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生い茂る青葉―Story of the past―  作者: 賦羅和鼓卯小説掲載委託有限会社(発注者:天城孝幸)
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2.まわりと違う

 “カチャン”

ドアノブの鍵穴に鍵を突っ込み、無造作に回す。

 築30年は楽々経っているだろう。二階建ての表札もないボロアパートが、千早の住処だった。

 一階の出入り口すぐ脇。ドアを開けると、お世辞にも広いとはいえない部屋が姿を現す。

「はぁ~…。」

バッグを放り出し、そのままベッドに倒れこむ。たった今、六時をまわったところ。

「バイト行かなきゃ…。」

ゆっくりと立ち上がり、ブラウスを脱ぎ始める。武と同じクラスになれたという嬉しさが反動となり、一人ぼっちの寂しさが目立ってくる。

 中学校を卒業する間際、千早の両親が離婚した。理由はうやむやにされて全くわからなかったが、離婚を告げられた次の日にはもう父親の姿は家になかった。

 挙句の果てに、「もう苦労をかけさせないで。」と母親に言われて腹が立った。それはこっちの台詞よ。勝手に離婚して、よくもヌケヌケとそんな言葉が娘に向かって吐けるわね。

 千早は家を出た。どうやって生きていけばいいのか分からなかった。野宿もした。そうやってでも、とにかく母親の元から離れたかった。

 “ピロリン♪”

「?」

ケータイを取り出す。弟からのメールだった。

『今日泊まりに行っていい?』

「またか…。」

ゲンナリする千早。一人暮らしに弟は連れていけない。やむなく母親の元へと置いてきたのだが、最近母親のヒステリーが再発したらしい。家のものを所構わず壊して回る母親は、狂ってるとしか表現できなかった。

『玄関開けておくから、適当に夕飯食べてて。』

パタンとケータイを閉じると、ドアを押し開けた。


 「ありがとうございましたー。」

近所のコンビニ。時計は十時に短針が差し掛かるころだ。そろそろ上がりかな…。

 週六でこのレジに立つ千早。始めたてのころはヘトヘトだったが、今はもうすっかり慣れきっていた。

「西園寺さん、今日はもう上がるかい?」

「あ、はい。お願いします。」

「じゃあお疲れさん。」

 奥のロッカーで着替え、コンビニを出る千早。手には売れ残ったコンビニ弁当を下げている。

 街頭のほとんどない夜道を歩く。人通りもない。遥か遠くの赤信号が、いつもより目立って見えた。

 「ただいまー。」

鍵の開いているドアを開け、中を見る。弟の航太こうたが座っていた。

「お帰り、お姉ちゃん。」

「今日もヒス?」

「うん。皿を投げられた。」

「大丈夫だった?ケガは?」

「避けたから大丈夫。そのまま逃げてきたから、後のことは分からないけど。」

親が親だけに、若干姉バカになっている千早。まあ同時に航太もシスコン気味だから、別に困ることもないのだが。

「航太、ちゃんとご飯食べてる?」

「ううん。カップラーメンばっかり。」

「野菜ジュースくらい飲んでおきなさいよ。」

「でもさ、あれって言うほど効果あるの?」

「さあ…。」

 千早にとっても、航太は貴重な話し相手だった。いろいろ話したい。が、あまり自分のことばかり喋ると航太の負担になりそうで、我慢しているのも事実だった。

 「お風呂、先に入ってて。」

「今日は水風呂?」

「私は水風呂でいいわ。」

「じゃあ僕も水風呂でいいよ。」

 ガス代を節約するために、風呂と言えば基本的に水風呂だ。千早にとっては、もう石鹸が泡立たないくらいの不便にしか感じなかった。


 「ふぁ~。」

一つ伸びをして周りを見渡す。航太の姿はなかった。

「そっか、逃げてきたから制服も何もなかったんだ。」

脇にどかした机の上に置手紙。“先に行きます。何にもできずにすいません。”

 顔を洗って、食パンを一枚取り出す。手で半分にちぎったら、片方にジャムを塗る。これが、千早の朝食の全てだ。

 食パンを口に含みながら、身支度。

「もう体育?ほんっとにもう、疲れちゃうよ…。」

部屋の端っこにポツンと置いてある体操着をバッグに突っ込み、水筒をのせる。これを逆にすると、自転車のかごからゴンゴンと水筒の当たる音が響いてしまう。

「ガスよし、電気よし、水道よしっと。」

ガスメーターと電力計、はては水道のふたを開けて水量計までチェックする。初めてここに越してきたとき、水道が締め切っていなくて水道料金がえらいことになった経験からだった。

