表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

獣の力

 犬鬼。

 これも妖魔の一種である。

 妖犬がさらに成長、進化した姿と言われるが、その脅威は妖犬とは比較にならない。

 群れを成し襲い掛かる妖犬は確かに恐ろしい。しかし単独であるならば一般人でも人数を揃えれば追い払えないこともない。

 しかし、犬鬼となるとそうはいかない。

 体格、力、知恵。それらが妖犬とは比べ物にはならないほどに強い。

 一般人は勿論。武芸者でも生半可な腕の者であれば容易く命を失いかねない。

 確実に退治をしようと思うならば事前に充分な準備、人数を整えた上で応ずるのが常であった。

 それがソウカクの目の前にいる。

 犬鬼は獣でありながら、どこか値踏みするようにソウカクの様子を窺っている。そこにはまぎれもなく高い知恵が感じさせられた。

 おそらくはこの犬鬼が一帯の妖犬の頭であろう。

 それをソウカクは確信する。

 思えば、最近妖犬が少なくなったのも、ソウカクの存在を悟り、その様子を窺っていたに違いないだろう。

 そして村の警戒が始まる前、この夕暮れ時を狙って姿を現したのだ。

 その悪辣さにソウカクは思わず歯噛みする。

 一人であればまだしも今はサヨを連れている。それすらも狙ってのことではないかと勘繰ってしまう。

 どちらにせよ、この戦いは避けられない。

 今を好機と見て取ったからこそこの犬鬼は現れたのだろう。


 じりじりと彼我の間合いが縮まる。

 本能で跳びかかってくる獣であれば応ずるのは容易い。

 しかし、犬鬼は明らかにこちらの隙を窺う様子があった。

 短くも長いその拮抗。

 それは突如として崩れた。


 初手は犬鬼。

 鋭い爪を持つその腕をソウカク目掛けて大きくなぎ払う。

 大鎌の如きその一撃をソウカクは僅かに屈んでかわす。

 すかさず反撃を試みようとするがそれは叶わなかった。

 もう一方の腕による一撃が間髪入れずソウカクを襲う。

 地面を転がり辛くもかわす。

 すかさず追撃を警戒するが、今度はそれがない。

 深追いをする気はないらしく、再びソウカクの様子を窺っている。

 立ち上がりつつソウカクは認識を改める。

 獣と思い知らず知らずの内に侮っていたことを悟る。

 強靭な体もさることながら、人間顔負けの勝負勘。それが大きな脅威であることを今更ながらに痛感する。


 相手が獣という考えは捨てろ。


 そう自身に強く言い聞かせる。

 そうしてるうちに犬鬼が再び攻めかかる。

 しかし今度は慌てない。相手の攻撃を一流の武芸者のものと想定して応じる。

 袈裟懸けに振り下ろされる爪。

 それを斜め前方に踏み込み、軌道の外へと逃れる。

 逃れた先には犬鬼のがら空きの脇腹。ソウカクはすかさずそこへ突きを入れる。

 人間で言えば肝臓の位置。人間ならば打たれればひとたまりも無かっただろう。

 しかし、そこは人ならざる妖魔。

 多少は効いたようであったが分厚い筋肉が盾となり決定打とまではいかなかった。

 むしろ攻撃をの打ち終わりを狙おうとすかさずもう一方の腕が攻めかかる。

 これもかわして一撃を入れたいところであるが、体勢が十全とはいえない。無理に動いて体勢を崩せばたちまち犬鬼の一撃の餌食となる。

 ソウカクは後方へと跳び、これをかわす。


 ソウカクと犬鬼。

 一人と一匹の応酬はその後も続いた。

 幸いなことにソウカクは未だ犬鬼の攻撃を受けていない。

 最も人間と犬鬼。その力の差を考えれば一撃で勝負は決しかねない。

 一方で犬鬼はそうではない。

 既に数発、ソウカクは犬鬼に攻撃を加えているがいまだ怯んだ様子は見られない。

 犬鬼の頑健さも理由の一つであるが、すかさず繰り出される犬鬼の反撃がソウカクに強打と連撃を許さない。

 

 膠着した戦況の中、ソウカクは自身の劣勢を感じていた。

 犬鬼はけっしてソウカクを侮ってはいない。

 決定打には成りえていないが、ソウカクが加えた攻撃は確かに犬鬼に脅威と警戒を与えている。

 しかし、それは今だけのことであるとソウカクは誰より理解している。

 この応酬をあと百度繰り返せるというならば話は別かもしれない。しかし、如何に鍛えているとはいえソウカクは人間である。獣――妖魔の体力には到底及ばない。

 このまま戦い続ければ先に体力が尽きるのは間違いなくソウカクの方なのだ。

 そうなったら勝負は決まる。

 一撃を加え、その後反撃から逃げる体力を失った時点でソウカクはおしまいなのだ。

 

