22.本当の爆弾
朦朧とした状態の沙世が異変に気が付いたのは、もう辺りが少し暗くなり、赤黒い夕日が街を照らし始めた時刻だった。
“なんだろう?”
まずは沙世は男を警戒した。しかし、男はまだ眠ったままだ。演技ではないように思えた。それから音に気付く。どうやら、ゆっくりと扉が開き始めているようだった。
沙世は当然、警戒をした。誰か人が入ってきたら、睡眠ガスを創らないといけない。もし、防護服を着ていたら、さっきの男にしたのと同じ様に、まずは水素と酸素で爆発を起こさなくてはいけない。しかし、開いた扉の向こうには誰もいなかった。
沙世はそれに安心をするよりも、まずは不安を感じた。却って不気味に思える。罠だと考えたのだ。しかし、やがてそれから、小さな何者かの足音が沙世の元にまで響いて来るのに気が付いた。
リノリウムの床を蹴る、ほんの微かな足音。暗い廊下に、それは現れる。
“ネズミ?”
その小さな気配は、ネズミだった。沙世はそれで察する。“これは、助けだ…”。なんだか知らないが、今回はあのエセ関西弁使いは、沙世の味方らしい。恐らくは、アキが動いたのだろうと考えると、沙世はゆっくりと立ち上がった。
ネズミは沙世が立ち上がると、まるで沙世を導くように沙世の前を進み始めた。沙世はそれに付いていく。
榊原グループのビルの路地裏。
そこで、黒田が目を瞑って、三城と椿の肩に手を置いている。それから、言った。
「長谷川沙世がいるって、そこの女が言ったルートの道は開けておいたぞ。邪魔者が入らないように、他の道は塞いでいる。今なら、安全に逃げ出せるはずだ」
椿が頷くと、「ほな、ネズミをいかせるわ」とそう呟く。しばらく後、
「長谷川さんがいたぞ。立石さんの言う通りだ。……ネズミに気付いたな。動き出したみたいだ」
と、三城が言った。
アキはそれを聞いて、安心してフゥと息を吐き出す。それからアキは沙世を迎える為に路地裏から外へ出ようとした。それを黒田が止める。
「待て。長谷川沙世の逃走ルート以外の道の扉は確かに封じているが、だからと言って安全が保証されている訳じゃない。それ以外の場所に誰かがいるかもしれないし、別のルートもあるかもしれない。気持ちは分かるが、まだ表に出るのは危険だぞ」
しかし、アキはそれに首を横に振った。
「それなら、なおの事だよ。僕は早くに沙世ちゃんを安心させてあげたい」
アキは、これ以上、“沙世を失うかもしれない不安”に耐え切れそうにもなかった。更に言うなら、これだけの大企業が、自分のビルの表通りで犯罪行為を行なうとも考えてはいなかったのだ。また、アキはガン治療を行なえる唯一の人物として、厚生労働省側から必要とされてもいる。自分には危害は加えられない、と考えてもいた。
“怪我をしていたら、真っ先に治療してやらなくちゃ”
そう、アキは思っていた。そして、そのアキを誰も止められなかった。が、これは完全に彼らの油断だった。
アキはビルの正面玄関の前に、堂々と身をさらした。目立つ場所の方が、相手も手を出し難くて、むしろ安全だと彼は考えていたのだ。まさか、遠距離から、自分を狙うほどの準備をしているとは思えない。しかし、それでもアキはその時、自分が“何か”を忘れているような気がしていた。
ビルの前で犯罪が行なわれれば、確かに榊原グループにとってマイナスにしかならない。だが、その“マイナス”を望んでいる人間が、内部にいたとしたら、どうだろう? そして、今の現総帥はその求心力を失っているという。それに離反している部下も多いという。醜聞で現総帥を落とし、グループを乗っ取ろうと企んでいる人間がいるとしたら?
アキがその可能性に気が付いた時は、既に遅かった。沙世が目の前に現れる。ビルの中から出てきたのだ。沙世は酷く傷つけられていた。アキはそれを見て、“治さなくちゃ”とほぼ反射的に思う。そして、
パンッ
という銃声を聞いた。
アキの腹部にそれは命中する。アキは一瞬、自分に何が起こったのか分からなかった。倒れた後で、気が付く。
“撃たれた?”
