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第一章 王子と秋空と邂逅 その一



 大地が豊かに実り潤い、動物達が迫りくる寒さに備える為に肥、人々も大地の恵みに感謝する季節がグレイシス王国に訪れていた。

 王国の城下町は豊穣祭を約二週間後に控え、賑わっている。皆が笑顔で祭りの準備を進めているが、その笑顔は決して祭りを楽しみにしているだけではない。


 大陸北部に位置するグレイシス王国は、周辺諸国から『憂いの大国』と呼ばれていた。国土は大陸随一とはいえ、国王は貴族の傀儡となり暗愚と化し、大臣を筆頭に貴族、高官達が政を支配専横し、国民達は圧政に耐えるのみだった。


 しかし『憂いの大国』と呼ばれたのは既に過去である。


 今年の春すぎ、アトラード帝国が国境を越え、グレイシス王国に攻め入った。王国はこれを迎え撃つべく遠征軍を派遣したが、帝国の策略により壊滅。十万の帝国軍は五千も満たない王国の国境砦を包囲した。勝敗は決したに思われた瞬間、遠征軍の総指揮官である第七王子が指揮し、壊滅したと思われていた軍二万が帝国軍十万に奇襲、見事敵司令官を捕縛し、国境の戦に終止符を打った。


 しかし第七王子の功績はこれだけでは留まらない。王子は戦から戻ると私腹を肥やしていた大臣の罪を公にしたのだった。その公にした罪の中には、先王とその王子二人が病によって亡くなったとされる『王家の悲劇』が、大臣による暗殺だったという国民にとっては衝撃的な事実が含まれていた。第七王子は動かぬ証拠を突きつけ大臣を断罪した。大臣は第七王子を人質にして逃亡を図ったが、暴漢に襲われ死亡。その後、大臣に加担し私腹を肥やしていた貴族及び高官達は、第七王子の独自調査により、証拠と共に残らず司法の場に引きずり出された。


 この国はいい方向へと変わる、そう誰もが思い笑顔が自然と零れる。彼を知る人は誰もが言う。第七王子のおかげだと。『光の英雄』がいるかぎり、グレイシス王国は安泰なのだと。





 天高く澄みきった秋の青空が窓の外に広がり、その窓を現実逃避するかのように眺める幼子がいた。

 太陽の光を紡いだような淡い色の金髪を耳は見え隠れする程度に揃えられ、耳についた赤銅色のイヤーカフス型のピアスが窓からの光に反射し光る。少女にも見える整った顔立ちには翡翠のような碧眼が嵌めこまれていた。ソファに腰かけ、突っ伏して両手を机に投げ出し、頬で机の天板のひんやりとした感触を感じつつ、視線は窓を見上げ欠伸を噛み殺す。もし誰かがこの場にいたのなら、注意をしただろう行儀の悪さだが、幸か不幸か室内には彼一人だった。


「ああ、いい天気だなぁ……」


 そう呟いたのはグレイシス王国第七王子ハーシェリク・グレイシス。先の帝国との戦いを終結に導き、巷から『光の英雄』と密やかに称えられている若干七歳のこの国の王子である。


 現在ハーシェリクの周りは片付いている、とはお世辞にも言いにくい状態だった。彼が突っ伏している空間を除き、周りには高低と差はあれ書類が積まれ、インク壺の周辺には跳ねたであろうインクが机を汚している。書類の山を掻い潜るように置かれた良い香りのする茶が入っていた白磁のカップは既に空で、それは彼が長時間この場に拘束されていることを物語っていた。


 ハーシェリクは青い空を見上げながら再度ため息を漏らす。


(なのに私は引き籠ってなにしているんだろう……)


 ぼんやりと空を眺めながらハーシェリクは内心愚痴った。


 この国を裏から支配していた大臣がいなくなって早三カ月が過ぎようとしていた。

 アトラード帝国との戦後処理も一息つき、大臣一派を初め、不正に関与していた貴族や高官達に証拠書類を突きつけて司法の場へと引きずり出し裁きも行われている。そのおかげで今まで政に携わっていた貴族や官吏達の席が虫食いのように空席になり、政務は混乱するだろうと安易に予想ができ、ハーシェリク自身も覚悟をしていた。


