第七章 豊穣祭と御前試合と宴 その二
司会進行役が舞台から降り、オランとタツは対峙する。
「タツさん、よろしくお願いします。」
そうオランは言って頭を下げると、剣を鞘から引き抜いた。剣といっても真剣ではない。刃は潰されている為斬れることはないが、それでもまともに攻撃を受ければ骨が砕かれるくらいの殺傷能力はある。
「こちらこそ、いい試合をしましょうぞ、おくた殿。」
少々喋りに違和感があるのは彼がこの大陸の者ではないからだ。この大陸は黎明の時代に聖人フェリスが大陸統一を果たした。その時に言語も統一された為、大陸内は共通語である。
しかしタツは陽国の出身の為、共通語と似たところもあるが違うところもあるらしく、大陸に渡ってきた当初は言葉に苦労した、とオランは彼から聞いていた。自分の名前も発音が難しいらしく、オラン自身も自分の名を呼ぼうと挑戦した後にタツが「まことに申し訳ない……」と大の大人が肩を落としていた。
彼の人柄に好印象を覚えるオランだが、彼の剣技や実力にも興味があった。今日までに、打ち合わせがてら何度か剣を交えたが、本気にならずとも彼が実力者だとはっきりとわかった。
剣を構えると隙がなく静かだが、糸を張り詰めたような緊張感があった。一度動き出せば荒ぶる炎の如く怒涛の攻めが襲いかかる。打ち合わせでは両者本気を出していないのは重々承知している。
彼が礼をして構える。剣を鞘から抜かないのは、彼が居合術を基本としているからだ。
お互い開始の合図があっても動かない。正確にいえば動けないが正しい。二人の緊張感が周囲に感染し、ひしめき合う観客席も静寂が支配する。
オランはゾクゾクとした感覚と共に己の高揚感を感じていた。目の間にいる人物は強い。強者と戦えることは武人として喜ばしいことだ。
かつてオランは死線を潜り抜けてきた。
薬により狂ってしまった聖騎士達との乱戦。帝国との戦いで大多数の軍への突撃。その時の高揚感と緊張感は、今でも思い出せる。そしてその時以上の期待が、今目の前の武人に集まっていた。
先に動いたのはオランだった。剣を構えタツに正面から突っ込む。タツはオランが間合いに入った瞬間、抜刀する。だがそれはオランを捕えることはなかった。オランはタツが抜刀した瞬間、急停止しその斬撃を紙一重で躱すと、再度間合いを詰める。だがタツもそれを読んでいた。抜刀した剣を返し、彼の頭の狙いを定め振り下ろす。
しかしオランも読んでいた。振り下ろされた剣を己の剣の腹で受け流し、そのまま無防備となった胴を狙う。だがタツは慌てずに背後に飛んで間合いをとった。
一瞬の息をつく間も与えない攻防と駆け引き。観客たちは一拍置くと歓声を上げた。
だが二人には周りの雑音は聞こえていない。すぐにタツが次に攻撃をしかけ、オランが迎え撃つ。剣と剣が重なり音を上げ、火花を散らす。
何度か攻守が入れ替わり、舞台の上を縦横無尽に駆ける。延々と続くと思われた試合は、急遽終わりを告げた。
オランがミスを見せかけ相手の攻撃を誘い、タツもそれを承知の上で剣を一閃する。
二人がぴたりと動きを止めた。
オランの剣はタツの頭上で停止し、タツの剣はオランの胴の寸前で止まっていた。
「この試合、引き分け!」
審判の宣言により二人は剣を引き、礼をする。それと同時に観客席から歓声が注がれ、二人の検討に拍手が送られた。御前試合として最高の試合だった。
二人は一度己の主に向かって礼をすると、舞台からおり、王家の観覧席へと現れる。
「お疲れ様、オラン。」
ハーシェリクの労いの言葉に頷きながらもオランはちらりと視線を向ける。その先はタツだ。タツは主であるテッセリと話している。
「オラン、どうしたの? まさか怪我した?」
