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師弟二人

 月が雲に覆われ、あたりの闇がより一層濃いものとなった。

 昼間から続く曇り空は星さえも覆い隠しており、もはや明かりと呼べるものは遠く村の家々に灯る明かりと村の入り口に申し訳程度に灯された篝火、それだけとなっていた。

 まだ秋口であったがその日は風もいやに冷え込んでいた。

 暗闇と寒さは人の気持ちを憂鬱にさせる。見張りの男は自分の不運を密かに呪っていた。

 村の若い衆の持ち回りで始められた夜の見回り。

 ただでさえ憂鬱な仕事であるがこんな夜はその思いもまたひとしおというものだった。

 いっそ直ぐに家に引き返し暖かい寝床で横になりたいという誘惑に駆られるが、しかし実際そういうわけにもいかない事情があった。

 最近、村の近くで出没する妖犬がその原因だ。

 妖犬は下級の妖魔の一種である。妖「犬」とはいうだけあった犬と酷似した姿をしているが、犬とは全く別種の生き物である。・・・といっても男には妖犬の生態などさして興味のある事柄ではない。それでも乏しい知識からいくつかの特徴を挙げるとするならば、大きさは中型犬程度、通常の犬以上に鋭い牙と爪を持つ、ひどく凶暴で人や動物の血肉を好み、けっして人には懐かない・・・そんなところだった。

 加えて言うならば、そもそも妖魔というものは戦乱の時代、術士たちが異界より呼び寄せ使役し始めたことからこの世界に現れたという。

 なるほど、戦の手駒として利用するならそれなりに便利なのかもしれないが、只の農民である彼にとってみればあらゆる意味で迷惑なことこの上ない存在だった。


 そもそも最初の被害は山に薪を拾いに行った女だった。女が全身傷だらけにして命からがら村に帰ってきたのを見て村人たちはその異常に気が付いたのだ。

 最もこの頃はまだ相手が妖犬だなどとは思っておらず、せいぜい山犬か猪の類でも住み着いたかと思っただけであった。

 それから数日後、その獣を追い払おうと村の若い衆が山狩りを始めた時、その正体は明らかになった。

 その時遭遇したのは3匹の妖犬。

 妖犬らに遭遇して若い衆たちは慌てた。妖犬は猪に比べればずっと小柄な身体をしている。

 しかし彼らには猪の数倍とも言える好戦的な本能があった。

 獣は基本的に人を恐れる。余程の事情がない限り強いて人に近付こうとはしないものだ。しかし妖犬かれらは違う。血肉を好み、人を見るやむしろ果敢に攻めかかってくる。少しばかり大きな音をたてたからといって、怯えてどっかに行ってしまうなどということは無論ない。

 一応、火は多少恐れるようであるがそれとて決定打というにはあまりに弱い。

 結果若い衆は及び腰ながらもどうにか棒切れや松明で応戦し、どうにかその3匹を追い払った。相手の数が少ないことが幸いしたのだ。もっともその場にいた若い衆たちも少なからぬ怪我を負うこととなったのだが・・・


 妖犬の存在を知り村人たちは悩んだ。

 下級の妖魔とはいえ、その存在は村にとって充分な脅威だった。

 徳の高い坊主や神官、腕の立つ武芸者などがいれば退治することもできるのかもしれないが、そのどれも山間の田舎村に到底いない者達ばかりだった。

 さりとて放っておくわけにもいかない。人が襲われるのもまずいが、家畜が襲われてもそれはそれでまずい。さして裕福でないこの村にとっては一匹の馬や牛や鶏も失いたくない貴重な財産だった。

 村人総出であれやこれやと話し合った結果、兎にも角にも見張りを設けて、何かあれば村の若い衆が総出で応ずるそんな結論に至った。

 話し合った結果がこれかと思わないでもないが、実際問題ほかに選べるような手段があるわけでもない。早速その夜から持ち回りによる夜の見回りが始まった。


 そして始まって今日がようやく3日目。

 幸か不幸か今のところ先の2日の見回りではこれといった異常には行き当たっていない。

 できれば今日もそのように終わって欲しい・・・そう願いながらの男の見回りだった。

 村の入り口近くの小屋には数名の当番の男達が待機している。

 もう一巡りしたら小屋に行き、彼らと交代しよう・・・そんなことを考えていた時。不意に近くの茂みがガサガサと音を立てた。

 ギョッとして振り向く男。

 風の仕業を期待したいところであったが、生憎今は無風である。

 そしていまだ茂みは音をたて続けている。


 せめて、野犬か猪であってくれ・・・


 そんなことを胸中で祈る。

 それとて恐ろしいが妖魔に比べればまだしもマシな方であった。

 まるで男に対する答え合わせのように茂みから件の存在が姿を現す。

 闇夜の中、その姿ははっきりと見えない。

 しかし、その姿はさして大きいものではない。少なくとも猪や熊ではないようである。それが喜ばしいことかはわからないが・・・

 男は手の松明を握り締めつつゴクリと唾を飲む。

 影は近付きその姿がやや鮮明になる。

 その姿は犬に似ている。


 犬、犬であってくれ!


