第十章 王子と軍師と奴隷 その一
8/24一回目更新。
最終話まで投稿します。ご注意下さい。
ゴウッと馬車の中にいても聞こえる風の音が響き、馬車を大きく揺らした。それだけなら単なる突風だと気にもとめないだろう。だが馬車は停車し、さらに外から聞こえてきた喧噪に、トーマス・ローゼホームは眉を潜め、席を立った。
「何事だ!」
そう怒鳴りながらも馬車の扉を開き飛び降りる。そして目の前に広がった光景に絶句した。
「ローゼホーム殿ッ出られては……ガッ」
そう一人の兵士が剣を構えつつ言ったが、次の瞬間突風に煽られ、身体ごと吹き飛ばされる。その兵士だけではない。周囲には祖国より伴ってきた二十には満たない兵士達の内、約半数が、呻きながら地に転がっている状態だった。だが血は流れておらず、命も意識もある状態で命に別状はないようだった。
そして馬車の行く手を遮るように仁王立ちしているのは、この国にはいないはずの獣人族だった。深い青の翼を広げ、身長ほどの長い棍を握り、周囲の兵士達へとその切っ先で牽制をしている。
その獣人族には見覚えがあった。『軍国の至宝』が指揮する部隊の、部隊長だった戦闘奴隷だ。特出した戦闘能力を誇る戦闘奴隷の中でも、一等の実力を持つ奴隷。いつも我が物顔で『軍国の至宝』の側にいた男だった。
その男は彼女の話だとこの国の王族に秘密裏に囚われていると聞いていた。そして彼女はその隙をついて逃げてきたのだとも。なのになぜ、囚われているはずの奴隷がこの場にいるのか、トーマスの頭の中は疑問で埋め尽くされる。
さらにそのすぐ側には小柄な影があった。その小柄な影が馬車から出てきたトーマスを見つけて、にっこりと微笑む。
「こんにちは、お騒がせして申し訳ありません。」
小柄な影の正体、それは宴の席で遠目にみたグレイシス王国の第七王子ハーシェリクだった。王子は謝りつつもその表情には微塵も謝意は籠っていなかった。その上兵士達を吹き飛ばした奴隷の側にいることから、彼が友好的な関係を望んでいるとは考えがたい。
「……なにかご用でしょうか、ハーシェリク殿下。そんなモノまで連れて。」
状況把握がままならないトーマスだったが、それでも生まれてから奴隷という存在を容認してきた国の人間だった。まるでゴミでも見るような視線をそのモノへと向ける。
その言葉でハーシェリクから微笑みが消えた。そしてうんざりした表情で一度ため息を漏らした後、鋭い視線でトーマスを射抜く。
「貴方には用はありません。その人を人とも思わない言葉しかでない口は、閉じていてくれますか?」
「なんの権限があって……!」
「ここはまだ、王国内ですよ? 他の方々も動かないようお願いします。」
幼い王子からの冷めた、そして威圧的な物言いにトーマスはなにも言えなくなる。相手は大陸一の大国の王子。この場での身分は一番上だ。軍国の十家の出自とはいえ、跡継ぎでもない次男が対等に話せる相手ではない。さらにトーマスは幼子だというのに、王子からはまるで格上の者を相手にしているような背筋が凍る感覚を覚える。その感覚が己を支配しトーマスは言われた通り沈黙し、手振りだけで部下達を押しとどめた。
「さて……クレナイさん、出てきてくれます?」
トーマスが完全に沈黙したことを確認し、ハーシェリクは馬車の中にいる人物に話しかける。
数拍後、馬車の中から紅い髪の女性……クレナイ、本名アルテリゼ・ダンヴィルが現れた。馬車から大地に降り立つと、疑わしげな視線を向けるトーマスを無視し、ハーシェリクの前へと進み出る。
「王子。」
そうハーシェリクを呼ぶ声は固く、表情もいつもの微笑みはなかった。そして視線はハーシェリクの背後に立つアオ……ゲイルを見ないよう、王子に固定していた。感情を読み取れない闇色の瞳と新緑色の瞳が交差する。
「なぜです?」
なぜここにいるのか、なぜここにきたのか、なぜ貴方がいるのか、なぜ彼がいるのか……その全ての疑問を含んだ問いだった。
