第六章 商売繁盛と誘拐と不思議な王子 その一
本日も果物屋は繁盛していた。ハーシェリクは客足が途切れたことを確認し、クレナイを引き連れ果物屋夫妻に話しかける。
ハーシェリクから二人の件がなんとなりそうだと聞いた旦那さんは、いつも通り表情は無愛想だったが安堵したようで、ハーシェリクの目の錯覚でなければ口の端が少し持ち上がったようだった。話を聞いていたルイも我がことのように喜んだ。
そして話題は間近に迫った豊穣祭へと移る。
「ルイさん達は、豊穣祭はお店をやるんですか?」
「もちろん、稼ぎ時だからね。だけど豊穣祭なのに商品は代わり映えしないのよねぇ。」
リーシェをあやしながらため息をついていうルイの言葉を聞いて、ハーシェは店を見回す。その視線の先には林檎や葡萄のような、瑞々しい果物が並んでいた。ハーシェリクは赤い実を手に取ると、ふむと考える。
「豊穣祭では、いつも通りそのまま売るんですか?」
頷くルイにハーシェリクは果物を戻しながら言葉を続けた。
「例えばその場で食べられるように切って、串に刺して売るのはどうでしょう?」
思い出されるは前世のテレビでみた光景。
夕暮れ時の帰宅を急ぐ人で溢れる商店街の一角、その果物屋の主人が値段の高いメロンやパイナップルを店頭で切り分け、ワンコインで販売するという場面を取材した番組だった。
その番組では果物の鼻孔を擽る甘い香りに道行く人は足を止め、ワンコインならと買いその場で食す。それを見た他の人たちも足を止め、ワンコインの果物を買い求める。そしてそのうち何人かは、そのまま果物を購入していき、結果果物屋には利益となる。
果物のカットサービスは、手間とコストが増え単価は下がる。しかしただ果物を買うよりは、豊穣祭で賑わう町を見ながら食べ歩くのありだと考えられたし、店の宣伝にもなると思われた。
ふむふむ、と頷くルイにハーシェリクは言葉を続ける。
「あとは果物に飴を絡めるとかいかがですか?」
それは前世で祭りの時に食べた林檎飴。子供の頃はそれがとても特別な物のような気がして、食べきれないと解っていても親にねだって買ってもらった。「しょうがないわね。」と頭を撫でながら買ってくれて、林檎飴を手渡してくれた前世の母の顔を思い出し、ハーシェリクは少々切なくなる。
「リョーコちゃん?」
急に静かになったハーシェリクにルイは名を呼ぶ。ハーシェリクははっとして笑顔を作った。
「他にもチョコレートとか絡めてもいいと思います。」
林檎飴同様、チョコバナナも前世では大好物だったハーシェリク。ついだらしなく表情が緩むのも仕方がないことだった。
ハーシェリクの提案にルイは思案する。とはいってもそれは一瞬のことで、主人に店番を任せると、材料が仕入れられるかどうか確認する為に、知り合いの店に出かけて行った。
だがそのあとすぐ果物の卸し先でトラブルがあり、旦那さんも店を明けなくてはならなくなった。迷う果物屋の主人にハーシェリクは留守番と子守を申し出るハーシェリクとクレナイは二人で店番とリーシェの子守をしつつ、二人の帰りを待つこととなった。
元々店先に立つことは慣れたもので、リーシェの面倒をみつつクレナイと共に客を捌くハーシェリク。王子なのに客対応に慣れたハーシェリクに驚きつつ、客に釣銭を渡すクレナイ。ある程度客を捌いたがなかなか夫妻は戻らず、日も傾き始め人が少なくなってきたところでクレナイは一度王子に断わり手洗いに席を外した。近くの店で手洗いを借りた後、店へと戻るとハーシェリクが見るからに柄の悪い男二人と対峙していた。
「王子?」
距離があったのと、風下だった為クレナイの声はハーシェリクには届かなかった。しかし、風上から風に乗って届いた会話には、不穏な雰囲気を孕んでいた。
「何が目的だ?」
王子の声は今までに聞いたことのない、冷めたものだった。あの柔らかい雰囲気の彼が、どこからそんな声を出しているのか、クレナイは想像できない。ただその声を聞き、反射的に建物の陰に身を隠す。
「ついて来ればわかる。来ないのなら……」
クレナイがその声に反応し建物の陰から覗けば、柄の悪い男のうちの一人が果物屋夫妻の娘リーシェの側にいた。そしてその手には反射する光もの……それがナイフだとわかると、クレナイの背中に氷のような冷たいものが落ちる。
