第八章 裏切りと天才と復讐 その一
豊穣祭をつつがなく終えたグレイシス王国。王都に集まっていた人々も帰郷すべく、帰途に付き、少々王都は祭りとは違う賑わいを見せる。
そしてハーシェリクが保護していた二人も、これに乗じて王都を出立しようとしていた。
「王子、お世話になりました。ありがとうございました。」
旅支度を終えたクレナイがハーシェリクに深々と頭を下げ、ハーシェリクは笑顔で応じた。
「いえ、こちらこそ助かりました。ありがとうございました、クレナイさん。」
彼女のおかげで、過去の案件調査も捗り、来期以降の計画立案の指示も早いうちにできそうだった。
機嫌よくいうハーシェリクに、クレナイはいつも通り微笑んで見せる。
「じゃ、俺は先にクレナイさんを送ってくるから。」
和やかな雰囲気の二人に、簡素な平服の上にフードつきの外套を羽織ったオランが言った。
「うん、よろしく。」
オランの言葉にハーシェリクは頷いて見せる。
予定ではクレナイとアオは別々に出発し、王都の外でハーシェリクが手配した商人と落ち合うこととなっていた。なぜ別々に行くかというと、もし問題が起った時に二人一緒だと対処しきれないかもしれないからだ。
アオは時間をおいて、クロとともに人通りの少ない道を選び合流することとなっている。
「大丈夫だろうけど気を付けてね、オラン。」
「任せとけ。」
ハーシェリクの言葉にオランはにやりと笑って答える。そんな彼らを見守るクレナイに、アオが近づき、彼女の手をとった。
「また、会えるな?」
彼女の手を握りながらアオが確認をする。感情が乏しい彼にしては、不安げな声音だった。そんな彼にクレナイはいつもと変わらない微笑みで頷いた。
オランに促されてクレナイはアオから離れる。そして再度、ハーシェリクに頭を深々と下げた。
「王子、彼をよろしくお願いします。」
ハーシェリクは頷く。その時、ハーシェリクはその言葉を深くは考えなかった。だがその言葉の真意を知るのは、後のことだった。
人でごった返す大通り。周囲に注意を払いつつ進むオランは、外套が引っ張られて歩みを止めた。振り返れば、同じく顔を隠すためにフードつきの外套を来たクレナイが俯いている。
「クレナイさん、どうかしましたか?」
「ごめんなさい、暑さと人に酔ったみたいで……」
オクタが問えばクレナイは、弱々しい声で答えた。
彼女の言葉を証明するかのように、彼女の顔色は悪く、吐き気を堪えるかのように眉間に皺を寄せ、口元に手を当てていた。
確かに今日は秋だというのに雲一つない快晴で、夏のように暑い。その中、顔を隠す為とはいえフードつきの外套を着ていたら、普段から鍛えているオランなら兎も角、女性には辛いだろうと思えた。
「では裏道をいきますか。」
オランは彼女を促してすぐに脇道に入る。
だが人通りの殆どない脇道に入って数分歩いた時、背後でどさりと音がした。オランが振り返ると、クレナイが建物の壁に寄り掛かる様にずるずると倒れていくところだった。
「クレナイさん!?」
慌ててオランが駆けより、膝をついて彼女を支えようと手を差し伸べる。だが次の瞬間、クレナイの掌がオランの目の前にかざされた。その掌には金の台座に青い宝石の嵌った首飾りが揺れ、クレナイの魔言が耳に届いた時、オランは己の失態を知る。
オランが距離を取るよりも早く、青い宝石が輝きを放つ。その輝きから目を庇うように腕をかざしたオランは、急な眠気に襲われ、身体のバランスを崩し、肩を壁に強か打ち付けた。
本来ならその打ち付けた痛みで目が覚めそうなものなのに、より深い眠りに誘われるかのように瞼が重く、眠気に抗いがたい。
(やら、れた……)
内心オランは毒づきつつ、己が操作系魔法にかかってしまったことを自覚する。
元々オランは己の魔力が高くないことを自覚している。ハーシェリクのように皆無ではない為簡単な初歩魔法なら使えるが、操作系魔法に抵抗するには心もとない程度の魔力だ。しかし騎士であるオランは、魔法士が魔法を行使するよりも早く相手を戦闘不能にすることが出来るし、操作系魔法は対象者の精神力によって成功率が大幅に左右する魔法な為、致命的な弱点とは言えない。並みの魔法なら、オランでも己の精神で抵抗も出来たはずだ。
