第三章 末王子と放蕩王子とお土産 その二
国を影から牛耳っていたバルバッセが斃れて三か月。悪い意味で一枚岩だった王国は、国王が先頭に立って改革と改善が行われていた。悪の親玉を倒したからといって、それでめでたしめでたしとお伽噺のようには終わらず、まだまだ国内は乱れているといってもいい。それは他国からしたら付け入る隙とも言えた。
「周辺諸国への牽制、ですね。」
「そうだ。」
理解の早い末弟の言葉に次兄は頷き、さらに「国庫は今回の件で潤ったから予算はあるしな。」とウィリアムは付け加えた。大臣一派らが横領していた分を強制的に返還させた為、現在の国庫は余裕がある。とはいっても徴収した分は今後再度予算に組み込まれ、横領された案件に再分配されるのだが、それでも国としての見栄をはるくらいの金はあった。
「よほどおつむが残念でないかぎり、早々国内で下手なことをする輩はいないだろう。各国の要人を招いて我が国は不動だと見せつけ、他国からの干渉を牽制する。その間に根本的に立て直す。」
マルクスがそう言って紅茶を飲む。それもテッセリの土産の品なのだろう、珍しい香りをマルクスは楽しみ味わっているようだった。
大臣が死に、不正を働いていた貴族、官僚たちは皆司法の場で相応に罰せられた。その為表向きは、出来心も起きない不正が出来ない綺麗な政となっている。
ただハーシェリクを含む王家の人々はこの状態が永久的に続くとは思っていない。誰しも喉元すぎればなんとやらだし、己を律するより堕落するほうが何十倍も簡単なのだ。
だからこそ今は国を立て直す為に時間を必要とし、その間は他国からの干渉を極力回避したい。つまり今回は各国に手を出せないようはったりをかますことが重要なのだ。
幸いなことに一番の懸念である帝国は先の戦で五年間の不可侵条約を結び、さらには国交を持つ予定となっている。その窓口はウィリアムが担当している為、万が一にも失敗はしない。
ちなみにハーシェリクは仕事をしている時のウィリアムについて、己の瞳を疑ったくらいに、素晴らしく人当たりのいい笑顔を浮かべた次兄を目撃している。昼間から目を開けて夢を見たのかと己の頬をこっそりつねったりもしたほどだ。
「さすがに絶対うまくいくというほど楽観視はできないがな。」
「危険は、ないですか?」
マルクスの言葉にハーシェリクは問う。もしその要人に紛れて密偵など送り込まれて、家族に危害を加えられたらと考えるとハーシェリクは胆が冷える。
「危険があるとしたらハーシェ、おまえが一番危険だ。」
マルクスの言葉にハーセリクは首を傾げてみせ、兄の言葉に人差し指で己を指す。
「私ですか?」
「いいか、お前は『光の英雄』だなんて呼ばれているほど、国内外で知られてしまった王族だぞ。もしおまえに何かあれば、国は確実に揺れる。」
だから豊穣祭の期間は今日みたいに絶対に一人で出歩くな、とマルクスは念を押し、ハーシェリクはちょっとだけ視線を彷徨わせたが頷いた。そんなハーシェリクに兄弟達は皆胡乱気な視線を送る。
「それとハーシェ、武闘大会の御前試合ではお前の筆頭騎士を借りるぞ。後できたら筆頭魔法士も借りたい。」
テッセリから受け取った手紙を一通り確認し終えたウィリアムが、思い出したようにハーシェリクに言った。
「二人を?」
「二人とも先の戦いで他国に勇名を轟かせている。悪いがそれを利用させてもらう。」
眉を顰め怒っているように見えるが、実際は申し訳なさそうに顔を歪めたウィリアムは言った。ハーシェリクが自分の臣下を見世物にするのが嫌だろうと察したのだが、ハーシェリクは首を横に振る。
(オランはともかく、シロは嫌がるだろうなぁ。)
そう内心思い、二人が了承するならという条件付きで頷く。
「しかし、オクタの相手に困るな。」
マルクスはむむむと唸る。
オランは先の戦いで活躍し、実力も名声も申し分ない。しかも彼は武闘大会で圧倒的な実力で優勝した経験者でもある。そんな彼に怖気づかず、実力のある者がはたして王都に何人いるかという問題になる。
「マーク兄上、ブレイズ将軍はいかがでしょうか? 腕もさることながら先の戦いでも活躍していて知名度も高いです。それに身分だけで優遇されることに慣れた無能者に知らしめるには丁度いいと思います。」
ユーテルが微笑みさりげなく毒舌を挟みつつ言った。だがそのウィリアムが首を横に振る。
「いや、将軍は街道の安全確保の為の任務に行ってもらっている。武闘大会当日王都にいるかわからない。」
「じゃあオルディス家のお兄さん達は? あそこの兄弟ってみな実力者でしょ?」
今度はレネットが口を言ったがこちらもウィリアムは首を振った。
「出来る限り親族は避けたい。それにオルディス侯爵家ばかり優遇しているという噂が流れたりしたら、彼らに迷惑がかかる。」
「あの方々は、そういうことは気にしないと思いますが……」
