8.原子力発電所騒動
物理担当教師の根津新一は、その日、授業を脱線して世間話をしていた。話題は原子力発電所問題について。
核分裂についての説明で、この地区の原子力発電所の話に移り、そして、その社会的背景も含めての一筋縄ではいかない問題についてまで話が及んでしまったのである。
長谷川沙世は、その内容をやや感心しながら聞いていて、その隣では立石望が斜に構えた感じで、その話の内容から根津先生の本当の意図について慎重に考えていた。根津先生は、この地区で原子力発電所に対する反対運動が起きていることについて、それを当然と認めながらも、言葉を選びながら、もっと視野を広げて考え、短絡的な結論に至るべきではないとそう言った。
「――もちろん、反対するのは構わないのです。しかし、反対するからには、どうして原子力発電所が今世間で必要とされているのかを考慮しつつ、その解決策もセットでこの地区での原子力発電所稼動に反対するべきだと、少なくとも私はそう思う。それはこの社会に住む人間の責任と義務であるべきだと考えるからですね。
この地区の人間だけに、その責任がある訳ではありませんがしかし、だからといって、その責任がこの地区の人間から免除されている訳ではありません」
丁寧な言葉遣い。穏やかな雰囲気で、どちらかと言えば爽やかな印象のこの根津新一先生は、学校の生徒達から人気があった。どうやら能力者ではないらしいという話だが、隠しているだけで本当は能力を持っている、とも噂されている。
因みに、あまりボケもツッコミもしませんが、どちらかと言えばボケです。
「では、それを考える為に、原子力発電所の必要性についてまずは述べましょう」
……原子核の分裂によって質量が解放される。すると、元々質量とはエネルギーの塊である為、それはエネルギーへと変換され、結果として大爆発が起こる。そのエネルギーで、タービンを回して電力を得るのが原子力発電だ。しかし、強力なエネルギーを扱う為に、危険性が高い。また原子力発電の燃料になる物質(廃棄物も)は、原子核が分裂する状態に近い為に非常に不安定でもある。その所為で、強力な放射線を常に放出し続けていて、その放射線はエネルギーが高いゆえに、他の物質に化学変化を起こしてしまう。その変化が多くの生物にとって有害なのだ。
……有害。
実はこの時、長谷川沙世は、その言葉が気になってしまい、根津先生の話を真剣に聞いていた。毒とは有害物質の事だと、村上アキは彼女に言った。だから、もしかしたら、自分なら創り出せてしまえるかもしれない、とそう思っていたのだ。放射性物質を。
もっとも、この時根津先生が語っていた話は、物理的なものとは無縁だったのだが。
「原子力発電所が必要な理由は、主にエネルギー問題です。今、世界ではエネルギー資源の枯渇が心配されています。そして、エネルギーがなくなれば、この人間社会は成り立たなくなる。その為に、原子力発電所が必要とされている。
もう一つは、それに関連しているのですが、日本独自の理由です。実は、日本の原子力発電の技術力は世界でもトップクラスなのです。だから、原子力発電所を利用してのビジネスが有利。しかし、その為には何処かで原子力発電所を稼動させなくてはいけない」
そう根津先生が語り終えると、生徒の一人が手を上げた。こう質問する。
「エネルギー枯渇の話は納得がいきます。ですが、ビジネスの話には納得がいきません。僕らが得をする訳でもないのに」
すると、困った表情を見せつつ根津先生はこう答えた。
「ところが、そうでもないのですよ。日本は今、急速に国際競争力を失っています。日本が貧乏になれば、当然の事ながら、我々も貧困になります」
それから一呼吸の間の後で、根津先生は黒板に文字を書き始める。まずは、
“東芝とアメリカのウエスチングハウス社”
と書く、次に、
“三菱重工とフランスのアレバ”
続けて、
“日立とアメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)社”