 男の悲痛な祈り。

 しかし、それを嘲笑うように更にその姿は鮮明となる。

 影の顔の位置。爛々と輝く血で濡れたような真っ赤な瞳。

 赤く輝く瞳。それはまさしく妖魔たちに共通する特徴であるといえた。

 男の体が恐怖で震える。

 しかし、それでも最後に残った理性で首に下げた呼子に口をつける。

 これは見張りの男達を呼ぶ緊急事態の合図である。

 妖魔といえど一匹。仲間がやってくればどうにか追い払える。

 そんなかすかな希望に縋っての行動であったが、次の瞬間男の希望は脆くも崩れ去った。

 眼前に灯る一対の赤い瞳。

 それが一つ、また一つと増えていく。

 最終的に光は十。つまりは5匹の妖犬が目の前に存在するということになる。

 今度こそ男は絶望した。

 呼子で仲間を呼ぶことはできるだろう。

 しかし、自分はどうなる?

 果たして仲間が来るまで妖犬は大人しく待っていてくれるか?

 答えは無論、否。

 5対の瞳は今もじりじりと近寄ってきている。

 1匹でも恐ろしい妖犬。それが5匹。

 喰いつかれればたちまち命がないことなど考えるまでもなく明らかだ。

 

 体が震える。

 

 呼子お持つ手に力が入らない。


 いっそこのままじっとしていればどこかに行ってくれるのではないか?

 そんな希望に縋りたくなる。

 しかし、妖犬はお構いなしに男に近寄ってくる。

 男の鼻を獣の異臭がくすぐる。もはや妖犬は男の目前。

 自身の危機を否が応にも理解させられ、慌てて呼子を吹こうとする。

 しかし、それは妖犬が男に飛び掛るのと同時であった。

 闇夜にありながら仔細まで見通せる近距離。

 赤い瞳と白々とした大きな牙がひどく印象的だった。


 ああ・・・


 もう間に合わない。

 迫ってくる濃厚な死の気配に男は全てを諦めた。

 せめて次の瞬間やってくる苦痛が少しでも軽いものであるようにと、そんなことを願いつつ男はきつく己の瞳を閉じた。



 瞳を閉じて数瞬。

 男はようやく違和感に気が付く。

 確実に訪れると思われたその時がなかなか訪れない。

 もしや、先程の妖犬は何かの見間違いだったのか?

 それとも、もうすでに自分は事切れていて、もはやあの世にいるのか。

 現実逃避染みた憶測を脳裏に浮かべつつ、男は恐る恐る目を開けた。


 眼前に移る赤い瞳の群れ。

 期待に反して状況は目を閉じる前と大差のない状況だった。

 男の眼前には4対の赤い瞳が・・・


 ・・・・・・4対?

 何故4対なのか、自分の目の前にいた妖犬は5匹だったはずでは・・・


 そんな疑問を抱き、ゆっくりと左右に視界を向ける。

 居た。

 残りの1匹は男の視界の外に居た。

 だが、その様子がおかしい。

 先程までこの場を支配し、今まさに男に喰いつかんとしていたその妖犬の姿は変わり果てたものとなっていた。

 他の4匹から離れた場所で横倒しに倒れている。

 心なしかか特徴である赤い瞳も輝きを弱めている。

 耳に聞こえる呼吸もか細く、時折漏れる小さな泣き声はもはや弱々しい子犬のようですらあった。


 一体、何が?


 男は状況をようやく理解し、改めて疑問を抱いた。

 そしてようやく気付いた。

 自分と妖犬の間。先程までいなかったもう一人の存在に。


 男の眼前に1人の男が立っている。

 背丈は男とさして変わらない。

 しかし、にじみ出る雰囲気は若々しく、まだ少年と呼んでもいい歳かもしれない。

 少なくとも見回りの当番である村の若い衆ではない。

 見張りの歳はおおよそ二十から三十前後。男にしても現在二十代の半ばである。

 この場に出るにはあまりに若すぎる歳である。

 だが、その若さに反して、男の目に映る少年からは弱々しい雰囲気は微塵も感じさせなかった。

 まず体つきが違う。

 村の男達も日々肉体労働に勤しんでいる為、それなりには逞しい体をしている。しかし、少年の体つきはそれらとは全く異質のものであった。

 大きく盛り上がるような筋肉ではない。見かけだけで言えばやや細身にすら感じるかもしれない。だが、その身体が与える印象はひどくしなやかであった。細いながらも溢れんばかりの躍動感を秘めた肉体。それは人でありながら、どこか野生の獣染みた印象と美しさを感じさせた。

