第四章 狂王と勅命と密約 その一
ハーシェリクは自室の書斎で、七歳の幼児が読むとは思えない分厚い本を閉じ、ため息を零す。この本にも彼が求めていることが乗っておらず、時間を無駄に費やすこととなったからだ。
クレナイとアオの二人を城に招いて三日目、ハーシェリクは書斎に籠り調べ事をしていた。
「これもだめかぁ。」
そう言ってハーシェリクは分厚い本を行儀悪く投げ出す。内容はグレイシス王国の法律関係まとめた全書だ。
「目ぼしい本は全部読んだけど、全く見当たらない……」
一人ごちると、脱力し背もたれに体重を預け天井を仰ぎ見る。
ハーシェリクが今探しているのは、奴隷制度の廃止及び人身売買の禁止、そして他種族の入国禁止が法で定まった当時の記録だ。もちろん記録は残っている。しかしそれは何年に制定した等の箇条書きで、その制定された背景に関してはハーシェリクが探せる範囲では残っていない。全て当時の国王、先々代の勅命を持って行使したとなっている。
(なんか、引っかかるんだるんだよなぁ。)
眉間に皺を寄せ、大きなソファの上で胡坐をかいて唸るハーシェリク。
きっかけはやはりクレナイと獣人族のアオの存在だった。
彼らを国外に逃がすだけなら決して不可能ではない、とハーシェリクは城に戻ってから結論付けた。この国の法に照らせば極刑だが、それは発覚した場合。なら発覚する前に国外へ逃がせばいいのだ。
ハーシェリクは過去、とある事情により世直しやら人助けやらをしていた時があり、その時多くの伝手を手に入れた。それは城下町だけでなく各地方にもあり、その伝手と王族と言う立場を利用し、さらに時期を見計らえば、二人を国外に逃がすことは出来るだろうと考えた。
だがそれとは別の疑問が生まれた。
なぜこの国は奴隷制度を廃止したのか、人身売買を禁止したのか、頑なに他種族を拒むのか……調べれば調べるほど、疑問が浮かび違和感を覚える。
教師にも聞いてみたが、言葉を濁すのみで要領を得ない回答しか返ってこず、本を読んでもハーシェリクの納得のいく答えを得ることはできなかった。
「……これはもう聞くしかないか。」
自分の調べられる範囲では手を尽くした。なら後は知る人に聞くしかない。
ハーシェリクは約束を取り付けるべく、ソファから降りて部屋を後にした。
夕食後、ハーシェリクは後宮の一室を訪ねた。控えめなノックをすると中から返答を確認し、ハーシェリクは入室する。そしてその場でお辞儀をした。
「父様、お疲れのところ、時間とって頂いてありがとうございます。」
そう言って顔を上げると、暖炉の側のソファでゆったりと腰かけた男性が、微笑を湛え出迎えてくれた。
月の光を集めたような白金の長い真っ直ぐな髪に白い肌。美形揃いの兄達よりも美しく整った顔立ちの男性が微笑んでいた。彼の名はソルイエ・グレイシス。グレイシス王国の二十三代国王であり、ハーシェリクの実の父親である。ハーシェリクとの唯一の共通点は翡翠のような碧眼のみ。二十代後半位見えるが実は四十を越していて、十人近くの子供を持つ親とは思えないほど若々しい。現にハーシェリクは己の記憶から父は疲れやつれたりはするが、老化現象が起こっているようには見えなかった。しかも聞けば特別なことはせずに若さを保っているらしく、全世界の女性が聞いたら発狂するだろうとハーシェリクは思う。
そんな無自覚な若作りの父は、入室してきた最愛の末の息子に極上の微笑みを浮かべて手招きした。
「気にすることはないよ。こっちおいで、ハーシェ。」
ハーシェリクは言われた通りソルイエに近寄る。するとソルイエは軽々と我が子を抱き上げて、己の膝の上に乗せる。不意の抱っこに、中身はいい年な為、羞恥から赤面したが、ソルイエは気づかずにハーシェリクのサラサラな薄い色合いの金髪を撫でつつ言った。
「ルークからも少しは休めと言われているんだ。だからこうやってハーシェとの時間が取れてよかった。それに……」
そう言いつつふと我が子を撫でる手を止める。
