間だった。
「あの、以後気をつけます…ので」
ほぼ、毎回このセリフを言っているのにな。
「定着してしまったイメージを払拭するのは難しいのだよ、アズサくん?」
「…はい」
「それなのに!何をダークなイメージを追加しているんだ!アホんだら!」
天使が堕ちていく、とブツブツ言いながら先生はしゃがみ込んでしまった。
床に、のの字を書きつつブツブツと。
こんなことを思うのは失礼かな?なんか、子どもみたいで可愛い。
思わず小さく笑ってしまった。
「こら、笑うな。そうだ、アズサに渡したいものがあるんだった。それもあって、呼んだんだよ」
立ち直ったのか、机にあったレポートの束を渡される。
わたしはソレを見る。
表紙には『天使再生化計画』と書かれていた。
ソレと先生を交互に見る。
「コレは一体何ですか?」
「徹夜で考えて作った、アズサの負のイメージを改善する為の案だ」
一ページ目をめくる。
「手書きなのですね」
「字を書くのが好きだからな」
始業式の時も思ったけど、とてもキレイな字だ。
「一、恋愛映画を観る…ですか」
「そうだ。ホラー映画を観るなとは言わない。せめて、脳内にバラ色を加えてみるんだよ」
「二、ヒューマン映画を観る…ですか」
「ああ。人生の素晴らしさが詰まっている。ラストは涙が止まらない作品だってたくさんあるぞ」
「三、青春映画を観る…ですか」
「友情による心の結びつきが学べるぞ。一つのことを目標にして仲間同士が結束してやり遂げるんだ」
うなりながら、暫く考えてみる。
耳に微かな生徒たちの声が聴こえてくる。わたしは今、現実を生きている。
先生とこうして過ごしていると、ホラーの世界が薄れているから不思議だ。
温かな気持ちが心を満たすからだろうか。
それはそれとして-…。
「あの、先生。この三つのカテゴリーにある教えは、形は違いますがホラー映画でも語れますよ」
「はは、まさか。ははは」
先生の口許がギギギと音を立てて、ムリして笑顔を作っているように見える。
仮面に触れる。
落ち着かせようとしても上手くいかない何かを感じさせる。
しかし、言わねば!
「ホラーでも恋愛は語られます!まあ、大抵のカップルは殺されるか裏切りが発生しますけどね。純愛は歪んだ憎しみに変わってしまうこともありますね」
「ほう」
「人生もまた、まるで土から出てきたセミの生を観察するかのごとく一瞬で終わりますね!やっぱり、近隣の方々の裏切りにあったりするのです」
「ほうほう」
「友情は特に注意をしなければいけません!裏切りの伏線だらけです!親友だと思っていた人が腹の底では、ドス黒い想いを抱いていたりするのです」
「ほうほうほう」
「まあ、全てのホラーがそうだとは言いませんが、恋愛、人生、友情の在り方を学びました!裏切りには注意せよ、と!!」
言えた!達成感でいっぱいだ。
わたしは、仮面をグイッと持ち上げた。
「ちがーう!学んで欲しいのは、そんな不健全なことじゃない!何で裏切りが必要不可欠みたいになってんだよ。そこ重要か?純粋な気持ちをもつ方がいいだろうが!人を信じて生きていくんだよ!」
「…なんて、難しい…」
先生がうなだれてしまった。
ああ、何かフォローをしなければ!!
あれ?仮面に触れた手が震えている。
身体もフワフワと浮遊感みたいなものがある。
どうしたのだろうか?
「人を好きになることはいいことだぞ」
「委員長たちみたいにですか?」
舎弟のような存在じゃなかったのか…、と小さく呟いている。
「あー、そうだな。勝田を見ていればわかるだろう?幸せそうだろう。…多分。アズサも愛と向き合ってみろ」
「なんか気持ち悪いです」
「…酷いな」
「いえ、そうではなくて…先生が二重にブレて見えるのです」
視界に映る全てのものが歪んでいく。
頭も痛くなってきた。
「アズサ!?」
急に目の前が真っ暗になった。
身体に力が入らない。
そのまま、崩れていくような感覚だけがあった。
背中が温かい。
太ももも温かい。
わたしという存在を優しく包んでくれている。
大切にされている。
そんな気がする。
懐かしい記憶が浮かんできて頬がゆるむ。
昔はよく、熱が出るとセー兄ぃに抱っこされていたっけな。
苦しかったけど、幸せだった。
ーーえ?殺し屋に何かあったのか?!とか。
ーー呪いって失敗すると自分自身に跳ね返ってくるんだよ、とか。
ーーわたしも夕崎先生にああされたいよー、とか。
遠くの方でざわめく声が途切れ途切れに聞こえる。
でも今は、お日さまのような香りを全身で感じていたかった。
頭のどこかで幸せを感じてはいけないと考えている。
まだ、全員がハッピーエンドになっていないのだから。
そう思うけど、今だけは…この瞬間だけはこのままでいたい。
こんなことを思ってしまうわたしを許してください。
鼻先を擦りつけると、微かに息をのむ気配がした。
ボンヤリとした頭のまま、目を開けた。
自分がどこにいるのかわからなくて焦る。
わたしはどこにいるの?
