20.沙世ちゃんがいない
「沙世ちゃんがいない」
と、三城俊の家を訪ねた村上アキは開口一番にそう言った。
例の水を通して、沙世の危機を感じ取り、沙世の大体の居場所を把握したアキは、不安を加速させていた。それが、以前に自分達が榊原さやかの手術を行ったビルの辺りだと気付くと、それから一応沙世の家に行き誰もいないのを確認した後で、三城の家に向かったのだ。
突然のその訪問に、三城は「連絡くらい入れろよ」と、文句を言う。
「焦ってて忘れてた」
と、淡々と早口でアキはそれに返す。
「とにかく、沙世ちゃんがいない。捜すのを、協力してくれ」
それを聞くと三城は笑った。
「はっ、お前が消えた時、お前は“たった三日で耐えられなくなった”と長谷川さんを馬鹿にしていたくせに、お前自身は一日も持たないのか?」
それを聞くと、アキは表情を歪めると言う。
「何言ってるんだ、俊?」
そして、淡々とこう返した。
「そんなの、当たり前だろうが」
「何を威張ってるんだ、お前は…」
と、それに対して三城はツッコミを入れたが、「しかし、それでこそだ。分かった、協力してやろう」と、そう続ける。
「何を威張ってるんだ、お前は?」
と、アキはそれにそう返す。
間。
その後で、三城はこう尋ねた。
「で、何処をどう捜すんだ? 大体の計画くらいは立てているのだろう?」
「当然。だけど、まだ人材が足りない。取り敢えず、立石さんを呼ぶよ」
「立石さんを? どうして?」
「彼女の能力が、恐らくは役に立つからだよ」
――で、
「沙世がいなくなった?」
突然の訪問に立石望は驚いていた。一応は、行く前に連絡を入れていたのだが。それに「大体、どうして、あなた達が私の家を知っているのよ?」と不満気でもあった。
「俊が、君の住所を把握していないはずがないじゃない」
何でもない事のようにアキはそう言う。
「あっさり言わないでよ」
と、立石はツッコミは入れたが、それから真面目な顔になると、
「分かったわよ。協力する。村上君がそこまで慌てているって事は、きっとそれなりの理由があるのでしょう?」
と、そう言った。
「うん。ちょっと説明している時間はないのだけど、ただ事じゃないと思う。だけど、まだ人材が足りない。沙世ちゃんを捜す前に、その人材を探すよ」
「何、それ?
私には随分と悠長に聞こえるのだけど」
「急がば回れって言うだろう? それに……」
そう答えてから、アキはメモを見た。黒田勘の大体の居場所を書いたメモ。出雲真紀子から渡されたものだ。
“運命創り。出雲さんの能力を信じてみるべきだとも思う。ここは”
「とにかく、移動をしよう。その人材には心当たりがあるんだ」
そう言うと、アキは目的地も告げずに速足で歩き始めた。立石と三城の二人は、戸惑いながらもそれに付いていく。アキが向かった先は、ある街の裏通りだった。そこで彼は何かを探しているよう。立石と三城はやはり戸惑う。
「何をやっているんだよ?アキ」
「ネズミを探している。ドブネズミを。必ずいるはずなんだ」
「ネズミ?」
立石が不審を露にした声を上げる。
「そんなものを探して、どうするつもりなのよ?」
しかし、アキはそれには答えない。代わりに、こう言う。
「もう、面倒だ! 二人とも、ちょっとの間、口を塞いでいて」
訳も分からず、二人は口を塞ぐ。アキが睡眠ガスを発生させようとしている事だけは察したからだ。沙世ほどではないが、それでもかなりの量のガスが出た。アキはそれを操って路地裏に放つ。そして少しの間の後にこう言った。
「いたな」
アキは路地裏に進む。立石と三城の二人は、顔を見合わせると、後に続いた。何匹かのドブネズミがそこには倒れていて、アキはそれを見ながら言う。
「立石さん。こいつらに君の髪の毛を結ぶ。何本かちょうだい」
訝しげな表情のままで、立石はこう尋ねる。
