第九章 真意と本心と青き翼 その一
自室の扉がノックされる音が響いた。ハーシェリクは視線をクロに向けると、執事は主の言葉を聞かずとも対応する為に、扉へと向かう。そして扉を開き、その人物を目を開くと、来訪者を招き入れた。
姿を現したのは厳しい表情をしたテッセリと、彼の筆頭騎士タツだった。
「ハーシェリク。」
愛称ではなく、名を呼ばれハーシェリクの背筋が伸ばす。そして真っ直ぐと兄に向き合った。
「テッセリ兄様、なぜこちらに?」
その理由について検討はついていた。だがそれでもとぼけるようにハーシェリクは問う。弟の言葉にテッセリは普段の温和な表情とは真逆の、射るような視線を向けた。
「なぜ、じゃない。君の筆頭騎士が血まみれで戻ってきたんだ。城内大騒ぎだよ。」
先ほどの兵士は口止めしたが、その前の時点で騒ぎになっていたのなら、口止めも無駄骨となってしまった。
表情が強張るハーシェリクに、テッセリは深いため息を漏らした後、呆れかえった口調で言葉を続ける。
「まったく、だから俺は気を付けないとだめだって言ったんだ。」
「……兄様は、二人の事を知っていたのですか?」
まるで予見していたかのような言いように、ついハーシェリクは恨みがましい声を上げてしまう。そんな弟にテッセリは厳しい視線を一転、苦笑しつつ答えた。
「ちょっと違うかな。予想をしていたが正しい。でもそれはハーシェも解っていただろ?」
兄の言葉にハーシェリクは詰まる。
兄が言うとおり、ハーシェリクも二人の存在について、見当がついていた。しかし、国外へ逃がすだけなら不要と彼らを言及しないと判断したのは、己だった。その判断が間違っていたとは思わない。しかし今回の事態を招いているといっても過言ではない。
ハーシェリクは己の甘さを苦々しく思う。
苦虫を噛み潰したような表情をする弟に、テッセリはため息を一つ貰うと口を開いた。
「俺がなんで諸外国を回っていたか知ってる?」
「留学だと……」
突然変わった話題にハーシェリクは戸惑いつつも答える。その答えにテッセリは頷いてみせた。
「うん、表向きはそうなっているね。まあ、最初は他国の知識を学ぶための留学だったから間違いではない。でも、外から王国をみてわかった。」
それは三年ほど前の話だった。学院では王国内のことしかわからない。だから外へと学びにでたのだ。だが外から見て、王国の歪な現状に気が付いた。そして他国から『憂いの大国』と称されていることにも。
「だから俺は伝手を作る為に多くの国を回った。バルバッセを凌ぎ、やつを追い込む為の力を手に入れる為に……ま、それも徒労に終わって今は有効利用しているけどね。」
自分が周囲を固める前に、ハーシェリクが大臣を討った為、徒労に終わった。だがその伝手は今の王国において、とても重要になった。豊穣祭に招いた国々の内、王国と敵対するほどではないが、友好とはいえない国もあった。だがそれをテッセリは己の伝手を駆使し、招待にこぎつけたのだ。おかげで今回のことを覗けば、向こう何年か王国は周辺諸国に対して怯えなくてもいい状態になった。
そしてその伝手で仕入れた軍国の内部事情。軍国が躍起になってとある軍師の行方を追っているという情報だった。軍国内では生死問わず、その軍師が指名手配されていた。
さすがに容姿や名前までは仕入れることはできなかったが、時期を照らし合わせれば、ハーシェリクがつれて来た二人については簡単に予想ができた。
「彼らの事情を聞いたらハーシェは彼らを助けるでしょ?」
「事情を聞かなくても、彼らが助けを必要なら、私は手助けします。」
「はあ……だから、気を付けないとだめだっていったんだ。」
迷いなく言い切る弟に、だから教えなかったんだと続けつつ、テッセリは深くため息を漏らす。
「これは軍国との問題に発展する可能性もあるんだ。それはわかっているよね。」
「……はい。」
もし王国が軍国で指名手配中の人物を匿っていたと知られたら、国際問題に発展するとハーシェリクも解っていた。それにもし王国が「軍国の至宝」とまで言われた軍師を手に入れたとしたら、軍国は黙ってはいないだろう。