天井が見える。カーテンも見える。
手を動かしてみると、触り心地のいい布の上にいることがわかった。
「ベッド?」
「あ、起きた」
声がする方向に顔を向けたら、今朝のバケツの先輩がベッドにアゴを乗せていた。
いや、え、何故!?
「あの?近いのですが」
「そうかな。ただ、メガネが邪魔だろうと思って、外そうとしていたんだけどね。必死に押さえているからムキになっちゃった」
「大切な仮面ですので」
無意識でもわたしの手は、仮面を守ろうとしていたみたいだ。
「そっか、仮面だったね」
「はい、仮面です」
「寝る時ぐらいは外したら?」
「仮面は身体の一部なのです」
「ふーん」
廊下をバタバタと走る音がする。
ドアの前でその音は止まった。
ーガラッ。
慌てた様子の先生が入ってきた。
「失礼します。手鞠さんの早退許可がおりたので…って、何できみがそこにいるんでしょうか?」
「保健の先生がいないからって、たまたま寝ていたおれに留守を頼んだのはそっち。面倒なことは嫌いって言ったのに」
「ええ、まあ。しかし、寝ている女性にそんな風に近づくのは関心しませんよ?適度な距離を保ちましょうね」
「ふーん、そ。赤メガネちゃん、お大事にね」
先輩は、わたしの頭を優しく撫でると出ていった。
二人きりの保健室。
先生がジトッとわたしを見てくる。
「例え仲がよいのだとしても男に隙を見せてはいけませんよ」
「もしかして、怒っていますか?」
「は?何をバカなことをっ…。別に誰と仲良くしようと…」
「次からは、体調管理にも気をつけますね」
「え。あ、そっち…ですか。はは、はい、そうですよ!気をつけてください」
「先生?」
先生は咳払いをすると、わたしの頭を撫でてくれる。
昔はよくこうしてもらったな。
気持ちいい。
わたしはソッとまぶたを閉じた。
「ほら!そうやって無防備な姿を簡単に見せない!」
何故か、怒らせてしまった。
「一人で帰れますか?家の人に連絡しましょうか?」
「一人でも大丈夫です」
わたしは仮面に触れると、笑ってみせた。
フラフラする身体をなんとか動かして、家へと向かっている。
道路がグニャグニャして見える。
早く横になりたい。
鍵を差し込む頃には、体力値はマイナスに近かった。
「ただいま帰りました」
静かな室内にわたしの声だけがする。
わたしを迎えてくれる家族はまだ、帰ってきていない。
体調が悪いからかな?
心まで弱ってしまっている。
寂しいという感情ばかりが溢れてくる。
「…食事…」
横になる前に作らなくちゃ。
お母さんとお父さんが美味しいって言ってくれるような料理がいい。
壁に身体を預けながらキッチンへと向かう。
ああ、着替えもしなくちゃ。
わたしはジャージに手をかける。
それから、委員長にもメール…、お母さんとお父さんにもしなくちゃ。
わたしはスマホをリュックから取り出す。
頭が働かないからか、優先順位がコロコロとかわる。
「気持ちが悪い…吐く」
身体の向きをかえて、トイレを目指す。
床に頬をくっつける。
ヒンヤリとしていて気持ちがいいな。
少しだけだけど、吐き気もおさまってきた。
『そんなところで寝てはダメよ』
頭の中?空耳?
どこか奥の奥の方から声が聞こえた気がする。
「お母さん?」
チャイムが鳴っている。
玄関のドアを開けなくちゃ。
もしかしたら、帰ってきたのかもしれない。
あちこちにぶつかりながら、ようやくドアを開けることができた。
「おかえりなさい」
ねえ、お母さん?
わたしはうまく笑えていますか?