ある若者の話
寝しずまった町並み。平和で穏やかな一時を猫は嬉しそうに鳴いていた。しかし、遠くから近づいてきた喧騒により猫の瞳孔はカッと開きそして消えた。
「左へ逃げたぞ!」
「回り込んで挟み撃ちにしろ!」
静寂を破る男達の声は馬の足音と共に響きわたった。荒々しく武装した男達の中に1人の若者が混じっていた。まだ20にも満たぬ青年だったが、彼はその軍団のリーダーだった。
顔を覆っていた布を取り空気を吸い込んだ。
「うまい…」
月夜が彼の白い肌に反射した。その顔立ちの美しさに隣にいた部下は思わず見とれた。しかし、容姿とは裏腹にリーダーの口調は冷たいものだった。
「目標1人捕まえるのにどれだけ時間をかける気だ?お前ら。こいつを逃せばお前達の家族は明日から物乞いなんだぞ」
「心配いりやせん、お頭。奴は深手を負ってる。あれじゃあ遠くへは行けねぇし血の跡を辿りゃすぐに仕留めれるさ」
「俺っ!俺ですよ!頭!あいつに弾当てたのは!これで他の奴らより取り分は多いですよね!」
「はぁ?ふざけるなよ、タジ坊!俺が見つけたから撃てたんだろうが!下っ端のテメェが俺より給料がいいだなんて納得できるか!」
部下達のたわいない話をリーダーはいつものように聞き流していた。ふと…«ガシャ»何か聞こえた。近くではない。その方角へ耳を向けた。«ガシャ…ガシャガシャ
…カランカラン»
賞金の取り分で喧嘩を続ける二人の部下を残し、自分の右腕とも言える部下一人を連れて馬を走らせた。
「…頭」
「…聞こえたか?」
「ええ」
「お前は右を探せ。なるべく生け捕りにしろ」
部下は深く頷くと逆方向へ走っていった。
ある程度走ると馬から降りた。そして、長年の勘を頼りに暗い町を歩いた。彼の勘は冴えていた。足元を見ると、固まってない血が点々と続いている。落ちている血量は段々多くなっている。そしてやっと……。血の主にたどり着いた。
樽を背もたれにして深く荒い呼吸を繰り返していた。若者に気付くと諦めるように笑った。
「よぅ…遅かったな」
「ごめん。なかなかあんたが逃げ回るもんだから無傷じゃ捕らえられなかった。勘弁な」
男は笑みと苦しさを混ぜ合わせたような表情で彼を見た。歳は40ぐらいだろうか。屈強な体つきではあるが、細い体躯は敵から逃げるのに適していた。現に男は賞金首の最後の一人だった。若者は慎重に男に近付くと上の服を引き裂いた。すると、中からおびただしい数のナイフが転がり落ちてきた。小型といえどもこれだけの数を持ちながらあれだけ俊敏な動きが出来ていた事に驚いた。
「優しくな…」
「……変態め」
男の衣服から武器を全て奪いとり、ズボンのポケットに手を入れると紙切れのようなものが当たった。
取り出してみると写真だった。
そこには金髪の愛らしい女性が楽しそうに笑っていた。
「妻だ」
自慢するかのような口ぶりで男は言った。
写真を持つ手を替えた時、若者の目は少し揺れた。
女性の手は包み込むように下腹部に置いていた。そのお腹は大きい。写真を見た後男を見た。男は今度は寂しそうに笑った。
「もう産まれる頃だろう…いや、産まれたか…なんせ当分帰ってないから分からん。本当なら今日の今頃は家に着く予定だったんだ。…人生思うようにはいかんな」
そこで男の顔色が変わった。激しく吐血すると咳き込みながら倒れた。肺をやられているらしい。これ以上生きるには苦痛なことくらい若者には分かっていた。いつものようにとどめ用のナイフを抜き、男の喉に当てた。男の目はもう死を覚悟していた。
「………やれ」
か細い声が若者の耳に響く。意を決した時、さっきの写真が倒れている男の顔の隣に落ちた。中にいる女性は若者のやろうとしていることを優しく黙って笑っていた。
【ザクっ!!】
ナイフは女性の顔を避けて深々と突き刺さっていた。男は息を整えようと必死な若者をまじまじと眺めた。若者も何故こんなに息が苦しいのか、何故これ程汗をかいているのか分からなかった。振り向くと男と目が合った。
「ハァ…ハァ…何でだろうな…いつもはこんな…」
「………ゲホッゲホッ…出直してくるか?」
血を吐きながらの男の言葉に若者は吹き出した。こんなに可笑しかったのは久しぶりだった。
「いいのか?俺は賞金首なんだぞ」
「今日の俺はいつもと違ってまともじゃないらしい。気が変わらないうちに行け」
数時間後。馬上には傷が塞がった上半身裸の男の姿があった。あの後、若者が持っていた最後の秘薬で男は命拾いしたのだった。