第九章 真意と本心と青き翼 その二
テッセリの言葉の意味がわからず、室内にいる人物達の問うような視線を集めていたハーシェリクは、気を取り直すかのように一回手を叩く。
「さて、じゃあクレナイさんを連れ戻しに行こうか!」
そう仕切りなおすように言い、いつも通りの表情に戻った主。それがこの話題の終了を意味した。問うても答えがないことをいち早く理解したクロは、小さく肩を竦めると問題を提起する。
「だがどうする?」
さすがに彼女も無策では動いていないだろう。軍国へ行くための目途がたったからこそ、行動を起こしたと考えるのが普通だ。
「俺達が目を離したすきに……たぶん、あの宴の時間に軍国の人間と接触をしたのだろうな。それに偶然にも今日軍国の使者が出立する予定だったはずだ。」
普段、クレナイやアオが王城内を出歩く時は、筆頭の誰かが付き添っていた。それはクレナイやアオがいらぬ騒ぎに巻き込まれないよう配慮もあったが、彼らの監視も兼ねていた。しかし豊穣祭の最終日の宴、筆頭達は皆ハーシェリクの共のため、彼らから離れなければならなかった。また宴の時の警備は、大広間に集中した。クレナイが警備の目を掻い潜り、軍国の使者と接触することも可能だっただろう。
そこから予想すれば、既にクレナイは軍国の者と合流し、軍国へと向かっている、とクロは言う。クロの言葉にハーシェリクも同意せざるを得なかった。
「馬車で移動しているなら、さすがに時間が経ちすぎている。」
今からハーシェリク達が馬を用意して追いかけたとしても、すぐには追いつけない。それに今、城下町は豊穣祭で集まった人々が帰郷の為ごったがえしている状態。王都から出るだけでも、かなりの時間を要すだろう。
再び沈黙が支配する。だがそんな沈黙を打ち破る人物がいた。
「飛べばいいだろう。」
さらりとシロが爆弾発言をする。空気も雰囲気も一切読まない筆頭魔法士のシロは、さも当然のように言ってのけた。
「シロさん?」
「おまえ、飛べるのだろう?」
疑問符を浮かべる主の視線を答えるかのように、シロは視線をアオに向ける。その視線を受けたアオは、無表情ながらも戸惑いの光を瑠璃色の瞳に浮かべた。
「……なぜ、わかった。」
アオの困惑気味な声に、シロは面倒くさそうに瞳を眇める。
「鳥人にとって翼は魔法を行使するのに必要なものだ。もし本当に飛べないのなら、魔法は使えないはずだ。」
獣人族は長所特化型の種族。それは身体の構造が人間と違うからだ。鳥人の場合、魔法式を構築せずとも、人間が歩行するように、意識せず魔法を使い空を飛ぶことができる。それが鳥人の翼の役割である。ならアオが以前言った通り、翼を傷めて機能していないというなら、ハーシェリクが誘拐された時、魔法を使うことができないはずだ。だがアオは探索魔法も風魔法も使ってみせた。
なぜ彼が飛べないと偽っていたのか。ハーシェリクはその理由を一つしか思い当たらない。
「アオさん、もしかして飛べないと嘘ついたのは、クレナイさんを止める為?」
ハーシェリクの言葉にアオは一度目を伏せる。視線を床へと落したまま、アオは言葉を紡ぐ。
「……ああ。彼女がどういう行動を起こすかは、予想できた。」
彼女は軍師として天才だ。軍師として知識だけでなく信念を持つ彼女は、戦場でなら非情に徹することが出来る。
だがその反面、兵士を駒だと思わず仲間として接する彼女は情に厚い。だからこそ兵士達は彼女の為に実力以上の力を発揮し、戦を勝利へと導く。
戦に勝利する為に非情に徹す面と、仲間を大切に思いやる面。その二つの面を持つからこそ、彼女は『軍国の至宝』と呼ばれる天才軍師なのだ。
そんな天才軍師の彼女の家族は、十家に汚名を着せられ奪われた。家族とも思えた仲間を、軍国に裏切りにより失った。情の深い彼女は、軍国の行いを許すことをできないだろう。彼女は必ず軍国へ復讐を実行すると解りきっていた。