柄の悪い二人が人目を阻むように店先に入る為、この異常事態に気が付いているのはハーシェリクを除くとクレナイのみだった。
(誰かを呼んでこないと……)
しかし誰を呼んで来ればいいのか、クレナイは迷う。下手に警邏を呼びに行っても、クレナイは王子に極秘裏に保護されているといっても密入国者で、事情を知らない者なら捕縛される可能性もある。では頼れるのはハーシェリクの腹心達だが、ここから城までは遠い。
「やめろ。子供に刃物を向けるな。」
クレナイがどう対処しようか考えにあぐねいて動けずにいると、ハーシェリクの声が届いた。
「わかった、一緒に行く。その代わり子供には手を出すな。」
そうハーシェリクは言う。すると異様な雰囲気を察した籠の中のリーシェがぐずりだした。ハーシェリクはすぐに己のポンチョを脱ぎリーシェに握らせると、ハーシェリクの香りを感じてか、赤子がぐずるのをやめる。
ハーシェリクはそんな彼女に男達とは打って変わって、優しげな声をかける、
「リーシェちゃん、大丈夫。すぐにお母さん達がくるからね……私も大丈夫だから。」
そう言うとハーシェリクはちらりと視線を一瞬だけクレナイに向け、男達とともに歩き出した。
クレナイは建物の陰出るとリーシェの入った籠に駆け寄る。赤子はハーシェリクのポンチョをおしゃぶり代わりに口に含み、ご機嫌そうに笑っていた。危害を加えられていなかったことに安堵しつつ、今にも人に紛れていなくなりそうな男達の姿を凝視する。
(王子は私に気が付いていた。)
ならなぜ助けを求めなかったのか。王子の噂はクレナイが祖国にいた時も、この国にきてからも多く聞いている。あの王子からは考えられないような、おとぎ話のようなものだったが、もしそれが事実なら、彼は今、命を狙われている可能性もある。
クレナイの思案は一瞬だった。すぐにリーシェの籠を掴むと、中に今日の売上の硬貨が入った袋を投げ入れ、向かいの店の女将に預けると、男達の後を追った。幸いにもハーシェリクの歩幅に合わせて移動していたため、見失うことはなかった。
そのままばれぬよう尾行し、大通りから貴族の邸宅がある区画の、さらに奥にある屋敷に入っていくところを確認し、クレナイは身を翻し王城へと走る。
既に顔見知りとなったがいい顔はしない門番に会釈だけで通してもらい、クレナイは咎められないほどの速さで廊下を進む。周囲の好奇の目にさらされたが、今はそれに構っている余裕はなかった。
向かう場所はクレナイが滞在している後宮、ではなく訓練場のある西の区画。目当ての人物が今日は訓練場に出向いていると知っていたからだ。だがクレナイは幸運なことに、目的地に着く前に目的の人物に出会うことができた。
「クレナイさん?」
王城勤めとは考えられない簡素な服装の青年が彼女に気が付き声をかける。
「オルディス様。」
目当ての人物に出会えてクレナイがほっとしたが、呼ばれた青年、オランは苦笑を浮かべた。
「オクタでいいですよ。敬称もいらないです。」
元々気さくなオランは様付されるのを好まない。それは彼の主にもいえることだ。もちろん時と場合によるが。それに年上に対しては自然と敬語で話すあたり、良家の出だと思わせた。
苦笑を浮かべていたオランがふと一人でいる彼女に眉を潜める。
「あれ、そういえばハーシェと出かけたのでは?」
朝、今日はクレナイと城下町へ出かけると言っていたことを思い出す。護衛としてついていこうと思ったが、今日は豊穣祭の初日に行われる武闘大会の御前試合の打ち合わせの為、随行できなかったのだ。ハーシェリクのことだから、クロにばれないよう出かけたのだろうと想像がつき、苦笑を深める。
「それが……」
クレナイは起ったことを簡潔に説明する。もちろん周りには聞こえない声音で。オランの表情が話を聞くにつれ厳しいものになり、話を聞き終えたときには、まるでこれから戦場にいくといっても過言ではないものとなった。
「わかりました。一度王子の部屋へ。」
すぐさまオランは後宮へと向かう。引きとめようとする後宮へ続く門で立つ騎士に片手を上げただけで静止し、すれ違う侍女達に言伝を頼む。十分も経たない内に彼の主の部屋には腹心達とクレナイ、アオが顔を揃えた。
