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第五章 リョーコとクレナイとアオ その二



 ハーシェリクは何度かアオを外へと連れ出した。とはいっても城下町ではなく、王城の背後に聳える北の大地だ。北の大地は王の許しを得た者しか踏み入れることが出来ない為、アオが翼を広げて飛んでも問題はない。

 そう考えたハーシェリクはお気に入りの王城と城下町を一望できる丘に彼を連れてきたのだが、彼は翼を隠していた外套を脱ぎ棄てても、何度か髪色と同じ深い青色の翼を動かしただけで、飛ぶことはなかった。


「アオさん飛ばないのですか? ここなら飛んでも大丈夫ですよ。」


 むしろ飛ぶ姿を見たい、とハーシェリクが期待を込めて彼を見上げる。しかしそんな王子にアオは眉間に皺を寄せた後、ハーシェリクからの視線を逃れるように顔を背けぼそりと呟いた。


「翼を傷めた。もう飛べない。」


 落ち着いた低い声で、事実を簡潔で要点のみを伝えるアオ。その言葉に抑揚はなく、感情も読み取り難い。しかしそれに相対するハーシェリクは、その言葉を理解するとまるで己の事かのように絶望的な表情を浮かべ、そしてすぐに頭を下げた。


「……ごめんなさい!」


 獣人族で鳥人トリビト、翼を持っているのだから飛ぶのが当たり前で、きっと飛べないことが苦痛だろうと思い、この場所なら気兼ねなく飛べるとだろうと連れてきたのが、それが裏目に出た。飛びたいのに飛べない、それを己で口にすることとなったアオの心情を考えると、ハーシェリクは頭を下げる以外に思いつかなかった。


 頭を下げたまま動こうとしない王子に、アオは無表情ながらも目を白黒させて見下ろす。一国の王子がなんの躊躇いもなく頭を下げているのだ。驚かないほうがおかしい。


「……頭をあげてくれ。」


 アオの辛うじて出た言葉に、ハーシェリクは顔をそろそろと上げる。そしてお互い無言のまま、視線を転じ、風景を眺める。


 沈黙が二人の間を支配する。先に口を開いたのはハーシェリクだった。


「アオさん、もしよかったら獣人族の話を……アオさんの話を話せる範囲で聞かせてくれませんか?」

「……なぜだ?」


 問うアオの瞳を真っ直ぐ見て、口を開く。


「私は知りたいんです。」


 今までは国の中の事で手がいっぱいだった。しかし巣食っていた国の闇を取り除いた今、国内は慌ただしくもいい方向へと向かっている。父も兄達も、家族という贔屓目があったとしても為政者としての能力は十分にある。


 なら自分にできる事はなにか、事務仕事もできる事に含まれるが、それ以外にないか考える。そして自分が、己の身の回りのことしか知らないことに気が付いた。


「王国以外の場所はどんななのか、世界はどれくらい広いのか、そこに住むのはどんな人たちなのか。」


 もちろん書物も読んでいる。しかし書物だけで世界を知ることは出来ない。せっかく生まれ変わって、文字通り第二の人生を歩んでいるのだ。元々知識欲は人より強い自覚はあるハーシェリク。知りたいことは山ほどある。それに知ることは総じて家族を守り、国を守ることに繋がると考えた。


「だから、お願いします。」


 再度頭を下げるハーシェリク。そしてそれをさきほどのように無表情だが瞳を少し開いて驚くアオ。秋風が二人の間を通り過ぎた。沈黙が永遠に続くかのように錯覚する短い時間、根負けしたのはアオだった。


「……俺は得意ではない。」

「得意?」


 頭を上げて首を傾げるハーシェリクに、アオは言葉を続けた。


「話す事が。」


 そうアオは言うと、己の開襟シャツのボタンを外しだす。


「え、え?」


 前置きなく始まった行動にハーシェリクは度肝を抜かれ、酸欠の金魚のように口を開閉させる。


 ハーシェリクがどう反応していいか解らず、所在無げに手を上げたり下げたり彷徨わせている間に、アオはボタンを外し終えシャツの前を開き下の地肌を顕わにした。


 身長差からまずハーシェリクの目に入ったのは、見事に六つに割れた腹筋。もし前世の涼子だったら、痴女の如く黄色い悲鳴をあげていたかもしれない。それほど、ほどよく筋肉が引き締まった体躯だった。

 だがハーシェリクは視線を上げると、その体躯の胸筋部分の中央に、大人の親指と人差し指で円を作ったくらいの大きさの、入れ墨のような紋があった。


 アオはそれをなぞるようにさわり、一段と低い声で言う。


「俺は奴隷……戦闘奴隷だ。」


 ハーシェリクはアオの言葉の聞いて息を飲む。


 戦闘奴隷とは言葉通り、戦闘に用いられる奴隷だ。戦場に立ち敵を打倒すことは兵士と変わらない。ただその待遇は兵士とは天と地ほどの差があった。

 奴隷だから給金が支払われるはずもない。常に危険な戦地へと送られ、いざというときは捨て駒とされる。負傷して使えなくなれば、そのほとんどが処分される。彼らに権利はなく、モノとして扱われる。


