ムゲン 断頭台のユメ
風がなくて、熱くも寒くもない。気候は安定していて、落ち着いている。湿ってもいなくて、乾いてもいない。調度いいくらいの温度は、肌に不快を与えないぶん、心地よさもわけてくれない。
足元を見ると、そこにはアーモンドグリーンとアイビーグリーンを不完全に混ぜ合わせたような、太いパイプと細いパイプが一直線に走っていて、同じ形の同じ色のパイプがぐるりと周りを囲んでいる。どこを見ても同じ、壁も、天井も、パイプに覆われて、他には何もない。
パイプで作られた道の上を、人間が一人で歩いている。やや灰色がかった黒のジーンズをはいていて、トップは清潔感のある白いワイシャツを内側に着て、その上から使い古した黒い袖の長いシャツを身につけている。
年は十代の前半ほど、色が抜けた金髪はバックが肩の手前で、フロントは目に少しかかるほどに伸びている。肌はあまり濃くなく、瞳は夜で塗りつぶしたように黒い。
腰のベルトからはチョークバッグを一つと、拳銃が入っていると思われるホルスターが吊るされている。そして首からは枝のように絡まった白銀の金属の真ん中に、濃い紫色を帯びた黒い楕円形の宝石の乗ったペンダントを提げている。宝石は、見方によっては赤い光を発する、不思議な輝きをもっている。
「何?」
人間が言った。
他に人間の姿は見えない。しかし人間は誰かと話しているように、もう一度言った。
「どこ?」
人間はキョロキョロと辺りを見回して、そしてパイプがたくさん通る大きな道を逸れて、細い道へと進んでいく。
人間が進んでいくと、そこはぽっかりと穴が開いたように部屋があった。 人間は、部屋の入り口で立ち止まって、そっと中を覗き見する。
そこは大きな部屋だった。左右に通路が伸びていて幅は人間が三人並んで歩いても平気な大きさで長さはどれくらいあるのか先が見えない。
その部屋に沿うようにたくさんの大きなカプセルが置かれている。
カプセルは楕円形の透明な殻のようなものでできていて、一見して巨大な卵を想像させる。カプセルはパイプの一部から作られたような頑丈なクッションの上に置かれている。
人間がカプセルの下に取り付けられたスイッチを押すと、カプセルは音もなく開いた。
「慌てるなよ、グナル」
人間は言いながら、カプセルの中に入る。そのまま入るには少し狭かったので、人間は膝を折って抱え込むような恰好になる。
膝を曲げた状態で、人間は腰の隣で赤く光っているボタンを押した。
空気が漏れる乾いた音がして、その後から液体を流し込むような音が聞こえてくる。ボタンを押してしばらくすると、人間の背中から透明な液体が溢れ出した。液体は徐々に量を増して、人間の耳を完全に覆ってしまった。それでも、液体はカプセルの中で満ちていき、勢いは少しも弱まらない。
「じゃ、あとはよろしく」
それだけ言って、人間は目を閉じた。カプセルの中が完全に液体で埋め尽くされても、人間はピクリとも動かない。まるで眠りについたように、動かない。
「シナ。もうオッケーだよ」
シナと呼ばれた人間は目を開けた。
目の前に町があった。道の上をたくさんの人間が歩いていて、お店の中も人間で賑わっている。この町の人間だろうか、お店で買い物をしている人間がいたり、どこかに向かっている人間がいたり、ただ歩いているだけの人間がいたり、道の上で走り回っている小さな人間がいたり、色々な人間たちが町の中にいた。
「町だね」
「町だー」
シナが言うと、どこかから声が聞こえた。シナの首から提げてあるペンダントがシナに言った。
「ねえねえ、シナ。どこか寄って行こうよ」
「どこに行きたい、グナル?」
喋るペンダント、グナルはしばらく考え込む。
「どこでもいいから。どこかに寄って行こうよ」
シナは町の中を見回して入りたい店を探した。しばらく歩いていって一軒の店にシナは入っていった。
店に入ってからしばらくしてグナルが訊いた。
「シナ」
「何、グナル」
グナルは真剣な声でシナに訊いた。
「なんで武器屋なの?」
店の中には銃、火薬、ナイフ、ロープなど様々な道具が置かれていた。シナは当然のように答えた。
