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生い茂る青葉―Story of the past―  作者: 賦羅和鼓卯小説掲載委託有限会社(発注者:天城孝幸)
16/28

16.ごめんなさい、武…

 “カラカラカラ…”

スロープで自転車を押して登る千早。雲の多い空を見上げる顔には、笑顔がなかった。

 なんて顔をして武にあったらいいのだろう。武は私のことをどう思ってるのだろう。いちいち問題行動を起こす問題児か、はたまた会話一つ成り立たない精神異常者か…。

「おはようございます。」

「はい、おはよう。」

朝のあいさつが交わされる昇降口を、小走りで駆け抜ける。

「ハァ…ハァ…」

息を荒げながら、階段を数段上った。

「何急いでるんだろ…私。」

踊り場で短く深呼吸し、息を整えてから再び上り始める。足音が落ち着いたリズムをたてていく。

 三階に上がった。階段の影から、そっと教室側をのぞく。ロッカーを荒らされた日以来、同じことがあったらどうしようかと不安を抱えていたからだった。幸い、特に変わった様子はなかった。

 できるだけ足音を立てずに教室に入る。視線を上げた瞬間、涼子と目があった。

「…。」

「…。」

睨み、睨まれながら席についた。静かな教室に、二人の間の緊張が張り詰めていく。

“ガララ…”

「そうか?俺はそうは思わないけどなー。」

「いやいや、やってみ。考え方が180度変わるからさ。」

他の男子に混じって、武が入ってきた。楽しそうに会話をしながら、席へと近づいていく。

「千早。」

そう呼んだ武の顔は、笑っていた。

「どうしたんだよ、そんな暗い顔しちゃってー。」

まったく、もっと笑わないと。そう言って、男子のところへと戻る武。千早は返事をすることができなかった。

 武が励まそうとしているのが、千早にもわかった。信じていいのだろうか。それとも何か企んでいるのだろうか。自分でも許せないほど、疑いの念が産まれては消えていく。

 ケータイを開いた。いつものように、理由はない。黒板のすぐ上にあるくせに、時間を確かめる。


 「はい、じゃあ笛ごとにスタートしてください。」

“ピッ”

短く、高い笛の音と共に、八人の水着姿の女子がプールの壁を蹴る。

 今日は、今年最後のプールの日。最後の日にふさわしく、太陽は雲の間からちゃんと出ていてくれていた。強い日差しが照りつける。

 千早はプールの中へとゆっくり入った。ぬるめの水が心地よい。

「ん~…、ぷはっ。」

潜って頭まで水を被る。

“ピッ”

笛の音。あたふたしながら頭を沈め、壁を蹴りつける。腕を伸ばし、前へ前へと…。

「ぷはっ。…ぷはっ。」

息継ぎをしながら足を懸命にバタつかせる。

 残念ながら、千早はプールが苦手だった。手で漕ぎ、足を動かせどなかなか前へと進めない。

「ぷ…はぁっ。はぁっ…。」

ちょうど真ん中で立ってしまった。

「立っちゃだめ!最後まで泳ぐ!」

教師の言葉に、水に飛び込む千早。

「ぷは…ぷは…ぷは…」

クロールの左右、両方で息継ぎをする千早。通常、クロールの息継ぎは片方どちらかだ。これは水泳嫌いの千早が、息をつなぐためにしている苦肉の策だ。

「ぷは…。…ぷはぁ、はぁはぁ。」

ようやく、手が壁へと届いた。他の生徒がプールサイドへと上がる中、一人だけ隅っこで息を整える。

「はー…、はー…。はぁ~。」

 千早にとって、プールなんて嫌いな上に疲れるだけの授業だった。他の生徒がなぜあんなにも早く泳げるのかと、不思議に思っているくらいだ。

 「はい集合。」

パンパン、と体育教師が手を叩いた。

「では今日の授業を終わります。これでプールは終わりです。」

「ありがとうございました。」

全員の礼で終わったプール。更衣室へ行こうとすると、

「西園寺さん。」

後ろから教師に呼ばれた。

「…はい。」

「あなた、途中で立ったでしょ。辛くても最後まで泳がなくちゃだめ。犬掻きになってもいいから浮いていなさい。」

「はい…。」

犬掻きなんて、そんな恥ずかしいこと…。千早の心の声も届かず、立ち去っていく教師。

「あーん、冷たいよ~。」

「早く早くー。」

シャワーは混み合っていた。最後の方で、やっと浴びる千早。

 更衣室に入ると、もう着替え終わった生徒もいるのか室内は空いていた。ちょうどいいやと、着替え始める。

「タオルタオル…。」

タオルを巻いて、水着を脱ぐ。下着を探していると、気づいてしまった。

「…スカートがない!」

どこに置いたっけ。更衣用のロッカーを隅から隅まで探す。ブラウスはあるがスカートがどこにもない。

「他の人が間違ってはいていった?いや、そんなはずはないのに…。」

生徒がいなくなり、空室になりつつある更衣室中を探し回る。ロッカーの上、水道の下、ちょっとした隙間…。

「ない…、ない…。」

“キーンコーンカーンコーン…”