セシリーの言葉にハーシェリクも同意する。ハーシェリク自身、何度もオランの家族に会っているが、清々しいほど脳筋……もとい気持ちのいい家族だった。自分達が貴族というよりは、国を守る騎士ということに重点を置き、国に仕える事を誇りに思っている一族である。
「では烈火の将軍も却下ですね。」
国で一番有名な将軍の二つ名をアーリアが何気なく言うと、マルクス、ウィリアム、そしてハーシェリクが首を同時に縦に振った。それは実力とか名声となど関係なく、大会がめちゃくちゃになるかもしれないという懸念だったりする。あの家族の中で脳筋という言葉が一番当てはまるのは現当主である。裏の事情など考えずに「おもしろそうだな!」とか言って本気で戦い始める可能性も決して低くない確率だ。
「あ、マーク兄上。」
頭を悩ます彼らにテッセリが挙手した。
「それなら、俺の騎士とハーシェの騎士、どっちが強いか戦わせてみません?」
「テッセリ兄様の騎士?」
前に旅に出た時は、確か幼馴染の筆頭執事しかいなかったはずだとハーシェリクは記憶していた。疑問符を浮かべるハーシェリクにテッセリは口を開く。
「うん、元は陽国の武士……こっちでいうところの騎士だか戦士だったらしいけど、大陸にきて放浪していたところを筆頭騎士にしたんだ。」
陽国とはグレイシス王国の東、海を越えた先にある島国だ。女王国家で、頂点には神子姫とも呼ばれる女王が君臨し、その下に十二の華族が国政を取り仕切っている国。島国である為独自の文化で発展を遂げた国で、ハーシェリクは文献でしかしらないが、前世の日本の昔みたいだと感じた。グレイシス王国と陽国は国交はあり、ソルイエの第四位の側室は陽国出身の華族の姫だった。今は療養中の娘である第二王女に付き添って、王都の外にいる。
陽国の情報を思い出すハーシェリクに、テッセリはにやりと笑う。
「かなり強いよ。ハーシェリクの騎士に勝っちゃうかも。」
「……勝敗はさほど興味ありませんが、でもオランも強いです。」
少々むっとしてハーシェリクも言い返す。
そんなハーシェリクを面白そうに、意味ありげな笑いを向けるテッセリ。
「じゃ、楽しみだね。」
見えない火花を散らす二人。そんな二人にマルクスは小さくため息を漏らすと、手を叩く。それが解散の合図だった。
「さてそろそろ解散としようか。ウィル、テッセリの手紙から各国の要人をまとめたものと、日程調整と段取りを頼む。」
了解しました、と頷くウィリアムを確認しマルクスは席を立った。各々が自室に戻っていき、ハーシェリクも部屋を出ようと立ち上がり歩き出す。
「あ、ハーシェ。」
「はい?」
呼び止められハーシェリクは振り返る。するとそこには、さきほどの人を食ったような笑いではなく、真剣な眼差しのすぐ上の兄がいた。
「今日連れて来た二人、気を付けないとだめだよ。」
「テッセリ兄様?」
ハーシェリクはその言葉の意図をすぐに理解するが出来ず、兄の顔を凝視し名を呼ぶ。
なぜ二人のことを兄が知っているのか。なぜ二人に気を付けなければいけないのか。
だがテッセリはそんな弟に微笑みを向けるだけで、それ以上口を開くことはなかった。そしてその微笑みは答えるつもりはないという意思表示であり、ハーシェリクは兄の答えを引き出す術を現時点では持ち合わせていなかった。
広々した寝室に備え付けられたベッドの上でクレナイは寝返りを打つ。布の擦れる音に反応して、ベッドのすぐ脇で背をベッドに向けたまま、微動しなかったアオが背中越しに話しかけた。
「さっさと寝ろ。」
「……久々のベッドで、眠れないのです。」
久々の温かい食事、風呂も用意されたため身体も清潔で、極めつけが寝心地のいいふかふかのベッド。数日前では考えられないほど激変した環境で眠れるわけがない、そう言ってクレナイは誤魔化そうとしたが、十年の付き合いのある彼は誤魔化されなかった。
「気になるのか。」
いつも通り主語をつけない、下手したら何を言っているのかわからない簡潔な言葉。だが彼と同様彼女も長い付き合いの為、彼が何を指しているのか理解できた。
「不思議な、方達ですよね。」
そう言ってクレナイはここに案内されるまでのことを思い出す。
ハーシェリクに連れられてきた彼の自室。驚くべきことにここまで彼らが持ち物を改められることがなかった。そして彼らを出迎えたのは、こめかみに青筋を立てた赤い瞳を除くと黒一色と言ってもいいほどの執事だった。兄達から召集がかかっていることを報告した後、ハーシェリクが連れてきた二人を見て、隠そうともせずため息をこぼす。
「で、今度はどんな厄介事を拾って来た?」
「拾って来たって……」
主に対してあるまじき言いぐさだったが、言われた本人は大して気にせずに肩を竦めるだけだった。ハーシェリクは彼のことをクロだと紹介し、彼にはクレナイとアオと簡潔に紹介する。