何かの熱い液体を、感じた。血。不思議と痛みはあまり感じない。大怪我の場合、脳が痛みを遮断する場合があるという話をアキは思い出した。
“撃つか? ハハハ……”
アキはそう思った。色々な事を考える。たくさんの人間を癒し続けた僕を、いとも簡単に殺そうとするか…。お前らの大事な榊原さやかも懸命に救ったこの僕を……。
村上アキはその時“絶望”を感じていた。人間の醜い部分を思い出す。もう、二度と見たくない養父や養母の本性。お金が、そんなに好きですか?
“何が人々を救いたい、だ。何がその為にお前の力を使うのだ、だ。単に金が欲しかっただけじゃないか……”
その時、誰かが走り寄ってきた事にアキは気が付いた。それは長谷川沙世。“沙世ちゃん”だった。
“ああ、沙世ちゃん……”
アキは彼女を見て、少し安心した。
「アキ君!」
長谷川沙世はそう叫んだ。
彼女も目の前で起こった事が、信じられなかった。血が飛んで、アキが倒れた事だけは分かった。でも、“まさか”と思う。その結論を受け入れられない。
しかし、走り寄って、腹から血を流して横たわるアキの姿を見ると、「誰か」と、そう呟いた。それから、叫ぶ。
「誰か、助けてー!
アキ君が死んじゃう!」
黒田勘が路地裏から出てきて、何が起こったのかを確認すると、「椿! お前は、ここでこいつらを護れ! オレは、救急車を呼んで来る!」と、そう叫んで走り始めた。
“くそう! どうなってんだ?”
と、思いながら。
沙世は膝をついて、アキの顔を覗きこみながらこう訴える。
「アキ君。大丈夫? お願い。大丈夫って言って」
「だ、だいじょ…う、ぶ」
「ちっとも大丈夫じゃないじゃない! ボケはやめて! そうだ、自分で自分を治療すれば良いのよ!」
アキは沙世の顔を見ると、弱弱しく手を伸ばした。沙世が殴られた辺りに触れようとしている。それが、自分を治療しようとしている行為だと悟ると、沙世は叫んだ。
「今はわたしの事なんて、どうでも良いから!」
涙を流す。
その時、彼女の背後で何か黒い“ゆらぎ”が発生した。沙世はその存在に気付かない。しかし、その存在は声を発した。彼女だけにしか届かない声を。
『久しぶり、“沙世ちゃん”。ボクだよ。黒ギルだ……』
“うん。ごめん。治療したいのだけど、今は流石に無理みたいだ。こんなに殴られちゃって、可哀想に…”
泣いている沙世を見ながら、アキはそう心の中で呟いた。
“ああ、もうそんなに泣いちゃって。可愛い顔が台無しだよ。お願いだから、そんなに泣かないで。
この状態じゃ、無理そうだな……”
沙世の顔を見るなり、もうアキは彼女の事しか考えられなくなっていた。涙を流し続ける沙世を穏やかに見つめている。それから、何かを諦めた。
“ま、いいか”
と。こう思う。
“でも。
この娘は、本当に綺麗だな。本当に…”
死ぬ前に、美しいものを見れて良かったと彼は思う。そして、その時に声を聞いた。
『死ぬ気かい? 村上君』
夕闇の中の、薄れていく意識の所為か、彼の視界に映る世界はとても暗かったが、その存在だけは、くっきりと白かった。白い影。白ギルの登場。
“おぅ、白か。なんだい、今更現れて。遅いよ。お陰で、こんな状態になっちゃったよ”
アキはその白い影を見るなりそう言った。
『ボクらは、半分は現象だからね。自由に自分の意志だけで現れたり消えたりはできないんだ。
ま、本当を言えば、君達の方が好きだったのだけど、仕方ない』
白ギルはそう答える。アキは尋ねた。
“どういう事かな?”
『ボクらは、促した善意か悪意を邪魔するような出現はできないのさ。その人間がその行動を執り終えるまではね。そして、今回は“君を銃で撃つ事”がそれだった。だから、今まで現れなかった』
“なるほど。そのお前らの性質は知らなかったよ。想定外だ。というか、やっぱり今回のこれにはお前らが関わってたのか”
少しも悔しがっていないアキを見ると、白ギルは溜息を漏らした。
『なんだか、全てをやり遂げたような顔をしているけど、少し気が早いんじゃないのかな? むしろ、これからだと思うよ。君にとっての悲劇が起こるのは』
“なんだよ。嫌な事を言うな。一体、何を知っている?”
