24.翔太との再会
交差点の信号を見て、自転車のブレーキをかける。キッと自転車は止まった。
「えーと、今ここをこっちに来たから…。」
自転車にまたがる千早。片手には地図を握っている。白い息を吐きながら、周りをキョロキョロ。
年が明け、2006年の1月14日。今日はセンター試験、千早自身もセンター試験の会場へと向かっているところだった。見慣れぬ場所に戸惑いながらも、自転車を走らせていく。
「ここを曲がって…。あれかな?」
会場となっている大学を見つけた。
どこも受験者らしきで一杯だ。駐輪場を探し当てたが、広い大学の駐輪場さえもほとんどが埋め尽くされていた。
「受験票を出して、こちらへ移動してくださーい。」
直行便のバスには、ギュウギュウ詰めで人が乗っている。いったいどれだけの人が受けるのだろう。
入口付近にいた職員に、受験票を見せる。
「はい。じゃあこのまま真っ直ぐ進んで、案内板があるからそれに従ってください。」
人の波に乗り、大学内を進んでいく。案内板の前には人だかりができていた。
「1790C?1700Cから1899Cまでが医学部棟だから…っと。」
医学部棟はすぐそこだ。そのまま真っ直ぐ進み、医学部棟へと入った。
「受験票を確認しますので、出しておいてくださーい。」
受験票を見せると、手に取り入念にチェックする職員。
「はい。あなたは三階の307号室ですので、階段で三階に上がってすぐ右です。」
「ありがとうございます。」
短く礼をすると、階段を上る。学校よりも広い階段だった。
案内された307号室には、すでに数人が座っていた。
この空気…なんなの?最初に感じたことがそれだった。殺気立っているわけではないが、穏やかな雰囲気ではない。妙に居心地の悪い感じだった。
「…。」
正面の黒板を見る。席順が白いチョークで書かれていた。
「1790C、1790C…」
空気に負けじと、受験番号を呪文のように唱えながら席を探した。向かって左の窓際、後ろに近い席だ。
堅い木の椅子の上に腰を下ろす。暖房がついて間もないのか、スカート越しに冷たさが伝わってきた。
「…。」
周囲の受験者たちは、そんなことには全く関心を寄せず参考書を睨みつけている。
そんな空気の中、センター試験は進んでいった。最初は地理B、現代社会。お昼を挟んで国語、そして英語。普段、試験ともなれば睡眠時間に当てている千早ですら、どうも寝られない雰囲気があった。
そのまま二日目。まずは科学、物理ときた。午後に入って数学Ⅰ・AとⅡ・Bという数学連チャンであった。
「ああ~、終わった~。」
数学Ⅱ・Bの試験が終わった時、小さいながらも伸びと一緒に出てしまった声。使っていなかった頭をフルに使った分、精神的にヘトヘトだ。
「こっから帰らなきゃなの…。」
軽く一時間はかかる帰路につかねばならない。考えただけでも嫌だが、ここにいるわけにもいかない。
「ではお疲れ様でした。以上で大学入試センター試験を終了します。解散。」
受験者が一斉に席を立ち始め、出口から姿を消していく。千早も流れに乗りながら、307号室を後にする。
階段は人でごったがえしていた。人の渋滞で、一歩づつしか進めない。
「…!」
二階まで下りてきたときに、すぐ下の踊り場に見つけた。…翔太だった。
「江口君…。」
ここから、せいぜい数メートル。声を上げれば気づくであろう距離。人ごみをかき分けて肩を叩く事だってできただろう。
だが今の千早にとっては遠すぎた。体と体は近くとも、そこに意識はないに等しかった。
「…。」
唇を噛みしめる千早。隣は友達なのか、笑顔が見える。何ヶ月ぶりに見たのか、翔太の笑顔だった。
