26.ごめんね…ごめんね…
「…ったこともあり、非常に心優しい母親でした。また…」
千早は、母親の葬式に参加し、長女として辞を述べていた。父親は姿を見せず、集まったのは近い親戚や近所の人々、母親の勤め先の社員あたりだった。
好きでもない母親の、しかも惜しむような辞を述べるのは辛かった。二度と会いたくないほど嫌っていた母親。いくら礼儀とて、どこか嫌気がさしていた。
「お父さんもいないんでしょう?」
「は、はぁ。」
「かわいそうに…。かわいそうにねぇ…。」
親族が涙を流す中、どうして泣けるのかわからなかった。あんな身勝手で、自己中心的な母親がいなくなって誰が困るのであろうか。結局、被害を受けていたのは私と航太だけだったんだ。
出棺し、そのまま火葬場へと運ばれ、火葬された骨を見ても、なんとも思わなかった。テレビで赤の他人が死んだニュース、それを見ているような感覚だった。
自転車を走らせ、アパートへと帰ってきた。部屋に入るなり、喪服がわりの制服を脱ぎ捨てる。バイトまでに、航太のところへと行かねばならない。
「本はいいのよね。あとヒモのついてない服と…、靴下はいいのかな?」
あれこれ考えながら、バッグへと詰め込んでいく。航太への差し入れだった。
「…これでいっか。」
バタンと部屋を閉め、自転車にまたがる。ここから留置場まで三十分はかかる。
扱ぎながら、航太のことを考える。不自由していないだろうか、怖がっていないだろうか、パニックを起こしてはいないだろうか…。
そんなことを考えている内に、警察署へと辿り着いた。
「接見時間は二十分です。」
面会室に通されると、アクリルだろうか透明な板の向こうに航太が見えた。
「お姉ちゃん…。」
「航太。」
千早を見て、少し安心したのか僅かに笑顔を見せた。
「怖くない?」
椅子に座り、そう問うた。
「ううん、大丈夫。」
「そう…、よかった。あ、」
今のうちに渡しておこうと、差し入れを出した。
「別によかったのに…。」
「そう言わずに持っておきなさい。」
「う、うん…。」
昨日、書店で買ってきた本と服を渡す。難しそうな顔をする航太。
「お姉ちゃん…、ごめんなさい。」
「私に謝る必要はないよ。」
私も悪いとは思っていないもの。そう言おうとしたが、ここは警察署の中。殺人を肯定するような言葉は言えなかった。
「ねえ。」
「うん?」
「お姉ちゃん、進路は決まったの?」
「え…あ、」
結局決まっていない…。もう二月の頭だと言うのに。
「お、お金はちゃんとあるからね。べ、別にお金がなくて行けないんじゃないからね。」
「え?じゃあ、そんなに成績が悪いの?」
「うう…、航太のいじわる…。」
半分あってる回答に、小さくなる千早。
「お姉ちゃんなら大丈夫だよ。がんばってよ。」
まさか弟に励まされるとは思わなかった…、しかも留置場で。…あー恥ずかしい。
「そ、そんなことより!航太はちゃんと食べてるの?」
話題を変えようと、口調を強めた。全然関係ないことだったが…。
「大丈夫だって。そんなに精神力弱くないって。」
「あ、そう…。」
あっけない返答で、目が点になる千早。
「お姉ちゃんこそ、こんな本よりも自分は大丈夫なの?」
「わ、私は…、ちゃんと食べれるわよ。」
会話しながら、航太が元気でよかったと安心していた。
だが、そんなホッとした日は長くは続かなかった。
千早のアパートにも取調べが入った。参考人として呼び出され、取調べを受けたりもした。
それでも、千早は耐えた。航太が一番辛いはず、私はまだ耐えられる…と。日々のバイトも休んだりはしなかった。
…ところが、
「ええ?それ本当?」
「昨日の新聞に出てた。」
学校へ行くたびに、行き違う生徒から後ろ指を差された。
あの女、殺人者の姉よ。うっそ~、マジで?弟を使って母親を殺したって。頭オカシイんじゃない?…根も葉もない噂までが、ドンドンと一人歩きしていった。
“ガララ…”
教室のドアを開け、自分の机を見る。
“人殺し”
赤いマジックで、そう書かれていた。クスクスという笑い声も聞こえた。
ペンケースから定規を取り出し、ゆっくりと削る。本当は机をひっくり返したいくらいだった。自分は犯人ではないとぶちまけたかった。
「…航太。」
そうだ、自分が犯人ではないと言えば航太が悪いような言い方になってしまう。まるで枷をつけられたように、何も言えなかった。
「よう、千早。」
振り返ると、武だった。
「うん、おはよう。」
「大丈夫か?声が疲れてるぞ。」
「あ、大丈夫大丈夫。アハハハ…。」
絶対に、武だけには心配をかけさせたくない。自分の問題だけに、余計避けたかった。もちろん、武には母親が死んだとしか言ってはいない。
「じゃあお疲れさん。」
バイト先のコンビニから、自転車に乗って帰路につく。自分でも疲れているのがわかっていた。
「…はぁ。」
自転車を走らせながら、いろいろ考える。
航太の行動は正しかったのだろうか。母親がいなくなったのはよかったのだろうか。私は、これからどうすればいいのか…。
「…航太。」
ごめんね、何にもできない無力なお姉ちゃんで。正しいことをしたはずなのに、警察に協力するような裏切り者で。
考えるたびに涙が溢れてきた。いつの間にか、走りながら泣いていた。涙を拭いても、後から後から出てくる涙。
「ごめんね…、ごめんね…。」
航太に責められているような気がした。表ではお姉ちゃん、お姉ちゃんと慕ってくれていても、裏では怒ってるかもしれない。
「この感じ…、どこかで…。」
思い出した。江口君のときだ。涙の中で、思い起こされる記憶。思い出したくはない記憶。
「…私って、自己中なのかな。」
ふと、そう思った。母親に対して自己中自己中言っていたけど、私自身、その母親から産まれてきたんだ。母親の血を受け継いでるんだ。自己中であっても、不思議じゃないのかもしれない。
「でも…私…。」
雪が降ってきた。まるで、自分の心の中のようだった。急に自分が怖くなった。
しばらく、道の端で泣いた。声を押し殺して泣いた。頬を伝う涙の温もり、それすらも怖かった。なぜかなんでわからない。自分が怖かった。
「…。」
涙が止まったころ、一つの結論が出た。…いや、出てしまったと言うべきかもしれない。
「…私って、…いらないのかな。」
「まあーったく、降るならスタッドレス履いてくりゃよかった。」
交差点で、信号待ちをする武。今は父親譲りの車で買い物に行った帰りだった。
「ん~?あれ千早じゃないか。」
バイト帰りの千早とは稀に会うが、今日は歩いていた。
「だよなぁ、この雪じゃあ自転車もキツイか。」
送っていってやろうかと親切心を起こし、角を曲がった。
「おーい、千早ー。」
窓を開け、呼んだ。が、応答はなかった。そのまま気づかずに歩いていく。
「おーい…」
ん?あそこはアパートじゃないよな…。
「…嫌な予感がする。」
とっさにハザードボタンを押し、雪の降る車外へと飛び出した。
今にして思えば、この嫌な予感は当たったのかもしれない…