そこまでを書き終えると、根津先生はまた話し始めた。
「この三つのグループが、今世界をリードする原子力発電所メーカーですが、見ての通り、いずれも日本企業が関わっています。また、他の企業も原子力発電所に必要な大型の圧力容器や蒸気タービンなどを作っていて、その技術力もトップクラス。
これらの企業の原子力発電所が売れれば、日本にも多くお金が入ってくる。つまりは、経済的に豊かになるのですね。先にも言いましたが、その為には技術洗練の為にも、アピールの為にも、国内の何処かで原子力発電所を運営する必要があります」
この話に対し、教室の生徒達はやや納得した顔色になった。この特殊能力者開発特区の人間たちは、貧困層が多い。だから、経済的な話には敏感なのだ。また、実は原子力発電所稼動に対し、住民に対して謝礼金が支払われているのも事実なのだった。しかし、そこでまた生徒の一人が声を上げる。
「冗談じゃない。あんな少しの金で満足できるか。結局、儲けるのは上の方の連中じゃねぇか。俺達を危険にしておいてよ」
どうやら、このクラスにも原子力発電所反対派がいるらしい。根津先生は、それに対して淡々と応えた。
「その通りでしょう。
だから、あなた達の不満も分かる。しかし、その経済的損失を埋めるだけの、何かの案を提出しなくては、原子力発電所稼動中止は恐らくは実現できません。もし停めれば、我々が更に貧乏になるのも事実ですしね」
“我々”、“更に貧乏になる”。立石望には、その言葉が少し気に入らなかった。いかにも自分も貧乏だと言いたげだが、果たしてこの根津先生は、本当に貧乏な生活を送っているのだろうか。立石は疑っていた。確かにサイコメトラーをはじめとする、様々な情報系の能力者が教師達を調べていて、根津からは何も怪しい情報は出てこなかった。が、それにしては、この根津先生はまるで内部から生徒達を丸め込み、その行動を抑えるような、そんな発言が多い。もちろん、目立たない程度の控え目なものだが。
「そして、原子力発電所稼動中止によるもう一つの問題点は更に深刻です。実は世界各地で資源問題によって紛争問題が引き起こされているのです。日本の尖閣諸島や東シナ海のガス田、北方領土などはほんの氷山の一角に過ぎません。紛争が頻発している中国のウイグル地区。ナイジェリアでの紛争。チェチェン独立問題。クルド人への弾圧。スプラトリー諸島の争奪戦。東ティモールの利権争い。これらには全て資源エネルギーが関わっています。もしも、原子力発電所が稼動しなくなれば、その紛争問題が更に深刻化するのは、当然の話でしょう。紛争を悪化させて人の命をたくさん奪うのか、原子力発電所を受け入れて危険のある生活を取るか。もし、エネルギー問題解決案を何も示さなければ、この二者択一になってしまうのですよ」
そこまでを根津先生が語ると、生徒達は皆黙ってしまった。根津先生は、その様子を見ると微かに微笑んだ。
「もちろん、解決案はあります。例えば、太陽電池を普及させる。そうすればエネルギー問題は改善し、資源の重要性も低下します。すると紛争も起きない。誰も価値の低いのもを巡って殺し合いはしませんから。幸い、日本は太陽電池の技術力でもトップクラスですから、ビジネス的にも有利に進められます」
立石はその様子をまた怪しいと感じる。はっきりと過激な反対行動を執るな、と言っている訳ではないが、実質的には同じ効果がある内容を喋っているように思えたからだ。いや、直接的でない分、より効果は高いのかもしれない。実際、この教室の生徒達は毒気を抜かれているように思えた。
「どうにも怪しいのよね」
次の休み時間。机の上にだらしなく上半身を投げ出したような姿勢で、立石はそう沙世に向けて言った。
「何が?」
沙世はそう尋ねる。すると立石はこう答えた。
「根津先生よ。さっきの、原子力発電所の話。偶然に話が脱線したように見せていたけど、本当は初めからあの話をしたかったのじゃないかしら? 皆を説き伏せる為に」