「町に着いたらまず武器を調達しておかなきゃいけないだろ」
「まずは泊まるところ探すんでしょ。お風呂に入りたい」
シナはグナルの意見をあっさりと聞き流す。
「泊まらなくてもいいだろ。ここでお風呂に入る必要もないし」
「シナは必要なくても僕には必要なのさ。綺麗にしていないと気持ち悪いでしょ」
「どうせいま綺麗にされているんだろ。だったら意味ないじゃん」
乗り気でないシナにグナルは真剣に訴えた。
「気持ちの問題だよ。シナって、そういうところテキトーだよね」
シナはしばらくじっとグナルを見て、そして首を傾げる。
「そう?」
「そう」
グナルは即答した。
しかしシナは興味なさそうにしばらく店内を眺めて、色々と見ていった。
十分くらいしてようやく店を出たシナが買ったものは、火薬と皮の布だった。
グナルがぶつぶつと文句を言う。
「結局あんまり買わないじゃん」
「これで充分なの。手持ちの弾が少ないと不安だからね」
「じゃあ、次はどこ行く?」
うってかわったように、グナルは弾んだ声を上げる。シナはしばらく考えて、グナルに訊いた。
「どこ行く?」
グナルもしばらく考えて込んで、そして答えた。
「じゃあレストランに寄って行こうよ」
シナが首を傾げる。
「なんで?」
「なんでって、もちろん食事をしに」
「それも必要ないでしょ」
シナはすたすた町の中を歩いていく。どうやらレストランに行く気はないようだ。再びグナルが声を上げた。
「だーかーら、気持ちの問題だってば」
五分近くグナルに文句を言われて、シナも諦めてレストランに立ち寄ることにした。シナは何も頼まずに席についた。グナルがこの店自慢の特盛りパスタがあるというのでそれを注文しようとしたら、シナに止められて結局テーブルの上には水しかない。しかも、シナはその水に手をつけようとしない。
グナルがただじっとしているのに耐えかねて声を上げた。
「シナ」
「なに?」
「なにか注文しようよ」
「いいよ。必要ないから」
「あの得盛りパスタって美味しそうじゃない」
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
シナは黙った。グナルも同じように黙ってしまった。
また十分経って、グナルが言った。
「シナ」
「なにも注文しないよ」
「そうじゃなくて、あそこ」
グナルが言う先を見ると、そこにはグランドピアノがあって一人の男がピアノの前に腰掛けている。男は鍵盤を覆っていた布を取り外して、白い鍵盤の上にそっと指を置いた。
店の中が急に静かになって、それを待っていたように男は鍵盤を叩いた。美しい旋律が店の中に流れて、シナとグナルはただ男が奏でるメロディに聞き入っていた。
演奏が終わると、店の中から拍手が起きた。
「綺麗だったね」
「うん」
シナは周りの人間と同じように拍手をしながらグナルに答えた。
男は席を立つと、シナの座っているテーブルへとやって来た。
「やあやあ、これは珍しいお客様だ」
男はシナの前に座ってこう名乗った。
「わたし、調律師のロンチェルといいます」
「僕はシナ。これはグナル」
「どーもね」
男はにっこりと笑った。
「よろしく、シナさん、グナルさん」
グナルが感心したように言った。
「ピアノ上手なんだね」
ロンチェルは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。わたしはここで毎日ピアノの演奏会を開いているんです。もしよろしかったら明日も聞きに来てください」
シナは少し考えて答えた。
「考えておきます。ところで、調律師ってどういうお仕事なんですか?」
「ピアノの調律をしているんです。楽器はとてもデリケートなので、ほっとくとすぐに音が変わってしまうんです。そこで時々ピアノの中を見て正しい音に合わせるんです。この町のピアノのほとんどはわたしが調律しています」
グナルがまた感心した。
「へえ。すごいね」
ロンチェルは嬉しそうに微笑んだ。
「二人はこの町、初めて?」
「はい。いま来たところなんです」
「ロンチェルさん。この町でおすすめの場所ってある?」
