アラシ、来襲ーA面ー②
笑い疲れたのかな?肩で息をしている。
「はあ。笑った。そういえば、自己紹介がまだだったね」
「ひっ!?」
咄嗟に耳を塞ぐ。名前を知るのはマズイ。
頭の中に焼きついて、うっかり声に出してしまうのは避けたい。
チラリと見る。変な人だと思ったよね。
まあ、ウワサの数々を知っている時点で手遅れな気もする。
「おれの名前は」
「ひゃっ!?」
また、耳を塞ぐ。なんて恐ろしい人だ。
「おれの名、」
「うわっ?!」
バケツ先輩、楽しんでいない?笑っているし!
「知りたくないか。まあ、名前なんて記号みたいなものだしね」
あれ?声のトーンが…。
傷つけてしまった?!わたしはいつも自分のことばかりだ。
バケツ先輩の名前を呼ばないように、気をつければいいだけのことなのにね。
「ごめんなさい!名前を教えてください」
「ムリしていない?」
わたしは首を横に振った。
「そう?シュウ。苗字は嫌いなんだ。だから、シュウで」
口に出しそうになって、慌てて口に手をあてる。
「わたしは手鞠アズサです」
「知っている。有名人だからね。でも、赤メガネちゃんって呼ぶね。その方が特別な気がしない?」
「好きなように呼んでください!わたしはバケツ先輩と呼ばせていただきます!」
「ぷっ。前からそう呼んでいるよね」
笑っている。良かったー。
それにしてもー…。ウサギのぬいぐるみを見る。
勢いをつけて話していたから、紙袋から出てきてしまった。フワフワとしていて触りたくなる。
やっぱり、サワサワとしたくなるな。というかもう、手が勝手に動いていた。
先輩が顔を逸らす。肩が小さく揺れている気がする。
「ウサギ、好きなの?」
「お母さんがウサギが好きなのでわたしも好きになりました」
「ふーん。可愛いから?」
「一羽でも寂しくなくて単独で生きられる動物だからだそうです」
「何だか引っかかる理由だね」
「そうですか?」
バケツ先輩が手を伸ばしてきたから、ウサギのぬいぐるみを手渡した。
「おれは家族のことなんて知らないな」
「え?」
ぬいぐるみを上にかかげている。
「家族もおれのことなんて知らないんだけどさ。好きなものも嫌いなものも何もかも知らない。大体、名前で呼ばれたことも一度もないしね」
何でもないように話しているけど、ツライのでは?
わたしは小さい頃、お父さんに『リトル天使』と呼ばれていた。
名前ではなかったけど、嬉しかった。もしかしたら、そういう感じだったりする?
「あの、では何て呼ばれているのですか?」
「それ聞いちゃう?」
しまった!?地雷だった!?
「ご、ごめんなさい!」
わたしは土下座した。
額がヒリヒリとするぐらいに打ちつけてしまった。痛い。
だけど、バケツ先輩の心はもっと痛い思いをしたはずだ。
無神経だった。距離も掴めないまま、踏み込み過ぎた。
「なーんて。冗談だよ。苗字の雲里って呼ばれている。母のことも飼っている犬も猫も鳥もみんな、同じように雲里。母も父のことを雲里って呼んでいるしさ。ややこしいよね」
「そう…なのですね」
「雲里シュウ。それがフルネーム。言うつもりなんてなかったのに、何でだろう?急に話したくなった」
ウサギのぬいぐるみの耳を、前後に動かしながら笑っている。
さっきのとは違う。
どこか寂しそうな感じがする。
こんな顔をさせてしまうぐらいなら、笑い転げている方がいい。
そう思うけど、笑ってもらうにはどうすればいいのかわからなかった。
「家族のことなんて知りたいと思ったことなんてないな。赤メガネちゃんのところは仲が良さそうだね。はい、返す」
ウサギのぬいぐるみを受け取る。
わたしは、お父さんの好きなものもお母さんの好きなものも知っている。
全部とは言わないけど、知っているつもりだ。
だから、わたしの家族はーーー。
「戸締まり忘れていた!」
ガラリ、とドアが開き先生が入ってきた。
それだけのことなのに、この何ともいえない空気が和らいだ気がする。
「お邪魔しています」
「あ、ああ」
わたしを見て、驚いているようだ。
それも一瞬のことで、すぐに笑顔になる。
動く気配に目をやれば、バケツ先輩がゆっくりと立ち上がっていた。
「話を聞いてくれてありがとう。じゃあ」
「いえ!わたしで良ければいつでもどうぞ!」
先輩はコクリとうなずくと、出て行った。
廊下からかすかに聞こえてくる生徒たちの声。
それらを吸い込むように、大きく深呼吸をした。
バケツ先輩は家族に愛されたいのかな。
そして、愛したいのかな。
「何を話していたんだ?」
わたしは、少し考える。
「内緒です」
人の家庭の事情を簡単に暴露してはいけない気がした。先生の眉間にシワが寄る。
「そうか。内緒か」
なんか、イジけている?