沙世はその立石の言葉に不思議そうな声を上げる。
「そう? わたしは普通に感心したけど。わたし達の地区にある原子力発電所に、あんな事情があったなんて」
それを聞くと、立石は馬鹿にするようにこう言った。
「あなたって、本当にピュアよねぇ。この学校は、文部科学省の管轄なのよ。でもって、文部科学省は、この特区の人間達に暴動を起こして欲しくない。何故なら、私達特殊能力者達を、貴重な人材として扱う発想を軸に、この特区の利権を厚生労働省から奪ってやろうと考えているから。
つまり、あの根津先生が文部科学省の手先だとすれば、私達に暴動を起こすなって働きかけて当然な訳」
その説明に対し、沙世は少し考えるとこう言ってみた。
「でも、それって良い事なのじゃない?」
「どうなのかしらね? それに賭けてみるのも良いかもしれないけど、結局は私達を利用しようとしている点は変わらないわ。それに、“人材”として扱うって事は、価値のある能力者しか優遇されないって事でもある。あなたの場合は、どうなのかしらね? もしかしたら、利用価値はあるかもしれないけど」
早口でそう言った立石に対し、沙世は「ふーん」と興味あるのかないのかよく分からない感じでそう応えた。立石は続ける。
「どうでもいいけど。私は、厚生労働省と文部科学省の権力争いに巻き込まれるのだけは御免な訳。
そもそも、原子力発電所騒動からして、厚生労働省が仕掛けたって噂があるくらいなのよ。利権を文部科学省に奪われない為に。この特区に原子力発電所の建設が決まったのは、特殊能力者の私達には権力がなくて、その日本社会の除け者の私達に損な役割を担わせたって事だけど、この特区の実権は厚生労働省が握っている。つまり、厚生労働省が許可を出さなくちゃ、原子力発電所は建設も稼動もできないの。そして建設させてしまえば、後は反対派を煽りさえすれば、自然と問題になる……。
きな臭い話だけど」
実は立石は、村上アキの事があってから、原子力発電所騒動に関して、少し深く調べていたのだ。これは、その調査で知った噂話の一つだった。
「ま、この件で踊らされている連中は、皆馬鹿よ。役人の奸計に引っ掛かるなんて。裏に金が回っているって噂もあるけど」
そこまでを語って、立石望はふと気が付いた。裏の社会、原子力騒動。利用。このキーワードの連想は、自然と村上アキに結び付く。そこで立石は顔を上げる。沙世はそれに少し驚いた表情で返した。
「何?」
それから、立石は“この話題は使えるかもしれない”と、そう思った。
「そういえば、村上アキが、原子力発電所騒動に関わっているって噂があるのよ」
そんな事を言ってみる。すると沙世は、明らかに関心のある様子を見せた。
「村上君が?」
“釣れた!”
と、立石は思う。続けて、“本当に単純なんだから、この子は”とも。
「そう。因みに、村上は文部科学省の発想を支持しているらしいわ。それとなく、話を振ってみなさいな。何かしら、反応が返ってくるはずだから」
その返答で何か怪しい点が発見できて、少しでも沙世が疑問に感じてくれれば、それがもし騙されていた時の予防になる。し、例えそうならなくても、自分が見抜ければそれを突破口にして、村上アキが裏の社会で何をやっているのか知る手掛かりにできる。
そんな事を、立石望は考えていた。それから、自分の髪の毛を摘んで見つめる。
“ここ最近は、バカップルになりかけみたいな聞きたくもない会話くらいしか拾えなかったから、馬鹿馬鹿しくて盗聴してなかったけど、久しぶりにやるわよ”
それからそう思った。沙世が尋ねる。
「どうしたの? 変な顔して」
「別に。今日もあなたは、村上とバカップルな会話をするのかしら?と思っていただけよ」
「誰がバカップルよ!」
「あなたたち」
何にせよ、放課後になった。
「……確かに、そういう役人がいるのは事実だけど、全てじゃないよ。一部だけ。全員がそれに参加している訳じゃない。
