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15.村上アキ捜索

 あまり人気のない公園で、立石望と三城俊と長谷川沙世は、三城が村上アキの携帯電話で呼び出した、裏社会の何者かであろうその人物を待っていた。

 公園に人気がないのには訳がある。この特区には子供が少ないのだ。比較的若い世代しか住んでいない上に、経済的にも恵まれない人間達が多い為だ。が、にも拘らず、妙に公園は立派だ。もちろん、その理由は役人や政治家が公共事業で儲ける為に、必要のない公園を建設したからだ。

 三城だけが表で待ち、立石と沙世は物陰に隠れている。いきなり急襲をかけられでもしたら、頼みの綱の沙世が負傷してしまう。立石はもちろん安全の為に表には出ない。だから、三城だけがまずは姿を見せているのだ。

 “別にいいけど、なんだかなー”

 と、自分の境遇をやや嘆きながら、三城はそこに立っていた。やがて、何者かが近付いて来る気配がする。三城が視線を向けると、そこにはロン毛で無精髭で、しかも妙に背の低い男が立っていた。見ようによっては、ホームレスに思えなくもない。

 “帰りたい”

 三城はその男を一目見てそう思った。

 「お前か、俺を呼び出したのは……」

 その男はまずはそう言った。三城はその男の存在感に圧倒されつつも、こう返す。

 「違うと言いたいところだけど、その通りだ…」

 すると、それを聞くなり男はいきなり三城に襲い掛かってきた。髪の毛。男のロン毛がいきなり急速に伸びて、しかも三城に纏わりついてきたのだ。三城は瞬く間に縛り上げられる。

 「取り敢えず、動きは封じさせてもらった。何の用か聞こう。お前は、村上アキの何なんだ?」

 三城はそれに恐怖を感じながらも、こう答える。

 「オレは、アキの友達だよ。あいつがいきなり消えたから、行方を知っていそうなあんたを呼び出したんだ」

 「ほぅ。どうして、俺の電話番号を知っている? 村上アキが、俺の電話番号を残しているとは考え難い…」

 そこまで言って男は気が付いたようだった。

 「そうか。お前、情報系能力者か。チクショウ! 思いっきり触っちまった。最近、裏には情報系能力者がほとんどいないから、忘れてたぜ! 油断した!」

 そう言うと男は、きつく三城を絞め始める。

 「ちょっと待ってくれ。何をするつもりだ?」

 「そりゃ、お前、情報が漏れないように、始末するに決まっているだろう? 都合が良い事に、誰もいないしな」

 それを聞くと三城は慌てた。

 「待て。本当に待ってくれ。こんな状態じゃ、意識を集中できなくて、ほとんど何も分かっちゃいないんだ!」

 「信用できるか!」

 「やめろ。やめてくれ! こんな何かを彷彿とさせるような技は、頼むから女の子にやってくれ! その結果、18禁になってもオレはかまわん!」

 そう三城が叫ぶなり、「馬鹿か、あんたは!」と、声がする。そして、物陰から出てきた立石が三城に蹴りを入れた。当然、男は立石にも反応する。しかし、それと同時に「沙世!」と立石は叫んだ。すると、立石に向かって伸ばされていた髪の毛に、何かの液体がかけられる。まるでレーザーのような、線状で飛んだその液体は、髪の毛を音を立てて溶かした。それから沙世が、物陰から姿を見せると、その男の前に立ちはだかる。しかし、その様を見ても男は少しも慌てなかった。淡々と語り始める。

 「これで隠れていた連中は全員か?

 裏の人間が、隠れている人間の可能性を考えない訳がないだろう? 舐めるな」

 そして、そう言い終えると、三城を縛り上げていた髪の毛を解く。

 「触ったのもわざとだよ。俺が伸ばした髪の毛からは、大した情報なんて読み取れないのよ。経験済みだ。

 ……しかし、この液体は塩酸か硫酸か? しかも、高濃度でこれだけの量を瞬時に創るか。見事に操ってもいる」

 それから男は沙世を見据えた。沙世は身構えると、今度は睡眠ガスを創り出し始める。

 「なるほど。量だけなら、ホイミンの野郎よりも上っぽいな。厄介なお嬢ちゃんだ。相手にしたくねぇ」

 そう言い終えると男は、面倒くさそうに両手を挙げた。ホイミンとは、村上アキのあだ名の一つだ。

 「降参だ。闘う気はねーよ。こんなメリットのない戦闘なんかしてられねぇ。あんたが噂の毒娘、長谷川沙世だろ? あんたに手を出したら、ホイミンの野郎がぶち切れしそうだしな」