「それは……と、これは私の言う事じゃない。アオ。」
ハーシェリクはその問いに答えようとしたが、思い直し背後に立つゲイルに視線をむけ、頷く。
「アルテ……」
ゲイルはハーシェリクに促されるまま一歩を踏み出し、彼女の本当の名を呼んだ。彼女の闇色の瞳がゲイルを捕え揺れた。
「迎えに来た。」
「ゲイル……」
ゲイルの簡潔な言葉にアルテは彼の名を呼ぶ。だがすぐに首を横に振り、己を抱くように両手で己を抱きしめると、彼から視線を逸らす。
「何を言っているのか、私にはわかりません。せっかく貴方から解放されたというのに。」
「アルテリゼ。」
ゲイルの低い落ち着いた声が、再度彼女の名を呼ぶ。その声にアルテリゼの己を抱く手に力が入ったが、それでも彼女はゲイルに視線を向けるようとはしなかった。
「気安く名前を呼ばないでください……奴隷の分際で。」
吐き捨てるようにアルテリゼは言う。だがそれは、さきほどトーマスが言ったような、奴隷を蔑むような声音ではなく、まるで血反吐を吐くような言い方だった。
「戻っては、くれないのか?」
「どこへですか?」
ゲイルの言葉にアルテリゼは間を置かず答える。そして視線を逸らすのをやめ、闇色の瞳をゲイルに向け、目を逸らさずに言った。
「私が戻るべきは祖国のみです。」
その言葉にゲイルは何も言えなくなる。それは確かな拒絶だったからだ。何を言えばいいのかわからず、だがこのまま彼女を行かせてはいけないという気持ちが彼の中で渦巻く。
「アオ。」
その彼の心情を読んだかのように、ハーシェリクが名を呼ぶ。
「気持ちは言葉にしなくちゃ、伝わらないよ。」
それはまるで背中を押すような言葉だった。ゲイルは一度瞳を閉じ深呼吸をする。そして再度瞳を開くと、まっすぐとアルテリゼを見た。
「……アルテリゼ。」
ゲイルは一段と低く、そして優しい声でアルテリゼに話しかける。
「俺の元に戻ってくれないのなら、俺を殺せ。」
だがそこから出た言葉は、ハーシェリクもアルテリゼも絶句させるには十分なものだった。
一瞬彼が何を考えているのか理解できず、ハーシェリクは目が点になったがすぐに彼の性質を思い出す。ゲイルは元々話すことが得意ではない。だから彼が発する言葉は、とても率直になってしまう。その飾り気のない言葉だからこそ、真摯なことが痛いほど伝わった。
「俺の命は、お前の物だ。アルテリゼ、お前がいらないと言うなら、俺は生きている価値もない。」
普段無表情で感情が読みにくい彼が、口の端を微かに持ち上げて微笑み言う。その微笑みが彼の言葉を本心だと肯定し、アルテリゼはハーシェリクが見たことないほど、狼狽した。
「なにを……!」
「コレを交換した時から、俺の命はお前の物だ。」
アルテリゼの言葉を遮る様にゲイルは言い、己の髪を縛るうなじ部分につけた、紅色の羽飾りを触る。それは以前、鳥人は恋人や夫婦は互いの羽を肌身離さず持つ風習がある、とハーシェリクはゲイルから聞いたことがあった。まるでアルテリゼの髪のように紅い羽。ハーシェリクがアルテリゼに視線を向けると、彼女も己の胸元の服を握りしめていた。その動作は、そこに羽を持っているということを隠せていなかった。
「俺を拒否するくらいなら、いっそのこと殺してくれ。お前が側にいないなら、俺は死んだも同然だ、アルテリゼ。」
そうゲイルは言葉を重ねる。
「まだ隷属の紋の主人は、おまえにある。お前が一言、魔言を唱えれば俺は死ぬ……俺を拒否するなら、殺してくれ。」
「ゲイル……私はッ!」
その言葉に、アルテリゼの顔が歪んだ。それは心が何かに引き裂かれそうな、辛い表情だった。その表情でハーシェリクは確信した。
「クレナイさん、私は貴女の気持ちがなんとなく解る。」
「……王子?」
アルテリゼの言葉を聞きながら、ハーシェリクは己の言葉を続けた。