グナルに訊かれてロンチェルは考える。
「おすすめの場所ですか?」
ロンチェルが窓の外を眺めると、町の人たちが一斉にどこかへ向かっているのが見えた。店の中でも何人かはお金を払って人々の波に乗っていく。
ロンチェルは満足そうに頷いた。
「ちょうどいい。これから取って置きのものを見せてあげましょう」
ロンチェルはシナとグナルを店から連れ出して、人々が向かうほうへと歩き出した。
町の人たちは噴水のある広場までやって来て、そこで立ち止まっていた。シナとグナルもロンチェルに言われてそこでなにかが始まるのをじっと待たされた。
シナは周りの人たちを見ながらロンチェルに訊いた。
「この人たちは何のためにここに集まっているんですか?」
ロンチェルは楽しそうに笑った。
「これから面白いものが見られるんです。まあよく見ておいてください」
それから十分ほどして、どこからかファンファーレが聞こえてきた。ロンチェルが指差すのでシナはその方向を向いた。そこには木で組まれたステージが用意されていて、その上に兵士が一人立っていた。
兵士は集まった人間たちに向かって大声で叫んだ。
「やあやあ、諸君。よくぞ集まってくれた。ただいまから本日の罪人を裁いて御覧に入れよう」
人々の中から歓声が上がった。
シナとグナルはわけがわからずぽかんとしていた。
「罪人?」
「しっ。静かに」
ロンチェルに注意されてグナルは口を閉じた。シナも黙って兵士の言葉を聞いていた。
兵士はまた大声で叫んだ。
「本日の罪人は、泥棒のライラだ。ライラは王様の宮殿に忍び込んで金庫から財宝をどっさり盗もうと企んでいたが、警備の兵士たちに見つかって捕まってしまった。とんだ間抜けだ」
人混みの中からどっと笑い声が上がった。
人々の反応を見て兵士は満足そうに頷いた。
「さあ、ではそのライラに登場してもらおう」
ステージの奥から二人の兵士に連行されてくる一人の男がいた。あれがライラのようだ。手を後ろ手で拘束されている。人々の中から歓声が上がった。
「きゃあ。ライラだわ」
「やーい。この間抜け泥棒」
散々罵倒の声が上がって、そんな中でライラは必死で声を張り上げる。
「皆聞いてくれ。俺は泥棒なんてしちゃいないんだ」
ライラの口を横で挟んでいる兵士たちが塞いでしまった。折角の言葉も人々には届かない。司会の兵士は軽やかな声で叫んだ。
「さあ、泥棒の話なんて聞く必要ない。さっさと処刑してしまおう」
司会の兵士の合図で、ライラを連行して来た二人の兵士はライラをステージの中央に置かれた奇妙な装置に固定した。木の柱が二本垂直に伸びて、人間の背丈の倍くらいの高さがある。その機械の天辺には鋭い刃が光っている。
シナが不思議に思ってロンチェルに訊いた。
「あれは何ですか?」
「あれは処刑に使う道具で、ギロチンといいます。まあ、見ていてください」
シナが見ているとライラはすっかりギロチンに固定されて身動きがとれなくなっている。ライラの頭はちょうど刃の真下にあった。
司会の兵士が大声で叫んだ。
「準備は整った。それでは、諸君。カウントダウンを始めようではないか。ではいくぞ。一〇!」
兵士のカウントに合わせて、集まった人間たちもカウントを始めた。隣でロンチェルもカウントを始めたが、シナは黙ってその様子を見ていた。
「おい、皆聞いてくれ」
ライラが口をぱくぱくさせて何かを言っているようだったが、周りの声に消されて何を言っているのかわからない。ライラの顔がどんどん蒼ざめていった。
「九」
「俺は泥棒なんてしていない」
「八」
「俺はただ金庫の警備を頼まれただけなんだ」
「七」
「俺は何も盗んでなんかいない」
「六」
「おい、誰か俺の話を聞いてくれ」
「五」
「俺は無実なんだ」
「四」
「止めてくれ」
「三」
「誰でもいいから助けてくれ」
「二」
「止めてくれ、お願いだから」
「一」
「助けてくれ助けてくれ助けてくれ」
「〇」
死刑執行人が思い切りロープを引っ張ると、ギロチンの刃はライラの頭にまっすぐ落ちていって、ライラの首から先は綺麗に切り落とされた。
