第四章 狂王と勅命と密約 その二
ハーシェリクは先々代の王の痛みや喪失感を、自分の事のように感じることができた。だからと言ってその痛みや喪失感を、他のもので埋めようとは考えられなかった。
表情が暗くなるハーシェリクに、ソルイエは安心させるかのように彼の頭に手を置いた。
「というのは表向きで、裏事情は異なる。」
「へ?」
ハーシェリクは暗い表情を一変、父と同じ碧眼を大きく見開き、父親の顔をまじまじと見る。
「ここからはある程度年齢に達した王族のみに伝えられることだ。本当ならハーシェに教えるのはもっと先のはずだったが、問題が起っているならしょうがない。」
そう言ってソルイエは肩を竦め言葉を続ける。
「ルスティア連邦は知っているね?」
「大陸の南、獣人族や亜人族達が同盟を結ぶ国です。」
ソルイエの言葉にハーシェリクは答える。グレイシス王国がある広大な大陸には、大小の国々が存在するが、その中でも四つの大国が互いを牽制しあっている。
自国である北のグレイシス王国、西のアトラード帝国、東のフェルボルク軍国、そして南のルスティア連邦。東西南北と大きな国は四方に分かれていた。
ハーシェリクの答えにソルイエは頷く。
「連邦は大きいが歴史的にいえばまだ新しい国なんだ。正確に言えば連邦という形をとったのがごく最近、とはいっても先々代の国王の時代で、南はもともと獣人族や亜人族の各々の小国が多く存在していた。」
それが他の国と対抗する為に、小さな国々が同盟を組み連邦となった、とソルイエは続ける。
「ルスティア連邦は国を興すと同時に各国へ同族達の解放を訴えた。人間社会で暮らす獣人族達は奴隷が多いからね。特に大陸の三つの大国の奴隷は、獣人族や亜人族が比較的多い。王国も当時の奴隷はほとんどが獣人族や亜人族だった。」
だがそれは同族の解放だけが目的ではない。出来たばかりの新興国はまだ脆く、他国から侵攻されては一つとなった同盟関係も危うい。だからそうならない為に、他国を内側からの揺さぶりをかけることも、声明の目的だった。
その声明は、獣人族や亜人族を奴隷として扱っていた諸国には効果覿面だった。王国の獣人達も、自由になれるかもしれないと浮足立った。
衣食住が保障される奴隷といっても、その待遇は主によって変わる。清潔な衣服や十分な食事や休暇を与えてくれる主もいれば、生きるための最低限のものしか与えず死ぬまで酷使するような主もいた。そしてその割合は、後者のほうが多い。
ルスティア連邦の声明は彼らの目論見通り、王国の人間と他種族との衝突に繋がった。
解放されたい、一般市民のように虐げられず自由に生きたいと願う獣人族と、財産として労働力を失いたくない人間達。争いが起こるのも必然で、王国国内では時が経つにつれ人間と奴隷とのいざこざが増えた。
「その時、王妃の事故が起こった。」
事故が起こり王城へ担ぎ込まれた王妃は虫の息だった。医者も手の施しようがなかった。最後に国王と二人きりを望んだ王妃は王に願いを伝え、息を引き取った。
「……願い?」
ハーシェリクの問いに、それはとソルイエは言葉を続ける。
「獣人達を憎まず奴隷達を解放して欲しい、という願いだよ。」
ソルイエの言葉にハーシェリクは息を飲む。
ハーシェリクは理解した。全てを理解し察してしまった。先々代の国王が行った事を。
ハーシェリクが導きだした解を、ソルイエは答え合わせするかのように言う。
「無理に奴隷を解放したとしても、昨日まで所有していたモノが今日から同等の存在だと、人間はすぐに認められるわけがない。」
その亀裂は将来国内への大きな亀裂となることが火を見るより明らかだった。そして隷属の魔法で縛られている奴隷達は、主人の気持ち一つで命を奪われる。万が一、奴隷達が結束し決起したとしても、隷属魔法により蝋燭の火を吹き消すように命を屠ったであろう。だからそうなる前に先々代の王は先手を打った。
