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生い茂る青葉―Story of the past―  作者: 賦羅和鼓卯小説掲載委託有限会社(発注者:天城孝幸)
18/28

18.変わろう。バカになろう。

 “ガチャ”

「ふぅ~。」

バイトから帰り、部屋に倒れこむ千早。うーんと伸びをひとつ。

「あれ?」

手の先に、何かが当たった。学校帰りに買った小説だった。軍艦の表紙絵が目をひく。

「…ちょっと読んでみようか。」

起き上がり、小説を手に取る。ペラペラっとページをめくってみると、薄さの割には文字も大きいみたいだ。

「…。」

前書きをすっ飛ばし、始めのページに目を通し始めた。


 “遊撃艦隊出撃セヨ!”。読んで字のごとく、というか内容がわかりやすい題名の小説だ。二人の男女が過去へとタイムスリップしてしまい、1930年という荒ぶった時代の日本へと移転してしまうストーリーだ。艦魂という、船の魂が実体化したものが登場するのも特徴だ。


 「…。」

いつの間にか、千早は小説に全ての神経を注いでいた。ただ無言に、並ぶ文字を追いかけ頭に流し込んでいく。

 軍艦好きでもなければ、戦車が好きなわけでもない。ましてや、女の子が好きという変わった嗜好の持ち主でもない千早。登場するヒロインの生き方にひかれたのだろう。いつでも笑い、豪快かつ大胆な行動を見せるその人物に、千早は考えてしまう。

「私…、こんなに生き生きとしていたことあったっけ…?」

主人公の男を引っ張るほど、活発的に動くヒロイン。それに比べて私は…。

「嫌になっちゃうな~。」

沈む気持ちを抑えようと、わざと声のトーンを上げ自分に語りかける。

「時間は…、もう一時か。」

お風呂入って寝よ。立ち上がり、脱衣所へと入る。

 冷たいシャワーを浴びている間も、考え続ける。

「すぐに友達を作れる人…か。」

小説のヒロインが、出会う艦魂の女の子たちへ次々話しかけていく場面。自分から喋ることもできず、喋りかけられても満足に答えることもできない自分とは対照的だ。

 小説内の話だから。それで片付けることもできた。それでも答えを求めたのは、千早の精神力が限界に近づいていたからかもしれない。

「はぁー…。」

バスタオルで体を拭く。

「活発的…か。」

この言葉が、どうも引っかかった。自分に足りないもの…?

 自分が活発になったら…。活発になった自分は…。想像したこともないし、したいとも思わない。しかし心のどこかで、好奇心が目を覚ましていた。

 誰にでも話しかけられる自分。友達がいっぱいいる自分。どんな時でも笑顔を絶やさない自分。いくつもの、活発な自分が…。

「なんでこんなこと考えてるんだろ…。」

バカらしくなった。私はやっぱりバカだ。できないことを一生懸命になって考える。考えて考えて、結局何もできずに終わる。いじめだってそうだ。自分ひとりで解決しようとしながら、手も足も出ずにやられているだけ…。