 そして奴隷には所有者の印が刻まれる。所有者の意思により、その命を容易く刈り取れる魔法を施された印だ。だから奴隷は所有者に決して逆らうことはできない。


「口を開けば棒で殴られた……元々会話は得意ではなかったが。」


 だから話すことが得意ではない、その言葉がアオのこれまでの人生を暗に語っていた。よく見れば薄くはなっているが地肌には無数の傷の痕が残っている。斬られた傷や刺し傷だけでなく、棒や鞭で打たれた傷もあった。彼が今までどんな扱いを受けてきたのか、一目瞭然だった。


 ハーシェリクはいつのまにか拳を強く握っている自分に気が付く。


 時々突きつけられる前世と今の世界の差異。前世の世界がいかに恵まれた世界だったのか、そしてこの世界はどうしてこんなにも酷い事が出来るのか。だがそれは前世の平和な世界の平和な国で生きてきたからこその考え方だ。


(父様から話を聞いた時は、冷静に割り切れていたんだけど、な。)


 父から話を聞いた時も、この世界はそういうものだと割り切っていたはずだった。たとえそれに嫌悪に感じても。

 だが実際に目の前に、その立場の者を前にしてまで割り切ることをハーシェリクは出来なかった。


「……殴らないのは、彼女だけだった。」


 何と声をかけていいかわからないハーシェリクに、アオはぼそりと付け加える。その声音から彼女が誰かは聞かずともわかった。


「俺が話すことは、いい話ばかりではない。」


 それでもいいか、という彼にハーシェリクは頷く。元より耳触りのいい話ばかり聞きたいわけではない。


「ありがとうございます、アオさん。」


 お礼をいうハーシェリクに、アオはコクリと頷きつつ、シャツのボタンを閉めた。





 それからハーシェリクは時間を見つけてはアオとお喋りをした。そのほとんどはハーシェリクが質問し、アオが言葉数少なくも答えるというのはほとんどだったが。


「アオさんの話、とても興味深いです。」


 アオとの会話を思い出しつつハーシェリクは言う。一番驚いたのは彼が見た目二十代だが実際は六十歳を超えているということだ。獣人族には人間よりも長寿で、容姿も成人するまでは人間と同じだが、それ以後は非常に緩やかなになる。他にも空を飛ぶときは翼で無意識で使う風魔法によって飛ぶなど、人間と獣人族の違いを聞けてハーシェリクの知識欲は日に日に充実している。


「王子は不思議な方ですね。」


 喜々として話すハーシェリクにクレナイはついそう言ってしまう。

 クレナイもアオの微妙な変化を感じ取っていた。元々表情の乏しい彼だったが、この国に入ってからは緊張感で張り詰め表情は固くなっていた。そんな彼が、ハーシェリクと接しているうちに、その表情が本人の自覚なしに知らず和らいでいる。


(これを無自覚でやってしまうとは……)


 むしろ意図的にやっていなからこそ、出来てしまう賜物とも言える。


 クレナイは王城で過ごすようになってハーシェリクはもちろん、彼の周りの人物も観察していた。特に彼の直属の臣下だという三人は、たった数日だけの観察でも一人一人が優秀な人物だとわかった。


 騎士と魔法士は先の帝国との戦いでの活躍を噂で聞いたことがあったが、それが噂ではなく真実だとわかった。そつなく仕事をこなす執事は、情報収集能力は抜き出ていた。それは裏に通じてもいるのだろう予想に難くない。


 抜きんでた人材はその個性も我も強い。そんな人物達をこの王子は難なく手中に収めている。そんな無自覚な張本人はクレナイの言葉に首を傾げるだけだ。


「不思議? 変わっているとはよく言われるけど……」


 その言葉にクレナイはつい笑みが零れる。無自覚だからこそ、それを手助けしたくなり、守りたくなる。彼らはなんやかんやいいつつも、結局は王子の全てを受け入れているのだ。


(こんな不思議な方、初めてです。)


 ふと馬の嘶きが聞こえクレナイは視線を動かす。視線の先には馬車が通りを通過していくところだった。そしてその馬車の紋章を見て、クレナイは歩みを止める。


 ハーシェリクは背後で歩みを止まった気配がした為、歩みを止め振り返る。すると気配で感じた通りクレナイが歩みをとめていた。そしてその視線の先には一台の馬車が通過していくところだった。


「クレナイさん、馬車がどうかしました?」


 ハーシェリクが声をかけるとクレナイは一度だけ震わせた。しかしハーシェリクは馬車を見ていた為、その反応に気が付かなかった。


「あれは他国の馬車かな。豊穣祭には他国の賓客も招くと兄様達が……クレナイさん?」


 国内ではみたことなかった紋章だった為、ハーシェリクはあたりをつける。しかし反応のないクレナイにハーシェリクは彼女を見ると、そこにはいつも通りの微笑みを浮かべた彼女がいた。


「いえ、少々暑かったのでぼーとしてしまいました。」

「え、大丈夫? どこかで休みます?」


 心配そうな視線を向けるハーシェリクに、クレナイは微笑みを崩さぬまま、王子を否がした。


「ええ、問題ありません。ところで王子、本日はどちらまで?」

「……今日は旦那さん達のところに行きます。二人とも心配していましたから。」


 さりげない話題変更の言葉。それに少々違和感を覚えつつも、ハーシェリクはなぜ彼女がそうしなければならなかったのか、当たりを付けることができず、目的地を口にしたのだった。



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