夕暮れの来訪者
ソウコン、ソウカクの師弟が村に滞在して更に数日が過ぎた。
その間にも何回か妖犬は出没したが、ソウカクの働きにより村は大きな被害を被ることもなく平穏な日々が続いている。
そして、その間も師匠であるソウコンはグウタラかつ妙な芸達者ぶりを発揮し続け、概ねこの師弟は村人達に歓迎されながら村への滞在を続けていた。
そんなある夕暮れ。
「サヨ。どうやら酒を切らしてしまったらしい。すまんが買いに行ってくれるか。」
村長からサヨにそんな声がかかる。
酒が切れるのがいつもよりだいぶ早い。原因は毎夜行われる村長とソウコンの酒宴のためだろう。ソウコンは幾ら飲んでも全く酔った様子を見せず、それに引きずられるように一緒に飲んでいる面々も更に杯を重ねる。これでは酒が瞬く間に無くなるのも道理というものだった。
日も大方山の向こうに沈みかけており、もはや夕暮れというより夜に近い。
両親を亡くして以降住み込みで働かせてもらっているので文句は言えないが、一日くらい酒を控えればいいのにと内心では思う。
そんな不平を抱きつつも大人しく出かけようとして、今度はソウコンから声がかかった。
「村長。もう外も暗い。娘さん一人で出歩かせるのは物騒だ。うちのソウカクも一緒に行かせましょう。」
「いや先生、お弟子さんもお疲れでしょうからそれは・・・」
「いやいや、若い娘さんと一緒に歩けるんです。あいつもきっと感謝しているでしょうよ。」
そんなことを言って何が楽しいのかソウコンと村長はカラカラと笑う。どうやら既にいくらか酒が入っているらしい。
「・・・まぁ、そういう訳だから俺も行くよ。」
申し訳なさそうにソウカクはサヨにそう告げるのだった。
酒を買ったの帰り道。。
サヨが一つ、ソウカクは両手に一つずつ、大振りの酒がめを持って二人は並んで歩いている。
「本当にこんな夜更けに申し訳ない。うちの師匠が馬鹿みたいに飲むばっかりに。」
「そんな、ソウカクさんのせいじゃないんですから。だいたい村長だって・・・」
二人はあれこれ話しながら夜道を歩く。
歳が近く、また何かと苦労の多い境遇なせいか、いつの間にやら互いに親近感を抱き、今ではだいぶ気楽に話をするようにまでなっていた。
「でも、こんな重いものならサヨちゃんが行かなくても俺がひとっ走り行って来たのに。」
「お客さんにそんなことさせられませんよ。それにソウカクさんはこれからあれこれ大変なのに・・・」
まさしくソウカクの仕事は夜が本番だった。
夕食を食べたら彼は村の入り口の見張り小屋に待機して緊急事態に備える。
見張りの若い衆の知らせがあれば飛び起きてすかさずそれに応じる。なかなかに過酷な仕事を言えた。
「なに、何も起きなければ朝まで寝ていられるし、最近はそんなに妖犬も出てこないからね。」
妖犬の出没は滞在を始めた頃が一番多く、それからは日ごとに少なくなっていた。
「案外そろそろ妖犬も全滅するんじゃないかな?そうなったら俺や師匠もお役御免ってところかな。」
その言葉にサヨの胸が微かに痛んだ。
彼らは旅の武芸者。あくまでこの村での滞在はごく一時のことなのだ。
「・・・この村を出たら、次はどこへ行くんですか?」
「さぁ・・・どうなんだろう?行き先は師匠次第だからなぁ。東西南北どこへ行くことになるやら・・・」
そう言ってソウカクは遠くを見る。
その視線の先にはまだ見ぬ世界を思い描いているのかもしれない。
それきりサヨは口を噤む。
会ってまだ数日。しかし、自分がこの少年との別れを確かに惜しんでいることを感じずにはいられなかったのだ。