「それに、何の意味があるの?」
「君は、自分の髪の毛がある場所なら、その位置も分かるのだろう?」
「ある程度の範囲ならね」
「結び終えた後で、ネズミ達を起こす。それから、こいつらの行き先に進むんだ」
それを聞くと、ようやく立石と三城はアキが何をしようとしているのかを察し始めた。立石は髪の毛を何本か渡す。アキはそれをドブネズミに結んだ。それから、独自空間によってドブネズミを起こす。
「よし。行け!」
アキがそう言うと、ドブネズミは走り去った。立石の顔を見る。彼女は黙ったまま頷くと、歩き始めた。
「こっちよ」
三城が進みながら、尋ねる。
「つまり、あのネズミ達は、お前の探している誰かのペットなのか?」
「ペットというか、手足みたいなもんだね。つまり、ネズミ達を操る能力だ」
速足で進みながら、アキは答えた。その返答で、三城はまた察する。“なるほど、その能力で長谷川さんを見つける気なのか”と。
しばらく歩き続けると、やがて、立石は足を止めた。
「ついたわよ」
見ると、そこには粗末なボロ屋がある。外見はとても人が住んでいるようには思えなかったが、中に入るとそれなりに整っていた。炬燵まである。その炬燵には、女が一人丸くなっていた。女はその闖入者達に対して、「なんやねん。あんたら。人がええ気持ちで寝ているところに」と、そう面倒くさそうに言った。それから、急に驚いた表情を浮かべると、
「あー! あんたは、村上アキ! なんで、こんな所に現れるねん! いい根性してるな、あんた。自分から来るやなんて。
そうか、ネズミに変な反応があったから、呼び戻してみたけど、犯人はあんたやな!」
と、そう叫んだ。アキは平然とした顔で、こうそれに返す。
「久しぶり。エセ関西弁使いちゃん。今日は、仕事の依頼があって来たんだ」
もちろん、この“エセ関西弁使いちゃん”は、アキをかつて監禁していた実行犯の一人、椿緑だ。
「その変なあだ名、定着しとるん? やめて。ていうか、仕事の依頼って、そんなもん請けるはずないやんか! あんたが逃げたお陰でうちがどれだけ黒田君に怒られた分かってるんか? 報酬減らされてしまうし」
そこに三城が割って入る。
「エセ関西弁使いさん。どうか、怒りを鎮めて。オレらは今とても困っているんだ」
「だから、その妙なあだ名で呼ぶのやめてって! あんたらが、どれだけ困っていようが、そんなの知るわけないやろ! 仕事を請けるどころか捕まえてやるわ!」
そう叫ぶと、椿は三人を睨んだ。
「行くでぇ! うちのネズミ達! “冒険者たち” 集まってきぃ!」
立石が淡々と言う。
「冒険者たち? うわ、懐かしい。分かる人いるの? あれ、好きだったわ」
ここぞとばかりにボケたのだ。
「え? あんた、あれ知ってるん? うわ、あんたの事は好きになれそうやけど、まぁ、今は関係ない」
と、椿はそれに返す。その後でアキが口を開いた。
「今、僕らを捕まえたって、君らには何のメリットもないだろう? うーん。やっぱり椿ちゃんじゃ話にならないな。黒田君は?」
そうアキが言い終えると、ボロ屋の入り口から声がした。
「オレならここだが」
見ると、そこには不機嫌そうな様子の男の姿がある。椿に比べれば、ずっとスマートな印象。椿はその姿を認めると、こう叫んだ。
「あ、黒田君! 見て! あの村上アキが自分からやって来たで」
黒田はそれに頷く。
「ああ、見れば分かる。だが、その前に…」
そう言いながら黒田は、部屋の中を進むと、
「隠れ家の中で、大騒ぎするな!」
と、バシッと叩きつつ椿にツッコミを入れた。
「捕まえても意味がないのは、村上の言う通りだ。捕まえてどうするんだ? もう、あの時の雇い主との連絡手段もない。連絡したら、却ってオレらの立場が悪くなるぞ」
「だってぇ、黒田君、怒ってたやないか」