こういう話を聞くと、役人が全て悪いとか思う人がいるけど、違うんだな。もっとも、その一部の役人が権力を握っていたりするのも事実なんだけど。で、かなり悪い事をやっているのも事実だね」
沙世が立石から聞いた話をアキにすると、アキは少し困ったような表情になりながら、そう応えた。
「ふーん。村上君は、文部科学省の発想を支持しているって、そう聞いたけど。そうなの?」
「うん。ま、そうだよ。ただ、これも勘違いして欲しくないのだけど、僕が支持しているのは、飽くまでその発想だけ。そもそも、特殊能力者を人材として扱うって発想は世界の潮流の一つでね、何も文部科学省独自のものじゃないんだ。今、それで成功を収め始めている国や企業が現れていて。ベンチャー企業が主役だけど。役人達はそれを自分達の為に、採用しただけさ。
だから僕は、別に文部科学省側についているつもりはない。利用してやろうとは思っているけどね」
「互いに利用しようとしているって事? 騙し合いなら負けちゃうのじゃない?」
「あははは。僕は案外、ずるいんだよ。それに、相手を利用するのに、何も騙す必要はないし」
それを聞くと、沙世は少し迷った後でこう言った。
「わたし、騙し合いって苦手だわ。立石からは馬鹿にされていて悔しいけど、多分事実だと思う」
「うん。そうだろうね。騙す気も失せるほどに、騙され易そう」
「今、馬鹿にしたでしょう?」
「した」
「毒殺するわよ」
「やめて」
沙世は少し笑うと、それから言った。
「それを踏まえた上で質問するのだけど、村上君は、原子力発電所騒動で、反対派を鎮める為に行動していたの? 騒動を抑える為に国が能力者を雇ったって……」
「それもちょっと違うね。正確には、国が雇ったって噂があるだけの話で確証はないよ」
「今はそんな事はどうでもいいでしょう? どうなの?」
それを聞くと、アキは溜息を漏らした。それから、“なるほど、これは嘘をつき難い”とそう思う。彼女が騙され易いというのが、本当なだけに。
「違うよ。僕は反対派と反対派鎮圧グループの双方に働きかけて、事を荒立てないようにしていたんだ。もちろん、上手くいかない事もあったけどね」
「どうして、反対派鎮圧グループに参加しなかったの?」
それを聞くと少し迷った後で、アキはこう答えた。
「これは僕の憶測に過ぎない。そもそも握った情報からして不確定なものだし。だから、確証はないのだけど、僕はこんな結論を出したんだ。
恐らく、反対派も反対派鎮圧グループも厚生労働省によって、遠くから間接的に操られている。この二つのグループを対決させ事件を起こさせるのが、それを仕組んだ役人達の本当の狙いである可能性が高い。
事件が起きれば、僕ら能力者が危険だといういい宣伝になるからね。文部科学省の動きを封じられる」
それを聞くと、沙世は驚いた顔を見せた。
「つまり、反対派鎮圧グループに味方しても、過激な行動は抑えられなかった?」
「ま、そうだね。
一応今のところは、何とか紛争みたいな事態には陥っていない。もちろん、僕の力だけじゃなく、色々な人がその方向に動いた結果なのだけど」
沙世はそのアキの返答に納得した。また立石には馬鹿にされそうだが、彼が嘘を言っているようには彼女には思えなかった。
「村上君」
それから、沙世は口を開く。
「今日は、あまりボケないね」
アキはそれに、「何それ?」と、返す。
「別に。ただ、立石ならボケたかったとか言いそうだと思って」
その意味のない質問は、嬉しさを抑え切れなかった結果出たものだった。興奮が、変な発言になってしまったのだ。彼が自分に嘘を言っていないように見える事が、彼女にはとても嬉しかったのだ。
……この会話を盗聴していた立石は、苦しんでいた。
“おのれ…、またしてもバカップルもどきな会話を聞かせやがって…”
もちろん、彼女が勝手に聞いているだけなのだけど。立石は続けてこう思う。
“しかし、この二人、本物のバカップルになる日も近いわね。当にリアル・ザ・バカップルに。……って、なによそれは?”