しばし、無言で歩を進める。
だが、不意にソウカクが歩みを止めた。
「ソウカクさん?」
不思議に思いサヨは声をかける。
ソウカクはその声に答えない。視線を横に向け、そちらをじっと眺めている。その顔はサヨと話しているときの笑みはない。厳しい表情でじっと何かを見ている。
「サヨちゃん・・・俺の後ろへ。」
言葉少なにそう告げ、両手に持った酒がめを地面に降ろす。
ただならぬ様子にサヨは急ぎソウカクの後ろにつき、自身もまたソウカクの視線の先を見やる。
視線の先には林。
そこがガサガサと不自然に揺れる。
程なく現れた二つの影。妖犬である。
サヨは思わずヒッと小さな悲鳴をあげる。
流石にソウカクはそういった動揺を示さない。しかし、緊張を保ちながらも独り言のように言葉をこぼす。
「最近はあまり出なかったのに・・・それもこんな早い時間に・・・?」
そんなソウカクの様子に構うことなく、二匹の妖犬はソウカクへと跳びかかった。
一匹は首筋、もう一匹は足へ。
妖犬は犬と同様それなりに知恵がまわる。
上下に分けた攻撃は応じにくく、その上、ソウカクの背後にはサヨがいる。かわせばサヨが妖犬の餌食となる。それを見越しての妖犬の攻めだった。
獣らしからぬ悪辣な知恵の巡り。
しかし、ソウカクはそれに迷うようなことはなかった。
まずは首に跳びかかる一匹。それを無造作な裏拳で迎撃する。
一撃必殺とはいえないが、充分に力の乗った裏拳は飛びかかる妖犬を弾き飛ばす。
それを好奇とみたのは足に跳びかかった妖犬。すかさずソウカクの足目掛け牙を剥く。
・・・・・・がそれは虚しくも空振りに終わる。
噛み付く直前、その足が眼前から姿を消す。
それもその筈。ソウカクの片足はその瞬間、高々と持ち上げられていた。
避けられたことを悟る妖犬。しかし、次の動作に移るより速くソウカクの足が踏み下ろされる。
充分に力と体重の乗った踵蹴りが妖犬の身体にめり込む。
骨と内臓をひしゃげさせ、妖犬はたちまち痙攣する肉塊と化す。
次の瞬間、ソウカクはもう一方の妖犬へと駆ける。
起き上がろうとする妖犬の首に両手をかけ間髪入れずその首を捻る。
ゴキリと生々しい音が夜道に響き、こちらの妖犬もまた沈黙する。
一瞬の立ち回り。
サヨはゆっくりと息を吐く。
ソウカクが戦うところを見たのは初めてだったが、その迅速な対応についていけず、今になってようやく緊張が解けたのだ。
その後ハッと気が付く。
妖犬を倒したソウカクが未だ立ったまま動かない。
もしやどこか怪我をしたのか?
「ソウカクさん!大丈夫ですか!」
思わず駆け寄ろうとして・・・
「来るな!」
ソウカクの厳しい声がそれを止める。
サヨはその言葉に動きを止めるがソウカクはそんなサヨを見ようともしない。
未だ妖犬の現れた林をじっと見据えている。
やがて林が再び不自然に揺れる。
まだ妖犬が?
サヨはそんな危惧を覚えるが、それは違った。
揺れは先程よりずっと大きい。
心なしかソウカクの様子もどこか堅い。
やがて林の揺れが治まり、その正体が明らかとなる。
全身が毛皮で覆われ、その姿は犬に酷似している。
しかし、それは妖犬とは全く別種のものであった。
まずその姿が違う。四つ足で歩く妖犬とは異なり、それは二本の足で大地を踏みしめている。
そして何より大きさが違う。
中型犬程度だった妖犬とは比べ物にならない。
二本足で歩むその身体はソウカクよりも二回りは大きい。
その大きさにサヨの体が思わず恐怖で竦む。
彼女は知る由もないがそれは妖犬ではない。
犬鬼
そう呼ばれる存在だった。