「だから先々代は苦肉の策として奴隷を皆殺しにしたと公表し、信のおける臣下に命令し国外へと獣人族達を逃した。」
記録では国中全ての奴隷は勅命で集められ処分されたとなっている。しかし実際は、集められた獣人族達は秘密裏に国外に出されルスティア連邦に送られた。そしてルスティア連邦は奴隷を受け入れ、そして互いに国交を断った。
全ての話は地方貴族へ降嫁した叔母より聞いた話だった。大臣達の暗躍により幼くして王位をついだソルイエに王家の仕来りを教えたのは、降嫁した父の妹だった。彼女は幼くして王位を継いだソルイエに、大臣も知らない事細かに王家の裏事情を教えた。
ソルイエはハーシェリクの様子を見る。表情を硬くした彼は、その聡明さから、そして感情の豊かさから、理解してしまったのだろう。
「……曾お爺様は、曾お婆様の願いと奴隷だった人たちの為に、自ら狂った王になったんですね?」
奴隷達を助ける為に狂った王となった。それが最善の一手だとはハーシェリクには到底思えなかった。しかし、だからと言って他に方法があったのかといえば否。
ハーシェリクの答えにソルイエは頷く。
「そうだ。先々代は己が悪行の王として歴史に残り、王国を変えた。おかげで今国内では奴隷制度も人身売買も存在しない。」
たとえそれが獣人族達と距離を取る方法だったとしても、国はいい方向へ進んだと言えるだろう。最善ではない。だが最悪でもない、王と王妃のみが犠牲となり、グレイシス王国は大国として揺らぐことなく、今日まで続いてきた。
「違和感はなくなったかい?」
ハーシェリクが頷くのを確認したソルイエは、本題に長い前置きを終えて、本題に移ることにする。
「さてそれでも過去、獣人族は王国に足を踏み入れたことはある。それは個人の意思関係なくね。禁止してもそれを犯す輩はいつでも存在するから。」
我が国では獣人は珍しくなってしまったからね、とソルイエは言葉を続ける。つまり非合法で奴隷として密入国し売買されることもあったと暗に言っていた。希少となってしまった彼らが、どんな風に扱われるかは想像に難くない。
「その場合、獣人族は至急保護しルスティア連邦へ秘密裏に送り届けることが密約で定められている。とはいっても、私の代になってからはほとんどなかったけどね。」
法が定められた当時は、悪徳貴族達が裏で奴隷売買を行っていたが、先々代と先代の時代に悪徳貴族もそれに関わった密売人も極刑をもって根絶やしにした。さらに周辺諸国にもその話が知れ渡り、人身売買を生業とする者は利益と危険を天秤にかけ、結果グレイシス王国に近寄らなくなった。
「だからハーシェ、その青年はちゃんと保護するように。」
「……はい!」
父の言葉にハーシェリクは部屋に入室した時とは真逆の、飛び切りの笑顔で応える。
「確認だが獣人族の青年と一緒にいた女性は?」
「たぶん……二人は恋人同士なのだと思います。」
それはハーシェリクの予想でしかない。
軍国から逃れてきた、というのが本当ならなら彼らの関係は、主と奴隷が正しいと思われる。軍国に住まう獣人族のほとんどは、軍国が領土を広げた時に戦に負けたその土地に住んでいた者だ。例外なく彼らは軍国の所有物となる。
しかしアオはクレナイのことを信頼し大切に思っているし、クレナイもアオを対等の存在として扱っている。部屋も同室でいいという彼らの雰囲気は、主従関係というよりは恋人関係といったほうがしっくりした。
「わかった。だけど今は難しいね。」
ソルイエの言葉にハーシェリクも同意する。今は国中が豊穣祭に向けて準備に追われている。そして他国からやってくる者も多い。その中、逆に国から出ていく者は目立ってしまう。秘密裏にとはいっても透明人間になるわけではない。出来る限り目立たないように国外へ脱出させねばならかった。
「やはり豊穣祭が終わって、帰郷するする者達に紛れさせるのが一番ですね。」
ハーシェリクの言葉にソルイエも頷く。
