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焦燥と涙と

 犬鬼襲撃から三日。

 あれ以来、犬鬼たちの襲撃は来ていない。

 ソウカクとサヨ、二人の思わぬ抵抗に遭い、警戒しているのだろうというのがソウコンの見立てだった。

 しかし、けっして犬鬼たちが諦めたわけでもいなくなったわけでもない。それがわかっているだけに焦らされるようなその時間は村人達の不安を日に日に煽っていくのだった。

 そして、その不安の一因となっているのは皮肉なことに村の警備を一手に担っているソウカクの存在であった。


 呼気と共に突き出される拳。

 柔軟な身体から繰り出される蹴りが空を裂く。

 目まぐるしい動きは休み無く繰り返され、鬼気迫る表情と相まって、その場に恐ろしいほどの迫力を滲み出させていた。


「ソウカクさん・・・」


 サヨが遠慮がちに呼びかける。

 サヨの眼前で目まぐるしく稽古を続けているのはソウカクであった。

 犬鬼襲撃以来、ソウカクは変わった。

 毎日稽古を欠かさないという点は変わらない。しかし、その様子には歴然の違いがあった。

 以前から真面目なソウカクではあるが、それでもサヨや村人達と顔をあわせれば稽古の手を休め、しばし談笑する程度の人懐こさがあった。食事時には出された食事を旨そうに頬張る少年らしい姿があった。

 しかし、今のソウカクは違う。

 見張りの時はもちろんそれ以外の時でも緩むことの無い緊張がいつも張り付いていた。

 見張りと睡眠の時間を除けば、大抵の時間を庭での稽古に費やしている。

 近くを誰かが通りかかってももはや目も向けない。身体は常に稽古のために動き続け、その眼は常に己が眼前に思い浮かべた仮想の敵を睨みつけている。

 その鬼気迫る様子はおのずと村人達の目にも入る。

 ソウコンの楽観的な言葉に一度は安堵した村人達もそんなソウカクの様子を見れば、落ち着いてはいられない。

 若いとはいえ、武芸者である少年のここまで緊迫した様子。そんな姿を見れば、一度は薄れ掛けた犬鬼の恐怖も思い出さずにはいられない。

 皮肉にもソウカクが稽古に励めば励むほど、その姿を見た村人達は不安に陥っていったのだ。


「ソウカクさん・・・もういい加減休んでください。」


 たまりかねたようにサヨが言う。

 今日のソウコンの様子は先日までより更に鬼気迫る。

 見張りを終えた後、睡眠もそこそこに庭で稽古を始めていた。

 その稽古は延々と続き、日ももはや高くなっているのに朝食すら取っていない。


「・・・ああ、サヨちゃんか・・・ごめん、もう少しだけ。俺は大丈夫だから気にしないで。」


 近くに立っていたサヨの存在にも声をかけられるまで気が付かなかったらしい。

 気付いた後も顔も見ぬまま返事を返す。

 もう少しと言いつつ、その動きは相変わらず速く、鋭い。いっこうに休もうとする様子が見られなかった。

 そんなソウカクの様子をサヨは痛ましくも悲しい目で見る。

 三日前の夜。部屋の前で聞いたソウカクとソウコンの会話。

 あの話が事実であるならば、村の運命はソウカクに全てかかっている。

 妖犬の相手すらままならなかった村人達である。犬鬼になど到底敵うはずもない。

 町に出て、領主に訴える。しかし、たかが田舎村一つの窮状に重い腰を上げてくれるかはひどく疑わしい。仮に動いてくれたとして、その救援がくるまで犬鬼が襲ってこないという保障はどこにもない。