(とても虚しい独りの時の、一人ボケツッコミ。……やってみれば分かります)
それから立石は気を取り直す。
“今回は、沙世にしてはがんばった方か。きっと、村上は嘘は言っていない。ただ、嘘は言っていないだけで、全てを喋った訳でもなさそうだけど”
そして彼女は、そう思った後でこう結論出した。
“村上はまだ何かを隠している。とても重要な何かを”
次の休日。
立石望と長谷川沙世は、街を一緒に歩いていた。しかも、やや荒れた裏の道を。沙世が口を開く。しかも抗議するような口調。
「なんで、こんな場所を歩かなくちゃいけないのよ?」
立石はそれにこう返す。
「こんな場所だからこそ、沙世に一緒に来てもらったのでしょう? 確りボディガードしてよ。イソギンチャクの役割を果たしなさいな」
「ま、別に良いけどね。でも、そろそろ、イソギンチャクはやめて」
沙世は人から頼られるのは、そんなに嫌いではない。
実は今日は、立石がパソコン部品を買いに裏街道を歩いているのだ。表のパソコンショップでは買えないような部品を、立石は欲しがっていた。しかし裏の道はそれなりに危険でもある。だから彼女は沙世に一緒に来てくれと頼んだのだ。沙世の能力なら、ほとんどの暴漢は退けられる。
「いつもは村上とばかり街に来てるのでしょう? 偶には付き合いなさいな」
「わたし、村上君と一緒に街を歩いた事なんてないわよ」
「あら、意外。バカップルなのに」
「バカップルじゃないって!」
そうツッコミを入れた後で、沙世は言う。少し寂しげな感じで。
「なんか忙しいみたい。ほら、彼は治療とか色々やっているから。普段の日だって、わたしの訓練が終わった後で、何処かを回ったりしているみたいだし。休日は、埋まっている感じ」
それを聞いて立石は、前に村上が付き合っていた彼女にフラれたのには、そんな要因もあったのかもしれない、とそう思った。「ふーん」と、それに答える。その瞬間だった。
「あれ? 村上君がいたみたい」
と、沙世が言ったのだ。少し遠くを指差している。立石がこう言う。
「あなた、目ざといわね。よく見つけられたもんだわ。恋する乙女はババンバーンって感じ?」
「日本語で喋ってよ。ほら、あの路地に入っていったみたい」
が、沙世が指差している路地には、それから複数人の若者が入っていったのだった。しかも、決して穏やかな顔はしていない連中。それを見て、二人は顔を見合わせる。
「なーんか、あったのかしらね?」
と、立石が言う。沙世は何も返さずに、走り出していた。立石も後を追う。もちろん、彼女は沙世を止めたかったが、今の沙世は耳を貸しそうにない。
やがて路地を進むと、スリーオンスリーくらいなできそうな、少しだけ開けた広場のような場所があった。そこに、さっきの穏やかではない連中がたむろしている。沙世と立石はそっと近寄ると、耳を澄ませた。が、沙世にはそれが何を言っているのか分からない。少し遠い上に小声だったからだ。しかし、そこで立石が口を開いた。
「どうも、原子力発電所稼動反対派の連中みたいよ。これから、暴れる相談をしているみたい」
もちろん彼女は能力を使ってそれを聞いたのだ。こういう使い方もできる。沙世がそれに驚く。
「よく聞こえたわね」
「私は耳がいいのよ。とにかく、村上もいないみたいだし、私達も厄介事に巻き込まれないうちに、何処かへ逃げましょう」
しかし、沙世は立石のその忠告には従わなかった。
「あの連中は、これから暴れようとしているのね?」
「そうよ。だから逃げましょう」
「ううん。止める」
その言葉に、立石は慌てた。
「沙世、何を言っているのよ。誰が正しいとか分からない問題なんだし、関わっても面倒なだけよ」
が、その言葉でも沙世は止まらなかった。沙世は心の中でこう応える。
“そうかもしれないけど。分からないのだったら、わたしは村上君の結論を信じる。それに……”
沙世は自分の空間を発生させる。睡眠ガス。その空間内に、それを創り出す。
“この連中は、村上君を傷つけるかもしれない!”
それから、それを放った。大量の睡眠ガスが、反対派の連中を取り囲む。その不意の攻撃に、対抗できる者はいなかった。ガスが消え去ると、そこにいた全員の眠っている姿が確認できた。
「……やっちゃった」
立石がそう言う。
「沙世、どうなっても知らないわよ。って、あ、馬鹿、出て行くな」
立石が止めるのも構わず、沙世は眠っている連中の元へ足を進めていた。もしも、アキが巻き込まれていたら、助けようと思っていたのだ。一通り見て、いないのを確認すると立石の所に戻ってくる。
「何やってるのよ? 危険かもしれないし、それに後で情報系の能力者に感知されるかもしれないでしょう?」
と、立石が言うと、「別に」と沙世は返す。
「嘘言いなさい。村上がいたら、助けようと思ったのでしょう? まったく、馬鹿なんだから」
……その光景を頭を抱えながら眺めている人間がいた。近くのビルの屋上。村上アキ。彼は独り言を漏らす。
「沙世ちゃん……。関わっちゃった」