18.臓器移植
村上アキの家に、長谷川沙世が泊まった次の日、彼女が家に帰ると、直ぐに二ツ結双葉がやって来ていきなり怒り始めた。
「何処に行ってたのよ、この不良娘! お母さんは、とっても悲しいわ」
もちろん、アキの家に泊まっていたなんて言えるはずがない。
「なんで、あなたがお母さんなの?!
わたしだって、他所に泊まる事くらいあるわよ。あなたに、断る必要なんて少しもないでしょう?」
そうツッコミつつ誤魔化すように反論する。が、二ツ結の怒りは、そんな点から発生している訳ではなかったのだった。
「そうじゃないわよ! あなたはわたしの主治医だったはずでしょーう! あなたが一日毒を浴びせなかったお陰で、分身ができちゃったじゃなーい!」
そうなのだ。アキの心配ばかりしていた沙世は、日課になっているその作業をすっかり忘れていたのだった。彼女にとっては、その重要性を実感できない事も、その一因だったのかもしれない。
「別に正式に契約を結んだ訳じゃないんだし……」
と、悪かったとは思いつつも、そう言い訳する。それに二ツ結は怒る。
「ちゃんとお金払ってるでしょーう!」
「ごめん、悪かったわよ。でも、忘れる事くらいあるわよ、わたしだって人間なんだから!」
「お陰で、家の人間に分身の回収に来てもらわなくちゃならないでしょーう!」
「ごめんってば!」
二ツ結は怒っていたが、その日のやり取りは平和で、不穏な事件が発生するとはとても思えなかった。しかし、次の日になって、少し話は深刻の度合いを増すのだった。
「どうしてくれるのよ!」
やはり二ツ結は怒っていた。いつも通りに彼女が夕食を食べに来ていた時の事だ。
「何の話?」
と、沙世は尋ねる。すると、二ツ結はこう答えた。
「あなたがサボったお陰で、できちゃった分身が誰かに盗まれちゃったのよ! 犯人はきっと口で言ったら18禁になっちゃうような、そんな事をするつもりだわ!」
それに沙世は怪訝な顔を浮かべる。
「なら、犯人はロリコンって事? でも、どうしてあなたにそんな能力があるなんて分かったのかしら? それに、分身ができたって知られているのも変ね。他に何か盗まれたものはあるの?」
「ないわよ。分身だけしか盗まれていなかった。だからあたしは、変な事に使われているって考えたのじゃない! 分身目的で忍び込んだって事でしょう?
ああ、気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い……」
「まぁまぁ、わざわざ回収してもらう手間が省けたと思えば……」
「何をのん気な事を言ってるのよ! こっちの身にもなってよ! ああ、きっとデブで脂汗いっぱいで心も外見も醜い男が、あたしの身体を舐めまわしているんだわ! 考えただけでも鳥肌が立つぅ!」
もちろん、沙世も問題だとは考えていた。盗みに入られた、という事は他の危険も考えなければならない。それは、もちろん自分についても言える話だった。それで彼女は、自分もアキの真似をして、本物の物質と結合させた幻物質を防犯の為に撒いておこうかと考えたが、自分一人ではできそうにないと判断すると、アキに相談してみようと思ったのだった。因みに二ツ結はその日、騒ぎっぱなしだった。
早速翌日の訓練の時に、沙世はアキに事情を話して相談してみた。アキが帰って来て、直ぐに沙世の訓練は再開していたのだ。が、それを聞くと彼は別の事で悩み始めてしまったのだった。
「二ツ結さんの、分身が盗まれた?」
どうにも彼には、その方が気になるようだった。それから少し考えると、何故かアキは沙世にこんな質問する。
「ねぇ、そう言えばさ、どうやって彼女は僕の事を知ってやって来たのだろう? 沙世ちゃんは、訊いてみた事ある?」
沙世はその質問を疑問に思う、どうして、そんな事が気になるのかしら?と。
「訊いてみた事はないけど、お嬢様の情報網ならそんなに難しくもないのじゃない? きっと、本人も家の誰かに任せていて、知らないと思うけど」
「うーん、そうか……」
やはりアキは悩んでいる。沙世はそこに向けてこう質問する。
「どうしたの? まさか、また何か厄介事でもあるの?」
「うん。二ツ結さんのあの能力はさ、場合によっては、とても重宝するんだ。特に医療の現場では。例えば、臓器移植。仮に瀕死の状態の患者でも、彼女の超生命力を持った臓器を移植すれば、それにより瞬く間に回復する可能性がある。彼女の分身は、切り離されてしばらくは、その超生命力を保持しているから、それを利用できれば…… そして、それを欲しい人間は必ずいる」
アキの語る内容が、あまりに具体的だったからだろう。流石に沙世も勘付く。
「まさか、そんな情報がまた飛び交っていたりするの?」
「まぁね。実は、とある財団グループが臓器移植関連で動いているって話があって。しかも、この特区で。と言っても、これは巷の噂なんだけど」
「噂?」
そう聞いて沙世は思う。噂とくれば、より詳しいのは立石望だろうと。それからアキは、「考えすぎかもしれないけど、なんか気になるんだよね。タイミング的に」と、そんな事を言った。それで結局、防犯の話は有耶無耶になり、そのまま流れてしまった。