反応の薄いオランにハーシェリクは首を傾げる。だがそんな主にオランは慌てて首を振った。
「いや、なんでもない。」
そう心配させないよう笑みを作りながらも、オランは先ほどの試合を振り返る。
お互い実力は拮抗していた。ただ実践経験でいえば相手に軍配があがり、試合の後半は攻めあぐねいていた。だから最後はわざと隙をみせ、相手を誘い、結果は引き分けだった。だがそれは試合だからだ。
(真剣なら負けていた。)
試合で使った剣は用意された物だが、オランが普段使っている『戦女神に祝福されし剣』と刀身や重量の差はさほどない。だがタツの普段使っている『太刀』という陽国の武器は、試合で使った剣よりも刀身が細く長い。もし真剣だったら、自分の剣が彼の頭に届くまでに、胴を真横に切られていた。
慣れない獲物で相手にされ引き分けなら、真剣なら敗北していただろう。
「……俺もまだまだだな。」
慢心していたわけではない。だが『黄昏の騎士』と呼ばれ知らず知らずのうちに浮かれていたのかもしれない。己は若輩者で経験も技量も足りない。そして自分が負ければ主が危険にさらされる。最悪ハーシェリクが死ぬ事となる。
(俺は負けることは許されない。)
オランは拳を強く握った。爪が掌に食い込み痛みを覚えたが、それでも構わず握る。その痛みを今日の戒めとする為に。
豊穣祭初日を難なく終え、その後の豊穣祭も特に問題も起こらなかった。
その間王族は他国の賓客をもてなし、さりげなく大国の力を見せつけつつ、当初の予定通りの日程を滞りなく進めた。特に第六王子テッセリは様々国に放蕩……もとい留学していた為顔も広く、昼間は賓客を招待しお茶会を開き、夜は貴族達の夜会へと出席する。疲れた顔も見せずに、朗らかに笑い客人達の相手をするテッセリにハーシェリクは賞賛を送った。
そんなハーシェリクは、兄達と真逆に豊穣祭を満喫していた。昼間はクレナイとアオ、そして兄達のいいつけ通り護衛のクロかオランを引き連れて城下町へ降り、店を覗いたり、大道芸を見たり、演劇を観覧したりと楽しむ。途中ルイの店により自分が提案した林檎飴を食べて満足するとそのまま店番したりして祭りを楽しんだ。
夜は外見子供の為夜会に参加することもなく、残念なことに夜店を見る事も許されず部屋に大人しくしていた。
何度か他国の要人が会いたいと面会の約束を取り付けにきたが、それは全て兄達が断わりをいれている。理由を聞けば「ハーシェリクは頑張りすぎだから休むように」という御達した。少々罪悪感が募ったが、ハーシェリクは言葉に甘え楽しい豊穣祭を過ごす事ができた。
しかしそれでも豊穣祭の最終日の夜、貴族や高官、その家族、他国の要人を迎えての夜会には出席はしないといけなかった。
王宮の広間。王城で宴が開かれる時に使われるその場所は、煌びやかな衣装をまとった人たちで溢れていた。立食形式の為テーブルには様々な料理が並べられ、給仕係が飲み物を運ぶ。楽団が緩やかな音楽を奏で、場を和ませていた。そしてその音楽が止むと同時に、男の声が広間に響いた。
「グレイシス王国第二十三代国王、ソルイエ・グレイシス陛下、ご入場!」
それを合図に広間の奥、螺旋階段上段の扉が開け放たれる。現れた人物に誰かが感嘆のため息を零した。
代々国王に受け継がれる王冠の下には流れるような白銀の髪、四十を超えているとは思えない憂い気な色気を醸し出す容貌に、優しげな翡翠のような瞳。白を基調とした衣装に赤き王者のマントを羽織った出で立ちでソルイエが進み出て微笑む。
「続いて……」
国王の次に現れたのは第一王位継承者マルクスとその母、正妃のペルラだった。