クロと呼ばれた執事は視線を向け、さらにはアオで視線を止めて一回だけ眉を潜めた。
「……獣人族か。」
外套で隠そうとも彼の不自然な背中の盛り上がりは、隠すことはできない。それを見抜いた彼の表情が厄介事確定した、と物語っていた。そして深く、とても深くため息を漏らす。
「クロ、とりあえず部屋を二人分用意してくれる?」
外宮には王族の筆頭達が住む部屋もあり、現在は空き室も多い。その場所を一時的に貸してもらおうと考えた。
「わかった。」
クロも同じ考えだろう、返事一つで部屋を出て行こうとする彼に、アオが言う。
「……一つでいい。俺には必要ない。」
「アオさん、別に部屋はあるからいいよ?」
ハーシェリクが言うが、アオは首を横に振った。
「問題ない。」
主張を変えそうにないアオにハーシェリクが折れた。
「……わかりました。クロお願い。あ、あと食事も。不自由ないように身の回りの事も……」
「はいはい。こっちは任せてさっさと談話室へ行けよ。」
心配なのか、細々と指示を出すハーシェリクに、クロは全て任せておけと言う風な視線を送り部屋から出ていく。
「じゃあちょっと行ってくるから。」
「……王子は、なぜそこまでしてくれるのです?」
足早に部屋を出て行こうとするハーシェリクに、クレナイが言葉を投げた。
「うん?」
足を止めてハーシェリクは振り返る。
「私達は貴方に何も話していません。それに助けてもらっても、貴方に利益をもたらすことはできません。むしろ不利益のほうが多いと思います。」
そう微笑みを崩さぬままいうクレナイに、ハーシェリクは少し考えた後口を開いた。
「クレナイさんは、とても誠実な人なんですね。」
「誠実、ですか?」
どこが誠実なのか、そう問う視線をクレナイが向けると、ハーシェリクは答える。
「だって貴女はさきほども今回も、自分たちのことを言えないと、私が聞いてもいないのに言っている。それを少々後ろめたく思っているんですよね。」
もし不誠実な人間がったらそうは思わない、とハーシェリクは言い言葉を続ける。
「それにそういった打算が必要な場所で生きて来たんですね。」
その言葉にクレナイは微笑みを浮かべたままだったが、息が詰まる。この王子が幼いながらそれだけ人をよく見ていると理解したからだ。あえてハーシェリクはクレナイには問わず、己の言葉を紡ぐ。
「打算が悪いとは思いません。打算は生きていく上で必要なことですから。」
そう言ってハーシェリクはにっこりと笑う。
「別にね、クレナイさんやアオさんの為だけに動くわけじゃないです。私がやりたいからやるだけ。だから貴方たちは私を利用すればいいと思います。」
「ですが……」
クレナイはそのハーシェリクの言葉が不安になった。かつて彼女が生きてきた場所では、親切や手助けは全て打算の上で成り立っていたからだ。だから、それがないと逆に不安になり、彼が何を考えているのか読めないことが、さらに不安を煽る。
そんな彼女に助言をしたのは、彼の腹心達だった。
「諦めた方がいい。」
「ハーシェは言いだしたら聞かない頑固者だからな。」
魔法士と騎士、シロとオランだと紹介された者達は達観したように、食い下がろうとするクレナイに言った。
「損得だけで動く人間には理解できないくらい、馬鹿でお人よしなんだ、我らが主は。」
「それは褒めてくれてるんだよね?」
オランの言葉に苦笑しつつハーシェリクが言う。
「ま、それに付き合う君達も大概お人好しだよ。」
腹心達が肩を竦めるのをみて面白そうに笑い声をあげると、ハーシェリクは手を振って部屋を後にした。
クレナイはハーシェリクのような人物に初めて遭遇した。だから判断がつかないでいた。
「どう思いますか?」
「……嫌な感じはしなかった。」
クレナイの問いアオは正直に答えた。彼にとってクレナイ以外の人間は敵だった。敵のはずだった。だが今日会った者達は皆、自分に敵意も蔑む視線も向けてこないことに少なからず戸惑いを覚えたのも事実だった。
「そうですか……」
「……もう休め。」
そのまま思考の迷路に入り込もうとするクレナイにアオは言う。クレナイは少し迷うそぶりをしたが、大人しく頷いた。
「……手を握っていてくれませんか?」
彼女にしては珍しく甘えた声だった。その珍しさに驚きつつも、アオは立ち上がりベッドに腰かけると差し出されたクレナイの手を握る。手は女性にしては荒れていた。それは彼女が進み背負ってきた人生を物語っていた。アオはそれを包み込むように手を握る。
「おまえが望むなら。」
そうアオが囁くとクレナイは微笑む。
「ありがとうございます……」
二人にしか聞こえない声で、クレナイは彼の本当の名を口にした。
クレナイは眠りに落ちる寸前、いつも幻聴だと解っていても聞こえてくるあの炎の燃え盛る音は聞こえず、あの王子が仮の名を呼ぶ声が心地よく響いた気がした。