「今は少しでも民の信頼を取り戻したい。皆が安寧で暮らせる国にしたい……しなくてはいけない。」
そしてソルイエは悲しげに、だが決意を込めて呟く。
「それが私に出来る罪滅ぼしなんだ。」
「父様……」
ハーシェリクはその言葉が、自分の想像以上に重いのだと知っている。
父であるソルイエは昔、王としての過ちを犯した。国よりも己の家族を取り、暴走する大臣一派の専横を止める事ができなかった。結果、国は傾き、それにより多くの人々が苦しんだ。
だからだろう、大臣がいなくなってからソルイエは精力的に政務をこなしている。人員配置はもちろん、各地の徴収税の見直しから貴族達が好き勝手組んだ予算の再編成、外交戦略、軍の再編等々その公務は多岐にわたる。
大臣達が我が物顔で国を取り仕切っていた頃も多忙であったが、それ以上ではないかと思える仕事量を毎日こなしていた。
もちろん身体を壊すほど働くことはしない。特に王の筆頭執事であるルークは、主の性格も能力も理解している為、彼がほどよく休憩をいれたり仕事量を調整したりしているのだ。
「大丈夫ですよ。」
悲しげな表情を浮かべる父を安心させるかのようにハーシェリクは言う。
「父様はもう一人じゃないんですから。」
成人している兄二人は、父が少しでも楽できるよう自らすすんで補助にまわっている。ハーシェリク自身も自ら過去の案件を洗い直し、父の手助けになればと思っている。他兄弟も出来る範囲で手助けをしている。
「私も微力ながら手助けをさせて下さい。」
「……ありがとう、ハーシェ。」
末息子の言葉にソルイエから悲しげな表情が消え、柔らかなものに変化し、もう一度だけ頭を撫でると手を離した。
「さてハーシェ、話というのは?」
「実は……」
ハーシェリクはそこまで言って口ごもる。彼にしては珍しく言葉を選んでいるようで、ソルイエはくすりと笑うと彼が言おうとしていることを口にした。
「それはつれて来た二人組の、特に青年のことかな?」
ソルイエの言葉にハーシェリクは目を丸くする。
「知っていたのですか?」
「私にも頼りになる筆頭執事がいるからね。」
城内の状況や変化の近況について、ルークの右に出る者はいない。さらに言うなら何かと問題を巻き起こすハーシェリクの行動は、詳細は知らずとも何かしら噂になっていたりするのだが、ソルイエはあえて言葉にしなかった。
ハーシェリクは覚悟を決め、まっすぐとソルイエを見る。同じ色の瞳の視線が交わった。
「父様、なぜこの国は他種族の入国を禁止しているのですか? そうまでしてなぜ、多種族を排除しようとしているのですか?」
「……どこから、話そうか。」
ソルイエは考える。そういえば以前にもこうやって我が子を膝に置いて話したことを思い出した。その頃よりだいぶ成長し、体重も重くなった。だが変わったのは外見だけでなく、その存在も大きくなったように思えた。
あの草原で自分は無力だと泣く我が子に、ソルイエは言葉をかけることができなかった。貴族の傀儡で玉座に座るのみだった彼は、その言葉を持ち合わせていなかったからだ。あの時は我が子が泣き止むまで、側にいることしかできなかった。
だが彼はその悲しみを乗り越えて、国を救ってくれた。無力だと立ち止まった己とは違い、無力だと諦めずに進み続けた。
本来ならこの話は彼には時期尚早。しかしソルイエはあの時のように誤魔化しが通用しないと解っていた。そして今は、彼に答える言葉を持っている。
「ハーシェは、この国の他種族の関することや奴隷制度、人身売買についてはどこまで知っている?」
父の言葉に、ハーシェリクは昼間に読んだ本を思い出しつつ口を開く。
「先々代の王、曾お爺様が他種族の入国や人身売買を禁止、そして奴隷制度を廃止し奴隷だった他種族の者を地方に集め処分した、とまでは勉強しました。」
歴史の教師に聞いても、本を読んでも、内容は変わらなかった。ハーシェリクの答にソルイエは頷く。
「それに違和感はなかったかい?」
父の問いにハーシェリクは数拍考えた後、迷うように言った。