「…あ。」

むくりと起き上がった。

「そうだ…。バカになればいいんだ。」

開き直ったような口調で声を出す千早。自分でも、今おかしいことは百も承知だ。

「どうせバカなんだから、落ちるとこまで落ちちゃおう。」

自分はバカ。何もできないくせに、何とかしようとするバカ。そうだ、何やったって失敗してばかりなんだから。

「明日からバカになろっと。おやすみっ。」

半ば自暴自棄で、タオルを被った。

 「…ぷはっ。」

7月に被れば、当然暑い。やっぱりバカだな、私。


 次の日は雨だった。朝から蒸し暑い。

「ん…。」

伸びをひとつ、ノソノソと寝床から這い出る千早。台所をあてに体を起こす。

「ご飯はまだあったかな?」

台所の下をまさぐり、タッパーを取り出す。中にはご飯が半分ほど入っている。

「あったあった。これでいいか。」

そのままタッパーをバッグへと滑り込ませる。今日のお昼らしい。

「朝はどうしよ。…なんかなかったかな。」

再び台所の下をまさぐる。残念ながら、食べ物はなかった。

「いいや、朝ごはんいらない。」

 身支度を整え、部屋を出る千早。自転車にまたがったところで、

「そうだ、今日からバカになるんだった。」

具体的にどうすればいいのか、全くわからなかった。でも、不思議にも辞めようとは思わなかった。

 そのまま自転車を漕ぎ出す。小雨とはいえ、降ってくる雨が千早の髪を濡らしていた。


 結局、学校に着く頃にはビショ濡れになっていた。

「いやぁ~。これじゃ透けちゃうー。」

駐輪場で、誰に言ってるのかもわからない言葉を発する。タオルでブラウスだけ拭き、校舎に入った。

 「今日は古文で、数学Ⅲで、物理で…。」

履修室の席に座ると、予定表を見ながら順番に教科書とノートを出していく。教科書とは対照的に、ほとんどのノートはボロボロだ。

“ガララ…”

「はい、準備はいい?」

「は~い。準備できてまーす。」

できるだけの笑顔で、古文の教師に返した。

「じゃあ始めましょう。教科書の34ページを開いてください。」

まさかの千早の反応に、驚きを隠しきれない教師。教科書へと目を落とすその姿は、千早から目線を切っているようにも見えた。

「では5行目からいきます。この文章の現代訳は…」

ホワイトボードにペンを走らせる教師。


 昼前の補講は地理だった。地理の教師は、無駄に元気な男の教師だ。

“ガララ…”

「はい今日もやってくよ。用意はできてる?」

「はーい。準備バッチリ~。」

千早の元気な返し方に、びっくりする教師。

「おおう…。今日はやけに元気だね、西園寺さん。」

「えー、いつもと変わりませんよ~。」

ニコニコ笑顔で返す千早。まあいいや、と教科書を広げる教師。

「今日はヨーロッパ諸国をやってくよ。ヨーロッパの国といえば?」

「はーい。アメリカー。」

千早の元気いっぱいの間違いに、大笑いする教師。

「アッハハハ。残念ながら、アメリカはヨーロッパではありませーん。」

「えー違うのー?海を越えたらヨーロッパでしょー?」

「海を越えてヨーロッパだったら、みんなヨーロッパへ旅行しちゃうよ。」

「私はその方がいいんだけどなー。」

 ずっと笑顔を絶やさない。初めてのことだったが、千早は笑い続けた。作り笑顔でもいい、私はバカだから笑うことしかできないんだ。

「ヨーロッパにあるのは、イギリスドイツフランスオランダイタリア…。こんなところかな?はい繰り返し。」

「えーと、イギリスフランスドイツ…オーストラリアイギリスあれ?」

「オーストラリアがヨーロッパにあったら困るなぁ。あんな大きな大陸がヨーロッパにあったら、窮屈で困っちゃうよ。」

「せんせー、ヨーロッパってオーストラリアの方になかったですかー?」

「え?え?…えーと、ヨーロッパってオーストラリアの方に?」

「あ、間違えましたぁ。オーストラリアってヨーロッパの方になかったですか?」

「オーストラリアはヨーロッパにありませーん。…ひょっとして、オーストリアのこと?」

「そうとも言う~。」

「言わない言わない。えーと、結局何の話だっけ。」

教師を前に、おバカキャラを演じる千早。

 あれ?なんだか楽しい…。嫌なはずの補講が楽しく思える…。

 こんな感覚は初めてだった。授業が楽しいと思ったのは、二年と半年、この学校に通って初めてだ。教師との会話が弾み、帰ってくる反応が楽しくなってくる。

 「はいっ。じゃあ今日はここまでー。…今日の西園寺さんは元気だったねー。」

教師にこう訊かれた。やはり気づいていたのだろう。

「何か楽しいことでもあったの?」

「いーえー。特に何もないですよ~。」

笑顔を見せる千早を、不思議そうに振り返りながら教師は退室していった。

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