第六章 商売繁盛と誘拐と不思議な王子 その三
一通り事後処理を終え自室に戻ったハーシェリク。部屋に戻るまでに長兄と次兄にお小言をもらい、執事にもネチネチと説教をもらい力尽きた彼は、脱力気味に窓際のお気に入りのソファに深く腰掛ける。
(ああ、長かった……)
好きで攫われたわけではないのに、とつい内心愚痴ってしまうのは仕方のないことだった。
(次抜け出すとはもっと気を付けないとな。)
クロが聞いたら説教の追加がきそうなことを思いつつ、ハーシェイクは力を抜くように、深く息を吸い吐き出すことを繰り返す。
窓の外へ視線を向ければ既に外は暗く、空には星が輝いていた。その視点を一転させ、本日最大の功労者となった者に向け、ハーシェリクは笑いかける。
「助けにきてくれてありがとうございました、クレナイさん。」
ハーシェリクの言葉に、立ったままクレナイは大したことではないと首を横に振った。
今、ハーシェリクの自室にはクレナイしかいない。オランは罪人たちの引き渡しの為警邏局によりそのまま帰宅、シロも自室へと戻った。アオも自分の正体がばれる前に用意されている部屋に戻り、クロには念の為、闇組織の残党がいないか調べに出てもらっている。
「でもまさかクレナイさんが尾行してくれた上、作戦をクレナイさんが提案したなんて……」
感嘆を漏らしつつハーシェリクは、クレナイから聞いた作戦の全容を思い出す。
まずクレナイは一行を屋敷に案内した後、アオの探索魔法で屋敷内の人数や位置を把握し二手へと別れた。オランとシロは屋敷の裏手に回り、シロの魔法によりボヤ騒ぎを起こし、屋敷内を混乱させる。そしてボヤを鎮火させようと集まってきた者達を、シロが遮音性のある結界に閉じ込め、オランが叩きのめした。そして訝しみ様子を見に来る者を順次捕縛していった。
クロ、クレナイ、アオの三人はボヤ騒ぎで注意力が散漫になった見回りを各個撃破し、ハーシェリクが捕えられている部屋に辿りつく。そしてアオの風魔法でまずハーシェリクだけに声を届け、ハーシェリクが挑発し地面に伏せても違和感のない体勢を作る。そしてハーシェリクが倒れた瞬間、アオが風魔法を発動させ彼らの視界を奪い、アオとクロで金貸し三人を無力化したのだった。
おかげで誰一人逃すことなく、そして殺すことなく捕縛することが出来た。自分の筆頭達だけだったら、こうもうまく物事は運ばなかっただろう。
それにハーシェリクは彼女がまさか助けるために行動を起こしてくれるとは思っていなかった。筆頭達に自分が浚われたことくらい伝えてくれれば、後は時間を稼いでいる間に筆頭達がどうにかして助けにきてくれるだろうと思っていた。
感心するハーシェリクに、クレナイは口を開いた。
「王子、質問をお許し願えますか?」
「ん? 私の答えられることだったら……」
いつもの微笑みではなく真剣な眼差しのクレナイに、ハーシェリクは首を縦に振る。
「王子はなぜ大人しく彼らに従ったのですか? 連れ去られそうな時、声を出せば自分の身を守れたではないですか?」
「でもリーシェちゃんや町の人にけが人がでたかもしれないですし。」
クレナイのもっともな意見にハーシェリクは苦笑しながら答える。
「私も油断していたというか、自分の落ち度があったんです。さすがにこの時期に町中で仕掛けてくる馬鹿はいないと思ったですけど……」
いくら金貸しにそそのかされたとはいえ、まさか豊穣祭前のまだ明るい時間に仕掛けられるとは思っていなかった、とハーシェリクは言い訳をする。
「王子は、我が身が可愛くないのですか?」
クレナイの知る身分の高い者は皆、己の保身が一番だった。その為なら他者を利用しようが、傷つこうが気にも留めない者ばかりだった。
しかし目の前の王子は、それらと異なった。
「うん? うーん……」
クレナイの言葉にハーシェリクは首を捻る。
「怖いし、怪我もしたくないです。私は非力だし、身を守る術を持たないですし。」
自分で言っていて情けなくなり、ハーシェリクは苦笑を漏らすしかない。