 しかし、その予想はいい方へ裏切られる。今まで大臣一派と綱渡りのような駆け引きをしてきたハーシェリクの父であり、国王のソルイエの執政は暗愚と言われた時とは雲泥の差で、優しげな風貌とは裏腹に仕事ではすこぶる有能だった。それはあの性悪古狸な大臣と長年付き合って潰されることなかったのだから、有能だろうとは思っていたが、上司不在となった各部署の人員整理をわずか二週間足らずで終えてしまった時は、ハーシェリクも舌を巻いた。


「でもこれは臨時的な処置だから、ある程度落ち着いたら、再度人員構成は考えるよ。」


 そう国王であるソルイエは苦笑を漏らしながら言った。いくら有能でも上に立つことに向いている人間か、そうではないかの判断は難しい。だから国政の混乱を避けるための臨時的な処置として、とソルイエは付け加える。


「それに、官吏の中でも貴賤に囚われる人間がいるからね……」


 そう憂い顔でソルイエは呟く。

 王城に勤める人間が、全て貴族なわけではない。学院を卒業した平民もいるのだ。管理の中には平民の成り上がりを気に食わない人間もいる。ハーシェリクにしては馬鹿馬鹿しいかぎりだが。


(エリート思考というやつかねぇ。)


 そうハーシェリクは過去を、生まれる前のことを思い出す。


 ハーシェリクは前世、早川涼子という名の三十五歳の誕生日を目前に控えたオタクな女で、日本という国のとある上場企業の本社勤めの事務員だった。

 大企業だった為在籍する社員は多く考え方も多種多様で、エリート思考な社員もいた。それに新卒採用と中途採用とは壁があり、派閥みたいなものもあったようだ。ちなみに涼子は短大卒の新卒で入社したが、いわゆるそういう厄介事には関わっていない。入社当初から激務だった為、「そんなアホなことしている暇あるなら仕事やれよ、ボケ!」と思っていたからである。その為、分け隔てなくそつなく接する涼子は、どちらの派閥から頼りにされたし、涼子自身も差をつけることがなかったのがその一因だ。


 当時は単なる平社員であり、そういう群れる事が嫌いだった涼子なら我関せずを通せたが、今はそういっていられない。仲良し子よしにしろとまでは言わないが、能力がある人間がエリート思考の差別主義な人間達に潰されることは国にとって百害あって一利なし。ただでさえ貴族だからというだけで優遇されるこの国で、その階級に胡坐をかいている人間も存在する。


 もちろん貴族だからこそ優秀な人間も存在するが、その逆も然り。


(意識改革が必要だな……)


 優秀な人間に貴賤は関係ない。それにハーシェリクは真面目で努力をする人間は報われるべきという考え方をする。確かに生まれは人と最初の立ち位置を決定しまう。だが、生き方によっては、その道筋はいくつも出来るのではないかとハーシェリクは考えた。


(こればかりは一朝一夕でできることじゃないな。)


 そうハーシェリクは結論付けると身体を起こし、肩の凝りを解すかのように首を左右に動かす。


(まずは目の前のできる事を、とは思うけど……)


 目の前の惨状にハーシェリクは深くため息を漏らした。


「私、今はまだ七歳だよね。来年やっと学院にはいるんだよね。」


 ついそう愚痴ってしまうハーシェリク。

 前世は三十五歳一歩手前で死んだが、今は来年の春から学院に入学予定という子供のはず。だが目の前の書類は、そんな年齢を加味されていない。


 目の前に広がるのは過去三十年……ハーシェリクの父であるソルイエが幼くして王に即位し、バルバッセが摂政として取り仕切り、ソルイエが成人してからはバルバッセが大臣となっていろいろとやってくれた間の資料の一部だ。


(これでもかって言うくらい出てくるわ……)


