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さようなら

ザッザッザッザッ


男が走る。


ザッザッザッザッ


周囲は静まりかえり、男の行く手を阻む者は・・・幸運なことに誰もいない。今はまだ。ちなみに幸運なのは相手の命で男の事ではない。


ザッザッザッザッ


濡れたような闇の中は視界が利きにくい。だが男は複雑な経路を規則的に足を運んだ。

その背に不自然なほど膨らんだ荷を背負って。


「ンー、ンー」


ウーカは縛られた手足が揺れる度に擦れる痛みに呻いた。とはいっても外には洩れでない。猿ぐつわをかまされているのだ。口からでるのは息と涎だけ。

あの後、ウーカの祈りも空しく男は毛布を引っ張し、おののくウーカの手足を縛ると猿ぐつわをし、寝床のシーツを器用に裂いてウーカをくるむと背に括り付けた。しっかりと結び目を調整すると男は外界へと階段を上り始めた。

どれほど移動しただろうか右に左に向きを道を変え、偶にどこかに押し込められて恐ろしい音を聞かされながら疲れたウーカは何時しか寝てしまった。


閉じた瞼をやけに刺すものがある。唸りながらウーカが眼を開けると・・・灰色の世界が一変していた。

天を突く大木は長く伸びた枝葉は他者を威嚇する鋭い剣を持った巨人のよう。その深緑の腕を柔らかな絹の様に所々彩るのは白い雪。隠すように伸びる木々の間だから真っ青な空が見えた。

いつもの灰色の毛布はどこにもない。守る物がないので直接に冷たい風が頬に吹き付け、体の下には固く冷たい石床の代わりに柔らかな枯れ草がそれでもチクチクと刺した。清冽な雪の匂いと落ち葉の匂い。初めて嗅いだ匂い。

凭れていた大木に指を這わすとポロリと剥がれた木の欠片が手指に残った。


ザッ


すぐ側であの気配がしてウーカは大木から眼を離した。

案の定男が立っていた。ウーカが身構えると布を投げられ、反射的に受け取った。

男はウーカからやや離れて辺りを見渡している。

ウーカが恐る恐る布を広げてみると木の実がいくつか収まっていた。


「・・・食べ物?」


ウーカに渡したという事はウーカにやるという事だろう。丸くて茶色い。遊び道具というか武器や装身具、更にはおおよそ生活するための道具の類をも知らないウーカは、真っ先に頭に浮かんだ言葉を口にした。

男を見ると小さく頷いた。ウーカの眼が日の光に負けないほど輝く。

ウーカは木の実を一つ取り出すとかじりついた。


ガリッ


固い。


かじる力が足りないのか、いくらガジガジしてもちっとも実が入ってこない。世の中にはなんて固い食物があるのだろうか。

ウーカが首を傾げながらガジガジしていると、呆れたようなため息が聞こえ、男がひょいと木の実を取り上げた。

もしかしてかじる力がないと思われたのか。もうくれないつもりか。そんなバカな!今度はもっと食らいついてみせる!

ウーカはこれ以上取り上げられないうちにと残りの木の実を手で隠した。そんなウーカに再び呆れた視線が注がれた。

アワアワしているウーカが見ていると、男はいきなり木の実を木にぶつける。バキンと音がして。

なんて勿体ない事を!潰すくらいならなぜ自分から取り上げる!

愕然として男を見上げていると、男は再びウーカに木の実を差し出した。

あの固い木の実は案の定粉々になっていたが、よく見ると何かある。ウーカがそれを摘んでみせると男が頷いた。

迷ったが、えいやっと口に入れると・・・


「おいしいっ!」


ほんの少しの塩味とふんわりとした甘み・・・口を満たす森の恵みにウーカの顔が綻んだ。

夢中になって木の実を食べるウーカを余所に、男は次々と木の実を砕いていっていった。しかしウーカは男と違ってちゃんと「ありがとう」は言えた。

食べ終わったウーカが今更のように手足を縛られていない事に気付く。男を見上げるとウーカを背負っていた布を細かく引き裂いている。と、おもむろにウーカの足を取り、巻き付け始めた。バタバタと暴れる足をしっかり押さえつけ丁寧に巻いていった。

それが終わると男はウーカに背を向けて山を登り始めた。

呆けたようにウーカが見ていると大分先で男が振り返った。ついてこいという事だろうか。

ウーカは巻いてくれた足を見下ろす。きっちり巻いてくれたお陰かもうチクチクしない。

足を一歩踏み出してウーカはもう一度森を見渡した。

静かでそれでいて胸に訴えてくる。冬にあっても緑をまとう強い木々も、ごつごつとした巨岩も、凍り付くどころか周りの雪を溶かしてゴウと流れる川も、全ての物がウーカに話しかけてくる。




そして・・・目眩がするほど広かった。


ウーカは胸が大きく膨らむほど深呼吸をして、


「これが外・・・」


ようやくここが、石壁に囲まれた灰色の世界ではないことを実感した。





ウーカは男と共に登り続けた。狭い牢獄しか知らないウーカの体力はすぐに尽き、時につまずき転ぶ。それでもウーカの口元は絶えず微笑んでいた。数歩先に行く男の足を何度も止めながら痛く辛い登山を楽しんだ。途中、痺れを切らした男に背負われたのは仕方のないことである。


