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第五章 リョーコとクレナイとアオ その一



 豊穣祭を数日後に控えたグレイシス王国の城下町。人々が活気づく中、金糸で刺繍を施された緑青色のポンチョを着たいつものお忍びの恰好で、ハーシェリクは城下町を進む。町の人達に手を振りながら挨拶を交わし、ふとハーシェリクは空を見上げた。


「いい天気だねぇ。」


 高く青い秋空は澄みきっていて、空気も澄んでいるように思え、ハーシェリクは深呼吸をする。


「そうですね。」


 そんなハーシェリクにいつも通りの温和な微笑みを向けるのは、紅葉した葉のように紅い髪をゆるく縛り左肩にかけて前へ垂らすクレナイだ。ハーシェリクに出会って二週間が過ぎ、王城でアオと共に保護されたクレナイは、出会った当初と比べると顔色もよくなった。

 ハーシェリクのすぐ後ろを歩くクレナイは、ご機嫌で歩みを進めるハーシェリクに微笑みつつも、少々困惑した表情を向けた。


「ですが、よろしかったのですか? 王子。」

「うん?」


 ハーシェリクは肩越しに振り返り、クレナイを見て首を傾げる。そんな彼にクレナイは言葉を続けた。


「お一人でお出かけになって。」

「一人じゃないよ、クレナイさんいるじゃない。」


 クレナイの問いにハーシェリクはさも当然のように答える。そういう意味でいったわけではない、とクレナイは言おうとしたがハーシェリクの表情を見て、解っていてはぐらかしているのだと理解した。

 そんな彼女にハーシェリクはご機嫌で笑いながら言葉を続ける。


「それに今日は手伝ってくれたクレナイさんにお礼もあるし。」


 時は遡る事一週間ほど前、クレナイ達の国外脱出の問題解決の目途が立ったと、密約に関する部分のことを除き二人に伝えたハーシェリク。とりあえずは豊穣祭が終わるまではすることがない二人には城内で過ごすこととなり、出歩くときは筆頭達の誰かを連れていくことを約束して、ハーシェリクは通常の生活に戻った。


 通常の生活とは勉学や訓練、そして山積みにされた書類との格闘の日常のことである。


「……王子、なにをなさっているのですか?」


 それはハーシェリクの書斎に本を借りに来たクレナイから出た言葉だった。

 だがその質問も仕方がないだろう。まだ学院にも入学してない幼子が、大人顔負けの仕事量をこなしているのだから。

 返しにきた本を片手に、いつもの微笑みではなく垂れた瞳を少々見開いて驚く彼女に、ハーシェリクは曖昧な笑みを浮かべる。


「あ、クレナイさん。えーっと……」

「……お仕事中、申し訳ありませんでした。」


 いつも快活な喋りをする王子が口ごもると、クレナイは察して本を返し退出しようとする。しかしハーシェリクは退室しようとするか彼女を、片手を振り制止すると苦笑を漏らした。


「言えない、というよりは情けないことなんです。」


 そしてことのあらましを説明し、積み上げられている書類をつつきながら、深いため息を漏らしつつ締めくくる。


「ということで、私が精査しているんです。」


 クレナイが視線を向けると、机の上の書類には色つきインクでいくつも線が引かれ、書き付けされていた。


 ふとその中で、一枚の書類がクレナイの目に留まった。彼女はハーシェリクの許可を貰ってから手に取り、書類の文字を目で追い、別の書類を手にとって同じように流し読む。そして再度、最初の書類の内容と数字を確認し、ハーシェリクに差し出した。


「……この部分、少々不自然なのでは?」

「え?」


 クレナイの差し出した書類はハーシェリクが既に一回チェックが終わった物だった。ハーシェリクは前世の癖で一つの案件を三度確認する。さらに時間があるのなら、少し時間をおいて内容を再チェックする。時間を置くことで、先入観がリセットされ新たなミスを発見することが出来るからだ。


「数字が不自然です。」


 クレナイの指摘通り、書類に目を通したハーシェリクも頷く。その書類はとある部署の収支の報告書で、計算もあっていて問題なしと判断したが、よくよく見れば仕入れた備品と使用した履歴、そして在庫の数値が合致していない。その上書類が、少々不自然に複数枚に跨って報告されている為、気が付きにくかった。


「確か他の資料が……」


 すぐにハーシェリクがその部署の内容を確認する。最終的には単純な計算ミスだと判明したが、自分のチェック漏れであることには間違いなかった。

 各部が各々の書式で報告を上げる為、内容は問題なくとも解りにくく理解に時間がかかる報告書も存在する。それは著しく効率を下げていた。


(報告書式を統一したほうがいいな。)


 鑑となる報告書式を統一し、仔細については各部の方式としたほうがいいとハーシェリクは考える。前世の職場でも提出する書類は猿でもわかるようにする、が後輩に教えていたことだ。もちろん猿は字が読めないので例えではあるが、それくらい解り安ければ効率が格段にあがるのだ。