 「アキ君が何処にいるのか教えて」

 相手が戦闘の色を解くのを確認すると、沙世はそう言った。

 「それであっさり教える程、甘くはないってのは分かっているよな? が、これだけは言っておこう。あいつは無事だよ。そもそも無事が保証されていなくちゃ、あいつが簡単に捕まる訳はないし、俺らだって捕まえさせたりはしない。ホイミンは俺にとっては重要な金づるだ、あいつの医療能力は重宝するのよ。あいつがいなくなると困る奴は多い」

 その言葉に沙世はこう返す。

 「教えない気?」

 「やめろよ、こっちが引いてやっているんだ。無事だってだけで満足しとけ。それに、下手に手を出すと、どうなるか分かったもんじゃねぇぜ?」

 「アキ君が捕まっている、なんて知らなかった……」

 アキが捕まっている。その事実だけで、沙世は大きく揺れていたのだ。もしも、酷い扱いを受けていたらどうしよう? それから沙世は男をきつく睨んだ。

 「ちょっと待て。俺に敵意を向けてどうするよ? 俺はむしろホイミンに関しては、お前らの味方だよ。もしも、何かあいつに危害が加えられるような事があったら、俺らはあいつを全力で助けるよ。あいつは“使える”奴だからな」

 そう男が応えると、立石が声を上げた。

 「そこまでよ、沙世。踏み込み過ぎるのは禁物。気持ちは分かるけど、やめなさい」

 その立石の言葉に、沙世は無言のまま頷く。静かに下がった。男はそれを見ると、大きく溜息を漏らす。

 「やれ。どうやら納得してくれたか。全く、余計な手間を取らせやがって… じゃ、俺は行くぜ。尾行しようなんてふざけた真似はするなよ? 裏の人間を舐めるな」

 三城がそれを聞いてこう言う。

 「少し戦闘能力が高いからって、いい気になって、オレらを舐めているのはお前の方じゃないのか?」

 それに男は笑った。

 「はっ! 冗談はやめてくれ。俺にしてみれば、戦闘能力なんかよりも、お前らみたいな情報系能力や技能系能力の方がよっぽど羨ましいよ。社会で生きていく上で、むしろ役に立つのはお前らみたいな能力じゃねぇか」

 そのまま男はその場を去っていく。その後姿を見つめながら、三城は小さな声でこう呟いた。

 「でも、油断しているのは事実だよな」

 それに対して、立石はこう言う。

 「あんまり際どい事は言わないの。勘付かれたらどうするのよ?」

 「悪い。つい、面白くってさ」

 沙世にはその会話の意味が分からなかった。それから、三城は続ける。

 「で、首尾は?」

 「上々」

 立石は少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、髪の毛を一本つまんで、三城に見せた。その髪の毛は、細くてとても綺麗で、どう見てもさっきの男のものではない。そのまま渡す。

 「取り敢えずは、一本だけ。でも、多分、何かしらの情報は得られるわよ」

 三城はそれを受け取ると、にやりと笑った。

 「いいね。少し読んだだけで、アキがいるシーンが浮かんで来た。こりゃ、いきなりビンゴだ」

 沙世には何の事だか分からなかったが、二人が何かしらの情報を掴んだ事だけは理解できた。


 「――なるほど。ちょっと面白い話ですね」

 そう言ったのは、根津先生だった。二人が何かしらの情報を得たと判断した沙世は、それから強引に「根津先生に相談しに行こう」とそう主張した。黒ギルのアドバイスに従ったのだ。不器用な沙世には、言葉巧みに二人を説得する事なんてできなかったが、普段とは違う沙世の態度に気が付いた立石は、根津先生が文部科学省側の人間であるだろう事実を考慮して、その提案を飲んだ。沙世は沙世で何かを知っているのかもしれない、と考えたのだ。

 「しかし、少し危険な賭けでもあった。立石さんの髪の毛を、男に気付かれないように付着させて情報を吸収した上で回収、それを三城君に読み取らせるか…」

 そう。意識を逸らした上で、立石はこっそりと自分の髪の毛を操ってあの男に付着させていたのだ。男の能力が、髪の毛を伸ばすものであった事も幸いした。髪の毛に髪の毛が紛れたお陰で、男はそれに全く気付かなかったからだ。