『――爆弾が仕掛けられた。
この言葉に心当たりはあるよね? それは、実は原子力発電所に仕掛けられた爆弾の事じゃない。実は、長谷川沙世。君の大好きな沙世ちゃんこそが、本当の爆弾なんだ』
“説得力がないなぁ……。なんで、沙世ちゃんが爆弾になるんだよ?”
アキは笑っていた。まるで危機感を感じていない。
『どうやら、君は本当に自分の生を諦めてしまったようだね。だからこそ、ボクはここに現れたのだけど』
“なるほど。僕に生きる意志を持たせる事こそが、今回のお前が促したい‘善意’か。だが、僕としては、綺麗な沙世ちゃんを眺めながら最期を迎えたい。死ぬ気だよ。お願いだから、邪魔しないでくれないか?“
それを聞くと再び白ギルは溜息を漏らした。
『はぁ……。
本当は、少しでも時間が欲しいから、説明している暇もないかと思ったのだけど、仕方ない。説明するよ。今回の事件のあらましを』
“それは、少し僕も興味あるな”
アキがそう応えると、白ギルは説明をし始めた。
『まず、原子力発電所に爆弾を仕掛けるよう指示を出したのは、榊原総帥だ。ただし、それは失敗するよう予め、部下達によって仕組まれていた。あの爆弾は、放っておいても爆発はしないよ』
“うん。それは予想通りだ”
『しかし、話はそこでは終わらない。榊原の部下達は、それを利用して、榊原総帥を引き摺り下ろそうと考えたのさ。と言っても、原子力発電所を爆破なんて馬鹿な内容じゃ駄目だ。日本の原発計画がダメージを受けるし、役人達もただでは済まないだろう。そこで彼らは別の事件に繋げる事にした。そして、君の命が狙われた。殺人事件のスキャンダルだね』
そこでアキは口を挟んだ。
“僕はガン治療ができる能力者として、厚生労働省の官僚達からも必要とされていると思っていたのだけどね。命を狙われるとは。
まさか、ガンに侵されていた官僚は、治っちゃったとか?”
『いや、その一人は見捨てられたんだよ。もちろん、その一人にも権力があるから、これからどうなるかは分からないけどさ。それには、君が少し目立った行動を執りすぎたというのもある。君は彼らにとって危険人物の一人になってしまった。消したい人間。排除したかった。
少し、相手を舐めすぎたね。こっちは情報系能力者が使えず、相手は使える。初めから官僚達の方が有利なんだ。ま、ボクらを使って、多少は混乱させられたけど』
“それについては、反省しているよ”
『話はまだある。
できるのなら起こす事件は、厚生労働省にとって有利な事件の方が良い。一石二鳥って訳だね。裏切った部下達は、厚生労働省側に組み入ろうとしていたからだ。特殊能力者が危険だという事をアピールできるような事件なら完璧だ。そうなれば、能力者を貴重な人材として認めたくない厚生労働省の方針と一致するから。
実はそのネタとして、ずっと前から長谷川沙世は彼らに注目されていたのさ。彼女は本来なら、Sランクの危険能力者だ。君が訓練して、安全にしちゃったけどさ。そして通称は“爆弾”だった……
更に都合が良い事に、長谷川沙世には、榊原さやかの手術で彼女と繋がりが出来ていた。つまり、沙世ちゃんを罠に嵌めるお膳立ては既にできていたって訳さ。因みに、官僚側の情報系能力者が、その辺の情報収集は行っていた。
後は、榊原さやかに原子力発電所爆破の話をわざと漏らして、不安を与えることで、沙世ちゃんを呼び出し、彼女が一人なら、ビル内に招き入れて、捕まえる。建前は、不法侵入者だったから、とでもしておけばいい』
そこまでを白ギルが語ると、アキはこう尋ねた。
“ちょっと待ってくれ。それだけじゃ、沙世ちゃんを危険人物にはできないぞ。ビル内で沙世ちゃんは多少は暴れたかもしれないけど、超危険ってレベルじゃないはずだ。デッチ上げも難しいだろう? 文部科学省の監視がある”
『その通りだね。だから、誰にでも分かるビルの外で、長谷川沙世を暴走させる必要があったんだよ。
彼女を捕まえれば、当然、君が助けに訪れるだろう。君と沙世ちゃんが“水”で繋がっているのは、もうばれている。そして、その時に君を銃で撃つ。君の命が失われる。その場には、はっきりと敵がいる。さて。彼女はどうなる?』