翌日、その日は休日だったのだが、一緒に買い物に行ったついでに、沙世は立石に何となくで、そんな話を振ってみた。流石に知らないかとも思ったが、立石はその話を知っているようだった。しかも、ある程度は調べてすらいる。
「誰かさんのお陰で、裏の世界の事情が気になっちゃってね」
と、嫌味まじりにそんな事を言う。皮肉屋なところは、相変わらずだ。
「ま、臓器移植の噂ってなれば、あなたの隣に引っ越してきた、お嬢様を思い出す訳。それで、気にかけていたのだけどね」
立石はそれからそう続けると、「で、あのお嬢様の分身が盗まれた、と。それは、確かにちょっと気になるわね」と言う。
「気になるって?」
「だって、もしかしたら、臓器移植に使えるかどうか調べる為に、その分身を盗んだのかもしれないじゃない。または、既に用いられているかもしれない。普通にくれって言っても渡しそうにないしね、あのお嬢様は」
それに沙世は納得する。確かに、普通の状況下では、意地でもあの子は分身を渡さない気がする。立石は更に続ける。
「ただ、だとしても、どうして分身が生まれた事が知られたのか、それが分からないけど」
そう言われて、沙世はハッとなった。黒ギルか白ギル。あの二人のどちらかなら、簡単にそれを誰かに伝えられる。そして更に思う。アキがそれに気付かないはずがない。だからこそ、あんなに彼は悩んでいたのかもしれない、と。
アキはここに二ツ結がやって来た理由を気にしていた。そして、もしも、あのお嬢様が誰かの手引きでここを知ったのだとすれば……。医療は、アキに直結する話でもあったはずだ。立石がまた言った。
「噂によるとね、その臓器移植関連の技術を特区で調べている連中って、どうも文部科学省側と繋がっている何処かの財団らしい。官民癒着ってやつよ。でもって、そこが変な話な訳。臓器移植って言うなら、医療だから、厚生労働省との癒着の方がすっきり来る。それがどうして、文部科学省なのか?って。だから、もしもこの噂が本当だったとしたら、ビジネス絡みとは別で動いているのじゃないかって私は考えているのだけど」
文部科学省。そう聞いて、再び沙世はハッとなる。確か根津先生は、文部科学省側の人間であったはずだ。そして、黒ギルと白ギルが現れる可能性のある人物でもあり、更に沙世やアキにも近しい。それで、沙世はこう思ったのだった。
“まさか、今回の件には、根津先生が関わっている?”
それから沙世は立石の顔を見た。立石に相談してみたかったが、余計な事を知れば、彼女に危険が及ぶかもしれない。それで、沙世はそれを我慢した。立石は、沙世のその表情に少し不思議そうな顔を見せた。
アキが沙世の考えた可能性に気付かないとは考え難い。もしかしたら、既に調べ始めているかもしれない。そう考えた彼女は、次にアキに会った時に、問い詰めてみようと思った。今回の事は、沙世自身にも直結する。話さないとは言わせない。誤魔化そうとしても、“水”で繋がっているから、少し意識を集中すれば簡単に分かるはずだから。
が、それを問い詰める前に、事件は起きてしまったのだった。
家に帰ると、何故か彼女の家の前にスーツにサングラスをかけた、見るからに怪しい連中が二人いたのだ。娯楽作品の観すぎ、と言われても仕方なのないような雰囲気をしている。ただ身元を隠す為、というのなら、そのサングラスも納得できるかもしれない。もちろん、沙世はそれを見て身構えた。睡眠ガスを発生させる準備をする。ガスや毒に対して、何も対策を執って来ていないのなら、彼女の敵ではないはずだ。例え、何人いようが。
彼女の姿を認めると、二人はゆっくりと近付いて来た。そして、こう言う。
「長谷川沙世だな。私達は君に危害を加えるつもりはない。事情がある。悪いが、一緒に来てほしい」
沙世は冷静に分析する。年齢は三十代といったところ。年老いた人間に、特殊能力者はいないはずで、二人は微妙なラインの年齢のように思えたが、なんとなく直感的に沙世は特殊能力者ではないと判断した。この街の人間ではないように彼女には思えたのだ。
沙世は少し考える。危険があるか分からないが、取り敢えず眠らせてしまっても良いかもしれない。しかし、そこで一人がこう発言したのだった。
「君の友達の、村上アキもいる。どうか抵抗せずに、来てくれ」
その言葉に沙世は驚く。アキが既に捕まっていて、それを利用して自分を脅しているとも取れる発言。それから彼女は、何か質問をして、真意を確かめようとした。しかし、そこで声が響く。
「そこまでよ!」
見ると、ちょうど自分とは反対側に二ツ結の姿があった。しかも、なんだか知らないが、両手を腰に当てて威張っている。
「馬鹿! あんたにいくら、超生命力があったとしても、戦闘能力が高い訳じゃないでしょう? 取り押さえられたら、それでお仕舞いよ!」
沙世はそう叫んだが、二ツ結は「フッ」と笑うと、それから廊下の柵に飛び乗った。沙世を指差して言う。
「これは“貸し”だからね。後で絶対に返してもらうからね!」
何をするつもりなのかと沙世は思ったが、それから彼女はなんと柵から飛び降りてしまったのだった。
“人間が一人、落下すれば、どうしたって注目を浴びてしまう。そうなれば、怪しい連中は逃げざるを得ないでしょう!”
