第七章 豊穣祭と御前試合と宴 その一
今年のグレイシス王国の秋の豊穣祭は他国からの賓客を迎え、国を挙げて一週間催される。
特に王都の豊穣祭は、初日から大いに盛り上がりをみせていた。大通りには様々な店が並び、祭りで財布の口紐が緩んだ客を狙う商売人の呼び声が響く。豊穣祭への特例として、友好国であるパルチェ公国からの輸入品は関税が引き下げられた為、珍しい品が普段より安く店頭に並び、客達をさらに楽しませた。
大通りのいたるところでは大道芸人の芸を披露し、老若男女問わず笑い声が響く。異国の踊り子が軽やかなリズムの音楽に合わせて舞を披露し、広場の石造りの舞台では旅をする一座が今流行の演目を演じる。
皆が皆、思い思いに楽しいひと時を過ごしていた。
そして豊穣祭で初日に一番の盛り上がりを見せたのは、王城内にある訓練場であり、現在は武闘大会の会場だった。客席には一般人から貴族、他国からの賓客、そして王族が集まり、今か今かと開会宣言を待ちわびる。
音楽隊のファンファーレが鳴り響き、グレイシス王国国王であるソルイエが開会の宣言をする。
風魔法で拡張された父の挨拶を聞きながら、ハーシェリクは会場を見回す。一年の内春と秋の二回行われる武闘大会。兵士や騎士達が鍛錬を積み磨き上げてきた武技を、大衆の目前に示す為にある大会は、普段は立ち入り禁止の王城に一般人も入城出来る為、その賑わいは大きい。しかも今年は豊穣祭の初日な上、他国の賓客を招き、さらには先の戦で活躍した『黄昏の騎士』を御前試合で見る事が出来るという前評判の為、例年以上の人が押し寄せた。
ハーシェリクを含めた王族は会場の中央の見晴らしのいい貴賓席が、すぐ隣には他国の賓客の席が設けられ、空間は確保されている。しかし他は全て自由席となっていて、現在は満員御礼状態である。
(暑いから熱中症にならなければいいけど……)
ハーシェリクは営業スマイルを作りつつ、じわじわの感じる暑さに不快感を覚えた。秋だが快晴の為本日の気温は高い。その上この人の密集具合では、倒れる人間が出るのではと懸念してしまう。
だがその懸念も武闘大会前の前座で意味のないこととなる。
国王である父の挨拶を終えて、司会進行役により、四人の人物が試合の舞台へと進み出た。内三人は鬘を被れば見分けがつかなくなるほど顔の造形が似ていた。もちろん彼らはグレイシス王国の王家の三つ子達である。そして残る一人は主より性別詐欺士と呼ばれるほど傾国の美貌を持つ魔法士ヴァイスだ。
(うわ、とっても不機嫌だ。)
現在のシロの表情にハーシェリクは苦笑を禁じ得ない。彼は人嫌いをこじらせている。ハーシェリクに言わせれば人嫌いではなく、人が怖いから先制で威嚇する猫と同じなのだが、そんな彼が女神のような美貌を歪ませても、やはり美人な為観客席からは見惚れたため息が漏れている。
見世物の状態になると解っていた為、ハーシェリクはシロが嫌がるようなら兄達には断るつもりだったが、シロは少しばかり考えて了承をしたのは意外だった。それでも愛想笑いさえ浮かべないのが、彼らしいとハーシェリクは思う。
三つ子が舞台で正三角形の頂点の位置に各々陣取る。三人の間は徒歩で二十歩ほどの距離だった。そしてその中央で、シロが魔言を唱える。
シロの純白の長い髪が波打ち、淡い空色に輝きだす。彼の周囲を魔法式である濃淡の色合いの複数の水色に輝く光の帯が浮かび、踊る様に周囲を回り始めた。
人々がその神秘的な光景に息を飲む。誰かが『白虹の魔法士』と二つ名を呼んだ。
その観衆の中、シロが一人魔法を発動させると、訓練場を覆う大規模な結界が展開される。それと同時に、舞台の上空に巨大な水球が現れた。
次にセシリー、アーリア、レネットの三人が声を合わせて魔言を唱える。腕に嵌めた揃いの腕輪……魔法具が魔言に反応し、淡く緑色に輝いた。そして魔法発動と同時に、彼らを中心に風が巻き起こり、水球にぶつかると、水が踊るかのように宙を舞った。
観客席にはあらかじめ結界が張られていた為、風にさらされることもなく、宙に舞う水が光を反射させ、虹を作り、幻想的な風景を作り出す。
最後にシロが手を横に一文字に切ると、水は一瞬にして氷の蝶へと変わり、結界を解いた観客席を飛翔し、霧散して消える。おかげで暑苦しかった観客席は気温が何度か下がり、快適な気温となったと同時に、その神秘的な光景に観客席から歓声が巻き起こった。
最後に四人は並び観衆へ優雅に礼をすると、舞台から去った。
舞台から去る四人を見送る観衆には、大きく分けて三種類いた。
純粋の驚き賞賛する物、事前にこの舞台を知っていて成功に安堵した者、そして目の前で起った魔法に驚きを隠せない者の三種類だ。
少しでも魔法の知識があるものなら、この前座に驚きと恐れを覚えたであろう。
訓練場ほどの広さの結界と巨大な水球、さらに他者の魔法の影響を受けてからの氷の蝶へと変化する緻密な魔法式が組まれ魔法をたった一人で易々と行使した魔法士の存在と、三人の魔法士が行った合体魔法。しかもその魔法は同じ魔言を唱え、通常より何倍もの威力がある魔法を発動したのだから。