ハーシェリクが彼らに追及しなかったのは、彼の甘さもあったが、いざという時に言い逃れをするために、互いの為に二人には言及しなかったというのもある。
「ハーシェリク、君はこの国の王子だ。」
ハーシェリクは沈黙する。珍しく口を開かない主に、筆頭達は不審な視線を送ったが、主はその視線に応えようとはしなかった。そんな彼にテッセリはさらに言葉を重ねる。
「もう一度言うハーシェリク。君はこの国の王族だ。誰がなにを言おうと……君がなにを言おうと、君は今、その地位いることは俺が言わなくても、君が一番理解しているはずだ。」
あえてそのことを強調していう兄の言葉に、ハーシェリクは何も答えることができなかった。言うべき言葉が見つからなかった。
「俺達が一番に考えなくてはいけないのは、この国の安全だ。この問題は下手をすれば両国の戦争に発展しかねない問題。嫌な言い方をするならたった二人の、しかも他国民の命を救うために、王国の安全を脅かすことはあってはならない……ハーシェリク、それでも君は彼らを助けたいのかい?」
テッセリの問いは、既に過去己に問いかけたものだった。
父と話したあの夜、最悪の予想をした時、己に問いかけたものだった。
自分はこの国の王子だ。兄のいう通り優先すべきはグレイシス王国であり、王国の民だ。もしこれで軍国との関係が悪化し開戦となった場合、平和への兆しが見えてきた王国を、再度混乱へと叩き落とすことになりかねない。
だがそれでも、ハーシェリクの答えは決まっていた。
「もちろんです。誰がなんと言おうと、どんな手段を使おうと、私は彼らを助けます。」
テッセリを正面から見据え、ハーシェリクは言い切る。
確かに優先すべきは王国だ。だが王国を理由に、彼らを助けないというのは言い訳でしかない。助けを求められ、手を差し出されたのに、それを己の保身の為に振り払うことをハーシェリクは出来ない。
ハーシェリクは全てを助けたい。全てを手に入れたい。そして己を偽ることはしたくない。人の為だと綺麗事は言わない。全ては己の願いと野望の為万全を期す。それがかつて己に誓ったことだった。
視線を外すことなく言い切った弟に、テッセリは深くため息を漏らすと、厳しい表情を一転、目じりを下げた。
「……わかーった!」
ハーシェリクの真剣な眼差しに、テッセリは両手を軽く上げて降参の意を示し、弟の淡い色の金髪に手を置いて、勢いよくかき回す。
「もうしょうがないな! お兄ちゃんも手を貸す!」
「て、テッセリ兄様?」
先ほどまでの雰囲気を一変させあまりにも軽い言いように、ハーシェリクはテッセリにされるがまま頭を撫でられ目を白黒させる。
もっと非難されると思っていたのに、現実は予想の斜め上を言った。
「ん?」
弟を解放しテッセリの優しげな鳶色の瞳が、混乱していて表情の定まらない弟を映した。
「いいの、ですか?」
薄い桃色の髪を揺らし、首を傾げるテッセリにハーシェリクは問う。そんな弟にテッセリはやれやれと肩を竦めてみせた。
「だってハーシェは助ける事絶対諦めないし……それに彼らを背負う覚悟も出来ているんでしょ?」
その言葉にハーシェリクは間を置かず頷いた。その様子に小さくテッセリはため息を漏らし、苦笑を浮かべる。
「なら、俺が何言って無駄だし。」
テッセリは兄達から聞いていた。ハーシェリクはその見た目に反して、かなりの頑固者だと。でなければ、あの大臣を倒すことなどできなかったのだろう。既に心決めてしまった彼の心を変える術を、テッセリは持ち合わせていない。なら、協力して被害を最小限に抑えることが得策だと思えた。
「それに君のことは、君のお母上から頼まれているからね。本当に君はあの人にそっくりで嫌になる。」
「母様?」
テッセリは頷くとかつて姉のように慕っていた人物を思い出す。
王城の金色の姫と例えられた寵姫は、王からだけでなく王妃や側室、そしてその子供達からも愛され慕われていた。ただテッセリは当時末弟であった為、彼女に子供が出来た時、大好きな姉を取られたような気持になったテッセリは反抗期に入った。