 「だが、教師としては、二点ほど叱らないといけません。まずは、村上君が失踪していると分かっているのなら、その事実を真っ先に伝えて相談しなさい。それと、そんな危険な真似は絶対にしない事」

 とても怒っているとは思えない表情と口調で根津先生はそう言った。普段から、あまり叱るのは得意ではない先生だが、こういう事態でも全く迫力がない。が、それでも説得力はあった。

 「実際、今回は偶々上手くいきましたが、その男が立石さんと同種の能力の存在を知っていたら、成功してはいなかったでしょう」

 根津先生は、教師の立場上、生徒の能力は把握している。プライバシーの問題で、それを公表したりはしないが。それから彼は淡々とこう立石を諭した。

 「これから回収するだろう髪の毛は、全て捨てなさい。これ以上の余計な情報を入手するのは危険過ぎる」

 立石はその言葉に内心では驚きながら、こう返す。

 「何の事ですか?」

 「とぼけるのはやめなさい。まだ、その男に髪の毛を付着させているのでしょう? もし、これ以上の情報をその男から手に入れようとしているのなら、君の安全は保証できませんよ」

 それには三城が反論した。

 「でも、その髪の毛からの情報だけじゃ、まだアキの居所は分かりませんよ? もっと、情報を集めなくちゃ」

 それを聞くと根津先生は、「ふむ」と、声を出した。それから、

 「どうも、君達は能力に頼り過ぎているようです。少ない情報から、効果的に多くの情報を得る手段を知らない」

 と、そう言った。それから、何やらを持ってくる。それは天気予報だった。しかも、一週間前の。

 「長谷川さんは、村上君が失踪する前日の夕方に彼に会っている。つまり、彼が何者かに捕まったのは、この日の夜という可能性が高い事になりますね」

 根津先生は天気予報の曇りの日を指しながらそう言った。更に続ける。

 「そして見ての通り、この夜は曇りだった。さて、三城君。君が読み取った情報の中で、曇った夜の光景に村上君が出てくるものはありますか? できるだけ鮮明なものがいい」

 三城は答える。

 「あります。二つほど」

 「なるほど。では、そのうちで彼が何者かと一緒に消えていくものはありますか? 路地裏か何処か、人通りの少ない場所で、複数人が関与し、建物の外という線が怪しいかもしれません。顔を隠している人間もいるかも」

 「……あります」

 「よし。なら、恐らくはそれが村上君が何者かに捕まった時の映像でしょう」

 それを聞くと立石が声を上げた。

 「なんでそんな事が分かるのですか? そもそも、あの男がその場に居合わせた保証なんかないのに」

 その質問に、根津先生は淡々とこう答える。

 「簡単ですよ。まず、その男の発言から考えてみましょう。その男はもしも、村上君が危険にさらされたら、彼を助けると言った。ならば、村上君も合意の上で、何らかの理由で彼は監禁されている可能性が高い。なら、彼の安全を保証する為に、複数人の立会いの元、彼は仲間内では周知の場所に捕えられている、と考えるべきでしょう。恐らくは、その男もその場にいたはず。村上君が電話で直接連絡を取り合うくらいに信頼している男ですからね。

 更に、村上君が三城君にその携帯電話を持たせたという点。恐らくは、それは君達が彼を捜した時に、危険な地雷を踏まないようにした彼なりの配慮である可能性が高い。その電話番号が唯一分かった男というのが、最短距離で彼の居場所に結びつく存在だったのだと思います」

 「ちょっと待ってください。この携帯電話はヘルプミーの為のものじゃなく、むしろ私達を守る為のものだったというのですか?」

 その言葉に沙世は反応する。

 「少なくとも、君達の話から、私はそう考えましたけどね。その男が言うには、村上君は自分の安全を確保した上で捕まったのでしょう? が、君達は別だ。情報系能力者が裏に近付くと危険だし、何の準備もない。もしも、彼を捜そうと君らが無闇に動いたら、君らがピンチになる可能性は高い。だから、余計な地雷を踏まないようなヒントを三城君に与えておいた」

 根津先生の言葉を聞きながら、沙世は思っていた。彼なら有り得る話だ。でも、彼の身が安全というのは本当なのだろうか? 仮にそうだとしても、本当は怖くて仕方なかったのじゃないか? 例え、準備を充分にしておいたとしても。