兵士はライラの首を掲げて、それを見た町の人間たちは歓声を上げた。ライラの目は頭が体から切り離されても十秒くらいは瞬きをしていた。
処刑が終わって、人々はバラバラに散っていった。兵士たちはライラの首と体を片付けて、広場にはステージとギロチンだけが残った。
広場に残ったロンチェルはシナとグナルに訊いた。
「どうでしたか?二人とも」
グナルが驚いたように答えた。
「なんかすごい派手だったね」
ロンチェルは満足そうに頷いてシナに訊いた。
「シナさんはどうだった?」
シナは少し考えたあとで言った。
「処刑は、この町のイベントなんですか?」
「その通りだ」
ロンチェルは頷いた。
「この町では処刑を見世物として行っているんだ。そしていま使われているギロチンは、何を隠そう、わたしが発明したものなんです」
グナルは感心して言った。
「へえ。すごいね」
ロンチェルは興奮したようににっこり笑う。
「でしょう。昔はロープで首を吊るしたり、人の手で斧を叩きつけて首を斬ったりしていたんだけど、ロープでは死ぬまでに時間がかかりすぎてしまうし、人の手に任せると死刑執行人の腕によって時間がかかってしまうことがあったんだ。そこで王様がもっと簡単に罪人を処刑できる方法はないかと国中の人たちに聞いたんだ」
シナとグナルは相槌を打ちながらロンチェルの話を聞いた。
「そこでわたしは自分の職業を活かして色々考えたんだ。ピアノ線を使ったり、二人は知っているかな?ピアノ線って、すごく細くて頑丈で、人の肉なんて簡単に切断できちゃうんだ。他にも弦を叩く原理を利用してすぱっと首を切れないかと色々考えて、そしていまのギロチンを発明したんだ」
ロンチェルは誇らしげに語った。
「原理はとても単純で、頭の上に準備された刃を一気に落とすんだ。頭は固定しておくから外れることはないし、威力も見てもらった通り簡単に人の首を切り落とすくらいある。力も必要ないし、なにより失敗がないというので、王様も大喜びさ」
ロンチェルの話にシナとグナルは感心して聞いていた。するとロンチェルは急に顔を上げてシナとグナルに言った。
「見て御覧。あそこにいるのが王様だよ」
ロンチェルはステージの下を指差した。ステージのすぐ横に兵士たちがいて、その中に一際立派な恰好をした男性と女性がいた。
ロンチェルはその集団に手を振って駆けていった。
「王様」
立派な恰好をした男性がロンチェルに気づいて振り返った。
「やあ、調律師」
二人と一つは王様とお妃様の前に並んで、ロンチェルは王様にシナとグナルを紹介した。
「王様に紹介します。こちら、シナさんとペンダントのグナルさん。この町には初めていらっしゃったんです」
王様は頷いた。
「そうかそうか。旅の方かな?」
シナが答えた。
「はい。色々な場所を見て回っているんです」
王様が言った。
「この町もよく見ていってください。お二人は先ほどの処刑を見ていったかな?」
シナとグナルは頷いた。
「はい」
「すごかったよー。びっくりしちゃった」
王様は満足そうに頷いた。
「あれだけの処刑道具は他ではお目にかかれません。我が国の自慢です。そしてあのギロチンを発明したのが他でもないこの調律師なのだよ」
王様はロンチェルの肩を叩いた。
「これからも素晴らしい発明品を期待しているよ」
「ありがとうございます」
王様たちは広場をあとにした。シナとグナルとロンチェルも広場を出て、シナはロンチェルに宿の場所を聞いてそこへ向かった。ロンチェルは自分の家に帰って行った。
次の日、シナとグナルは朝早くに宿を出て町へと出た。昨日のレストランまで行くとロンチェルがちょうど出てきたところだった。
ロンチェルはシナとグナルに気づいて挨拶した。
「やあ、おはよう」
「おはようございます。ロンチェルさん」
「はよー」
「今日も処刑が行われるんです。どうです。見に行かれませんか?」
シナはロンチェルの誘いを断った。
「すみません。今日は別の場所を見に行きたいので遠慮します」
ロンチェルは残念そうに言った。
「そうか。それは残念だ」
そこでロンチェルはシナに提案した。