だが今回は少なからず信用していたクレナイから完全に不意を突かれたのと、自分のなけなしの魔力を無視するほどの強力な操作系魔法が行使された。
「クレ、ナイ……さ……」
襲いくる眠気、遠くなる意識、重くなる瞼を気合いで抗い名を呼ぶ。クレナイはまだ意識のあるオランに驚きつつも、膝をついたままの姿勢で彼に話しかけた。
「申し訳ありません、オクタさん。これは対象者を眠らせるだけの催眠の魔法です。身体に害はありません。」
「なに……を……」
考えている、という問いは最後まで口にすることはできなかった。しかし彼女はそれを理解してか、困ったように微笑む。
「彼を……ゲイルをよろしくお願いします。私にはやるべきことがあります。」
初めて聞く名にオランは疑問が浮かんだが、それよりも手を伸ばし彼女を捕まえようとする。しかしオランの手が届く前に、クレナイは立ち上がり離れた為、伸ばされた手は空を切った。
「ま……」
「私も……」
それでも引きとめようとするオランの言葉を遮るように、クレナイは言葉を紡ぐ。その彼女の表情はいつもの朗らかな笑みでも、困った表情でもなく、今にも泣きそうな微笑だった。
背中を向け足早に去っていくクレナイを、オランは歪む視界で見送る事しかできなかった。
思うように動かない身体と、まるで押さえつけられるかのように圧迫される意識……瞼を閉じれば楽になることはわかっていた。
オランは唇を噛む。痛みが一瞬だけ意識を鮮明にし、口内に血の味が広がった。だがすぐにその意識を奪おうと眠気が襲いくる。
オランは躊躇わなかった。即座に携帯していたナイフを抜くと、己の腕に切りつけた。
クレナイはオランを路地裏に残し、一人目立たぬよう裏道を進む。そして約束の場所にあった馬車に乗り込み席に座ると、フードを外した。
「おまたせいたしました。」
そう対面して座る人物に微笑みつつ話しかける。
「ああ、かなり待った。追っ手は?」
話しかけられた人物、トーマス・ローゼホームは大仰に頷いて問う。クレナイは気分を害した様子もなく、微笑みのまま首を横に振る。
「問題ありません。」
「……では行こうか。」
表情を崩さない彼女にトーマスはなにも言わず、馬車を発車させた。
その知らせを受けた時、ハーシェリクは自分の血が音を立てて引いた気がした。
兵士達に支えられて部屋に戻ってきた己の筆頭騎士に、ハーシェリクは駆け寄る。
彼の片腕には布が巻かれていたが、赤がその面積を時間と共に広げていた。その赤は彼の体液だということは一目瞭然だった。
「オラン!?」
「悪い、油断、した……人払いを……」
駆け寄ってきた自分の主に、椅子に座らされたオランは弱々しく答える。オランの言葉にハーシェが指示するよりも先にクロが動く。クロはオランを運んできた兵士達に他言無用ということを言い聞かせつつ追い出し、すぐに救急箱を手にオランの側に膝をついた。
「すぐに怪我の手当てをしないと……」
血の気が失せ青くなったハーシェリクの言葉を聞きつつ、クロは真っ赤に染まった布をはぎ取る。そして切り口を見て、オランの顔を見た。
「自分でやったのか。」
切り口が綺麗だったこと、重要な血管は避けられていたこと、さらに利き腕や足ではなかったことからクロが断じた。
「痛みがないと、意識が……」
そう言いつつオランは浅い呼吸を小刻みに繰り返す。その様子に今度はシロが近寄った。
「催眠の魔法か。」
「シロ、解除は出来ないの?」
手をかざしオランにかけられた魔法を探ったシロに、ハーシェリクはやや慌てた声で問う。
「既に精神に作用している魔法を、強制的に解除することは危険を伴う。それに私は精神操作系の魔法は……」
秀麗な顔を歪めてシロはその先の言葉を濁した。それでハーシェリクは察する。
シロにとって精神操作系の魔法はトラウマなのだ。過去、信頼していた者から長期的に記憶改竄され、支配されかけたのだから。だからシロは自ら好んで操作系魔法を使用することはない。
「……だが、魔法効果を妨害することは可能だ。」