アキはそれを聞いて、黙る。
『通常の状況で、君が殺されても、そこまで彼女を暴走させる事はできないだろう。混乱はするかもしれないけど、泣き叫ぶ程度だ。復讐の為に誰かを殺そうとまでは、至らないかもしれない。しかし、普通ではない状況下で散々痛めつけられて、正常な思考能力が麻痺した状態なら、どうだろう? 暴走した彼女は毒を創り、無差別殺人を…
実を言うなら、長谷川沙世自身も官僚達への“お土産”なのさ。危険度Sランクの特殊能力者と認定されれば、官僚達は合法的に彼女を捕らえられる。彼女は、そこで実験材料にされるよ。恐らくは、能力でウランやプルトニウムの幻物質を創らせられるはずだ。もし実現できれば、コストゼロで原発が動かせる上に、核廃棄物も幻物質なら、やがては自然に消えていく。まさに夢の燃料…
しかも、彼らにとっては都合が良い事に、ボクの弟の、つまりは黒ギルの存在がある。“悪意”を促す弟は絶対に、彼女にこれを伝えてしまう…… きっと彼女は自分を抑えられず、猛毒を発生させるだろう。
つまり、君の大好きな沙世ちゃんの本当のピンチはこれからなのさ…』
それを聞き終えると、アキは笑った。
“ハハ…”
と。
白ギルがアキに説明をしているのと同じタイミングで、黒ギルは泣き続ける沙世に対して、説明をし続けていた。どうして、アキが撃たれる事になったのか、その理由を。
『村上君を撃てと指示を出した犯人は、その総帥に離反し、厚生労働省と手を組んだ部下達だよ。
この罪の全てを総帥に着せ、そして自分達は厚生労働省側に寝返るつもりだ』
沙世はその話を聞いているのかいないのか、アキにずっと呼びかけていた。
「お願い! アキ君。生きて。お願いだから、死なないで!」
『……今は大丈夫だろう。瀕死の君へ意識が向かっているから。しかし、これから君が絶命すれば話は別だ。きっと、悲しみと怒りで彼女は暴走するよ…』
白ギルがそう言い終えても、アキはまだ笑っていた。“ハハハ”と。そのアキの笑いに、白ギルは訝しげな表情を浮かべる。
『何を笑っているんだい?』
そう問いかけた。
“いや、バカだと思ってさ。お前は、バカで、黒の奴は大バカで、企業の黒幕共はウルトラバカだな”
『死にかけていたら、何を言っても許されると思っているな』
アキは“ふっ”と笑う。そして続けた。
“そんな、自分達の腐った感覚で僕の綺麗な沙世ちゃんを見るから、肝心な部分を読み間違うんだ。
僕の沙世ちゃんを、醜い他の人間と同じだと考えるなんて”
『どういう意味だい?』
“いいかい? 僕の沙世ちゃんは、自分の毒で誰かを傷つけるなんて、葛藤するどころか、思い付きさえしない。いくら、黒の奴が、僕の死の犯人を教えたって、無意味だ。ただ哀しがるだけだよ”
それを聞くと、白ギルは黙った。“いつ、彼女が君のモノになったのだか”とは、思っていたが。そして、少しの間の後で、それに対して何か反論しても無意味だと悟ると、
『なるほど。しかし、良いのか? そんな沙世ちゃん至上主義の君が、君を失った哀しみを彼女に背負わせて。
彼女はまた、辛い人生を歩む事になる』
と、そう問いかけた。
沙世はアキが目を閉じかけているのを見て、
「嫌だ! 嫌だ! お願い! 目を開けて! 死なないで 嫌だ!」
と、叫んでいる。
白ギルの問いに対して、淡々とアキはこう返した。
“大丈夫だよ。沙世ちゃんは、もう僕がいなくても生きていける力を持っている。能力も、自分一人で磨けるさ”
その時、沙世がまた叫ぶ。
「お願い! 死なないで! 嫌だ! やっとわたしを抱き締めてくれる人が現れたのに! 嫌だ! 死なないで!」
その叫びに、アキは心の中でこう返した。
“嫌だ、嫌だと言っても仕方ないじゃない。それに‘抱き締めてくれる人’か。ばかだな沙世ちゃんも……。
毒を克服した君なら、いくらでも抱き締める人は現れるよ… これから”
沙世は抱き締められる人、ではなく、抱き締めて“くれる”人と言った。まだ、自分を卑下している。それをアキは、悲しく思いながらも嬉しく思っていた。
“本当に綺麗だ、この子は…
この子に会えて、良かったな。僕は恵まれていた”