「でしたら、美術館に行くといい。あそこには綺麗な絵画がたくさんあるし、美術館の中央ホールにはわたしのピアノがあって、毎日お昼に演奏会が行われるんだ。きっとシナさんたちも気に入るよ」
ロンチェルの意見にシナとグナルは頷いた。
「美術館かー」
「ではそこへ行ってみます」
シナとグナルがいなくなったあとで、ロンチェルは早速仕事に取りかかった。
「さて、久し振りにこいつの調子を見てみよう」
自分の部屋にこもってたくさんのピアノを調律して、他の楽器の様子も一つ一つ確かめる。昼間を過ぎてレストランの演奏会を行って、最後の曲を弾き終えると窓の外で町の人たちが一斉に広場へ向かっていくのが見えた。
「おや。もうこんな時間ですか。わたしも広場に行きましょう」
ロンチェルは鍵盤に布をかけてレストランを出て行った。目的地はもちろん処刑の行われる広場だ。
ロンチェルが到着した頃にはすっかり人だかりができていて、人垣の隙間からステージの上のギロチンが見えた。
しばらくしてファンファーレが聞こえて、兵士が一人ステージの上に現れた。司会の兵士はいつものように陽気な声で高らかに叫んだ。
「やあやあ、諸君。よくぞ集まってくれた。ただいまから本日の罪人を裁いて御覧に入れよう」
人々の中から歓声が上がった。
兵士はまた大声で叫んだ。
「本日の罪人は、ピアニストのレーラだ。レーラは王宮の演奏会で王様を怒らせた、とんだ不届き者だ」
その名を耳にした途端、ロンチェルは驚いて目を見開いた。
「レーラ?」
人混みの中からどっと笑い声が上がった。
人々の反応を見て兵士は満足そうに頷いた。
「さあ、ではそのレーラに登場してもらおう」
ステージの奥から二人の兵士に連行されてくる一人の女性の姿があった。ロンチェルは女性を見て顔から血の気が引いた。
「ああ、どうして。レーラ」
ロンチェルは声を上げた。しかしロンチェルの声は周りの人々に消されて、彼以外には聞こえない。
「あなたは素晴らしいピアニストだ。あなたが王様の不調を買うなんてありえない」
ロンチェルの見ている前で、着々と処刑の準備は整っていく。その間、レーラは何も言わず黙って兵士たちにされるままにしていた。
広場に集まった人々からは罵倒の言葉がいくつも上がったが、レーラはその言葉を全て受け止めるように静かだった。あまりにも大人しいレーラの態度に司会の兵士は不満そうだったが、すっかり準備が整うと集まった人々に向かって叫んだ。
「さあ、準備は整った。それでは、諸君。カウントダウンを始めようではないか。ではいくぞ。一〇!」
兵士のカウントに合わせて、集まった人間たちもカウントを始めた。レーラは首をしっかり固定されたまま動こうとしない。
ロンチェルは周囲の声には構わず、叫び声を上げていた。
「止めてくれ」
「九」
「どうしてだ。どうしてレーラが」
「八」
「レーラが罪人のはずがない」
「七」
「なにかの間違いだ」
「六」
「誰か、誰か」
「五」
「止めてくれ、止めてくれ」
「四」
「誰かレーラを助けてくれ」
「三」
「もう止めてくれ」
「二」
「レーラを殺さないでくれ」
「一」
「止めてくれ」
「〇」
死刑執行人が思い切りロープを引っ張ると、ギロチンの刃はレーラの頭にまっすぐ落ちていって、レーラの首から先は綺麗に切り落とされた。
兵士はレーラの首を掲げて、それを見た町の人間たちは歓声を上げた。レーラは目を閉じたままちっとも動かなかった。ロンチェルはただ呆然としてレーラの首を眺めていた。
「……」
処刑が終わると、人々は解散して、ステージの上もすっかり片付けられた。そこにレーラが処刑された跡はもうない。
「やあ、調律師」
声をかけられて、ロンチェルは振り返った。そこには兵士たちに囲まれて、王様の姿があった。
「王様」
王様はロンチェルに今日の処刑について話した。
「今日の罪人はつまらなかった。ずっと黙り込んでしまって、騒ぎもしない。明日はもっと活きのいい奴を処刑しよう」
ロンチェルは黙って頷いた。
王様は思い出したように言った。
「ああ、そうだ。調律師。最近この処刑方法も飽きてきた。もっと面白い処刑道具を発明してくれないか」