この程度の高さから落ちたくらいでは、彼女は直ぐに治ってしまう。騒ぎになれば、人が集まって来るはずだ。つまり人を集めて、サングラスをかけた連中を追い払おうと、二ツ結はそう考えたのだった。しかし、
ドガシャーン と、自転車置き場の屋根の上に彼女が落ちて人が顔を出しても、サングラスをかけた連中は少しも慌てなかった。それどころか、携帯電話を取り出し、
「下に一人、客が落ちた。連れて行ってくれ」
と、冷静に連絡を入れたのだった。それから沙世の携帯電話も鳴る。見ると、相手はアキだった。
「あ、沙世ちゃん? 僕だけど。なんだか、怪しい連中が行って、来て欲しいと言うかもしれないけど、君に危害は加えないから安心して。僕も待ってるから。あ、二ツ結さんも一緒にね」
電話に出ると、アキはそう言った。
自転車置き場の屋根の上に落ちた二ツ結は、「痛い」と、そう呟いた。
「どういう事よ?」
と、そう二ツ結が言った。まるで文句を言うような口調。車に乗り込む頃には、もうすっかり落下の傷が治っていた彼女は、目的地のビルに着いて、アキの姿を見るなり近付いていってそう彼に言ったのだ。
「人助けだね」
アキは澄ました顔でそう答える。
「それだけじゃ、分からない!」
二ツ結びはそれに怒鳴った。
静かで落ち着いた威圧感のあるビル内。二ツ結は、その雰囲気に少しも物怖じせず騒ぎ出しそうな様子だった。それで沙世は「少しは大人しくしなさい」と、二ツ結を諌めてから、こう質問する。
「アキ君。わたしも不思議だわ。一体、これは何なの?」
アキが口を開く前に、サングラスの一人が言った。
「私から答えましょう。実は私どもの財団の長、榊原様のそのお孫様であられる、さやか様は今重態に陥っているのです。そのさやか様を、どうか救っていただきたいと、お三方をお招きした次第で……」
それを聞いて、沙世と二ツ結は顔を見合わせる。沙世がまた質問した。
「それって、臓器移植の話よね? でも、それならどうしてわたしが必要なの? アキ君と二ツ結は分かるけど」
それにはアキが答える。
「それはね。沙世ちゃんが、一番、二ツ結さんの超生命力を抑えた経験が豊富だからだよ。
二ツ結さんの生命力は強過ぎる。だから、適度に抑える必要があるんだ。その役割には、一番沙世ちゃんが適している」
それに、沙世は目を丸くした。
“わたしが?”