行くなと懇願したとしても、彼女は隙を見て祖国へと戻ろうとしただろう。それほど彼女の国への期待は大きく、裏切られた時の絶望と怒りも大きかった。
「だけど獣人族の入国禁止の国で、飛べない俺一人を残していくほど、アルテは非情なれない。」
彼女は己の復讐より、怪我して飛べない自分の命をとってくれた。死んでいった仲間達への罪悪感に苛まれながらも、己を優先してくれた事実にアオは、少なからず幸福を感じた。ただ戦い殺す為に生きていた奴隷の己を、彼女は選び大切だと思ってくれたからだ。
だが幸か不幸か、彼女はこの国で心の底から信じることが出来る存在を見出してしまった。
だから彼女は、自分を彼に託して、己の復讐を遂げる為に去った。
「アオさん、行こう。」
託された彼の力強い言葉だった。だがアオは視線を上げることが出来ない。
「クレナイさんを元へ。」
「……彼女は、望んでいない。」
続いたハーシェリクの言葉を、アオは首を横に振り弱々しく否定する。自分を残して行った事がなによりの証拠だった。無力な存在でしかない自分に、アオは首を横に振りつつも、拳を強く握る。
「そんなことないよ。」
アオの否定をハーシェリクはさらに否定した。その言葉につられアオは視線を上げると、新緑色の瞳が真っ直ぐと自分を見据えていた。
「なぜ、そう言える?」
「だって彼女は本音を言ったよ。『私も、貴方のように、あの方にお仕えしたかった。』って。」
アオの問いに、ハーシェリクは自信に満ちた声で答えた。
復讐だけを考えている人間から出る言葉ではなかった。つい零れ出た本心だったのだと、ハーシェリクは確信する。
「私は、助けると決めたらとことん助ける。クレナイさんがなんと言おうとね。」
相手の心情など知った事ではない、とハーシェリクは言い、そして問う。
「アオさんは、どうしたい?」
「俺は……」
思い出されるのは彼女の笑顔。彼女は特別だった。初めてあったあの日から、いつも気になっていた。彼女の知識は生を与えてくれた。彼女の策は仲間の命を救ってくれた。彼女の微笑みは安らぎを与えてくれた。彼女は奴隷という立場の己を受け入れてくれた。
彼女との十年が、脳裏で駆け巡る。アオの答えは一つしかなかった。
「……助けたい。」
それがアオの本心だった。強い眼光の宿った瑠璃色の瞳にハーシェリクは頷く。
「アオさん、飛ぶのに私くらいは運べる?」
アオが頷くのを確認し、ハーシェリクは視線をクロに向ける。
「クロ、私の剣を持ってきて。」
主の言葉にクロは一度目を見開く。ハーシェリクには己の背丈に合わせた剣を持っている。それは訓練用の刃を潰した剣ではなく、正真正銘の真剣だ。だが祭事を除き、主はその剣を求めたことはなかった。
「……わかった。」
クロは間を置いたが返事をし、すぐに剣を取りに衣裳部屋へと向かう。クロが持ってきた剣を腰に差しつつ、アオに頷いて準備完了を示した。アオは翼を隠していた外套を脱ぎ棄て、髪と同じ深い青色の翼を広げると、ハーシェリクを片手で抱き上げる。
「掴まっていてくれ。」
「わかった……他のみんなはどうする?」
アオに掴まりつつも、ハーシェリクは筆頭達に問う。
「問題ない。」
ハーシェリクの言葉にシロが言った。ハーシェリクは一瞬だけどう問題がないのか気になったが、彼がそういうなら問題はないのだろうと思い、ハーシェリクは頷く。
アオは窓へと近づき開け放つ。窓から風が進入し、室内の空気を一瞬で入れ替えた。
「おい。」
ハーシェリクを片手で抱いたまま、空いている手で窓枠に手をかけたアオにクロが声をかける。
「王城には上空にも結界が張り巡らされている。だが、東の塔より上の上空は、老朽によって破損していて結界が張られていない。」
「わかった。」