ロンチェルは王様に訊いた。
「どのようなものがよろしいでしょうか?」
王様は少し考えてロンチェルに答えた。
「そうだな。首だけでなく手も一緒に切り落とせるようにしよう。そして切り落とされてもまだ生きているのがわかるように首と手を紐かなにかで吊り上げて町の人間にわかるようにするんだ。うん、そうしよう。早速作ってくれ」
ロンチェルは深くお辞儀した。
「はい。かしこまりました。早急に作ります」
「頼んだよ」
王様たちは広場をあとにした。ロンチェルはしばらく考え込むようにステージの上を見ていた。そこにはロンチェルが発明したギロチンが鋭い刃を輝かせている。
次の日、ロンチェルはいつものようにピアノの調律をして、お昼頃にロンチェルが演奏会をしているレストランへと向かった。
ロンチェルが店に入るとそこにはシナがもういて、ロンチェルはシナのいるテーブルへと向かった。
「こんにちは。ロンチェルさん」
「ちはー」
ロンチェルは二人に挨拶をした。
「やあ。お二人さん」
ロンチェルはシナの前に座った。テーブルの上には水しかなくて、他にはなにもなかった。ロンチェルは店員を呼んで料理を頼んだ。
店員が行ってしまったあとで、ロンチェルはシナとグナルに訊いた。
「今日は二人ともどうして行くんだい?また町を見て回るのか、それとも処刑を見に行くか?」
シナは首を振った。
「いいえ。もうこの町も大分見て回ったので、そろそろ出て行こうかと思っていたんです」
ロンチェルは寂しそうに頷いた。
「そうか。でも、またいつでもおいで。わたしは待っているからね」
「はい。またいつか」
「じゃねー」
シナはそれだけ言うと店を出て行った。一人残されたロンチェルは店員が運んできた料理を前にしてぽつりと呟いた。
「行ってしまったか」
レストランを出て、シナとグナルはまだ町を歩いていた。
「ねえ、シナ」
「なに、グナル」
「本当にもういいの?」
「うん」
「処刑、一回しか見てないよ」
「一回見ればもう充分だろ」
グナルは頷いて、そのまま黙った。シナとグナルはしばらく町の中を歩いた。
「ねえ、シナ」
「なに、グナル」
「もうカプセルは終わったよ」
シナは立ち止まる。
「そっか。じゃあ出よう」
「よし、決定」
とても嬉しそうに、グナルが答える。
シナは振り返って、町を見た。たくさんの人たちが道の上を歩いていて、いろんな人たちがこの町では暮らしている。
「さようなら。ロンチェルさん」
人間は目を開けた。
目の前に緑色のパイプが見える。細いもの、太いもの、同じようなパイプがいくつも伸びて、目の前を取り囲んでいる。
人間は足を伸ばして、両手を左右に広げる。人間はカプセルの中にいた。膝を抱えないと入れないような狭い場所なので、そこから出るにはまず足を出さなければいけない。次に両手を腰の辺りにもってきて、体を後ろのほうへとずらす。
カプセルの中で座った形になって、人間はようやくカプセルから出る。
「どのくらい中にいた?」
人間が言った。
けれど、ここには人間以外誰もいない。それでも人間は納得したように頷いた。
「そうか」
人間は部屋から出た。
外に出ると、そこにはパイプで囲まれた道が続いている。どこまでも、どこまでも続いていて、その先は暗くて見えない。
人間は手に持った紙包みを確認して満足そうに頷いた。
「よし。火薬はちゃんとある」
しばらくして、人間は口を開いた。
「面白いところだったよね」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「ピアノって、綺麗な音がするんだね」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「確かに、僕には無理だね」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「なにが?」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「ああ、あれか」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「そうだね。