「なら、なぜあのように町の散策をするのですか?」
クレナイはこの王子が年齢にそぐわない思考を持っていると知っている。そして己が危険にさらされないという楽天的な思考の持ち主でもないことを知っている。その危険性を知ってもなお、なぜ町へと出かけるのか、クレナイは問わずにはいられなかった。
クレナイの問いに。ハーシェリクは苦笑のまま答える。
「外に出るのは、私がやっていることが無意味じゃなかったって実感する為なんです。」
城下町の人々の笑顔を見るだけで、実感が出来た。自分がやってきたことも、自分の力が及ばず犠牲となった彼らも、無駄ではなかったのだと確信することができた。それはひと時だが、己の心に空いた穴を埋めてくれた。
「クロ達には怒られるんだけど、やっぱりやめられません……私は皆がいてくれるから、頑張ることが出来るんです。」
自己満足だけどそれが私の原動力なんだ、とハーシェリクは屈託なく笑う。
「……他にも理由はありますね?」
自分の為だと言い切る彼に、少々引っ掛かりを覚えたクレナイは更に問う。
ハーシェリクはクレナイの言葉に少々目を見開くが、すぐに目じりを下げた。
「クレナイさんには隠し事がうまく出来ないね。」
そう言ってハーシェリクは肩をすくめると言葉を続ける。
「私が何事もなく外を歩いていれば、みんな安心するでしょ?」
何の力もない幼い王子が、共もつれず武器も持たずたった一人で出歩く。それはこの国が子供一人で出歩けるほど安全だと言っているのと同義で、城下町の人々に安心感を与えられるのでは、とハーシェリクは考えた。たったそれだけのことで彼らに安心感を与えられるのなら、己の危険など些細な事だった。
「私は皆が笑っていられるこの国が好きだし、守りたいんです。」
さきほどの苦笑とは違う、穏やかな笑みを浮かべハーシェリクは言葉を紡ぐ。
「クレナイさん、この国は少し前までみんなの表情が暗かったです。」
バルバッセが裏で支配していた時、皆が暗い表情で明日が来ることを恐怖していた。
しかし彼が斃れた今、この国は変わってきたのだ。
「やっと明るい顔が見られるようになったんです。皆が明日に希望を持てるようになったんだと私は思ってます。」
脳裏には人々の笑顔を思い出すことが出来る。その顔を思い浮かべながら、ハーシェリクはさらに言葉を続けた。
「だから自分が傷つくことよりも、その笑顔が見られなくなるほうが私は怖い。皆が傷つく方が怖い。だから私は全力で全てを守りたい……ま、私がそう考えているだけで、これも全部自己満足なんですけどね。」
答えになったかな、と首を傾げるハーシェリクにクレナイは返答できずにいた。
王子は自己満足だという。だがクレナイは今日一緒に王子と城下町を歩いただけで、彼の行動が自己満足だけではないということを知っていた。
彼が町の人に挨拶したり、話しかけたり、手を振ったりすると、町の人たちはみな笑顔になった。そこに不安は微塵もなかった。
(自分の為といいながら、人の為に身を削る……それがこの方の本質なんですね。)
自分の中で答えを導き出し、クレナイは自分の肩の力も抜けることを感じた。そしていつも通り、否、いつもより柔らかい微笑みを浮かべる。
「……王子は、不思議ですね。」
「それ、今日二回目ですよ。」
いつもの人好きする微笑みに戻ったクレナイの言葉に、ハーシェリクはおかしそうに笑う。そんな王子に見ながら、クレナイは人には聞き取れない声で呟く。
「うん?」
ハーシェリクがその呟きが聞き取れず首を傾げてみせると、クレナイは首を横に振った。
「いえ……お話ありがとうございました。では失礼いたします。」
そう一礼し踵を返す彼女を、ハーシェリクは首を傾げつつ見送った。
クレナイはハーシェリクの自室を後にした後、一人暗い廊下を進む。そして王子の自室から距離をとったところで足を止め、己の思考を巡らせた。
「この方なら……」
その続きの呟きは、廊下の暗闇に吸い込まれて消えた。