 “また、独りで無理して……”

 「だけど、先生。その通りだったとしても、映像だけじゃ、この場所が何処かまでは分かりませんよ」

 三城がそう尋ねた。根津先生は返す。

 「近くに何か住所が分かりそうなものは?」

 「ありません」

 「ふむ。では、何か目立つ建物は見えたりしますかね?」

 「やや大きな建物が遠くに見えますね。あれは、駅ビルかな?」

 「よし、それだけ分かれば、大体の場所の特定はできそうですね」

 根津先生はそれから携帯端末機を取り出すと、そこに地図を表示させた。画面をポンと指で弾いて、ビューを表示させる。

 「この建物ですかね? この特区で一番、大きな駅ビルはこれだ」

 「それだと思います。夜の光景だから、いまいち自信はありませんが」

 「なるほど。では、このビルを中心に半径2キロ程度を対象区域としましょう。ビューで確認しますよ」

 根津先生はそれから三城にストリート・ビューを見せながら、様々な角度のその建物を表示させていった。やがて三城は「あ、多分、この角度だと思います」と、そう言う。それを聞くと根津先生はこの地区の地図を出してきて、丸をつけていった。

 「ここと、ここら辺りが怪しい」

 そして、そう言う。

 「どうして、分かるのですか?」

 「私は教師だから、一応、夜中の街を見回るのですよ。だた、それでも身が危険になるような場所は避けます。そして、ここらはその近付いてはいけない場所として、教師達に通達が来ている箇所なのです。

 住所が分かるものがない場所、というのなら裏の更に裏通りのはず。ここら辺りを捜索すれば、きっと村上君を見つけられますよ。あ、それと一応、絵を描いてください。三城君、君以外にも分かるように」

 そう根津先生は言うと、紙と鉛筆を用意した。三城はそれで絵を描き始める。

 「うわ、あんた絵が下手ね」

 と立石が言う。

 「うるさいな」

 「上手く描く必要はないですよ。特徴さえ分かれば良いんだ」

 やがて三城が絵を描き終えると、二三注文を付けて、描き加えさせた後で根津先生はこう言った。

 「さて。じゃ、今までの話を警察に伝えましょうか。捜索してもらう為に」

 それを聞くと三人は顔を見合わせる。その表情に対し、「まさか、こんな危険な場所に自ら乗り込んでいくなんて、考えていた訳じゃないでしょう?」と、根津先生は言った。それに抗議するように立石が言う。

 「でも、こんな話を信じてもらえますかね?」

 「その辺りは心得ていますよ。上手く言って説得します。安心してください」

 そう根津先生が言うと、何も立石達には反論ができなかった。


 根津先生と別れた後で、どこか腑に落ちない表情で立石はこう言った。

 「確かに話している内容は、もっともなのだけど、何か引っ掛かるのよね」

 三城がそれを聞いて尋ねる。

 「例えば?」

 「例えば、もし警察が裏で何かと繋がっていたとした場合。村上君を何処かへ移動させるまでの間、時間稼ぎして、それから捜索するなんて事も考えられる。

 ただ、そうは疑ってみても、自分達で踏み込むなんてやっぱり馬鹿な真似なんでしょうけど…」

 それを聞いて、沙世は突然に不安になった。確かに黒ギルは、根津先生に相談すれば無事で済むとは言った。しかし、アキが直ぐに帰って来るとは言っていない。誤った情報は伝えなくても、全ての情報を伝える訳じゃないのが、彼らという存在だったはず。

 今日聞いた話を、ほとんど全て沙世は暗記していた。大体、どの辺りを捜索すれば良いのか、三城が描いた絵も頭に入っている。そしてだから、不安に駆られた沙世は、自分でアキを直ぐに捜索する事を決断してしまったのだった。


 暗い道。

 沙世はそこを一人で歩いていた。三城が言った駅ビルが、三城が示した角度で見える位置を探しながら、頭の中にある下手なスケッチで描かれた場所を求めて彷徨う。

 既に素行の悪そうな連中がたむろしているような道は通り過ぎていた。更に深部、そんな連中も入って来ないような場所を沙世は歩いている。誰もいない。時折、大きなドブネズミの姿が目に入った。駅ビルの姿が、記憶の中のものに近付いてくる。気の所為かもしれないが、近付けば近付くほど、ドブネズミを多く見かけるような気がした。

 “誰も人が来ないから、ドブネズミが多いのかな?”