首が落ちたときなんて、すごい盛り上がりかただったね」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「さあ。火薬がもったいないからじゃない」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「刃を落とすだけだったら何回でもできるからね」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「僕は自分の命を守るために銃を使うの」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「いらないよ。あんなもの」
しばらくしてから、また人間が口を開く。
「だって、運ぶのが大変でしょ」
そのまま、人間は歩いていった。
ロンチェルは王様に呼ばれて宮殿に向かった。王座の間にはすでに王様とお妃様が並んで座ってロンチェルを待っていた。
「やあ、調律師。わたしが頼んだ新しい処刑道具は発明できたかな?」
とても楽しみにしていた王様を前にして、ロンチェルはおどおどしながら言った。
「それが、王様……」
ロンチェルは王様にまだ新しい処刑道具が完成していないことを話すと、王様は怒って立ち上がった。
「なんじゃと!まだできていない?」
「申し訳ございません」
ロンチェルは頭を下げて謝った。
王様はまだ怒ったままロンチェルに言った。
「仕方ない。ではそちを死刑する」
ロンチェルは驚いて顔を上げた。
「王様!」
王様は兵士たちに命令した。
「今日の処刑はこやつにしよう。早速準備に取りかかれ」
二人の兵士は走って部屋を出て行って、もう二人はロンチェルを連行して部屋を出て行こうとする。
ロンチェルは必死で叫んだ。
「王様、どうか許してください。王様!」
抵抗してみたが、二人の兵士に捕まえられてロンチェルは逃げ出すことができなかった。ロンチェルは地下牢に放り込まれて、そこでしばらく過ごした。あとでやって来た兵士から、ロンチェルの処刑は今日に行われると伝えられた。
ロンチェルは必死に助けを求めたが、兵士たちは誰もロンチェルを助けてはくれなかった。時はただ静かに流れて、いよいよロンチェルが処刑される時間となった。
広場にロンチェルは連れて行かれて、そこにはすでに大勢の人だかりができていた。
しばらくしてファンファーレが聞こえて、兵士が一人ステージの上に現れた。司会の兵士はいつものように陽気な声で高らかに叫んだ。
「やあやあ、諸君。よくぞ集まってくれた。ただいまから本日の罪人を裁いて御覧に入れよう」
人々の中から歓声が上がった。
兵士はまた大声で叫んだ。
「本日の罪人は、調律師のロンチェルだ。ロンチェルは王様の命令に背いた大罪人だ。ロンチェルは王様を怒らせた悪者だ」
人混みの中からどっと笑い声が上がった。
人々の反応を見て兵士は満足そうに頷いた。
「さあ、ではそのロンチェルに登場してもらおう」
ステージの奥から二人の兵士に連行されてくるロンチェルの姿があった。ロンチェルは後ろ手で拘束されていて、その顔はすっかり蒼ざめていた。人々の中から歓声が上がった。罵倒の声が上がる中で、ロンチェルはがたがたと震えていた。
準備が整うと、司会の兵士は大声で人々に向かって叫んだ。
「さあ、準備は整った。それでは、諸君。カウントダウンを始めようではないか。ではいくぞ。一〇!」
兵士のカウントに合わせて、集まった人間たちもカウントを始めた。ロンチェルは首をしっかり固定されて身動きがとれない。
ロンチェルは必死に叫んだ。
「止めてくれ」
「九」
「どうしてだ。どうしてわたしが」
「八」
「わたしは悪くない」
「七」
「この処刑方法はわたしが考えたんだ」
「六」
「誰か、誰か」
「五」
「止めてくれ、止めてくれ」
「四」
「誰か助けてくれ」
「三」
「もう止めてくれ」
「二」
「殺さないでくれ」
「一」
「止めてくれ止めてくれ止めてくれ」
「〇」