アキは更に続ける。
「僕は一足早くここに来て、さやかさんの容態を確認した。生命維持装置を付けてあるけど、危険な状態だ。話によると、ここ一週間でどんどん容態は悪くなり続けているらしいんだ。恐らく、一刻も早く、手術を行った方が良い。二ツ結さんの超生命力は、今日はまだ大丈夫かい?」
沙世と二ツ結はそれに頷く。もちろん、今日はまだ二ツ結の生命力を抑える為の“毒浴び”をやっていないかという質問だろう。それを受けると、アキは言った。
「よし、分かった。なら、急だけど、早速始めよう。メインの臓器移植は医者がやる。僕は細胞レベルでの調整と状態チェックをやるから、沙世ちゃんは、僕の指示通りに二ツ結さんの生命力を抑えて。二ツ結さんは、いつも通りに分身を創り、それをできるだけ長時間維持して。君の生命力がなければ、患者は恐らく手術には耐えられないから。ただし、臓器移植で君の生命力を与えられたなら、ほぼ確実に助けられる」
その言葉が終わると、サングラスの男に促されて、三人は歩き始めた。その間で、沙世はアキに尋ねる。小声で。
「今回の件って、根津先生から詳しい事情を聞いたの?」
アキの方が先回りしていたのは、その為ではないかと沙世は考えたのだ。アキはそれに“お?”という顔をする。そして、こう答えた。
「その通りだよ。どうも、そもそも、僕らの情報を二ツ結さんの実家に伝えたのもあの人らしい。初めからの計画だったのかもしれない。二ツ結さんの家から、分身が盗まれたのも分析してみろ、とあの人が促したからだ。きっと、ギル達のどちらかが、根津先生に伝えたのだと思うよ。本当の目的までは分からないけど……、とにかく、今は人命救助が最優先だ」
しばらく進むと、ビル内の一室に辿り着く。その中に入ると、そこには最新の医療機器が揃っていた。そして、その奥には包帯に包まれて眠る少女の姿が。
「さやか様は、交通事故で重傷を負われたのです。私どもは、なんとか尽力し、救おうとしたのですが、現代医学ではこれが限界で……。
後は人智を越えた、あなた方の力に縋る他ないと……」
サングラスの男がそう説明する。その物言いに少しだけ沙世は不快を感じた。“人智を超えた”。まるで自分達を化物扱いするような台詞に思えたからだ。子供の頃に、蔑視され続けた彼女の記憶が蘇る。アキが、抗議するようにこう言った。
「もう少し早く、相談してくれていれば、もっと安全な状態で手術を行えたかもしれないのに。
どうして、相談してくれなかったのです?」
「それは……。失礼ながら、あなた達の力が安全なものだと調べる必要があったからです。また、もしも可能なら、素材だけ得て後は私達だけで行いたかった。それが榊原様の意向でもありました」
アキはそれに多少は、不機嫌な顔を見せたが、直ぐに気持ちを切り替えたのか、
「分かりました。今は、とにかく、手術を行いましょう」
と、真剣な表情になるとそう言った。それから三人とも白衣に着替える。既に中には医者が待機しており、アキは「よろしくお願いします」と、そう言った。医者は無言のまま頷くと、直ぐに手術を開始した。
二ツ結が分身を創ると、直ぐにその身体が切り開かれる。その中から、医者は臓器を取り出した。アキは早くも独自空間を創り、感知及びに医療を開始する。
生まれて初めて目にする人の身体が切り裂かれる光景。沙世は、その迫力に圧倒されていた。アキが「大丈夫?」と心配そうに尋ねる。沙世は黙って頷いた。ここで、自分が駄目になる訳にはいかない。
やがて、一つ目の臓器が、患者の身体に移植され始める。細胞レベルで、それを馴染ませながらアキが呟いた。
「少し生命力が強い。沙世ちゃん、抑えて」
沙世は意識を集中しながら、いつも二ツ結にしているように、毒を創ってそれを浴びせた。ただし、細心の注意を払って、絶対に患者の体内に毒を付着させないようにして。そして、二ツ結の生命力を少しずつ抑えていく。求められているのは、適度な生命力。
「よし、いいよ、そこだ」
アキが言った。彼は大量の汗をかいていた。医者も同じ様に汗をかいている。一個目の臓器が移植されたところで、異変があった。医者達が「おお」と、声を上げたのだ。
「生命活動が復活している」
そんな声が聞こえた。早くも効果があったらしい。沙世はそれに喜ぶ。二ツ結を見ると彼女も喜んでいた。表情で分かるし、感知によっても伝わってくる。やがて、二つ目の臓器の移植に入った。どうやら、移植すべき臓器は数個あるらしい。
臓器移植が行われる度に、患者は生命力を取り戻していった。そして沙世はその間、始終、臓器の生命力を微調整していた。自分の創り出した、幻物質でそれをコントロールしていたのだ。その過程で、当然、ある程度は臓器内の物資と化学結合する。
感知能力によって伝わってくる感覚の変化で、沙世はそれに気付いていた。そして、患者が元気を取り戻していく事も分かった。患者の感覚が、彼女に伝わって来たのだ。
その時、その患者、さやかという少女は、心の底からそれを喜んでいた。例え、それが意識喪失状態の夢の中であったとしても。
手術は大成功した。もちろん、主因は二ツ結の超生命力だが、その二ツ結の超生命力を持つ臓器の抵抗力を抑え、患者の身体に馴染ませていったアキの分子レベルの調整や、沙世のサポートも忘れてはならない。医療チームは、アキ達に深く感謝をし、その成功を喜び合った。
そこからは、特殊能力者達への偏見など微塵も感じられなかった。