幾日過ぎたであろう。季節は冬の猛威から徐々に抜けつつあった。

ウーカと男は岩が積み重なったような洞窟の前にいた。


「?」


ウーカがどうしたのだろうと男を見上げた頬に水滴が落ちる。


「つめたい・・・水?」


ポツッポツッと降り出した雨は瞬く間に霙混じりの冷たい雨と変わった。男が驚くウーカの腕を取って洞窟へと入っていく。

洞窟入ると男はすぐに火を起こし横になって木の実を食べ始める。どうやら今日はここで休むらしい。

ウーカも習って男の向かいへと腰を下ろした。

冷めた肌に焚き火の熱が心地いい。

ウーカは何をするでもなくなんとなく男を見続けた。


月日の勘定はウーカには難しいものだったが、牢獄から連れ出されてもう1ヶ月が経っていた。その間男は一言も喋らない。小さく頷いたり横に振ったりして是非は表すので言葉は通じているのだろうが、男が何かを発するのをウーカは聞いたことが無かった。それをいえばあの牢獄の中でだってだ。怒っているのだろう、唸ったり壁を殴り付けたりバカにしたように男達に眼を細めていたりしたがそれだけだ。ウーカに対しては無関心もいいとこで、例外は看守から貰ったあめ玉を一つやる時のみだった。視線すら合わなかった。まぁウーカも男が恐ろしくてなるべく視界に入らないように縮こまっていたのだが。

それなのに今は不思議と恐くない。男に馴れてしまったのだろうか。が、たまに遭遇する獲物を狩る男の姿は当然恐しかったが。


馴れてくるとウーカの中で今更のように疑問が首を擡げてくる。

はっきり言って自分は男にとって足手纏いだ。すぐに体力が尽きるし、手も足も傷つきやすい。何が危険で何が大丈夫なのか状況判断もできないし、口に入れるものは男から手渡された木の実や狩りで穫れた獣肉のみ。

このまま山に取り残されれば早晩死ぬだろう事は確実だ。

狩りをしている男の動きを見ていればウーカを連れている時など幼児の歩みか暇だから散歩しているといった、違いぐらいウーカにもわかる。

急ぐ旅ではなさそうだが、それにしてはウーカを連れるメリットがそこまであるのか疑問だ。

わからない。

男の目的が何なのか。

あの四角い灰色の世界しか知らない自分が、何をどう捻ね繰り返しても無駄なのは何となくわかるが。

それにしても不思議だ。


ウーカは炎に揺らぐ男の影を目で追う。

牢獄のなんの面白味もない石壁しか知らないウーカは壁に移った影すら興味深い。

小さくなったり横に伸びたり風と炎が演じる踊りに口元が緩んだ。


だが、今この瞬間元の牢獄に戻ったとしても何とも思わない自分がいることをウーカは知らない。

目に入る、知らない事ばかりの外は確かに面白い。覆い尽くそうとはばかる大木も、透明で軽やかな川も、冷たい雪も体がちぎれそうな風も、自分が燃えてるかのような夕陽も突き刺さる夜空の星も、好きだ。




それでも

夢だったかのように

目を覚ませば冷たい石壁が見えたとしても

ああ、と。

納得してしまう自分がいることを

ウーカは知らない


翌日、雨が上がった山道を男と並んで登るウーカの姿があった。


男の事も自分の事もわからないまま

知りたいとも思わないまま

ウーカは歩く





ウーカはかつて見たことがないほどの沢山の人を前に固まっていた。


山を登りきり、七日ほど下った先に小さな村があった。

戸惑うウーカを余所に男がズカズカと中央まで進む。と、直ぐに各家から屈強そうな男達が出てきた。

各々手に武器を持って。

ウーカは息を飲んでそろそろと後ずさりを始める。

男の手に両刃の短剣と戦斧にしては小振りな斧が握られていたからだ。

一触即発の中、一人の老人が男達の前に出、男とウーカに話しかけた。


「旅の者よ、こんな辺鄙な村に何用だね」


穏やかな茶色の眼は何の感情も読めない。


「頼みがある」

「ほう」

「この女を預かってくれ」


老人はウーカを眼を細めて観察すると鷹揚に頷いた。


「よいだろう」


老人の言葉に男は頷き返すとウーカに向きなおった。

そのまま無言で見つめる。

何か言いたげに口元が歪んだ。

だがウーカは。


「喋った!!!」


ウーカだった。


男はため息を洩らすと、くるりときびすを返して森へとわけ入って行った。


「・・・・さようなら」


男に聞こえないように呟く。

その後ろ姿を見えなくなるまで見送って、ウーカは老人へ顔を向けた。

老人は今度は興味浮かそう眼をしてウーカに微笑んでいる。そして好奇心一杯で注目している人々に静かに告げた。


「皆よ、家族が増えたぞ」


おお・・・とどよめく声。


「娘よお前の名を教えておくれ」

「ウーカ」

「ではウーカ。そこにいるデクタに付いておいき」


ウーカは老人が指さした赤毛の娘の元へと歩み寄る。デクタがその手を取ると促されるまま素直に付いていった。


村というには小さな集落は放牧、木の実を採取したり狩りで取った動物の肉や毛皮などを山裾の町へ売って生計を立てているらしかった。ウーカが沢山と感じた数より実際少ないようで子供もウーカを除いて5人しかいなく、女性も少なかった。男性達は倍近くいて、男と話していた老人は集落の長であった。

ウーカはそこで水汲みや山羊達の世話の手伝いをしたり、小さな子供の面倒をみたりして過ごした。

また、文字の読み書きができると分かってからは乞われて子供達に教え、多忙な大人達から感謝された。


日々は穏やかに過ぎていき、二月も経った頃。

再び男が姿を現した。

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