「そうだね。祭が終わって商人たちが地方に戻る時に紛れさせて、国外へ送り出すこととしよう。パルチェ公国を経由しルスティア連邦へ行けば問題ない。連邦なら獣人族はもちろん、少数だが人間も住んでいる。」
「父様、ありがとうございます。」
彼女も受け入れられるだろうと言う父に、ハーシェリクは父の膝の上から見上げつつ礼を言う。
「ハーシェがお礼をいうことじゃないよ。」
自分のことでもないのに、まるで自分のことのように喜ぶ息子にソルイエは苦笑する。
「だけど、ありがとうございます。」
それでもお礼を言う彼に、ソルイエは何も言わず淡い色の金髪が揺れる頭を撫でると、彼を膝から降ろした。
「さて今日はもう遅い。休みなさい。」
「はい!」
ハーシェリクは一礼をすると踵を返し扉へと向かう。その遠ざかっていく小さな背中に、ソルイエは名を呼んだ。
「ハーシェリク。」
ハーシェリクが立ち止まり振り返ると、首を傾げる。その動作が愛らしくて、ソルイエは微笑みながらも言った。
「私を信頼して話してくれてありがとう。」
父からの礼の言葉にハーシェリクは少しばかり目を見開く。だがすぐに微笑みに変わった。
密約を知らなかったハーシェリクにとって、ソルイエの話を聞くまでは己がやろうとしていることは、例え法が間違ったとしても法を破ることだった。法に照らし合わせれば、王族の身だとしても死刑になる可能性もあった。それに他に方法がなかったとはいえ、父にこの話をしてもいいのか、獣人族の話を聞いてもいいのかと迷ったのも事実だ。
しかしこの優しい父が理不尽なことをするわけない、とも信じていた。だからハーシェリクは父の元に訪れた。
「……父様、一つだけ質問があります。」
ハーシェリクは聞こうか迷っていた問いを口にする。
「父様は、この国がこのままでいいと思っていますか?」
他種族には排他的なこの国。今まではそれでもよかったかもしれない。しかしこれからはどうだろうか。おりしも国は陰で牛耳っていた大臣がいなくなり、国は岐路に立っている。
不変か、変化か。
ハーシェリクは父に問う。
「……この国も変わるべきだろう。五十年の月日が経ち、人々の意識も変化した。なら進むべきだと私は考える。」
ソルイエは一度目を閉じ開くと、そうはっきりと答える。その瞳に迷いはなかった。
「ありがとうございます、父様。」
ハーシェリクは再度父に礼をいうと、部屋を後にした。
閉じた扉を目の前に、ハーシェリクは一度深く息を吸うと吐き出す。
父との話は、ハーシェリクが期待した以上のものだった。獣人族のことも、この国の裏事情も、そして父のことも。
(とりあえず、二人のことはなんとかなりそう。)
己の伝手を駆使しなくても、問題なく二人を国外へ脱出させることは可能だと確信することができ、ハーシェリクは安堵を覚える。しかし今度は別の疑問が浮かんだ。
(二人を脱出させることが、本当に二人を助け出すことになるのかな?)
それは果物屋の旦那さんが助けを求めたことだ。他種族に対して排他的な王国内にいることは二人には危険だ。だから二人の安全の為、国外に脱出させることは絶対だ。
しかしそれは本当の意味で二人を助けることができるだろうか。そもそもなぜ二人は軍国から逃げて来たのか。
(人間と獣人族の恋人同士……だから二人は国から逃げてきた?)
物腰や雰囲気からクレナイはそれなりの家柄の者だろうと予想がつく。そしてアオは獣人族だから奴隷だろう。そんな二人が恋におち、国を捨てて駆け落ちしてきた。まるで小説のような展開だ。
(筋書きとしては違和感ないけど、不自然なんだよな……)
ハーシェリクの中で何かがひっかかった。愛の逃避行なら、二人はなぜ王国へとやってきたのか。北ではなく南へと、ルスティア連邦へと向かうはずだ。
手元にある情報の中で、そこに大きな引っ掛かりを覚えた。それはハーシェリクの嫌な予感を刺激する。
ハーシェリクの予感は、悪いほどよく当たる。
(二人は軍国の密偵?)