 そして何より印象的なのはその身体からにじみ出るもの。

 ただ鍛えた体というだけならばさして珍しいものでもない。しかし少年の全身からは男の言葉ではうまく表現しきれない一種独特の存在感のようなものが溢れていた。

 その存在感が、少年のさして大きくもない体、年齢、そして目の前の妖犬・・・それら全てを塗りつぶす。

 例えるならば闇夜に燃え盛る明々とした炎。

 それはまるで光を放つが如く、周囲にいる男も妖犬もその全てを圧倒していた。

 それこそまさに心技体を鍛え上げた者に宿る心気であるのだが、男はそんなこと知る由もない。

 わかるのは、その少年の存在がこの場にいる妖犬全てを脅かしている。その事実だった。

 妖犬たちの様子は先程までと目に見えて違う。

 唸り声こそ上げているもののそこには明らかな躊躇い、迷いが見て取れた。これが普通の人間相手であるならばこんな姿は見せはしない。明らかにこの少年を警戒し恐れているのだ。


 しばしの膠着。

 しかし次の瞬間、妖犬の1匹が少年目掛け跳びかかった。

 その跳躍は高く、そして速い。

 鋭い牙を剥き、少年の首筋目掛け跳びかかる。

 我がことではないとは言え、その迫力は男を思わず怯ませる。

 だが、少年は違った。

 跳びかかる妖犬に対し、むしろ一歩踏み込んだ。

 縮まる彼我の間合い。

 それに戸惑ったのは妖犬の方だった。

 踏み込まれたことにより、予定の位置より近くに少年が存在する。

 それが妖犬が無意識の中で測っていた間合いを狂わせた。

 野生の本能がそれに気付き、体勢を修正しようとする一瞬。少年が突いたのはまさにその瞬間だった。

 無造作に持ち上げられた少年の掌が妖犬の腹を打つ。

 攻撃の態勢の整いきらない妖犬は空中で無防備な腹を打たれ、呆気ない程容易く打ち落とされ地面に落下する。

 地面に落ち短く鳴き声をあげる。

 しかしそこは下級とはいえ妖魔。すぐにも立ち上がろうとするが、少年はそれをさせなかった。

 追撃の下段踵蹴り。

 起き上がろうとする妖犬の無防備な首筋に容赦なく踏み下ろされる。

 生々しい音が響き、妖犬は沈黙する。小刻みな痙攣を繰り返すだけの肉塊へと成り果てた。


 一瞬の攻防。

 男は呆けたままそれを見ていた。

 あまりにも容易く行われたそれに、「妖犬とはこんなにも弱かったのか?」そんなことすら考えてしまう。

 しかし、それは間違いだ。

 高度な技術は時にひどく単純かつ簡単に見えることがある。少年の行動もまさにそれだった。

 妖犬の行動を封じる絶妙の間合い。

 意識の隙間を狙う掌打のタイミング。

 追撃の踵蹴りの狙いと威力。

 そのどれが欠けたとしてもこの結果は成立していなかっただろう。

 残された妖犬にしてもそこまでの理解は及んでいない。

 しかし、眼前の少年が間違いなく強敵であることを文字通り痛いほどに感じていた。

 攻めるか。引くか。

 残された妖犬が選んだのが前者だった。

 残された3匹は一斉に跳びかかる。

 少年はその攻撃をあるものはかわし、あるものは迎撃する。

 その動きに危なげな様子は全くない。

 数日前、村人が3匹の妖犬と遭遇し、追い払った時、村人の人数はおよそ十人前後であった。

 しかしそれでも皆少なからぬ怪我を負い、追い払うのが精一杯だったのだ。

 だが、少年はその3匹の妖犬を単独で容易く相手している。

 男は声をあげることすら忘れ、ただただその光景に見入っていた。


「ああ、申し訳ないんだが・・・」


 場違いなほど暢気な声が男にかけられる。

 正気にかえった男はハッとして声の方へと向き直る。

 声の主はいつの間にやら傍らに立っていた1人の男。

 長身と肩までかかる男としてはやや長い黒髪。

 紺のゆったりとした着流し姿でそこに立っていた。

 刃物で削いだかのような細面、眼には奇妙なほどの力がある。それでも見張りの男が落ち着いていられたのはその顔に浮かぶ場違いなまでに人懐っこい笑みの為だろう。


「見たところお兄さんはこの村の人のようだが、この辺にはこういう妖魔はよく出るのかい?」


「あ、ああ・・・」


 長身の男の問いに見張りの男は戸惑いつつも返答を返す。


「ほぉ・・・」


 返答を受け、長身の男はしばし考えるような素振りを見せる。

 そうしてる間にも少年と妖犬の戦いはいまだ続いている。

 しかし、長身の男はそれを一切気にしている様子はない。

 我関せずと考え込んでいる姿はどこか浮世離れしている。

 おそらくは見張りの男とそう大差ない年齢と思われるが、その姿は経験深い老翁のようであり、遊びについて悩む子供のようでもあった。

 年齢不詳の男は「うん」と一つ頷き、見張りの男に再び語りかけた。


「実は我々・・・ああ、あそこで犬の相手をしている我が弟子と私のことなんだが、こう見えて旅の武芸者でね?寝床と食事のお世話に預かれるなら、何かと手伝えることもあるかと思うんだが、どうだろう?」


 ニカリとした笑みを浮かべつつそう語る。

 視界の端で少年が最後の妖犬に止めを刺す。

 見張りの男は少年と笑んだその男、両方を視界に納めつつ我が身の置かれた状況にただただ戸惑っていた。


 

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