合体魔法は未だ成功率が低く、各国で研究されている。成功率は高くて三割いけば僥倖と言われるほどだが、感応能力の持つ魔力の性質が近い三つ子にかぎり成功率は、ここ最近で五割を超えている。ただし三人と相性のいい風魔法と、シロの補助があってのことだ。
(ウィル兄様もなかなかえげつない。)
ハーシェリクがちらりと兄に視線を投げれば、周りが家族しかいない為気が抜けているのか、表情の乏しい次兄が素知らぬ顔で舞台を見下ろしている。
なにも知らない観客からしたら、素晴らしい前座という認識のみだっただろう。だが王国の現状を探りに来ている他国の賓客方にしたら、いきなり右ストレートを喰らった気分になっているに違いないとハーシェリクは予想する。
この前座はシロと三つ子だからこそできた魔法だ。しかしそれも言わなければわからないこと。各国の賓客はシロほどの実力者が王国に何人もいるとは思わないだろうが、三つ子が行った三人で行使する合体魔法の魔法具に関して話は別だ。
魔法の技術は程度の差はあれ国家機密だ。重要なことほど外部への漏えいを恐れる。だというのにわざわざ他国の要人を招いた席で、国家機密をお披露目するとはだれが思うか。
つまり王国にとってお披露目しても問題ない程度の魔法具だと彼らは考え、さらにこの魔法具が実際の戦場で行使されると考えを巡らせれば……いわずもがな。
もちろん客席と舞台の間は距離があり、遠目でみた程度で魔法具の技術が盗まれるわけもない。シロの事だから結界魔法にも妨害する魔法式を抜け目なく組んでいるだろう。
各国の要人達が悪い方向に想像し勝手に牽制されてくれれば、王国側としてはしめたもの。それに王国の魔法技術は日々進歩している。近い将来、合体魔法の魔法具も王国の魔法士に、普通に支給されるようになるかもしれない。
なかなかやり手の兄に心の中で拍手を送ったハーシェリクだった。
しばらくしてシロがハーシェリク達のいる王家の客席に現れる。ハーシェリクが労わりお礼をいうと彼はぷいと視線を動かして「別に苦労もしていない。」と一言いうだけだったが、それが彼の照れ隠しだとハーシェリクは知っている為、やはりお礼を言うのだった。
武闘大会は御前試合に移る。
「ハーシェリク。」
「テッセリ兄様。」
すぐ隣に座っていたハーシェリクに話しかけた。
「二人が出て来たよ。」
テッセリに言葉通り、舞台には司会進行役と二人の騎士が姿を現した為、ハーシェリクとテッセリは起立する。
オランは近衛騎士の制服に似せた白色を基調とした服を着ている。白い制服に黄昏色の髪が良く映えていた。彼が現れた瞬間、観客席から黄色い声援が飛ぶ。
そしてオランと共に舞台に上がったのは三十代半ばの壮年の男だった。黒く長い髪をうなじで一つまとめた、長身の男で、精悍な顔つきをしている。こちらもデザインは近衛騎士の制服に似た、しかし黒色に近い藍色を基調とした制服を着ている。
(二人が並ぶとオランのほうが貧弱に見えるなぁ)
オランも鍛えている為、筋肉がついている。前世風にいえば細マッチョといった具合だ。しかしテッセリの筆頭騎士は所謂アスリートのような逆三角形の体つきをしている。その為、その対比でオランが貧弱に見えてしまった。
それにテッセリの筆頭騎士は、なにやら雰囲気がこの国の人物と異なる。そうえいえばグレイシス王国の東方、海を越えた先の島国、陽国の出だと兄の言葉を思い出す。
「テッセリ兄様は、あの方とどこで出会われたのですか?」
自分達の筆頭達の礼を受け、手を振りならもハーシェリクは兄に問う。
「ん? タツのこと?」
テッセリも己の筆頭騎士に手を振りながらハーシェリクに答えた。
「タツさん?」
「うん、本名はタツノジョウ。だからタツって呼んでいるよ。」
(なんという日本的古風な名前。)
もしかしたら陽国というのは、日本の江戸時代みたいな国かもしれない、とハーシェリクは考える。
(確かにナイスミドル。和服が似合いそうだ。)
勝手に脳内で想像しうんうんと納得するハーシェリク。前世で乙女ゲームをする時は、メイン攻略キャラよりもサブ攻略キャラのナイスミドル枠を落としていたりした。
そんなハーシェリクに席につきながらテッセリは口を開く。
「拾ったんだ。」
「え?」
まるで捨て犬を拾ったように軽く言った兄に、ハーシェリクは座ろうとした中腰姿勢のまま停止し、兄の顔を見る。そんなハーシェリクにテッセリは肩を竦めてみせ、椅子に座りながら言葉を続ける。
「や、寄った港町でね? なんかでっかくて雰囲気ある人がいるなーと思って眺めていたら目の前で倒れて。放置することも出来ないし食事を奢って話聞いたら無職だっていうから、一時的に護衛として雇ってそのままずるずると……」
いい拾い物をしたと朗らかに笑う兄にハーシェリクは脱力するように席につく。少々兄について心配になったが、よくよく考えれば自分もクロに出会ったのは、彼が密偵として城に潜りこんできた時だったと思い出し、人の事は言えないと思い直すのであった。
「あ、そろそろ始まるみたいだよ。」
兄の言葉にハーシェリクは舞台へと視線を戻したのだった。