ぐうたら師匠は朝寝を好む
「おおい、サヨ。先生方に朝餉を持って行って差し上げなさい。」
隣の部屋にいる村長からそんな声が掛かる。
サヨはあれこれと雑務に取り掛かっていた手を止め、その言葉に答えた。
「はい。ただ今。」
台所に朝餉を取りに行く。用意されたお膳は二つ。サヨをとりあえずその内の一つを取り、「先生方」が滞在している部屋へと向かう。
田舎の村とはいえ流石に村長の家はそれなりに広く立派である。
部屋へと向かう廊下を歩きながらサヨは思わず小さなため息をついた。
お膳を運ぶのが嫌なのではない。むしろ朝に行う仕事の中ではうんと楽な部類である。それでもため息をついたのはお膳を運ぶ相手、「先生」にこそ理由があった。
「先生・・・お目覚めでしょうか?」
襖の向こうから「先生」に向け声をかける。
「・・・あぁ、サヨちゃんかい?起きてるから入っておいでよ。」
返ってきた声はどこかけだるげな様子。起きていると言いつつ、おそらくは声をかけるまで夢の中だったのだろう。
「失礼します。」
襖を開けると部屋の中の「先生」が姿を現す。
「やあ、おはようサヨちゃん。今日もかわいいねぇ。」
開口一番そんなことを言う。
町育ちの年頃の娘であればそんな言葉もさして珍しいものではないのかもしれないが、サヨはまだ十四歳、加えて生まれてこのかた山間のこの田舎村から出たこともない。
そんな彼女にとって、恥ずかしげもなく囁かれる「先生」の軽口はひどく不真面目な印象を感じさせた。
「朝餉をお持ちしました。どうぞ。」
ことさら平静を保ちつつ手に持ったお膳を「先生」に差し出す。
「おう、これはありがたい。では早速頂こう・・・・・・おや?これは?」
今日の朝餉は麦飯に漬物、そして濃い目の味噌で味をつけたねぎ汁。特に目新しい内容でもない。しかしそれでも箸をつけていた「先生」が動きを止めたのはねぎ汁の中に隠れるように沈んでいたそれが原因だろう。
「今朝、折りよく庭で飼っている鶏が卵を産んだようでして、村長が「是非、先生方に精をつけてもらうように」とのことで・・・」
「成る程、これは朝から豪勢だ。あとで村長には礼を言わなくてはな。」
「先生」は嬉しげに目を細めるとそのまま食事を再開する。麦飯とねぎ汁を交互に口に運び、時折漬物をつまんで小気味のいい音を立てている。
その様子は至極嬉しげで幸せそうであるのだが、サヨはそんな「先生」の様子をどこか冷めた思いで眺めていた。
(何のために精をつけてんだか・・・)
声には出さないが内心でそんなことを思う。
少し前からこの村の近辺で妖魔・・・妖犬が出没するようになった。
そしてこの「先生」は自称 旅の武芸者で、その脅威から村を守るべく客人扱いで村長宅で厄介となっているのだ。
しかしサヨの知る限り、この「先生」が妖魔相手に立ち回りなんぞしたことは一度もない。
朝は村長宅に住まう人間の中で一番遅くまで寝床についており、寝ている以外たいていの場合は酒を手にしている。
今も部屋にはどこか濃密な花の香りにも似た芳香が漂っている。匂いの元は枕元に置かれた小ぶりの酒がめ。これはこの「先生」がいつも傍らに置いているものだった。おそらくは昨晩もこの酒で一杯やっていたのだろう。
酒を飲んで、寝て、その上働かない。これだけ揃っていればとうの昔に追い出されていそうなものだが、いまだそうなっていない理由はとりあえず二つある。
その一つとして、この「先生」は妙に村人の中で人気があるのだ。・・・サヨにとっては納得いかない事実であるのだが。
この「先生」、まともに働きこそしないが妙に芸達者なところがある。
武芸者といえるかは至極疑わしいが、少なくとも旅慣れているという点においては嘘はないらしく、とかく話題が豊富なのである。
南方の小国の珍しい風習から北方の国の珍しい祭り、旅の最中で見聞きした様々な珍しい出来事・・・口を開く度に田舎村に住まう人々にはもの珍しい話を喋ってのける。その上、喋り方も妙に巧みであり、最初は興味を示さなかった者であってもその声に引き付けられ、いつの間にやら話に聞き入っているということが多々あった。