「……奴隷とはいっても労働力です。それを強制的に処分するというのは、経済的にも打撃が大きいと思います。それに奴隷を所有していたのは貴族が大半です。反発も必至だったのではないかと考えます。」
ハーシェリク自身、奴隷と言う存在は認めたくない。それは前世の記憶があるからこその価値観だった。姿の少々違いがあっても、自分と同じように人格や感情を持つ者を、まるで物のように扱うことには嫌悪感を覚える。
しかし別の視点からみれば、奴隷とは資産である。多くの奴隷を抱えるということは、その分彼らの衣食住を保証し、その対価として労働力を得る。だから裕福な人間ほど奴隷を所有し、その労働力を利益へと変えて行った。だからその労働力が、王の勅命とはいえ取り上げられれば、当時の混乱も大きかっただろうと考える。
「それにわざわざ地方に集めた、というのも不自然です。」
なぜわざわざ奴隷達を一か所に集めて処分をしなければいけないのかも引っかかった。嫌な言い方をすれば、その場で処分すれば移動の為の費用はかからない。なぜ殺す為にわざわざ金をかけたのかがおかしい、とハーシェリクは考える。
「うん、ハーシェの言うとおりだよ。」
ハーシェリクの言葉にソルイエは同意する。
「話は変わるが私の父は、その聡明さから慧眼の王と呼ばれていた。」
バルバッセ大臣に暗殺されなければ、この国は周辺諸国から呼ばれる通り大国として恥じない発展を遂げていただろう、とソルイエは言う。
「そして先々代の国王は死後こう呼ばれた。狂った王……狂王と。」
「……なぜですか?」
自国の王だというのに、とハーシェリクの瞳が語っていた。そんな彼にソルイエは言葉を続ける。
「先々代はとても穏やかなだが気弱な人柄だったと聞く。」
当時はバルバッセ大臣のような一派閥が支配していたのではなく、多くの貴族の派閥が存在し、その派閥間の争いは活発だった。争いを好まぬ時の王である先々代は、貴族達の言われるまま日和見な政を行っていた。
「だけど、先々代は一点だけは譲らないことがあった。彼の妃は最愛の王妃だけで側室は持たなかった。」
気弱な王だったが、貴族達が己の娘を側室に向かえるよう言っても、決して首を縦に振ることはなかった。
子は二人。兄王子と妹王女。仲睦まじい王家だった。しかし王家に悲劇が襲った。
「ある日、王妃が奴隷の獣人族に殺された。」
ハーシェリクは息を飲む。だが口を挟まず父の続きの言葉を待った。
「いや、少し事実は異なる。奴隷の子供が王妃の乗った馬車の前に飛び出し、馬が驚いて馬車は横転。乗っていた王妃は当たり所が悪く、亡くなったと聞いている。」
そこから最愛の人を亡くした王は狂ってしまった。最愛の王妃を奪った獣人族を排除する為に奴隷制度の廃止を強行し、国内の奴隷だった獣人族全てを処刑、獣人族他人間以外の国内への入国を禁じ、それに伴い主に人間以外の種族の売買が主に行われる人身売買も禁止した。法を犯せば漏れず極刑に処し、いざとなれば王自身が剣を持った。
「反対した貴族達もいたが、先々代はその者達も容赦なく極刑にしようとした。穏やかな国王が豹変し国内から他種族は一掃された。だから人々は先々代の国王をこう呼ぶ。最愛の妃を失って、獣人族を皆殺しにした狂った王、狂王と。」
それはグレイシス王家の闇の部分。だから教師はまだ幼い自分にそのことを話そうとはしなかったのだとハーシェリクは理解した。そして同時に怒りと悲しみとも思える感情がハーシェリクを支配した。
「そんな……」
最愛の人を失った苦しみを、ハーシェリクは理解することが出来る。
全てを破壊してしまいたい衝動や、目の前が闇に覆われてしまったかのような絶望、そして手に残る生暖かい彼女の血の感触を、ハーシェリクは忘れられずにいる。己の心臓を抉りとられたかのような喪失は、今も埋まることはない。
(ジーン……)
最愛の人の名を心の中で呼ぶ。
ジーンを思い出す時、真っ先に浮かぶのは彼女の最期の微笑みだった。