 このままじゃ駄目だ。決定打がいる・・・


 それがソウカクの考えだった。

 一撃必殺とまでは言わない。

 しかし、犬鬼を怯ませ、恐れさせる一撃。

 それが無ければソウカクに勝機はなかった。

 ソウカクは覚悟を決める。


 狭まる間合い。

 先程までとは一転。ソウカクから犬鬼目掛けて踏み込みをかける。

 これまで後の先ばかり取っていたソウカクの突然の動きの変化に犬鬼が一瞬戸惑う。

 しかし、次の瞬間には早くも切り替え迎撃せんと巨大な爪を振るう。

 これまでは横、もしくが後方へと避けていたその一撃。だが、今回は違う。

 振り下ろされるその一撃に対し、ソウカクは更に一歩踏み込んだ。

 振り下ろされる爪の間合いの更に内側。

 命がけの博打と引き換えにソウカクはその場所を手に入れる。

 自身の後方で空振る爪。

 それには目もくれずソウカクはがら空きの犬鬼の胴体に全力の一撃を加える。

 渾身の正拳突き。

 狙いは人間で言う心臓の位置。

 腕力、体重は勿論、突進の力も余さず活かしてその一撃を叩き込む。

 犬鬼の胸を打つ轟音。

 音だけでその威力が先程までとは比較にならないことがわかる。

 それは確かに驚異的な一撃だった。

 呻きをあげる犬鬼。

 

 やった!


 内心でソウカクは喝采する。

 しかし・・・


 次の瞬間、ソウカクは気付く。

 己に近付くそれに。

 それは既にソウカクの目前にまで迫っていた。

 大きく開いた赤黒いあなぐら。

 闇夜に生える白々としたそれ。

 


 犬鬼の牙だ。

 ソウカクは犬鬼の強靭さを侮っていた。

 攻撃にも怯むことなく犬鬼はソウカクに向け反撃を向けていたのだ。

 目前に迫る犬鬼の牙。

 全力の一撃がいまや災いし、ソウカクの体勢は乱れに乱れている。

 逃げようにも乱れた体勢が迅速な対応を許さない。

 迫る牙。

 その白さと生臭い獣の匂いにソウカクは思わず死を覚悟する。

 今にも喰い破られんととしたその瞬間。

 ソウカクは妙に嗅ぎなれた芳香を感じていた。

 

 ガシャンという大きな音。

 気付けば自身の体も濡れている。

 一瞬何ごとかと戸惑うが、その匂いの正体を知りソウカクは状況を悟った。

 嗅ぎなれたその芳香は酒の香り。

 師匠に頼まれ買いに来た酒の香りだった。

 視界の端でサヨの姿が見える。

 ぜいぜいと大きな息をつきながら地面にへたり込んでいる。

 その手は空で、先程まで持っていた酒がめがない。

 おそらくはソウカクの危機にてに持っていた重い酒がめを咄嗟に投げつけたのだろう。

 ソウカクは自分が命を拾ったことを悟る。

 この好機を逃すまいと慌てて間合いを取るが、その時犬鬼の異変に気が付いた。

 犬鬼は苦悶の声をあげていた。

 ソウカクの攻撃をものともしなかった犬鬼である。よもや酒がめの一撃がそこまでの痛手だったというのは考えにくい。

 薫る酒の芳香。いまだ残るその香りにソウカクは得心する。


 匂いか!


 犬鬼や妖犬の体は犬と酷似している。それは嗅覚についても例外ではなく、犬鬼たちもまた優れた嗅覚を持ち合わせている。

 犬鬼もまた自身の勝利を確信していたのだろう。その瞬間、全く無警戒であったサヨから攻撃を受けたのだ。

 油断しきったところにこの強烈な酒の香り。

 なまじの攻撃より犬鬼には余程の痛手だったのだろう。

 苦しみつつも犬鬼は後ずさり、そのまま素早く林の向こうへと姿を消した。

 辺りから妖魔の気配が消えたことを確認し、ソウカク地面へとへたり込む。

 

「ソウカクさん!」


 サヨが駆け寄る。

 極度の緊張から解放され、ソウカクは答える余裕もなく息を荒げていた。


 日は完全に沈み、夜闇が一帯を支配している。

 先程までの戦いが嘘のようにとても静かな夜だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