夜会では影で薔薇王子と呼ばれるマルクスは、母ペルラをエスコートし進み出る。両者とも極上の紅玉のような瞳と艶やかな赤毛が印象的だった。
それからも次々と王族が呼ばれ、姿を現し、螺旋階段を降る。
別人だと疑いたくなるほどの微笑みを顔面に張り付けたウィリアムと、腹の黒さをまったく感じさせないユーテルが母である側室第一位と共に現れた。
次に三つ子達とその母親である側室第二位と入城を果たし、テッセリと側室第四位の元公爵家令嬢の母と共に入場した。テッセリの母は、先代国王の妹の孫であり、ソルイエとははとこの関係である。ちなみに側室第三位とその娘メノウは療養の為、王都にはいない。
そしてついに各国の要人も貴族達も待ちわびた人物の番になった。
「第七王子、ハーシェリク・グレイシス殿下、ご入場!」
その言葉と同時に現れたのは、四人の影。
まず目を引いたのは、中心の人物から右に立つ純白の長い髪を揺らした美貌の魔法士。白と薄い水色の法衣を着た彼が微笑めば誰もが虜になるが、今は眉を潜め不機嫌そうに周りに投げやりに視線を投げている。不作法だと咎められるような行動も、彼の美貌の前では些細なことだった。
左に控えるは黄昏色の髪をうなじで一つにしばり、華美ではないが仕立ての良い衣装に身を包んだ垂れ気味の青い瞳に人当たりのよい朗らかな表情をした貴族の青年だった。だが彼はただの貴族の青年ではないのは明白だった。腰に佩いている片手剣が、この場で警備の者以外で、武器を所持することを許される存在だと示している。
そして彼らの背後には黒髪を丁寧になでつけ、髪と同じ黒の執事服を身に纏いひっそりと佇む執事がいた。まるで影のように目立たぬ彼は、暗く紅い瞳で周囲をそれとなく警戒していた。
三者三様、只者ではない気配を纏った者を引き連れたのは、先の戦でアトラード帝国相手に十万対二万と言う圧倒的な戦力差を覆して勝利し、さらに王国を影から牛耳っていた大臣を排した『光の王子』や『光の英雄』と呼ばれている人物だった。
光を集め紡いだような淡い色の金髪に、父親譲りの翡翠のような碧眼の幼い王子だった。特注された深緑色を基調とした軍服のような服に、肩には白のマントを羽織っていた。
「あの方が先の戦いで帝国を打ち破ったという……?」
「あれが光の英雄だと? 本当に子供……いや、幼子ではないか。」
「それに王家の方々は皆が溜息を漏らすほど美しい方だというが……」
ハーシェリクの姿を見た瞬間、招かれた要人達が口々に思った事を口にした為、広間にざわめきが広がった。
(ハハハ……)
その様子にハーシェリクは、心の内で乾いた笑いを漏らす。
今日までハーシェリクは各国の要人と顔を合わせていない。その為、彼らの中でハーシェリクの存在は過大に評価されていたのだろうと想像が出来た。
帝国を破り、国を救った若干七歳の王子。まるでおとぎ話のような存在だが、起こったことは事実であり、彼らの中では「才気あふれる、美形揃いの王家の中でも、王の寵愛を受ける末の王子」だったが、実際は思ったより期待はずれな普通な子供だった、ということころだろうとハーシェリクは予想する。
(まあそれが普通の反応だよね。)
勝手に期待して落胆されていたが、特にハーシェリクは気にしない。兄達に比べて容姿に華がないことは重々承知しているし、特出した才能はないことは自分が一番理解している。それに元々他人からの評価など興味もない。ハーシェリクにとって自慢となるのは、自分には勿体ないほど優秀で頼りになる筆頭達がいることだ。
だがその頼りになる仲間達の様子をちらりと横目で見て固まる。さきほどより不機嫌そうなシロ、彼にしては珍しく眉を潜めているオラン、猫の皮を何重にも被って作られた笑顔がいつも以上に怖いクロ、と自分の腹心達が様々な表情をしていたのだ。たぶん、ひそひそと聞こえる言葉や雰囲気で何を言っているか察しているのだろう。