まるで自分が殴られたかのように顔を歪めるハーシェリクの様子に、シロは小さくため息を漏らすとオランの額に手を置き魔言を唱える。純白な髪が淡く紫色に輝きだすと同時に、オランの荒い呼吸が幾分か穏やかになった。
「手当てをする。我慢しろ。」
「……遠慮、なくやれ。痛みがないと、意識を保てない……」
クロが止血用の布を取り出しオランの腕に巻きながら言うと、オランが額に脂汗をかきながらも答える。
「オラン、私の手を強く握っていいから。」
ハーシェリクがオランの利き手を掴む。
クロが素早く血管を圧迫するように腕の付け根部分を縛り、そのまま腕の手当てを行う。シロは魔言を唱え続けているが、眉間の皺はいつもより多かった。
ハーシェリクはオランが己の手を強く握る痛みに耐えながらも、ただ見守るしかできなかった。
「ハーシェ……」
シロの魔法が効いていても、辛いのだろう擦れた声を出すオランに、ハーシェリクは自分の存在を示すかのように、彼の手を握る。
「オラン、手短でいい。状況説明を。」
本来ならすぐにでも休ませたい。だがそれは許されない。己を傷つけてまで魔法に抵抗し、報せにきた彼の行動が無駄になってしまうからだ。
「クレナイ、さんが……」
途中何度か催眠の魔法に抗うかのように眉間に皺を寄せるオランは、途切れ途切れながらもあったこと全て報告をする。
クレナイが己に魔法をかけたこと。そしてそのまま姿をくらませたこと。別れ際、彼女が普通ではなかったことを。
「すまない。」
四人の様子を、距離を取って見ていた……見ている事しかできなったアオが口を開いた。
「アオさん。」
オランの手を握ったまま、ハーシェリクは彼に視線を向ける。アオはその視線から逃れるように、己の視線を伏せつつ言葉を続けた。
「その魔法は眠りに抗えなくなるだけで、身体に害はないと聞いている。」
それは過去、魔法が得意な仲間が護身用に彼女に持たせたものだった。短い魔言で発動するその魔法具は、その発動の速さと即効性が売りだと仲間は言っていた。
「……ゲイルとは、やはり、あんた、か。」
オランはクレナイが発した名を口にする。オランの言葉をアオは否定しなかった。
「本当にすまない。」
それだけ言ってアオはその場に立ち尽くす。
「……アオさん、そのすまないという言葉は、やはり彼女が『軍国の至宝』だからですか。」
オランの手を離し、ハーシェリクは立ち上がる。そしてハーシェリクから出た言葉に、アオははっと顔を上げた。
「知って、いたのか?」
「すみません、調べさせてもらいました。あなた達二人には、不自然な点が多かったので。」
二人に感じていた違和感。ハーシェリクはそれがどうしても気になり、クロに調べてもらった。そして軍国で内紛があり、『軍国の至宝』と呼ばれるほどの天才軍師が指揮する部隊が壊滅、その天才軍師は行方知れずとなっている裏情報をクロは手に入れてきた。
その時期は彼らが現れた時期と合致したし、もし彼女が軍師という職にあったのなら、彼女の事務的な能力の高さも納得できた。それに偶然だが、自分の誘拐事件で彼女の軍師としての才の片鱗も見た。
二人はなんらかの事情で軍国から逃れ、王国に逃げ込んだのだろう。『軍国の至宝』とまで言われる軍師を、軍国がそう易々と出奔させるとも考えられなかった。獣人族をつれているなら、逃亡先は連邦だと安易に想像がつき、軍国は連邦との国境に待ち構えるだろう。そして『軍国の至宝』とまで言われた天才軍師なら、そのことを手に取る様にわかっただろう。彼らに残された選択肢は、軍国の予想を裏切り、王国へ向かうしかない。
「この国を出て何事もなく連邦へ向かうのなら、なにも言うつもりも追及するつもりもありませんでした。」
彼らが言いださないのなら、沈黙していようと思っていた。それが互いの為だと思ったからだ。
「だけど、こうなった以上話してくれますね?」
静かな、だが有無を言わせないハーシェリクの言葉にアオは瞳を閉じ数拍沈黙した後、覚悟を決め瞳と口を開いた。
「俺の本当の名はゲイル。軍国の戦闘奴隷部隊の隊長だった。そして彼女は奴隷部隊の軍師、アルテリゼ・ダンヴィル……『軍国の至宝』と言われた天才軍師。王子の言うとおり、俺達は軍国から逃亡してきた。」