「今度父様に言ってみよう……と、手伝ってくれてありがとう、クレナイさん。」


 ハーシェリクは父への注進を決めつつ、最後まで調べ事に付き合ってくれたクレナイに礼を言う。クレナイは垂れた瞳の目じりをさらに下げ、苦笑のように見える微笑みを浮かべながら首を横に振った。


「いえ、口出しして申し訳ございませんでした。」

「いやいや、本当に助かったよ。」


 クレナイの謙遜をハーシェリクは即座に否定した。


「クロには資料集めを頼んでいるし、オランとシロはこういう事務的なことは得意じゃないから……」


 自分の腹心の中で、こういった仕事に長けているのはクロだ。彼はハーシェリクが細かく指示せずとも、主が求める資料を集めてくれてとても優秀である。しかし彼は筆頭執事としての仕事もある為、その集めた資料から内容精査するのは自分一人となる。

 オランもシロも事務仕事が出来ないわけではない。ただハーシェリクとクロに比べれば能力は劣り、さらに彼らはそれぞれ豊穣祭の催しの準備と打ち合わせでそちらに出向いている為この場にいることが出来ず、結果書斎には資料が山積み状態である。


 そんな中現れたクレナイは、ハーシェリクには神のようにも思えた。


「……クレナイさん、本当に申し訳ないんだけど、ここに居る間だけでいいから手伝ってもらえないかな?」


 その神にハーシェリクは、上目使いでそう願い出た。やはり一人で全てをチェックするには限界があり、ミスだって出てしまう。調べた書類や結果報告は父や兄も見るが、できる事なら完璧な資料を渡したいと気持ちもあった。仕事に関しては前世同様完璧主義者なハーシェリクである。

 それにクレナイは軍国から逃亡してきた者。なら情報が流出するとも考えにくかった。


 クレナイは少し迷った後、ハーシェリクに恩義を感じて引き受けた。部屋に引きこもるしかやることがないアオも加わり、それからしばらくの間、ハーシェリクの書斎では紙の擦れる音や万年筆が書類の上を走る複数の音、そしてしばし雑談する声が聞こえてきたのだった。


 ハーシェリクが予想した通り、否予想した以上に彼女は優秀だった。理解も早く作業の段取りも的確、正確さも申し分なく、書類の山は当初予定していたよりも早く標高を下げていった。


 そして一週間が経ち、豊穣祭を数日後に控え活気づく町に、ハーシェリクはお礼を兼ねてクレナイと散策に出かけたのだった。


「クレナイさんはやはりこういった仕事もしていたんですね。」


 慌ただしく祭りの準備を進める城下町の人々を眺めつつ歩みを進め、ハーシェリクは言う。その言葉にクレナイの肩が不自然に跳ねたが、彼女の前を歩くハーシェリクは気が付かなかった。


「……やはり、ですか? なぜそう思われたのです?」

「だって握手した時、かなり固いペンダコでしたから。」


 探る声音のクレナイにハーシェリクは簡潔に答える。クレナイははっとして己の指……聞き手の中指を見ると、確かに長年ペンを持っていた為にできたペンダコがその存在を主張していた。


「クレナイさんの中指のペンダコは、常時筆を持つような人でないとできないくらいのものですし、あのミスもそういう仕事を日頃やってなければ見つけられないですから。」


 それは経験則というもので、ハーシェリクも前世の経験から、書類を見て不備があるとなんとなく違和感を覚える。とはいっても所詮はなんとなくなので、絶対ではない。

 ハーシェリクの答えに沈黙するクレナイ。そんな彼女にふとハーシェリクは残念そうに話しかけた。


「アオさんも来られればよかったんだけど……」


 思い浮かべるは城に残してきた背の高い獣人族の青年。散々手伝ってもらったのに、彼を外に連れ出すことは出来なかった。


(お小遣いでお土産を買って帰ろう。)


 そう心にハーシェリクは誓う。ちなみにそのお小遣いは、日ごろ頑張っているハーシェリクに働いている上の兄二人がくれたものだった。金額は平民の子供が貰えるくらいだが、必要なものは全て用意される王子のハーシェリクにとって、気兼ねなく使えるお金である。


 最初はお小遣いを渡そうとする兄二人に断わっていたハーシェリクだったが、書類仕事をしても給金が貰えないハーシェリクに負い目を感じている二人、というよりは可愛い末の弟にお小遣いをあげたい二人にいろいろ説き伏せられ、ハーシェリクはお小遣いを二人から貰うようになったのだ。それでも町を歩けばお菓子やら食べものを貰えるので今まで使う機会がなく、やっと使う機会が巡ってきたのである。


「王子は彼とどんな話をするのですか?」


 そういえば時々、王子と彼が二人で出かけることがあったことを思い出す。帰った彼に聞いても、元々口数が少ない彼は「話をしていた。」という簡潔な答えしか返ってこなかった為、どんな話だったかクレナイは知らない。


「獣人族の人たちの話とかかな。彼の話は貴重だし、とても興味深いよ。」


 クレナイの言葉にハーシェリクは満足そうに答えた。


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