14.好きって感覚がわからない
「…。」
“ピロリ~ン♪”
思わず体が反応する。送ってから二十分、待っていた返事がようやく届いたのだ。ケータイを震える手でゆっくりと拾い上げる。
「“…それ、本当?”」
時間の割りに短い分だな、というのが第一印象だった。
「“うん、本当。”」
他に適当な文章を考えられず、オウム返しな返信となってしまった。
緊張で、立ち上がると足がガクガク震える。喉はカラカラだ。
“ピロリ~ン♪”
体がビクッと反応を起こす。
「“ありがとう。でも俺はまだ精神的に幼稚だから、好きって感覚がわからないんだ。心では好きなのかもしれないけど。”」
ん?なんとも微妙な反応だった。よくわからないとも言えるし、どこか意味深な感じもする。
それでも、好きという気持ちを伝えられたことと受け入れてはもらえたような返事は、千早にとって喜ばしいことであった。
だがこの出来事が、千早と翔太の関係を大きく変えることとなった。
“キーンコーンカーンコーン…”
タタタタ…、といつものように小走りで地学室へと向かう千早。
“ガララ…”
「あ、千早ちゃん。」
「もういたんだ、桃子ちゃん。」
理数科がこんなに早く来ているとは予想外だった。すでに秋恵と琴音は雑談を始めている。
「あれ、江口君は?」
キョロキョロとあたりを見回す千早。理数科で一緒なんじゃあ…。
「今日も部活は来ないって。やっぱりねぇ…。」
「俺も悪いことしたんなら、しっかり謝っておきたいんだけどなぁ。」
勲が困ったような顔をした。
「ねえ桃子、物理の宿題やった?」
「ううん、まだ半分しかできてない。」
「やっぱりね。54ページで詰まってない?」
雑談が交わされる地学室。翔太がいないことをことを除けば、いつもの自然科学部の光景だった。
「どうしたの千早ちゃん?ぼんやりしちゃって。」
「え?ああ、うん、何でもないよ。」
不思議そうに顔をのぞく七海。
あの日、17日から翔太と連絡が取れなくなっていた。地学室へも来ないし、メールをしても一切返ってこない。
最初は気まずいのだろうか、と自分に言い聞かせていた。しかし、もう一週間ほどそんな状態が続いている。たまに校内で出会うが、視線を外されていた。
「この頃ずっとこんなんだね。何かあったの?」
「千早ちゃんのことだから、琴音に呆れてるんでしょ。」
「全然関係ないでしょー。」
さりげなく、横から入ってくる秋恵。今の千早には、その笑顔がうらやましかった。
“ガチャ”
「はー。」
バイトを終え、アパートに戻ってきた千早。翔太のことで頭が一杯だ。それも、今までのように好きだと想っていたことから、何で連絡ひとつくれないのかという不安へと変わっていた。
床に座りこんだ。疲れがドッと出てくる。バイト中も翔太のことばかり考えてて、何もしたくないのが今の気持ちだった。
「…。」
何気なくケータイを開く。開いたとき、ふとこんな考えが頭に浮かんできた。
(江口君、私のことが嫌いなのかな…。)
本当に、不意に浮かんだ考えだった。が、もしかしたら千早が一番恐れていたことだったのかもしれない。
(嫌い…なのかな。私とメールするのも…嫌なのかな。)
いったん出た考えは、すぐには収まってはくれない。それどころか、ドンドン深くへと引きずり込まれていく。
(だから学校で会うのも…。部活に来てくれないのも、私が原因なのかな。)
急に悲しくなってきた。クッションを顔に押し当て、涙をこらえる千早。
(私…最悪だ。向こうが嫌がってるのに告白したなんて…。勝川君にも迷惑かけて…。)
もう涙が止まらなかった。温かい涙がクッションを濡らしていく。
(江口君に…、勝川君に…、桃子ちゃんに…、みんなに迷惑かけて…。)
もう全てが嫌になったような気がした。
数分ほどそうやっていたのだろうか。絶えず自問自答して、自虐して。
「…。」
起き上がり、ケータイを開いた。宛先は七海だった。
「“江口君に、私のメアド消すようにお願いして欲しい。”」
躊躇わず送信ボタンを押した。
“ピロリ~ン♪”
返信はすぐに返ってきた。
「“別にいいけど、どうしたの急に?”」
表情を殺して、千早は返信を打つ。今やろうとすることをやりきることしか、考えていなかった。
「“江口君に迷惑かけちゃって。私、邪魔になっちゃうから。”」
告白したこととか、そのへんは言いたくなかった。言ってしまった方がだいぶ楽になるだろう。でも千早には、そんな勇気はなかった。
“ピロリ~ン♪”
「“何があったのかわからないけど…、言ってはおくよ。”」
わけを訊かれなくてよかった。理数科でも頭がいい方に入っている、七海の機転に感謝した。
「“ありがとう。ごめんね。”」
次の日、授業は全く頭に入らなかった。右耳に入った言葉が、左耳から抜けて行ってしまう様な感覚だ。
「千早、どうした。」
後ろから肩を叩かれ、びっくりしてしまった。
「え?え?」
「どうしたんだよ、そんなにあわてて…。」
「あ、うん。何でもないの、うん。」
不思議そうな顔をしている武から、目を切る千早。
武には、小学校の頃から何でも相談していた。家庭の悩みも相談したし、武も聞いてくれた。千早にとってクラスメートや教師なんかよりも、ずっと頼りになる人物だった。
でも、このことを武に言うわけにはいかない。余計な心配をかけさせたくないし、なにより武にも私は迷惑をかけてしまっていると思っていた。
“キーンコーンカーンコーン…”
学校が終わると、千早はまっすぐアパートへと帰った。下校する生徒を掻き分け、何か用事でもあるかのように。
「ハァ…ハァ…。」
懸命に自転車を扱ぎ続ける。
いつもより十分以上も早く、アパートへとついた。ガチャガチャとノブを回す。
「…っ。」
鍵を開けるのを忘れていた。このアパートに住むようになってから、そんなこと一度もなかったから焦っているのが自分でもわかった。
“ガチャ”
ドアが開くのと同時に、部屋に飛び込む。
「ハ…アッ…。」
バタン、とドアが閉まると千早た大きくため息をついた。
帰るときも、自分が道行く人たちから責められているような感じがした。
「ごめんなさい…、ごめんなさいぃ…。」
クッションを抱きしめ、ただただ謝る千早。誰に謝っているか、そんなものはない。罪悪感そのものに苛まれていた。
みんな、自分のやったことを怒っている。江口君も、桃子ちゃんも、武も、七海ちゃんも、勝川君も。みんな怒ってる。ただ私がそれを知らないだけ…。
何をしたのか、何がいけなかったのか全くわからない千早。とにかく自分は、江口君に対して悪いことをした。それでみんな怒ってる。そんな感情でいっぱいになる。
小一時間はそうしていた。絶えず自分を責め続け、どうすればいいか考え、結局何もできないと悲観し…。
「…。」
千早はケータイを取り出した。メールを打った。宛先は七海。
「“江口君はメアド消してくれるって言った?”」
返事はしばらく返ってこなかった。理数科はこの時間帯、放課後の補講をやっている。そんなことはわかりきってはいる千早。
「…。」
だが、心中は不安で一杯だった。きっともう無視されている、そんな段階の怒りにまで発展しているのだと。
時計は六時を指そうとしていた。