話術に留まらずその芸は多方面に渡り、酒席の座興に村長宅で埃を被っていた三味線で玄人裸足の演奏をしてみせたかと思えば、村長の奥さんの着物を一枚を羽織り女性に扮して艶かしくも滑稽に踊ってみせる。
もし彼が「武芸者」ではなく「芸者」と名乗っていればサヨはむしろ納得していただろう。
とにかく、田舎村では到底目にできない芸達者ぶりに村の人々はやんやの喝采を送った。中でも顕著だったのが当の村長である。
今でこそ村長という役目に納まっているが、若い頃は大層な野心家であったらしく立身出世を目指してよく町にも足を運んでいたらしい。夢破れて現在では親の跡を継ぎ、村長の地位に就いているが、いまだ若い頃の派手好みの気性は治っていないらしく、この芸達者な「先生」を大層気に入ったのだった。
寝て、飲んでの「先生」に特に不満を持つこともなく、ちょくちょく自分の部屋に呼んでは彼の語る話と物珍しい芸を一番楽しんでいる。
そして「先生」は生活のだらしなさに反して、外見は至極整っている。
加えて酒を飲んでいても、滑稽な芸を演じていても、そこにはどこか「気品」とでも言うべきものが漂っている。村の男がやればだらしないとしか言われない着流しの着崩しも整った顔と存外鍛えられた体と相まって、「色気がある」とサヨより年上の若い娘達は密かにきゃあきゃあ黄色い声をあげている。
サヨの不運はその「先生」の魅力が自身には通じなかったことだろう。
サヨの今は亡き母がよく言っていた。サヨの父の若い頃は結構な遊び人だったとのことで若き母はそれに大層苦労させられたとのことだった。
それもあってだろう。母はことあるごとにサヨに「男は何より真面目が一番」と言い聞かせていた。その薫陶を幼い頃から受け続けた結果、サヨも知らぬうちに不真面目な人間を嫌う気性が出来上がっていたのだ。
と言っても、「先生」の世話は自分の仕事であるので、そんな気持ちは極力胸にしまいこみ、できる限り事務的かつ冷静に仕事をこなしている。
そんな彼女の様子に気付いてのことかは不明だが、「先生」は黙って茶を入れるサヨに声をかけた。
「サヨちゃん。別に「先生」なんて堅苦しい呼び方はいいよ?私のことはソウコンと名前で呼んでくれれば充分だからさ。」
ニカリと笑ってそんなことを言う。
不真面目ではあるが、横柄ではないと言う点はサヨも認める「先生」・・・ソウコンの長所であった。
しかし、そんなことはおくびにも出さず全く別の話題をソウコンに振る。
「ところで、ソウコン先生。お弟子さんはどちらへ?この後、お弟子さんの分のお膳もお持ちしようと思ったのですが・・・」
「ああ。あいつならいつも通り庭だろうさ。いやいや若い奴は元気だよね。」
ソウコンには同行している弟子が一人いる。
その弟子は師匠に似ず、至極真面目な性分であるらしく、毎日屋敷の誰より早く起きて庭で武芸の稽古に勤しんでいる。
ちなみに妖魔から村を守ると言う役割は今のところ全てこの弟子が行っている。これがソウコン達が追い出されない二つ目の理由である。
弟子の爪の垢でも煎じて飲めばいい。
それがサヨの偽りない気持ちである。
「悪いけどサヨちゃん。戻る時ついでにあいつを呼んでやってくれないかい。あいつも私が呼ぶより可愛い娘さんに呼ばれるほうが嬉しいだろうしな。」
愉快そうに笑うソウコン。不真面目な師匠を持った件の弟子に密かにサヨは同情する。
「・・・それでは、戻る途中お弟子さんには私から声をかけて置きます。」
そう言って部屋を出ようとしたとき、再びソウコンから声が掛かった。
「あいつのことも「お弟子さん」じゃなくてできれば名前で・・・ソウカクって呼んでやってくれないかい?あいつも旅続きで同年代の友達もあまりいないからね。サヨちゃんさえ嫌じゃなければ仲良くしてやってよ。」
振り返るサヨ。ソウコンはやはり笑みを浮かべている。
しかし、その笑みはどこかいつもより優しくげで慈しむような様子が感じられた。
ソウカク
それが「先生」ことソウコンの弟子の名前である。