そして、そう思ったその時に、沙世の涙がアキの頬に当たったのだった。アキは、
“さて。これには、何の毒が含まれてあるかな? 流石に、コントロールできていないだろう。この状況じゃ”
と、そう思う。しかし。
“あれ? 毒じゃない”
そう。その沙世の涙には、毒が少しも含まれてはいなかったのだった。その事実に、アキは感動する。軽く微笑んだ。
“強くなったな、この娘は。本当に”
そしてそれから、何かを吹っ切るようにして、こう訴えた。
“白、お願いがある。伝言だ”
『なんだい? 遺言なら、届けないよ』
“安心しろ。違う。それに、きちんと相手の善意を促す行動でもある。お前の存在とも一致する。僕が生きる為の方法だ。今から話す内容を沙世ちゃんに届けてくれ。生きてみたい気になった。この娘とまだ一緒にいたい”
白ギルはそれを聞くと、呆れたように、しかし嬉しそうにこう返した。
『はっ いくらボクが説得しても少しも揺るがなかったのに、結局は彼女かい。まぁ、いいけどさ。
よし。届けよう。話してくれ』
……突然に、長谷川沙世の前に、白い影が現れた。沙世はそれが白ギルだと直ぐに悟る。そして、そう悟ると彼女は直ぐに良い情報を期待した。白ギルはこう言う。
『やぁ、久しぶり。本当は、もっと色々と話したいけど、今は時間がない。
君に伝言があるよ。村上君からの伝言だ。今から話す事をすれば、彼は助かる…』
「何? お願い、教えて。早く!」
沙世は叫ぶようにそう尋ねた。
『落ち着いてくれ。これは、君が平常心を維持できなくちゃできない事なんだ。まず、今彼の体内には、銃弾が埋め込まれてある。それは太い動脈に刺さっている。皮肉にも、その弾丸が、動脈から血が大量に漏れ出すのを防いでいる状態だ。
しかし、その弾丸は後少しで取れそうでもある。彼自身の血の流れ、生命活動に押されてね。彼を救う為には、だから、その彼の生命活動を弱める必要がある。つまり、仮死状態にもっていく必要があるんだ』
沙世はその説明に頷いた。
『そして。君になら、それができる。今の彼には流石にそれは無理だけど。濃度の濃い睡眠ガスで、彼を仮死状態にするんだ』
沙世はそれを聞くと、一瞬怯んだ。
“わたしが?”
と、そう思う。しかし、今にも死にそうなアキを見て、瞳に光を宿した。1秒で決心を固めたのだ。その時、彼女の背後で黒ギルが姿を消した。自分の出番は、終わりだとでも言うように。
「分かった。やってみる!」
沙世はそう言うと、手の平で自分の顔をピシャッと叩いて、気合を入れた。アキを見る。
「アキ君を助ける!」
それから、“大丈夫。睡眠ガスで眠らせるのは、いつもやっている事だし”と、自分自身に言い聞かせる。しかし、それから少しだけ悩んだ。
“直ぐに仮死状態にする程の、濃度の濃い睡眠ガスを、どうやってアキ君に吸われば良いのだろう?”
空気中で睡眠ガスを創れば、どうしたって大気が入って、薄くなってしまう。
しかし、それからふと思い付く。
“そうか! こうすれば良いんだ!”
そして、彼女はアキの口元に自分の口を近付けていった。体内で、独自空間を発生させて、睡眠ガスを創り出す。口の中だけにそれを留めて、肺には入らないように。それから彼女は、アキの口に自分の唇を近付けていった。唇と唇が触れ合う感触。その瞬間に、彼女は体内で発生させた睡眠ガスをフゥッとアキの口の中に吹き入れる。
アキはその瞬間を驚愕の思いで味わっていた。そして、
“もう、死んでも良い……”
と、そう思った。意識を失うのは、睡眠ガスの所為ではなく、その感動の所為だと思えてしまうくらいに、幸せを感じていた。
『死んだら、駄目だろ』
と、白ギルがそんなアキにツッコミを入れた。
睡眠ガスを吸わせた事で、沙世にはアキの体内の様子が分かった。動脈に突き刺さっている弾丸も見つける。今にも外れそうなそれを、彼女は意識を集中して血で固めた。これで取り敢えずは大丈夫なはずだ。静かに落ち着いたテンポでリズムを刻む、アキの心臓の音に彼女は安心を感じた。
そしてその少し後、救急車のサイレンの音が近付いて来るのを沙世は耳にした。