「大切な人達を失うこと。それも自分の力が及ばずに……復讐したいという気持ちも、死にたいという気持ちも解る。」
「死にたい、だと?」
その言葉にゲイルの顔色が変わり、ハーシェリクを見た。ハーシェリクはゲイルに頷きつつ言葉を続ける。
「クレナイさん、貴女は死ぬ為に軍国へ戻ろうとしているね。」
「どういう、ことだ?」
ゲイルから動揺した言葉が漏れ、その視線はアルテリゼへと向かう。その視線から逃れるように、アルテリゼが視線を逸らしたのが証拠だった。
「アオ、確かにクレナイさんは『軍国の至宝』といわれるほどの天才軍師だと思う。だけどね、だからと言って机上の空論で事が運ぶほど、現実は甘くない。クレナイさん、貴女も解っているはずだ。その復讐が成功する確率を。」
ハーシェリクの言葉にアルテリゼは視線を、沈黙を続けるトーマスに向ける。彼はその場に留まっていたが、自分に怒りの籠った視線を向けていた。
(もう、諦めるしかないですね。)
既に彼は都合の良い駒ではなくなっていた。ハーシェリクが言った事を理解してしまえば、自分が利用されたのだとわかったのだろう。
彼らが追ってくる可能性を考えなかったわけはない。オランにかけた催眠の魔法は、強力なものだ。一度眠りにつけば、半日は目が覚めない。それだけ時間を稼げば、ゲイルの望遠能力があったとしても、逃げ通せた。だがそれが甘い目算だったとアルテリゼは観念する。ここまでトーマスに知られては、いくら彼が野心に燃え視野が狭まっていたとしても、策の軌道修正は不可能だったのだ。
「……三割、あればいいほうでしょう。」
「アルテリゼ?」
観念したアルテリゼの言葉に、ゲイルが困惑した声で名を呼んだ。だがアルテリゼは言葉を続ける。
「十年、軍国を内部分裂させ争わせ、同時に内紛を起こし、他国が干渉し、軍国を瓦解させる私の策の成功率は、三割です。」
「十年内に三割……」
ハーシェリクは感嘆する。その確率はハーシェリクが予想していたの数値より上回っていたからだ。彼女の中では緻密な策が練られていたのだろう。
「なぜだ、アルテリゼ?」
ゲイルが問う。十年という歳月。それは彼女が士官学校を卒業し、軍国に己を捧げてきた年月と一緒だった。同じ年月をかけて軍国を壊そうとし、それでも己が死ぬ確率が高いとは。
「……私は、私が許せません。」
ゲイルの言葉に、アルテリゼは己の両手の平を見ながら言う。
「私が、理想を願ったから、部隊の皆は犠牲に……死んでしまいました。」
今でもあの時の炎の色を、炎の熱さを、鮮明に思い出す事が出来た。
「なのに、私はのうのうと生きています。軍国の上層部も、十家も、獣人族の皆さんの犠牲の上で暮らす国民達も……」
ゲイルに抱えられ逃がされる時の、自分を庇って死地に向かう仲間達の背中を、忘れることはできなかった。彼らを死地に追いやったのは、軍国と自分だった。
「お父様も、お母様も、部隊の皆も、理想も、努力も、積み上げた功績も……全て軍国は奪い、踏みにじった。皆は死んだのに、なぜ私はまだ生きているのですか!?」
全てを奪った国が憎かった。だがそれ以上に、己が憎く、許せなかった。
「私は、私が許せないッ!!」
ハーシェリクはその姿が痛ましかった。彼女は表面ではずっと微笑みを浮かべていても、心はずっと己を責め続けていたのだ。
「……それは、あいつらがそれを望んだからだ。」
ゲイルの言葉に、アルテリゼは掌から彼に視線を向ける。
「部隊の皆はアルテリゼに救われた。」
彼女が来るまでは、戦闘奴隷部隊の帰還率はよくて七割。無茶な作戦で一度に半数以上を失ったこともあった。昨日まで話しをしていた仲間が、翌日いなくなることは普通のことだった。
だがアルテリゼは指揮官となり、作戦を指揮し始めてからの部隊の帰還率は最低でも九割。無傷と行かずとも、全員が帰還することもあった。