なぜ王族でもない彼らがここにいるのか。
一つ目の理由はハーシェリクと共に入場する者がいなかったからだ。他兄弟は母親がいる為問題なかったが、ハーシェリクの母親は彼を産んだ時に他界している。その為一人だからといって、たった七歳の幼子を一人入場させるには格好がつかない。だからと言って王位継承者第一位のマルクスを差し置いて、ハーシェリクが国王と入場することは、いろいろと面倒なことになると解りきっていた。
そこで筆頭達を引き連れての入場となったのである。
二つ目は牽制だ。
「それに先の戦でも武闘大会でも活躍した腹心を連れてれば、下手なちょっかいはだされないだろう。」
そうマルクスは付け加える。他国から見てハーシェリクがどう見えるか、皆が理解していた。幼く後ろ盾のない王子は、他国から見ても付け入りやすく見える。王の寵愛も厚く、今回のことで国民からの人気も高くなった王子。ハーシェリクの前世の世界でいう所の鴨が葱を背負ってきたような存在なのだ。ただしそれはハーシェリクの性格を考慮せず、利用しようとする者の浅慮でしかない。
そういう者は骨の髄まで利用する気満々なハーシェリクだが、それは結局己の危険度も上げている為、兄達はあえて今回の豊穣祭の外交にハーシェリク自身は極力からませなかったのである。もちろん彼の筆頭騎士と筆頭魔法士は公の場で活躍させて、他国へのけん制という意味でいらぬ気をおこさせないという伏線も張っている。
(三人共、ぶちきれないでよ?)
そう視線で懇願しつつハーシェリクは腹心達を引き連れて螺旋階段を降り、王を中心に並ぶ兄弟達の列に加わった。
「今宵は皆の者よく集まってくれた。」
ハーシェリクが筆頭達を引き連れて列に加わったことを確認し、ソルイエが口上を始める。それは威圧的な言葉ではない、皆への感謝と労わり、そして今後の王国の発展を願いの込められた言葉だった。
「今宵は楽しんでもらいたい。」
そうソルイエが口上の言葉を閉めると、音楽が流れだす。このあとソルイエは広間の上座、玉座が用意された場所で貴族や賓客達との挨拶を交わし、長兄マルクスと次兄ウィリアムもそれに付き添う。他王族達も接待に繰り出されるだろう。もちろんまだ幼いハーシェリクは除く。
(私は子供だし、用事がすんだら戻るか。)
元々堅苦しい席が苦手なハーシェリクは、言い訳できる程度にとどまって早々にバックレる予定だった。元々王子個人としてこの場で交友を深めるつもりも毛頭ない。その外交は優秀な兄達に任せておけば問題ないのだ。
しかしハーシェリクがそう思っていたとしても、彼と懇意になりたい、利用したい者は大勢いる。今もハーシェリクにどう話しかけようか、時期を見計らう者が周囲にいるのだ。
そのギラギラとした視線に、ハーシェリクが気が付かないわけがない。
「ハーシェ、食事でもするか?」
周りから向けられる視線から庇うようにオランがハーシェリクに話しかける。さりげなく彼らの視界を塞ぐように位置を調整し、腰に佩いた剣に手をかけるのにハーシェリクは気が付いたがその部分には触れず、彼の言葉に頷いた。
「そうだね。お肉が食べたいな。」
「俺が持って来よう。」
「ありがとうクロ。あ、ケーキもお願い!」
ハーシェリクの言葉にクロは頷くとその場を後にする。残ったハーシェリクとオラン、シロは早々に会場の隅に設けられたテーブルへと移動した。
これ幸いにハーシェリクに近づこうとしたものもいたが、それはオランの一睨みとシロの絶対零度の一瞥で話しかけることもできず退散することとなった。