だがその可能性は、皆無とは言えないが限りに無く低い、とハーシェリクは考える。
彼らがハーシェリクの所に辿りつくまでに、奇跡に近い偶然が重なりすぎていた。
ハーシェリクが果物屋の夫妻と仲がいいというのは周知の事実だが、それを短期間で軍国が調べ上げ仕込むのは難しいだろう。さらに旦那さんが国境近くの町へ果物を届けるのも、数か月に一度の不定期。有名でもない一般人の情報を手に入れるのは、クロであっても難しい。さらにいえば、対外的には王国は他種族入国不可であり、他種族は排除される。そんな国に密偵として獣人族を送り込むなどおかしい。
だから彼らが密偵であるという可能性はかなり低いとハーシェリクは考える。
それに彼らが密偵や愛の逃避行をする恋人同士という、解り易い存在とは思えなかった。
初めて会った時、柔らかく微笑みながらも射抜くような闇色の瞳を向けてきた、動じた様子の欠片もない落ち着いた雰囲気のクレナイ。その彼女を守る獣人族のアオは、その身の運び方からなにかしら武芸を身に着けているとオランから耳打ちされていた。
彼らの纏う雰囲気は、常人とは異なっていた。
彼らが逃亡者なのは確実だろうと思う。だがそれはなぜ軍国から逃げて来たのか。何に追われているのか。そこが問題だった。
「うーん……」
ハーシェリクは唸る。気にかかるのは二人だけではない。すぐ上の兄、テッセリの言った意味深な言葉が頭の中に残っている。テッセリはなにか事情をしっているのか、もしくは予想しているのかもしれない。
『今日連れて来た二人、気を付けないとだめだよ。』
その言葉にはハーシェリクは同意せざるを得ない。
二人が何か隠し事をしていることは確実だ。密偵でも、愛の逃避行をする恋人同士でもなければ、もっと大きい問題を抱えている可能性がある。最悪を想定するなら、それは何かしら王国に不利益をもたらす可能性がある。
(だけど私は、二人は助けたい。力になりたい。)
彼らを助けないという選択肢はハーシェリクにはない。
その場でハーシェリクは大きく息を吸う。腹の底に空気を溜めこむかのように深く空気を吸い、そして勢いよく吐き出した。
ハーシェリクはその動作と同時に、腹を決める。
「ハーシェ?」
「へぁっ!?」
背後からいきなり話しかけられ、ハーシェリクはビクリと肩を震わせ変な声を上げる。振り返れば訝しげに己を見下ろすクロがいた。
(さすがは元凄腕の密偵。気配がなかった。)
心臓がこんにちはするかと思った……いや、時間的にこんばんはか? とハーシェリクは心の中でノリツッコミしながら腹心のクロを見る。
「クロ……」
恨みがましく名を呼ぶ主にクロは首を傾げてみせ、さも当然のように言った。
「で、俺は何をすればいい?」
その言葉にハーシェリクは一瞬呆けたあと笑う。この執事は本当に自分の本心を理解してくれている。自分が何をしたいのか、言わなくても察して解ってくれる。
(今まで通り、私は私ができる事をするだけだ。)
困っている人がいたら、それが誰であろうと手を差し伸べる。
家族も国も民も皆大切だが、他国の者だからと、他種族だからと彼らを蔑ろにする気は、ハーシェリクには毛頭ない。彼らを助けたい自分の為に、行動するだけだ。自分が今、なにをしたいのか。それが重要だ。
結局、自分がやりたいからやる。例え誰が何を言おうと、己の信じた道を進む。それが自分だ。
(助けるからには、とことん助ける。)
彼らは悪い人間ではない、とハーシェリクは感じていた。それも嫌な予感同様根拠もなにもない己の感だったが。
ただ己がやりたいこと、すべきことをするだけだ。
だからハーシェリクは、クロにいつも通りお願いをする。
「クロ、お願いがあるんだけど。」
そうハーシェリクはにこりと忠実な執事に笑ってみせた。