やり取りは短いが、アオは一瞬で理解し頷いた。
王城には結界が張られている。その結界に触れたらアオはもちろん、抱えられているハーシェリクも地面へと真っ逆さまだからだ。だからクロの助言は助かった。しかしハーシェリクはじとりとクロを睨む。
「……クロ、それは今度魔法局へ報告しといてね。」
王城の結界に綻びがあるのは大問題である。主の視線にクロは肩を竦めてみせるだけだった。
「じゃ、行こうかアオさん!」
「……さんはいらない。」
アオの短い言葉。だがそれに返事するよりもハーシェリクは重大なことに気が付いた。
「いや待てよ、行くということは飛ぶってことで……」
ハーシェリクは前世から車に酔い易い性質である。さらに言うなら、絶叫マシーン系は金を貰っても乗りたくない人間だった。
アオがハーシェリクの自室の窓、高さにしては三階の窓から飛び降りた。翼を広げ、風魔法を発動し急浮上し、一瞬で誰にも気が付かれることもなく王城を見下ろす上空へと到達すると、クロの言われた通り東の塔の上を通り、王城を後にすると、さらに高度を上げた。
その間、ハーシェリクは声にならない悲鳴を上げていたことはいうまでもない。
だが翼を広げ空中で浮かんだままとなり、周囲を窺うアオにハーシェリクは彼の服をしっかりと掴む。
「どうやって、クレナイさんを、見つけるの?」
眼下に広がる王都を見て、震えそうになりながらも、ハーシェリクは問う。あれからかなり時間が経ってしまった。軍国方面にいったことは解ってはいるが、道順は一つではない。いくら飛べるといっても、宛がなく飛んでは意味がない。
「方角さえわかれば、問題ない。」
心配するハーシェリクにアオは力強く言った。
「俺の眼は、どんなに距離が離れていても見ることができる。森に潜む子鼠一匹でも、見つけ出せる。」
そう言ってアオは視線を軍国のほうへ向ける。
アオの持つ遠方を見通す能力を『望遠能力』といった。獣人族の中でも鳥人、その中でも希少な能力である。彼の眼なら藁の中に落ちた針でも、砂浜に落ちた一粒の砂金でも見つけることが出来る。
さらに彼の風魔法は探査能力に特化していた。クレナイは天才軍師だった。だがアオのこの情報収集に関する能力の高さが、彼女の策を支えていたといっても過言ではない。
待つこと数十秒、ハーシェリクは自分を抱えている手に力がはいったことにより、彼が目標を発見した事を知る。そして落ちないようにアオの服を掴んだ。
「……掴まっていろ。」
アオはハーシェリクを抱えたまま、秋晴れの青い空を翔けた。
窓から飛び出して行った二人を見送った三人。出かける準備をしようと、主の部屋と唯一繋がっている自室へと続く扉に向かうクロに、シロは疑いの視線を向けた。
「おい、シュヴァルツ。なぜその場所の結界が綻んでいると知っている?」
結界とはいっても無色透明で色がついているわけではない。ある程度実力のある魔法士なら調べることは可能だが、シロはクロの魔力は並みでも、彼が魔法士並みの技術を持っているとは思えなかった。
「やはりその瞳は……」
タツがそういうのと同時に、クロが己の自室の扉を開け身体を滑りこませると、扉を閉めた。それは拒絶だった。
その様子にシロはふんと鼻を鳴らす。己にも知られたくない過去があるように、彼にも知られたくない過去もあるのだろう。シロがちらりとみれば、その過去の片鱗を知っていそうなタツが困惑した表情で、閉まった扉を見ていた。
(まあ、どうでもいいか。必要になれば向こうから話すだろう。)
元々シロはハーシェリク以外の者にはさほど興味がない。それに人の嫌がる過去を暴く下種なことなどしようとも思わない。
「とりあえずハーシェ達を追うか。」
「しかし魔法士殿、どうやって?」
シロはタツの言葉に傾国の美女を思わせる微笑みを見せた。