「アズサは何をしにきたんだ?」
「委員長たちには二人きりで過ごして欲しかったのです。そこでお願いがあります。これから、お昼の時もここにきてもいいですか?」
「おれに会いにくるのか?」
結果的にはそうなるよね。わたしは、うなずいた。
「そうかそうか!構わないぞ」
心なしか、声が明るいものになる。
立ち上がると、フラスコとかの実験道具が置かれているテーブルを見た。
バケツ先輩の話を聞いたからか、お母さんのことが浮かぶ。
お母さんは、ウサギが好きだ。でも、ホラーは嫌い。『ゾンビウサギーズ』も嫌い。
先生がいる時は、ホラーの世界は薄れていたはずなのにな。
じわじわとその映画が脳内に入り込んできた。
家族三人で観た『ゾンビウサギーズ』。
登場人物は狂ってしまった女博士と彼女にプロポーズした二人の男の人だ。
死んだウサギと男の人たちが、それぞれ紫色の液体を頭から浴びせられる。
やがて、ウサギとの境目がなくなりウサギ人間になっていく。
頭から長く白い耳を生やしたソレは、死んだウサギとの合体だったからかゾンビ化していた。どんどんと皮膚がドロドロに溶けて…。
「アズサ。おまえ今、ホラーのことを考えているな」
「何故それを!?口に出していましたか?」
「いや。だけど、フラスコをジーッと真剣に見ていたからな。何となく気づくもんだな」
「『ゾンビウサギーズ』のことを考えていました」
「…。救えたのか?」
「『火で逝く』と同じです。どうしても、恋愛が絡むと救えない人物が出てくるのです」
「………そうか」
「無力なばかりに…悔しいです」
『火で逝く』の方は魔神を助けられない。
かつての恋人を殺してはダメだと伝える。
すると、魔神は我にかえるのだけど、自分を責めて死んでしまう。
そんなラストは悲し過ぎるし、望んでいない。今、一からやり直している最中だ。
『ゾンビウサギーズ』の方は、博士を助けられない。
ウサギ人間にした理由は、二人の男の人を同時に愛してしまったからだという。
それをヒステリックに叫んでいた。
理性を失った彼らには、届かなかったけど。
仲間を増やして博士に襲いかかってしまう。
もし、博士が最初から二人に正直な気持ちを伝えていたらどうなっていたのだろう。
考えてはみるけど難しい。わたしがちゃんとした恋愛をしてきたことがないからだろうか。
魔神の気持ちも博士の気持ちも本当の意味では理解できていない。
ちなみに何故、死んだウサギが必要だったのか。
何故、噛まれたらウサギ人間になってしまうのか。それらの説明は一切ない。
こういうのって、ホラー映画だけなのかな?
不可解な現象も暗黙の了解みたいなものでスルーされる。
「アズサ?おーい、帰ってこーい!」
それにしても、好きになる過程を考えるのって難しい。
「ハッ!?わたしもゾンビに恋をすれば、博士みたいにラスト笑って死ねるのでしょうか!」
「本当に帰ってこい!!」
ホラーの世界に入り込み過ぎるかと思った。先生に感謝だ。
思いっきりデコピンされて痛む額を押さえる。
落ち着いたところで、お弁当箱を取り出した。
恐る恐るフタを開けてみる。
豚肉が敷き詰められている。
わずかな期待を込めて豚肉の一枚を箸でめくる。
ご飯がない。肉、肉、肉オンリー。
やがて、弁当の底が見えた。
「ふふ、やっぱり」
乾いた笑いになってしまう。
「ソレ、アズサが作ったのか?」
「いえ、『あの人』です。前に重箱だった時もありました。一段目が鶏肉のみ。二段目が豚肉のみ。三段目が牛肉のみでした。肉祭りです」
十代は肉。
『あの人』の中ではそんな考えが成り立っているのかな?