「それとこれとは、話が別だ」
黒田が睨み付けると、椿は大人しくなった。集まりかけていたネズミ達も消えていく。
「しかし、よくここが分かったな。村上。
まぁ、詳しくは聞かない。これでも客商売だ。で、仕事の依頼ってのは、何の話だ? 金と条件によっちゃ引き受けるぞ」
黒田がそう言うと、アキは溜息を漏らしてこう応えた。
「流石に話が分かる。仕事の内容は、人捜しだ。と言っても、ある程度の場所の特定はできている。少し協力してくれるだけでいい。それに、危険もない。金もできる限り支払うつもりでいる。とにかく、時間がない」
「ふん」と、声を漏らした後で、黒田はこう言った。「とにかく、もう少し詳しく話を聞こうか」
――数時間前、長谷川沙世はビルの廊下を走っていた。
男は榊原さやかの病室に入ってくるなり、拳銃を取り出して沙世に向けたが、その男のいる位置は既に沙世のテリトリー内だった。濃度の濃い睡眠ガスを、沙世は瞬間的に浴びせて、男を昏倒させる。それから、「じゃあね!」と、榊原に言うと、そのまま沙世は病室を出てビルの廊下を走り始めた。
もちろん、沙世の存在は既にビル関係者にばれてしまっていると考えた方が良いだろう。沙世が秘密を握った事も。しかし、沙世相手では迂闊に手を出せないだろう事も、沙世は自覚していた。彼女の毒は厄介だ。危険があるのは曲がり角などの、隠れた位置から銃などで狙われること。だから、沙世は少しでも視界が不明瞭な場所があると、まずは睡眠ガスを放ち、安全を確保してから進んだ。
“生まれて初めて、自分の体質に感謝するわ!”
沙世はそんな事を思う。
しかし、ビルを何階か降りたところで、異変があった。何かが閉まる音が、階下から聞こえてきたのだ。下に降りると、予想通りに階段はシャッターのようなもので塞がれていた。別の道を探して廊下を進んだが、そちらは大きな鉄の扉で閉ざされていた。
“閉じ込められた?”
そう悟ると、沙世は取り敢えず、ドアが開く倉庫のような場所に身を隠した。そこでどうしようかと考えたが、良い案は浮かばない。
“くそう! アキ君に連絡が取れれば”
携帯電話を見てみるが、やはり都合良く電波が届いているなんて事はなかった。実際にかけてみもしたが無駄だった。それから沙世は辺りを歩いて、何処か抜け出せそうな場所がないかと探したが、見つからない。やがては途方に暮れて、しゃがみ込む。
“こうなったら、持久戦だわ。あの扉が開くのを待って、隙を見て逃げるしかない”
そう思ったが、落ち着かない。原子力発電所に仕掛けられた爆弾が、いつ爆発するとも限らないからだ。だが、長い時間が過ぎるとその焦りも消え、やがて“どうしよう?”という絶望感だけを深く感じ始めた。
“このままじゃ、間に合わないかも…”
しかし、そうしている間に何かの気配を沙世は感じた。小さなもの。それが倉庫の冷たい床を蹴って近付いて来る。
やがて、沙世の視界に、一匹のドブネズミの姿が入った。彼女はそれに少し驚く。それと共に奇妙な違和感も感じる。ネズミが、どうにも自分に向かってきているように思えてしまったからだ。それから、彼女は何かを連想しそうな自分に気付く。ネズミといえば、ここ最近で、何かあったはず。そして、思い至った。
“あ、あの例の、エセ関西弁使いさんの、ネズミ”
そう思っても、沙世はまさか、今近付いて来ているネズミが、当にそのエセ関西弁使いのネズミだとは思わなかった。警戒感なく、人間に近付いて来ようとするネズミを不思議に思っただけだ。だが、そのネズミはそのまま沙世の下まで走り寄ってきて、しかも縋るように足に取り付いたのだ。
沙世はそのネズミをじっくり見て、何かを見つける。ネズミの足に、何か細いものが結び付けられてある。
“これって、もしかして…”
沙世はある予感を覚える。
“立石の髪の毛?”