 サヨですらそれがわかっているのだ。サヨより年上で世間を知っているソウカクがそれに気が付かない訳もない。

 それがわかっているからこそのソウカクのこの行動なのだろう。この生真面目な少年はどうにか村を救おうと必死で足掻いているのだ。

 その姿に本来であれば感謝するべきなのかもしれない。

 しかし、サヨはここ数日のソウコンの姿を見るにつけ、たまらないほどに胸が痛んだ。

 武芸者とはいえ人である。苦痛を感じないわけではない。

 その上、いかに鍛えられているとはいえソウカクはまだ少年。そんな彼が村の運命を一身に背負い、自身を追い詰めている姿は見ているだけで胸を締め付けられる思いだった。

 何もそう感じているのはサヨだけではない。他の村人も同じである。しかし、同時に彼は村の守りの要でもある。それを思えば容易く声を掛けることもできず、たとえ近くを通っても何も言わぬまま、顔をそむけて通り過ぎる。それが常であった。

 ただ一人、比較的交流の深かったサヨだけがその様子を見かね声をかけていたのだ。


「大丈夫、大丈夫って・・・ここ数日まともに休んですらいないじゃないですか!このままじゃソウカクさん戦う前に死んじゃいますよ!」


 思わず涙声になりながらサヨが叫ぶ。

 その声にようやくソウカクは手を止める。

 見ればサヨの目尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 自分は目の前の少女にそこまで心配をさせていたのか。そのことに気付き戸惑ったようにソウカクは立ち竦む。

 しかし、犬鬼との戦いは遠からぬ未来確実に訪れる。それを思えば休むことは躊躇われる。

 少女の涙と未来の戦いの板ばさみになり途方に暮れるソウカク、そしていまだ涙を流し続けるサヨ。

 二人は共に押し黙り、会話が途絶える。

 昼時の庭を気まずい沈黙が立ち込めた。



 気まずい沈黙・・・それを破ったのは場違いなほどに暢気な声だった。


「女の子を泣かせるようじゃ君子とは言えないな。反省しろ、弟子よ。」


 声の主は屋敷の縁側、腰をかけたまま手酌で酒をあおるソウコンだった。

 二人のやりとりをまるで芝居でも見るかのように楽しげな笑みを浮かべたまま眺めている。


「それにだ・・・お前が必死になるのは勝手だが周りのことも考えろ。見ろ。サヨちゃんだけじゃなく他の人までお前の姿を見て暗い顔をしてるじゃないか・・・おかげで酒がまずくなってかなわん。」


 そう言いつつもソウコンの手は杯を一時たりとも手放さない。

 言葉とは裏腹に今も美味そうに酒を舐めている。

 だが、ソウカクは違う。サヨの涙とソウカクの言葉から自身の行いが周りの人を追い詰めていたことに気が付き、恥じ入った様子で俯いている。


 しかし、ソウコンの言葉に様子を変えたのはソウカクばかりではない。

 より顕著にその様子を変えたのはサヨであった。

 いまだ目尻に涙が浮いてはいるが、その顔は強い赤みが差している。それは怒りによるものだ。


 こいつは一体何様なのだ!


 今までも内心抱き続けていた不満がこの時爆発した。

 鬼気迫るソウカクとは異なり、ソウコンの様子は犬鬼襲撃後も特に変わっていない。

 寝ているのでなければ、大抵は酒を飲んでいる。強いて変わった点を挙げるならば村長たちも不安に駆られ、あまり酒席に加わらなくなったことだろうか。それでもソウコンの調子は変わらない。暢気な笑みを浮かべつつ、気が付けば美味そうに酒を飲んでいる。


 それがどういうことか?


 何もしないだけならまだしも、必死で頑張っているソウカクに偉そうに説教をしている。これにはさすがにサヨも我慢ならず、思わず客ということも忘れて怒鳴った。


「いい加減にしてください!必死で頑張ってくれているソウカクさんにそんな言い方。師匠だかなんだか知りませんが、そんなに言うならあなたが犬鬼と戦えばいいじゃないですか!」