 ハーシェリクが遠い目をしてしまうのも、仕方がないことだった。

 バルバッセが死亡した為、表沙汰になっていなかった大臣自身やその取り巻きだった貴族の不正の証拠がわんさか出始めた。もちろんこれが見つからなくても、ハーシェリクは関係者を処罰できるような証拠品は集めた為罰するだけなら十分だ。だからといって、罪人を罰して終了とはならない。不正が行われたということは、その分国政が、国にいきわたっていないということなのだ。


 例えば治水のために予算が組まれたとする。だがその予算を横領されていたら、治水工事はどうなったのか、となる。その治水工事が手抜きだったら、それは洪水など大きな人災へと繋がる。そして残念なことにその可能性が高い、とハーシェリクは考えていた。


 早急に手を打たねばならぬ案件だが、現在グレイシス王国は大臣の死亡により乱れている状態。揺れる大国を他国は虎視眈々と狙っている。父もそれを補佐する兄達も多忙なのだ。過去三十年分の調査などやっている時間はない。ならその担当部署にまかせてはどうか、とも考えられたが、誰が己の部署の汚点を素直に申告するか。罰を恐れて隠蔽されたら意味がない。それに人員の再編でどの部署もてんてこまいの状態だった。


 だがやらねばいけない。ということで学院に入学していない、前の戦でうっかり前世の事務能力を披露してしまったハーシェリクが、延々の過去の資料を読み漁り、不可解な部分を調べ上げるという作業を進めている。


 とはいっても嫌々やっているわけではない。ハーシェリク自身、やりたいからやっているのだ。王族としての学業も手を抜かず、時間があれば過去の資料とにらめっこをする。


 だが自発的にやっている事だとしてもストレスはたまり、終わりの見えない作業はハーシェリクの精神を犯し、遠い目をさせるには十分だった。

 しかも三十年分というのはとりあえずの目安だ。必要に応じては更に時を遡らなければならないかもしれないし、今現在取り組まれている案件も軽んじることはできない。


「なんだろう、この胃がキリキリするカンジは、昔嫌と言うほど味わったぞ……」


 前世、頼られれば断れない性格だったハーシェリクこと涼子。しかもなまじ能力がある為、少々無理をすればこなせてしまうことが災いし、なにかと仕事を抱え込むことも多かった。その為ストレスで胃は荒れて一時期胃薬が常備薬だった。ストレス解消の為一人カラオケに行ったり、ゲームをしたりと発散したが、そんな方法がとれないこの世界で、ストレス発散方法は限られている。


(とりあえず、今日の分は終わったし……)


 今日は午前中に勉学も訓練もなく朝から書類とにらめっこをしていた。おかげで予定だった書類は精査済みの目印にハーシェリクの署名済みである。それに父にも兄達にも根を詰めるなと注意もされている。そしていつもなら側に待機する自分の過保護で口煩い腹心達も今はいない。


 ハーシェリクは銀古美の懐中時計を懐から取り出すと時間を確認する。時刻は午後三時よりも前だった。


「……おし、決めた。」


 ハーシェリクはにやりと笑うと、勢いよくソファから飛び降りた。





 

 それからしならくして控えめなノックが響いた。だが部屋の主からの返答はなく、再度ノックの音が響いたがやはり返答はない。


 返答を諦め扉が開き入室してきたのは、暗い紅玉のような瞳が印象的な、漆黒の黒髪を撫でつけ、仕立ての良い執事服を身に纏った青年だった。

 彼の名はシュヴァルツ・ツヴァイク。主からはクロと呼ばれるグレイシス王国第七王子の筆頭執事である。

 主が四歳の時より仕える彼は、国ではなくハーシェリクに仕える忠臣して知られている。主の影のように付き従い、その実力から『影牙の執事』と囁かれている。


 その忠臣の手には、幼き主の為に用意した茶器とお茶請けが持たれていたが、肝心の主の姿は部屋に見る影もなかった。そして主がいるはずの机の上には外出するという書き置きと、用意して欲しい資料の一覧表が残されていた。


 一瞬で状況を理解したクロはため息を漏らす。


「……逃げたな。」


 影のある整った顔立ちに、脱力感をにじませて彼は呟いた。



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