朝から肉。夕食も肉。どこまでも肉。
昨日、委員長たちと別れてから二人でスーパーに行った。
カレーを作るのだと言われた時は、ホッとした。
味つきカルビを大量にカゴに入れるまでの短い間だけだったけど。
「ほら、口を開けてみろ」
「はい?」
不思議に思いながらも、言われた通りに口を開けた。
何かを突っ込まれ、モグモグとする。
「どうだ?」
「こ、これは!味がしっかりと染み込んでいて、いつまでも口の中で味わっていたいと思わせますね!フワッとしていて甘過ぎない、まるで玉子焼きのようです!」
「うん、玉子焼きだからな。グルメレポーターでも目指してんのか?」
「自分で作ったのですか?」
「まあな。スゴいだろ?」
「はい!」
思わず元気に返事をしてしまった。
子どもっぽ過ぎだ。
先生がテーブルに伏せてしまった。
何だか耳が赤いような気がする。
「見るな、アホ」
視界を手で覆われる。まぶたがジンワリと温かい。優しくて大きな手だな。
「おれの弁当でも食ってろ」
「いいんですか?」
「ああ」
「今度はわたしが作ってきますね!」
「本当か?!嬉し…」
先生が勢いよく顔をあげる。目が輝いている。
「…じゃなくて。んー、あ、あ、声の調子が悪いな」
「大丈夫ですか?」
「ところで、その紙袋を持ち歩いているのか?」
「ロッカーに入れるには大きいので。形が崩れてしまっても嫌ですしね」
「家庭訪問の時に渡せば良かったな。何か理由をつけてさ」
『あの人』は先生を敵視している。
何か似たようなものを感じるのだと言っていた。
『目を光らせる必要がある、そんな敵が現れた』と。心配だ。
「わたしは『あの人』が苦手なのです」
「名前で呼べなくても、お姉さんとか、まあ、おれより歳下に見えたからあれだけど叔母さんとか呼べばいいのに」
お姉さん?叔母さん?『あの人』をそんな風に?
想像してみる。呼べない!
「ムリです」
「相当だな。何かあったのか?」
「何もなくてもムリなのですが、あるにはありました」
わたしは、あの日のことを思い浮かべる。
「小さい頃にお母さんが大好きな花を育てていたのです。お父さんから花の種をもらって、わたし一人で」
育てるのは楽しかったな。
お母さんの喜ぶ顔を期待していた。
「キレイな薄紫色の花が咲き始めた時に『あの人』が現れて……引っこ抜きました。ズボッと軽快に」
「スミレさんがか?!」
先生が驚く。わたしもその当時は驚いた。
それが、初対面だったからなおさらだ。
「その前に何か会話をしたような気もするのですが、あまりの衝撃に記憶が飛んじゃいました」
一所懸命に育てていたから、ショックだった。
引っこ抜いた花をくれたけど、ソレをお母さんにプレゼントする気にはなれなかった。
庭に咲いた小さなスミレの花。
お母さんに喜んで欲しかったな。
それを『あの人』は…。
それ以来、どうにも苦手なのだ。
「『あの人』を好きになっても報われませんからね」
「なんだ、突然」
「美人だって言っていたじゃないですか。タイプなのかな、と思ったのです」
「アズサはスミレさんに嫉妬しているのか?おれにスミレさんをとられると思っているのか?ん?」
ちょっと嬉しそうに言うのが気になる。
好きになっても、苦しむのは先生なのにわかっていない。
「そういうのではありません!気をつけてくださいね。昔、ピンクの髪をしていて周りから恐れられていた人なのですから」
「不良だったのか?」
大きくうなずく。過去形にしていいのかわからない。
『あの人』が暴走しなければいい。
わたしは、無事に家庭訪問が終わることを祈った。