真面目な弟子は朝から庭に
サヨは縁側から庭に下り、ほどなく目的の人物を見つける。
短く刈られた黒髪、諸肌を脱いだ上半身は遠めにも鍛え上げられていることがわかる。
背丈は師匠であるソウコンと比べればやや低い。しかし、十六という年齢を鑑みればまだこれから大きくなる可能性は充分にあるだろう。
彼――ソウカクは一心不乱に体を動かし続けている。
動くたびに躍動する筋肉はしなやかであり、野生の獣のような美しさがあった。
口元を引き結び精悍かつ真剣な顔で稽古を続けている。
僅かに肩を上下させ全身を汗だくにしながら動く少年の様子は師匠のソウコンとはまた違った意味での色気を放っていた。
その様子に思わずサヨは顔を赤らめる。どこか見てはいけないものを見ているようなそんな奇妙な感覚にあてられたのだ。
声をかけようとした歩みを一旦止め、自分を静めようと遠巻きにソウカクの様子を見やる。
サヨに武芸の心得はない。しかし、そんな彼女からしてもソウカクの稽古は少しばかり変わって見えた。
一般に武芸といえば長刀や槍を用いるものが多い。
村にも多少武芸を齧った者はいるし、ごく稀に武芸者を名乗る人間が村に立ち寄ることはあったが、彼らが行っているのもやはり刀や槍を用いたものがほとんどだった。
しかし、ソウカクは今のところ武器を手に持っていなかった。
腰には小振りの短刀らしきものを二本常に挿しているので武器を使わないということはないのだろう。
しかし、サヨが知る限りソウカクが武器を手に稽古している姿は見たことがない。
大抵の場合彼は素手で武芸とも踊りともつかない奇妙な動作を一人で繰り返すことがほとんどだった。
それこそいわゆる武芸における「型」なのだが、そんなことはサヨには知る由もない。
サヨがかろうじて見たことある武芸の稽古は同じ型でも二人一組で行う組型か素振りくらいだったので、ソウカクの稽古を奇妙に思うのは無理からぬことだったかもしれない。
繰り返される奇妙な動作。
馴染みのないそれを武芸の稽古とサヨが見て取れたのは他ならぬソウカクの様子からである。
踊りのようでいながら繰り出される手足は強く、速い。遠巻きにも風を斬る音が聞こえそうなほどである。
サヨには見えぬ仮想の敵を睨みつけるソウカクの顔はまさに真剣そのもの。
歳若いながらもその姿はまさにサヨが描く修行中の武芸者そのものの様子であった。
(やっぱり、こっちの方が良いわよね。)
なんとなしにそんなことを考える。
村の若い娘達は洒脱で芸達者なソウコンに黄色い声を上げているが、サヨにしてみれば一心不乱に稽古に励むソウカクの方がよほど魅力的であった。
当人にも自覚のないまましばし見蕩れたようにサヨはソウカクの稽古を眺め続ける。
しばらくしてソウカクの動きが止まる。
拳を収め、直立の姿勢で静かに呼吸を整えている。
どうやら稽古が一段落したらしい。
それを見て取ったサヨは再び歩を進め、ソウカクに声をかける。
「おはようございます。ソウカクさん。」
サヨの気配に気付いていたのかもしれない。さして驚くこともなくソウカクは振り返る。
「おはようございます。サヨさん・・・・・・これはどうもお見苦しい姿を」
生真面目に頭を下げるソウカク。しかしすぐにどこか恥じ入ったような声をあげる。どうやら諸肌を脱いだ姿を失礼と考えたらしい。
着物を着なおそうとするソウカクにサヨは手持ちの手拭いを差し出す。
「あの、よかったらこれ使って下さい。」
「あ、いや、これは申し訳ない。」
しばし逡巡したようだが、断るのも無礼と考えたのか存外素直に手拭いを受け取る。
受け取った手拭いで体を拭くソウカク。
朝の静謐な空気と微かに薫る汗の匂い、そして陽光にきらめくソウカクの体に一度は静まった顔の熱が再び戻ってくるのをサヨは感じた。
悟られまいとあさっての方を向きごまかすように話を振る。
「毎日お稽古お疲れ様です。今日はいつ頃から始められていたんですか?」
「そうですね・・・日の出頃だったでしょうか。でも一応自分も武芸者の端くれですから。稽古するのは当然のことです。」
サヨの様子には気付いた風も無く、心地よさげにソウカクは体を拭いている。
「自分なんかよりサヨさんや家の皆さんの方がずっと立派ですよ。朝からあれこれ忙しく働いていて、自分なんか自分のことを手前勝手にやっているだけですから。」
そう言ってソウカクは笑顔を見せる。
大人顔負けに鍛えられた身体に反して、その笑顔はまるでサヨより年下の少年のように素直で嫌味のないものだった。
その笑顔にさらにサヨの顔が赤らむ。
その事実に内心更に慌て、まくし立てるように用件を述べる。
「そ、そうだ食事の準備ができたんです!ソウコン先生からそれを知らせるよう頼まれまして!」
「それはお手間をおかけして申し訳ない。ちょうど腹が減っていたんです。ここの食事は美味しいから楽しみですよ。」
「・・・そんなに大したものはお出ししていないと思いますけど・・・」
それは事実だった。長老や村の人々はこの師弟を歓迎してはいるが、なにぶんにも田舎の村。町の食事に比べれば大して目新しいものは出せていないのが実情の筈だった。
「いえ、修行の旅ですからね。野宿も珍しくはないんですよ。そうなると食べるのは干し飯や干し魚。それも無ければその辺の野草や獲物をとって食べるって生活でして。」
武芸者の食生活はサヨが思っていた以上に過酷なものらしい。
「それでまぁ、そうなると料理する必要が出てくるんですけど・・・師匠はあの調子ですからね。自分が料理することになるんですが・・・正直、料理は苦手でして・・・」
ちなみにソウコンは料理が得意らしい。しかし、旅の空でも相変わらずのぐうたらである為、その腕を振るうのは気が向いた時に限られるのだそうだ。
「だから、誰かが食事を作ってくれるってだけでもう嬉しくて・・・ここ数日は食事が楽しみなんですよ!」
心底嬉しそうに笑うこの年上の少年をサヨは微笑ましく感じた。
そして師匠であるソウコンがあれほどうまそうに食事を楽しんでいた理由にも得心がいった。まぁこちらについてはそこまで日頃の食事が不満なら自分で作れば良いのにとは思うが・・・
「では、部屋で待っていて下さい。すぐにお膳を運びますんで。」
二人は屋敷に向け歩み始める。そこへ・・・
「おうい。ソウカク。悪いが顔を洗いたいから桶に水を汲んできてくれないか。あと今日は少し冷えるから村長に火鉢を借りれないか聞いてみてくれ。後それから・・・」
屋敷の部屋の中からソウコンの声が聞こえる。
ぐうたらの本領発揮とばかりに思いつくままに要望をまくし立てる。
ソウコンの声を聞きながら、その最中ソウカクの腹がぐぅと音を立てた。
「・・・・・・はぁ。」
「・・・本当にお疲れ様です。」
サヨはこの師匠に恵まれない弟子に心底同情した。