 バッグを自転車のかごに放り込み、ペダルを踏ん張る。ギーという怪しげな音が自転車から聞こえてくる。

 住宅街を抜け、街を通過したら私鉄と併走。五つ目の駅の近くに、甲斐学園山梨高校は建っていた。

「おはよー。」

「おっ、昨日よりはえーじゃん。」

「えー、そんなことないよ。」

遠く聞こえる、生徒の会話。無言でスタンドを下ろし、駐輪場の階段をおりた。

「おはようございます。」

「おはよーございます。」

中校舎の入口(登校口)では、先生たちが生徒に挨拶を繰り返している。建山先生と目が合ってしまった。

「はい、おはようございます。」

「お、おはようございます…。」

聞こえるかどうかぐらいの声で返し、そそくさと校舎へと入る。食堂前を抜け、階段を駆け上がる。

 教室からは、数人の声が聞こえた。

「え、行ったの?お前が?」

「なんだよ、それじゃあ俺が行ったらオカシイみたいじゃないか。」

男子が二・三人固まって会話している。後ろの方には、本を読んでいる女子が一人いるだけだった。千早が入った瞬間、一斉に視線が飛んできた。

「…ふぅ。」

椅子に座り、一息ついた。男子たちは千早を無視するかのように、会話を続けている。

 時間が経つにつれ、教室には次々と生徒が入ってくる。机の上で寝息をたてながら、千早はその靴音を感じていた。

「千早、千早。」

後ろから肩をトントンと叩かれる。面倒くさそうに顔を上げ振り向くと、武だった。

「もうショートホームルーム始まるぞ。」

「え?あ、うん…。」

ガララとドアが開き、教師が入ってきた。昨日とは違う、若い男の教師だ。

「えーっと…、窓際の君、挨拶して。」

「はい。起ー立!」

 挨拶、そして生徒が座ったのを確認すると、

“戸塚 三郎”

「はい、今日から担任となった戸塚とつか 三郎さぶろうです。皆さんもいよいよ最終学年ですが、よろしくお願いします。数学は、私が担当しますので承知しておいて下さい。」

黒板に書いた文字を見ながら、自己紹介する戸塚。ざわつき始める教室。

「はい静かに。とりあえず連絡事項があります。今日の六時限目に…」

教壇で淡々と事務連絡を伝える戸塚。堅そうな担任、というのが第一印象だった。


 “キーンコーンカーンコーン…”

「礼。」

「お願いします。」

椅子の音をたてて全員が座る。

「えーではね、最初のホームルームということで自己紹介をやってもらいたいと思います。」

チョークで黒板に文字を入れる。自己紹介というのに反応し、教室がざわつき始めた。

“名前・出身中学・一言”

「はい注目して。順番にこれを言っていくように。…では一番の秋月から。」

「お、俺からかよ…。」

パチパチと拍手が起こった。同じクラスだった連中だろう。

「一言か…、何を言えばいいのやら。」

「よろしくお願いしますでいいんじゃね?」

後ろでは、武が隣の男子と喋っている。周りが「どうしようかー」とか、「えー」とか、友達と言い合っているのを見て、千早は寂しさがこみ上げてきた。

 「…中学出身です。一年間よろしくお願いします。」

前の女子が自己紹介を終わらせた。席を立つ千早。

「さ、西園寺 千早です。出身中学は…、東光寺中です。…よろしくお願いします。」

語尾を弱めて、そそくさと着席した。正直自分でも小声だと思ったくらいだ。すぐに武が立ち上がり、

「真田 武、東光寺中学出身です。将来お先真っ暗の自分をよろしくお願いします。」

ハハハと笑い声が聞こえた。自分が壊してしまった空気を、武に直させてしまったようで心苦しかった。武の座る音が、千早の心にまで響いた。

「いや~、スベッたらどうしようかと思ったよ。」

「俺はスベり確定だからなー。真田、笑ってくれよ?」

「さあってと、どうしよっかな~♪」

千早は黒板を見た。…いや、視線を向けた。ただ、無意識に。

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