 サヨは怒鳴った。否、それはむしろ絶叫というに近い。

 間近で発せられた大音声。

 これにはさしものソウコン、ソウカクも驚き、師弟揃って目を剥いた。

 特にソウコン。思わぬ方角からの糾弾を受けて驚いた様子で黙り込んでいる。

 その様子が妙に可笑しく。少なからずサヨの溜飲を下げさせた。

 しかし、それも長く続かない。

 程なくソウコンの顔が笑みを作る。悪戯っぽく、さらに言えば悪巧みをするような怪しげな笑みを浮かべた。

 ソウコンは杯を置き、腕組み。

 一転神妙な顔を作りウン、ウンと頷く。


「・・・成る程。いや全くもってその通り。これはサヨちゃんに一本取られてしまったな。」


 唐突なソウコンの変化。よもや自分の言葉にあっさり改心したなどとはサヨも思わない。

 それだけにソウコンが何を企んでいるのか彼女には読めなかった。


「弟子の尻拭いは師匠の仕事・・・確かにその通りだ。いやいや、そこに思い至らないとは我ながらなってないな。」


 そして、ポンと膝を打ちいよいよもって晴れやかな顔で言う。


「あいわかった!この件については全て俺が引き受けよう。」


 あっさりと快諾した。

 サヨには予想外の反応であった。

 怒鳴っておいてなんだが、ソウコンがこうもあっさりと承諾するとはサヨも一切考えていなかったのだ。

 そもそも、サヨのソウコンに対する評価はひどく低い。

 一応は師匠という立場であるが口だけで実力はソウカクに及ばない、そう信じて疑っていなかった。

 故に何もソウコンが全てを解決するなど期待すらしていなかった。せいぜい、慌てさせてやり、その上で少しは自堕落な態度を改めさせ、ソウカクの手伝いでもさせることができれば御の字・・・そう考えていた。

 しかし、現実は全くの予想外。あっさりと承諾し、後は全て一人でやるとまでのたまった。

 あまりに予想外な反応に驚き、サヨは言葉を継ぐことができなかった。

 一方でソウコン。彼は晴れやかな表情のまま自身の弟子――ソウカクを見やる。


「ソウカク・・・無茶をさせて悪かったな。だが、もう大丈夫だ!この一件、お前の手に余る・・・・・・・・・・・・・・と言うならば後は俺が引き受けよう。なぁに後は心配せず俺に任せるがいい。お前はとりあえず飯でも食ってゆっくり休め。」


 優しげな顔。優しい言葉。

 しかし、それらはどんな罵倒に勝る刃だった。

 サヨはソウカクの顔を見てそれに気が付いた。

 ソウカクの顔が歪む。

 先程までの追い込まれた状況ですら、歯を喰いしばっていたソウカクが今やあきらかにわかるほどにその顔を歪めている。

 その顔に含まれているのは何か?

 怒り、屈辱、悔しさ、焦燥感・・・サヨにはその正体がわからない。しかしそれはいくつもの感情を煮詰めたような複雑かつ理解し難い表情であった。


 「・・・・・・ります。」


 声が聞こえる。


「俺がやります・・・師匠は手を出さないで下さい。」


 搾り出すような声。それは確かにソウカクから発せられたものだった。


「俺は強くならなきゃいけない・・・犬鬼こんなところで躓いてなんかいられないんだ・・・」


 さっきまでより更に鬼気迫る表情。しかしその目が見据えているのは犬鬼ではない。もっと先。何かより強大なものを見据えている。そんな表情だった。

 そんなソウカクの様子にソウコンは笑みを消す。

 そしてどこか値踏みするように自身の弟子を見やった。


「・・・まあ、どうやらまだ気骨は残っているようだな・・・これで引っ込むようなら見込みなしだと思ったんだが。」


 笑みを消したソウコンの眼差しは恐ろしく鋭い。近くにいたサヨはそれに気付き、思わず背筋を冷たくした。


「しかし、どうする?依然として状況は変わっちゃいない。前に言った通り今のお前じゃまたやられるのがオチだ。何か手立ては思いついたのか?」


 ソウコンの言葉にソウカクは悔しげに拳を握る。

 何も思いついてなどいない。そんな不安を打ち消すべく、この数日必死の思いで稽古をしていたのだ。


「何も思いついてないようだな。・・・しょうがない。」


 ソウコンが縁側から腰を上げてソウカクの前まで歩む。


「とりあえず飯を食って来い。その後、久々に俺が稽古をつけてやる。」


 師匠が弟子に稽古をつける。

 当たり前のことなのにサヨの耳には恐ろしく奇妙に聞こえた。

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