…あの笑顔が、もういちど私に向けられることはあるのだろうか。…江口君の前に、もういちど私が立てる日がくるのだろうか。
階段を下りきり、医学部棟から出たところで理数科は集まっていた。混じるわけにもいかず、静かにそこを後にした。
「…江口君。」
涙が出そうだった。悲しい、というよりは悔しかった。それまでずっと忘れていた気持ちが、翔太を視界に入れた瞬間湧き上がってきたのかもしれない。
逃げるように駐輪場へと歩いた。ぐっと涙をこらえ、悔しさをこらえ…。
「…武。」
道の脇に、武が立っていた。
「ああ、千早。」
笑顔を見せた武。
「武も、センター試験受けてたんだ。」
「受けたは受けたけど、結局進路決まってないしなぁ…。教師にはとりあえず受けとけ、みたいな感じで言われちゃってさ。」
恥ずかしそうに頭をかく武。
「私もそうだよ。夢もないし。…どうしよっかな、アハハハ。」
できるだけ明るく振舞う。絶対に、武へ心配をかけさせてはならないと決心しているから。
「で、どうだった?」
「数学とか全然。物理とか、サイコロ振ったほうが点数よかったりして。」
「俺もだよ。国語なんかは全滅だぜ。」
会話しながら、ふと去年の暮れのことが頭に浮かんだ。武の運転で、峠を登ったときのことだ。あの時、武は…。
「…千早?」
武が顔をのぞきこんだ。意識が飛んでいたらしい。
「ああ、ごめん。」
「?」
不思議そうな顔をする武。
「じゃあ私、自転車だから。急がないと暗くなって帰れなくなっちゃう。」
「そうだな、千早は方向音痴だものな。」
「うー、家の方向くらいわかるもん。」
そんなことを言いながら、駐輪場の方へと歩いた。
「はー…、疲れちゃった。」
その日の夜、コンビニのバイト。昨日休んだから、今日は休むわけにはいかない。
「もう十時じゃないか?いいよ西園寺さん、上がっても。」
店長の言葉に、ペコリとお辞儀してロッカーに下がる。
「そういえば、西園寺さんは高校三年生だよね?大学はどこへ行くんだい?それとも就職かい?」
突然訊かれ、びっくりしてしまった。返答に詰まる。
「あ…、えと…、まだ決まってないです…。」
「本当にか?だって、今日センター試験終わったんだろ?」
「ええ。なんですけど、決めかねていて…。」
思わず下を向いてしまう。
「早いとこ進路を決めて、受験勉強に精を出したほうがいいぞ。」
「ええ、はい…。」
進路を決めたい気持ちはある。が、どう決めていいのかすらわからなかった。やりたいこともない、夢も見つからない、出席日数は足りない…。
「あれ?」
そんなことを考えながら、アパートについた。部屋のドアの前に、誰かがうずくまっている。
「…航太?」
声をかけると、うずくまっていた影は起き上がった。
「…お姉ちゃん。」
「どうしたの?こんな遅くに…。」
ドアの鍵を開け、航太を中へと入れる。ずっと外にいたのか、着ていた上着はとても冷たかった。
「家で何かあったの?」
ドアを閉め、ゆっくりと喋りかけた。暗い表情から、よくないことがあったのは確かだ。
「…お前なんか出てけって言われた。」
低い声だった。
「母さんに?」
「うん。」
もうそこまで言うようになったか…。私のいない間に、状況はまた酷くなったのね。
「…お姉ちゃんが、今から言うことよく聞いて。」
「…うん。」
頷くのを確認し、笑顔を作りながら、
「今日はとりあえず、ここに泊まっていいから。それで、明日の朝早く家に戻りなさい。…ここまではいい?」
「…うん。」
「家に戻って、ちゃんと学校へ行くの。学校が終わったら、荷物を持ってこっちに来なさい。」
「それ…、明日からここに泊まるってこと?」
頷く千早。これ以上、航太を母親の元へおいておくわけにはいかない気がした。