「おまえはいつも、俺達が生き残ることを最優先に考えた策を打ってくれた。」
彼女が来る前までは考えられなかった。人間が奴隷である自分達のために、夜を徹して知恵を絞り策を練り、それを用いてくれるとは思ってもみなかった。だが彼女は言ったのだ。国を変えると。それがどれほど奴隷達とって希望の光だったのか。
「だから俺達は、アルテリゼ、お前の為なら、命なんて惜しくなかった。」
「……そんな、私は……」
結局国を変えることも出来ず、誰も守ることが出来なかった。そう言いたいのにアルテリゼは言葉に出来なかった。そんな彼女にゲイルは言葉を続ける。
「俺達はお前に復讐なんて望んでいない。お前が生きてくれさえすればいい。」
二人の間に沈黙が支配する。その二人を今まで口を挟まず、沈黙を守っていたハーシェリクが口を開く。
「……クレナイさん、人から心を託された者は、どんなに辛くても生きなくちゃいけないと私は思う。」
二人の視線が自分に向いたことを確認し、ハーシェリクは重々しく言葉を続けた。
「私は、真実を教えてくれた人を守れなかった。」
ポケットに入れてある銀古美の懐中時計をハーシェリクは服の上から握る。
「初めて好きになった人も守れず、目の前で死なせてしまった。」
そっと耳につけた赤銅色の耳を覆うイヤーカフスのようなピアスを撫でる。
そして一度目を閉じ、瞼の裏にいなくなってしまった人たちを思い浮かべ、そして瞳を開き、アルテリゼを見据える。
彼女は自分と同じなのだ。
「クレナイさん、例え復讐を遂げたとしても、みんなは戻ってこない……ココに空いた穴も絶対に埋まらない。」
そうハーシェリクは右手を自分の胸に置く。
大臣を打倒すれば少しは気持ちが晴れると思った。でも大臣が死んでも気持ちは晴れることはなかった。ただ胸に穴の開いたような空虚な感覚だけが残された。これはきっと自分の生を終えるまで、共にあるのだろう。
「アオに同じ思いをさせるの?」
アルテリゼの視線がゲイルに向かう。
「まだあなたは全て失ったわけじゃない。まだ、守れるものがあるはずだ。それは貴女も含めて。」
ハーシェリクの言葉にアルテリゼは顔を歪める。そして己を抱く。
「私は、私は……!」
「アルテリゼ。」
今にも崩れ落ちそうなアルテリゼを支えるように、ゲイルが彼女を抱きしめる。
「なぜ、ですか、ゲイル。」
ゲイルの逞しい体に包まれながらも、アルテリゼは問う。
「あなたは仲間を失ったじゃないですか……彼らが無駄死にさせたのは私なんです。私があなたの仲間を奪ったも同然なんです……」
「違う。アルテが奪ったんじゃない。あいつらがおまえを守りたかったんだ。」
ゲイルは即座に否定し、アルテリゼを抱く手の力を強める。
「あいつらは無駄死にしたんじゃない。無駄だなんて言うな。」
最期、仲間達はゲイルに言った。彼女を守ってくれと。
その言葉があるから、ゲイルは仲間の仇である軍国に復讐することではなく、愛する人を守ることをとった。
アルテリゼの手が、彼の深い青色の翼に触れる。
彼が大空を高く飛ぶ姿が好きだった。地上では奴隷として縛り付けられても、大空の彼は自由だった。その自由がもっとあればと願った。
「……鳥人は空を飛ぶことが喜びであり誇りだと、言っていたではないですか。なぜあなたは、それを捨ててまで、私のことを……」
彼が嘘をついていたと知ったのは、誘拐された王子を助ける時だった。翼を傷めた鳥人は魔法を扱う事は出来ない。それはアルテリゼも知っていた。鳥人の誇りを捨ててまで、彼が己を偽ってまで、人間である自分を優先してくれるとは思ってもいなかった。
「お前に比べたら、空なんて惜しくない。」
アルテリゼが己の信念よりもゲイルの命を守ろうとしたのと同じように、ゲイルもまた己の誇りよりもアルテリゼをとっただけだった。
ゲイルの言葉にアルテリゼは涙が溢れる。それはあの炎の海から逃げ出した時以来の涙だった。