22.武からの告白
結局、翔太からのメールはこなかった。芸術鑑賞教室の時の会話が、まるで夢の中の出来事だったように思えた。
「…なんで、また友達になれなかったの…?」
そんな中、冬はどんどん深くなっていった。肌につきささるような寒さを感じ、白い雪がそれを増幅させる。
「はぁ…。…寒いな。」
ひとり言を繰り返しながら、バイトから帰宅する千早。気持ちが沈んでいるせいか、余計に寒く感じた。
あの日、芸術鑑賞教室の日から時が経った。12月24日、クリスマス・イブだ。コンビニのレジに立っている間も、二人で訪れてはクリスマスのグッズを買っていくカップルを見てゲンナリしていた。今日は早めに終わったバイトだが、気持ちは下向きだ。
「あれ?」
アパート前に、見慣れぬ車が止まっていた。後ろにパーツが付いてるというか…、スポーツカーってやつ?
「誰か乗ってるのかな?」
気にしつつも、自転車を下り自転車を止めにいこうとしたとき、
「千早。」
今度は聞きなれた声がした。えっ、と振り向く。
「えと…、武?」
暗かったが、武だとわかった。
「バイト帰りか?」
「うん。今終わったとこ。」
珍しい。アパートの場所を知っているのは、航太と武くらいのものだ。でも武がここへと来たのは数えるほどしかない。
「それ…、武の車?」
目の前の車を指差す千早。
「ああ、俺の車だ。…あのさ、」
「うん?なあに?」
「ちょっと、ドライブ付き合ってくれないか?できるだけ、遅くはならないようにするからさ。」
行く気はしなかったが、別に断るような理由がないだけに迷う千早。
「…ちょっとだけだよ。」
千早の言葉に、武に笑みが浮かんだ。
「隣、乗って。」
武に言われ、助手席のドアを開ける。室内は、少々狭いような気がした。
“ギュルルルル…”
「ひいっ!」
「えっ、ど、どうした!?」
悲鳴のような、短い奇声をあげる千早。
「あ、ごっごめん…。車乗ってないから、びっくり…しちゃって。」
車に乗ったのは、いったい何年振りだろう。中学生の頃、父親の車で東京へ行ったのが最後だったかな。
「びっくりした。じゃあ行くぞ。」
武の左手が動くのと同時に、シートに背中が押し付けられる。低いエンジン音が耳へと入ってきた。
「千早、すまねぇな。こんな時間に…。」
少し走ったところで、武が口を開いた。
「ううん、せっかくの冬休みだから大丈夫!大丈夫!」
できるだけ明るく振舞った。武にだけは余計な心配かけさせたくないという、千早なりの努力だ。
「って、あれ?武って免許持ってたっけ?」
「ああ、7月の20日に免許を取得してきた。」
「え?7月20日って風邪で休んだんじゃあ…。」
「ああ、あれは嘘だ。」
「あ、そうかそうか…ふぇ!?」
武が免許を取ったなんて、全く気づかなかった。
「流石に先生には内緒だぜ?」
武のクギに、小さく頷く。
車は走り続け、峠道の入り口に差し掛かった。
「千早…。」
「何?」
揺れ動く車内で、再び武が口を開いた。
「このドライブの中じゃあ、全部は伝えられねぇけど…、俺が抱えていたこと、伝えようかなっと思ってな。」
「え?」
抱えているもの?頭に疑問符が浮かぶ。
「お互い、負い目無しにしたいからな。あの時の…あれだよ、あれ。」
「あ…。」
あれ?あれって何?負い目…?
「俺な…バイト、結構ヤバかったんだ。」
「ヤバかったって…あ、かなり時給が低いの?それで、辞めちゃったの?」
「いや、バイト代はバカみたく高い。だが、ハイリスク・ハイリターンのハイリスクがヤバイ。」
「ど、どんなバイトなの?」
「単なる運び屋。だけど、命の危険度が高い依頼ばかり扱っていたよ。」
「…バカじゃないの?」
自分でも、なぜこんな台詞が出てきたのか理解できなかった。きっと心のどこかに、武への心配があったのだろうか。言い直そうとしても、代わりの言葉が見つからない。
「ヤバイぜ。それに、今まで後ろから煽られたことはないという日はないぜ?」
「武が不運なだけじゃないの?ここらは走り屋たくさんいるって言うし♪」
本当にいるかどうかなんて知らなかった。さきほどの台詞からの空気を取り戻すかのように、明るく喋ろうとする。
「まあ、無免許運転を二年間すれば大体撒ける。」
「え?今、さらりとヤバイこと言わなかった?」
え?無免許運転…。
「無免許運転は…まあ、気にするな。今、普通自動車の免許持ってるからな。」
「それはそうだけど…大丈夫かな~?」
峠道を無難に走っていく車。そうは言ったが、特に不安はなかった。
「千早。」
「なになに~?」
「ちょっとだけ飛ばすぞ。」
「ふぇ?まあ、いいけど…。」
返事と同時に、背中が引っ張られるような感じがした。
「ちょ、ちょっと。前、ガードレール…」
「舌噛むなよ。」
武の台詞とほぼ同時に、今度は前へと押し出された。
「ふぎゃ!?」
予期せぬ状況に、体重が前へと移動する。
「…大丈夫か?」
「アハハハハ…だ、大丈夫大丈夫!」
全然大丈夫じゃないよぉ…。車って、こんなに横向きの力がかかるものだっけ…?
「千早…」
「な、何?」
「お前、よく見たら背より胸の成長が凄いな。」
「ば、バカ!どこ見てんのよ!!」
まさかの武の発言に、真っ赤になる。
「いやいや、俺は好きだぜ?」
「こ、このロリコンめ!!ま、まさか、武がロリコンだなんて…。」
「千早、中学一年生までならロリだが、それ以降はロリじゃねぇぜ?」
「じゃあ変態!!武は変態だよ~!大変だよ~!!」
誰も気にしなかったし、自分でも気づかなかったけど…。どう反応していいかわからず、とりあえずジタバタする。
「千早。俺はそうしている千早が好きだ。」
「え?」
今…、武はなんて言った?
「…今後はそうしてくれ。」
「…うー、ラジャッ!!」
サッと敬礼の動作をする。そう、明るく振舞わなくっちゃ。
「俺さ、夏休みに筑波とこの楓スカイラインでバトルしたんだよ。両方とも女性ドライバーで歯が立たない腕前だったよ。」
「へぇ~女の走り屋か…。」
「それでな…このラインで負けた。」
「ふ~ん…ファッ!?バトル!?走り屋!?」
いきなりのバトルの話に、理解が追いつかない。
「…それで、バトルして分かったんだ。俺はここにいて良い人間じゃないってな。」
今日の武は、いつもとどこか違う。まるで、別の人間と話しているみたい。
「武って、中二病だっけっか?」
「俺らはもう高校三年生だぜ?」
「うん。だから?」
「だから…まあいいや。要は、俺は公道ランナーは向いてないんじゃないかって思ったのさ。それに、進路のことも考えなきゃいけないしな。」
「え?進路?…あ。」
そういえば、私は全然決まってないや…。
車は二人と共に、暗い夜の峠道を登っていく。