周りがどう諭しても、テッセリのふて腐れた態度は続いたが、当の寵姫だけは笑っていった。
「テッセリお兄ちゃん、赤ちゃんの事よろしくね。」
ふて腐れても日を明けずに会いに来るテッセリに、寵姫はいつもそう言って微笑んでいた。思え返せば、寵姫は赤子を産むと同時に己の命が危ういということを理解していたのかもしれない。
そしてハーシェリクが生まれ、寵姫が死に、そしてテッセリが弟から兄になった日、テッセリは寵姫との約束を守ることを誓った。
何があってもハーシェリクを守る事、そして味方でいることを。末弟を守る為に国外へ飛び出し、いろんな知識を吸収した。全ては弟と、弟のいる国を守る為だった。
「だから僕は無条件で君の味方。ま、これは兄上達も同じだろうけどね。」
父も兄達もこの末弟が何をしでかすか、気が気ではないはずだ。だがそれ以上に、彼を愛していることも間違いない。結局、家族はなんだかんだいいつつハーシェリクには甘いのだ。
「さて、ハーシェリク。僕はそろそろまた旅に出ようとおもっているんだ。」
手を一度叩き、テッセリはにっこりを微笑んでみせる。
「行先はパルチェ公国方面……宴でパルチェから来た使者と話していただろう?」
「テッセリ兄様!」
テッセリの言葉にハーシェリクは驚きつつも、その顔は喜色に染まる。
ハーシェリクは今回の豊穣祭で、各国の要人の接待や面会をほとんどしていない。だが一人だけ、パルチェ公国の使者とは、あの宴の席で面談をしていた。
パルチェ公国には前回の戦で、とあることを極秘裏に協力をしてもらった。その礼を兼ねて今回の豊穣祭ではパルチェ公国の商人に関しては、関税の一部免除など優遇処置をした。その使者が挨拶をしたいという申し出を受け、さらにこちらからも一つお願いしていたのだ。
パルチェ公国は海洋国家。その取引先の国にはもちろんルスティア連邦もある。パーシェリクは公国を経由し連邦へ二人を届けて欲しいとハーシェリクは使者、と見せかけて実は公国の衆議院代表の男に話を通していたのだ。
二人だけでも問題はない。だが身分がしっかりした兄のお供とすれば、二人の身の保障は確約されたといっても過言ではない。
「お供に後二人くらい欲しいなって思っていたんだ。いい人、紹介してくれる?」
テッセリはそれを知った上で申し出た。テッセリの側にいれば、国境を越える時も下手に小細工しなくて済む。
「……ありがとう、テッセリ兄様。」
ハーシェリクの礼の言葉にテッセリは微笑んで頷いた
「どういたしまして。あとは父様にも協力してもらおうかな。そろそろ国も変わらないとね。」
テッセリの意味深の言葉をハーシェリクは理解し頷く。そんな弟にテッセリは言葉を続けた。
「ハーシェ、他の懸念事項の対処はそちらでうまくやるように。彼らをちゃんと連れてくるんだよ。」
「はい!」
「じゃ、俺は父様のところにいってくるよ。君の筆頭騎士は無理させられないだろうから、タツを貸すよ。タツ。」
弟の元気のいい返事に満足しつつ、テッセリは背後に控えた武士に話しかける。タツは手にした太刀を持ち、頷いてみせる。
「承知。」
「じゃ、また後で。その時は二人を正式に紹介してね。」
己の筆頭騎士の返事を確認し、テッセリは踵を返す。そしてハーシェリクの自室から廊下へ出ようと扉のノブに手をかけたようとした直前、足を止め、ハーシェリクに背中を向けたまま話しかけた。
「……ハーシェ。」
「テッセリ兄様?」
訝しむハーシェリクに、テッセリは静かな、だがどこか悲しみの籠った声で続ける。
「俺は、あの願いは認められない。」
沈黙が部屋を支配する。筆頭達は話が分からず、互いに顔を見合わせ、主の表情を窺うしかできないでいた。鼓動にして十拍。その沈黙を破ったのは、ハーシェリクだった。
「テッセリ兄様、それでも私は……」
重々しく開かれた口は、その先を言葉にすることはなかった。そんな弟に何度目かわからないため息を漏らし、テッセリは首を横に振る。
「……いいよ、また話そう。」
そしてテッセリは扉のノブに手をかけて開くと、部屋を後にしたのだった。