「どうする?」
そう切り出したのはオランだった。ハーシェリクがいない場合の進行役は彼になることが多い。
「助けに行くに決まっているだろう。」
苛立たしげにクロは吐き捨てるように言う。いつもの冷静な彼から考えられないほど、頭に血が上がっているようだった。
「大体、ハーシェもハーシェだ。解っているくせに……」
「それは今いっても仕方がない。それにハーシェは言ったって聞かないことくらいわかっているだろう?」
クロの言葉をオランが遮り宥める。
彼らは何度もハーシェリクに注意していた。以前と異なり大臣がいなくなった今、ハーシェリクに危害を加えようとする人物は減ったが皆無ではない。ハーシェリクは人助けもしているが、逆に後ろ暗い連中からは多くの恨みを買っているからだ。それは本人も自覚している。だがそれでもハーシェリクはお忍びをやめない。
「こればっかりは何言われても無理。」
最初に迷惑をかけることを謝りつつも、本人は絶対に意見を曲げなかった。ならせめてナイフでもなんでもいいから身を守るものを持ってほしいといえば、それも首を横に振る。
「私が持ったって意味ないでしょ? 逆に怪我するよ。」
ハーシェリクは自分に剣術などの才能が皆無だとわかっている。だから護身用の物でも刃物を身につけようとはしない。だがそれはオランには理解できない別の理由があるような気がしていた。
「大丈夫だって、逃げ足は速いから。」
そう言ってハーシェリクは筆頭達を宥めたりもした。
現にハーシェリクは筆頭達を連れない一人歩きの時にも何度か攫われかけたりする。しかし持ち前の危険察知の能力と小柄な体躯を生かして逃げおおせているが、これは筆頭達の預かり知らぬことである。
「どうやって助ける? 場所はクレナイさんのおかげでわかってはいるが、人数が把握できていない。それに下手にハーシェを人質に取られたら厄介だ。」
「場所が解っているなら、私がやろう。」
オランの言葉にシロが言う。とても協力的な申し出にオランは耳を疑った。
「どうやって……いや、言わなくていい。そしてやるな。」
そして彼の目を見ていろいろ悟り、すぐに却下する。彼の眼はその家もろともハーシェリク以外を魔法で吹っ飛ばすという荒業に違いないとわかったからだ。それを証拠にオランが却下するとシロはその秀麗な顔を歪め、忌々しそうに舌打ちするのが何よりの証拠だった。シロの魔法狂いは健在である。
「俺が忍び込む。」
「相手の規模が把握していないのに大丈夫なのか、黒犬。」
問題ない、と答える彼。ただこちらも瞳には危険な色が混ざっていて、オランには不安要素があった。クロは普段は冷静だが、ことハーシェリクのこととなるとタガが外れる。なんとなく名は呼ばないがオランはクロと二年の付き合いで、軽口を言いあうくらいには信用しているし信頼もしていて、お互いの実力も把握している。ただ彼はハーシェリクに依存した、危うさがあるのも確かだった。
(これはハーシェリク自身も解っているからな。)
以前、クロについてオランはハーシェリクに忠告したことがある。それは忠告というよりは同僚が心配だったというのもあった。ハーシェリクも心当たりがあるのか、オランの言葉に頷くだけだったが。
(とりあえず今はハーシェの救出が先決か。)
オランはクロの問題は横に置いておき、すぐ目の前の問題に意識を戻す。
自分達がいれば敵は難なく撃退は出来るだろう、とオランは考える。己の力を過信しているわけではないが、その当たりの破落戸程度なら難しくない。しかしそれだけではだめだ。
(今後のことも考えて完全に制圧しなければいけない。)
取り逃がせばまた同じことが起ることは予想に難くない。だからやるからには漏れなく徹底的にしなければならない。それはハーシェリクも望むことだとオランは考える。子供を人質にするような輩を、自分の主は決して許しはしない。しかし下手に軍務局や警邏局に応援を頼むのは得策ではない。人が増えれば目立つ。そうすればハーシェリクの命も危なくなる。
「私にお手伝いをさせて下さい。」
いい案が浮かばずに膠着状態に陥ったオラン達に助け舟を出すかのように、クレナイが口を開いた。
その横でアオが驚きと困惑が混ざった表情をしていた。