それから、アキと共に創った例の水がある事に気が付いた。これで、アキに自分の感情が伝わっているだろう点に思い至ったのだ。しかもアキならば、自分の居場所を特定するくらいはできる。
それから咄嗟に、沙世はネズミを手の平に乗せると、こう言った。
「立石。もし、そこにアキ君がいるのなら、伝えて。原理力発電所に爆弾が仕掛けられたって! なんとか、その爆発を止めて」
それが立石の髪の毛であったのなら、音を記録できるはずだからだ。それからネズミを逃がす。ネズミは排気口を昇ると、そのまま消えていった。
“良かった。これで、何とかなるかもしれない”
沙世はそう思うと、やっと少し安堵した。
「いたぞ。多分、長谷川さんだ」
三城がそう言った。
それを聞くと、椿が頷く。
「大体、分かるわ。この感覚やな」
三城は椿の肩に手を触れていた。そして、サイコメトリーの能力を発揮している。
アキの依頼内容は、もちろん、長谷川沙世の捜索だった。しかし、場所は特定されている。榊原グループのビルの何処か。アキの頼りは、椿の能力だった。ネズミ達を使って沙世を見つけるつもり。だが、それには何点か問題があった。
……一時間程前、仕事内容を聞いた椿が疑問の声を上げた。
「うち、人の気配はなんとなく分かるけど、それが誰かまでは分からへんで?」
そう。椿が受け取れるネズミからの情報は非常に限定的で、それが誰かまでは分からないのだ。しかし、アキはその点についても考えていた。
「うん。それを解決する策もある。これをネズミ達に食べさせて」
アキが用意したのは、大量のパンの耳。それにアキは自分の幻物質を、結合させていた。
「でもって、俊もこれを食べてくれ」
俊はそれを聞くと察する。
「なるほど。面白い考えだが、上手くいくのか?」
「やってみるしかないだろう?」
アキが考えていたのは、能力と能力のコラボレーション。幻物質で、ネズミ達と三城との感覚を近付け、そして、三城のサイコメトリーで沙世を探す。
「どういう事?」
椿以外の全員が、その作戦の意図を理解していた。
「電気系統が通じる障壁があったら、オレが手を貸そう」
そう言って、黒田もパンの耳を食べる。
「もしも、長谷川沙世が捕まっていたら、見つけ出しただけでは何ともならないだろう。オレの能力でなんとかする」
アキ達の目的は、沙世を見つけるだけではなく、取り戻す事。黒田の能力は、それが電子機器ならどんなものでも操れるというものだ。電子制御の扉なら、開けられる。そして、三城俊のサイコメトリーは実は特殊で、感覚の伝達も可能。まだ試した事はないが、恐らくは、黒田にそれを伝えて、能力をアキの幻物質を通して発揮する事も可能なはず。もっとも、それは沙世を見つけ、更に沙世の状況が分かってからの行動になるが。そして彼らは沙世を見つけたのだ。
……やがて、沙世がネズミに結び付けた立石の髪の毛に気が付き、何かを録音しただろうと悟ると、椿はネズミを引き上げさせた。ネズミが帰ってくると、立石は結び付けていた髪の毛を外して、音を聞いた。そして、それから目を見開いて、驚きの声を上げる。
「原子力発電所に、爆弾が仕掛けられたって!」
「え?」
そこにいる全員は、その予想外の情報に顔を見合わせた。
“まさか、爆弾が仕掛けられたって、この事だったのか?”
アキは愕然としつつ、そう思う。
沙世の元からネズミが去って、しばらくの時間が過ぎた。あれから、何の変化もない。沙世は体育座りで、倉庫の隅にいた。
“寒い”
この場所は少し冷えた。
だが、そこに突然、音が聞こえてきた。沙世の聞き間違いでなければ、鉄の扉の開く音が。
沙世は急いで、倉庫の外へ出た。見ると、再び扉は閉じられようとしており、そこには分厚い防護服を身に纏った、男の姿があった。
男は沙世を見るなり言う。こもった声で。
「おいおい。こんなお嬢ちゃんを叩きのめさなくちゃいけないのかよ。なんだか、気が引けるな」
沙世は身構えた。相手はガスマスクも付けている。恐らくは、睡眠ガスは効かない。
“どうしよう?”
沙世は急速に不安になる。アキに助けを求めたかった。