予鈴が鳴った。三時限目終了の予鈴だ。あと十分しかない。

「どうしよう…。」

体操着用のズボンをはき、考える千早。このままでは今日一日、下は体操着という格好になってしまう。

 再度探すが、結局見つからない。しだいに焦りが出てくる千早。

「お探しのものはこれ?」

出口から聞き慣れた声。

「また…。」

涼子がスカートを持って立っていた。

「今度はどうするつもり…?」

千早の言葉を待っていたかのように、もう片方の手を差し出す涼子。

「お金。」

顔が笑っていなかった。いつものような冗談半分にも似た雰囲気とは違う。

「前の慰謝料もセットでね。」

ギリッと歯ぎしりをする千早。今日はあきらかに涼子の方が有利だと悟った。

「…いくらよ。」

「五万円。」

そのまま掴みかかろうとする千早。お金に対する怒りは、抑え切れなかった。

 涼子は慌てず、スカートを持ちながらプールへと逃げた。ドアにぶつかりながら追う千早。

「待てー!」

プールサイドを走る二人。一周したあたりで、

「…動くと、わかるわね?」

スカートを持った手を、プールの水面の上へで止める涼子。

「クスクス…」

ハッと笑い声に気づく千早。プールの出入り口で、こちらを見ている女子生徒たち。

「どうするの?早く決めないと落ちちゃうよー。」

初めてニヤリと笑う涼子。

「…わかったわよ。」

涼子がスカートを持ったまま、近づいてきた。

「もう一度、言ってくれない?」

ケータイを取り出し、千早に向けた。裏面のレンズが千早にピントを合わせた。

「…払います。これでいいでしょ。」

「はいはい。じゃあお願いね。」

そう言うと、涼子はスカートを空中へと投げ捨てた。

「!」

間髪いれず、反応する千早。

“ザブーン!”

スカートと共に、プールの中へと落ちた。

「アッハハハハハハ。」

「アハハハ…」

耐え切れないとばかりの涼子の笑い声で、見ていた女子生徒がみんな笑い始める。

「何やってんの~?」

「あー、下手だからもう一度やるのね~。」

「西園寺さーん、風邪ひきますよー。アハハ…」

プールサイドから上がる千早の耳に、遠ざかってゆく女子たちの声が聞こえた。

「…。」

頭が呆然となる千早。右手には、全身と同じくズブ濡れになったスカート。

 無表情で、そのスカートをはいた。下半身に冷たい感触が走り、なんとも気持ち悪い。

“キーンコーンカーンコーン…”

予鈴。四時限目の始まりを告げる予鈴が、千早の心にまで響いた。全身濡れたまま、トボトボと校舎へと帰る千早。下着が透けているのがわかっても、恥ずかしいとは思わなかった。

 滴を落としながら校舎へと入る。暑い夏の日光でも、乾ききらなかった制服。

“ガララ…”

「すいません…。遅れました…。」

教室のドアを開け、入る千早。入った瞬間、女子生徒からクスクスという笑い声が聞こえた。

「なにやってたんだ。濡れてるじゃないか。」

教師が厳しい目つきで睨む。

「プールに制服で落ちました。」

「バカだな、まったく。早く席につけ。」

教科書とってきます、と小さく礼をしてロッカーへと向かう千早。自分の滴で廊下には跡がついていた。

 「ほんとにバカだよねー。」

「あんなことしたんだから罰よ罰。」

席に戻る間も、女子生徒たちのヒソヒソ声が聞こえた。教科書を少々乱暴に置く。

「えーと、じゃあ続きからいく。」

教師が黒板に振り返ると、武が身を乗り出してきた。

「何があった?雰囲気が普通じゃなかったぞ。」

小声で訊いてくる武に、千早は答えることができなかった。

 武が私を助けてくれるのだとしても、これは私の問題。巻き込むわけにはいかないの…。

 相談を持ちかけてくれる武に、返事一つ返せないのは辛かった。だが少しでも喋り始めてしまえば、そのまま全部吐き出してしまうんじゃないかと不安だった。

(ごめんなさい…、武…。)

後ろで心配そうに千早を見る武に、心の中で精一杯の謝罪をした。

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