 そんな事を思ってもみるが、あまり正しい仮説には思えない。そして、ある路地に足を踏み入れた時に異変があった。ドブネズミが沙世の足に噛り付いて来たのだ。

 「痛っ」

 と、小さな悲鳴を沙世は上げる。そのドブネズミは直ぐに離れたが、“ドブネズミが人を襲うなんて”と沙世は不気味に思う。そして足元から顔を上げてゾッとした。目の前に数十匹のドブネズミがいて、沙世を睨みつけていたからだ。一瞬、逃げようかとも思ったが、振り返って思いとどまる。振り返って見た風景の中に、三城が示した駅ビルが記憶の中と同じ角度で見えていたからだ。

 “もしかしたら、このドブネズミ達はアキ君が直ぐ近くにいるから、妨害しているのかもしれない”

 そう考えると、沙世は走り始めた。ドブネズミ達はそんな沙世を追いかけて来る。明らかに沙世を標的にしていた。

 “やっぱり、おかしい!”

 やがて、三城が描いたスケッチと、同じような風景が沙世の目に飛び込んで来る。

 “ここだ!”

 そう思う。しかし、そこで声が響いた。

 「もう、やめとき!」

 女の声。姿は見えない。だが、その声と共に奇妙なざわめきが聞こえ始めた。チュウチュウ、という鳴き声。ネズミ達。それは尋常な数の気配ではなかった。

 「これ以上、進んだら、このうちの何千匹ってネズミ達があんたを噛殺すで。うちは、ここの見張り兼門番みたいなもんでな。あんたにどんな事情があるかは知らんけど、ここから先には進めへんのよ」

 それに静かに沙世は応える。

 「つまり、それは、この先にアキ君がいるって事でしょう?」

 「アキ君? 何の事や。分からんけど、人捜しなら、他でやり。ここは、あんたみたいな人が近付いたらあかん場所や」

 その相手の口調からは、演技している気配が容易に感じ取れた。

 「普通、裏の人間は情報系の能力者を入れないのでしょう? でも、あなたのこのネズミ達は情報系能力でもあるのじゃない? そんな例外を認めるなら、それはそれだけの必要性がここにあるって事になる」

 沙世は一歩足を進める。

 「違うわ。うちの能力が認められているのは、うちの能力で分かるのが、せいぜい、誰かが近付いて来たとか、その程度の事だけやからや!」

 声は慌ててそう言う。沙世はそれにこう返した。

 「でも、そうだとしても、ここに何かを隠しているのは同じよね?」

 「そうやけど……」

 「認めるな!」

 と、そこで別の声が聞こえた。今度は男だ。同時に、「バシッ」という叩く音も。その声は続けて言った。

 「こいつの能力が認められているのは、こいつが馬鹿だからだ。で、大して重要でもない事に過剰反応した。それだけだ。つまらない勘違いで身を危険にさらす事はない。帰るんだな」

 「でも、さっきそこのエセ関西弁使いさんは、隠しているのを認めたわよ?」

 「エセ関西弁使いって何や? 変なニックネームつけんとき! うちには、“椿”って名前があるんやから!」

 「名前をばらすな!」

 また、男がツッコミを入れる。因みにこの椿さんはボケです。分かり易く。そして、男の方はツッコミ。

 それから静かに椿は言った。

 「どうしても立ち去らないって言うなら、仕方ないわ。実力行使や。うちのネズミ達の餌になっとき……」

 それからネズミ達のざわめきが大きくなっていく。そして、ある程度のところまで達した瞬間に、椿が言う。

 「うちが名付けたこの能力の名前は、“冒険者たち”! まぁ、白イタチも逃げ出すと思うけどなぁ!! 若い子でこのネタ、分かる人いるやろうかぁ?!」

 それからドブネズミ達は一斉に沙世に襲いかかって来た。沙世の前に、ドブネズミ達の壁ができる。

 「クッ!」

 やがてドブネズミの山の中に沙世は埋もれてしまった。沙世の身体中を、ドブネズミが齧る。

 「忠告はしたからなぁ。あ、別にネズミの鳴き声の“チュウ”と、忠告の“忠”をかけたわけやないからな。そこは勘違いせんといて。寒いのだけは勘弁やから…」

 椿はその山に向けてそう言った。が、その最中に異変が起きる。ネズミ達が一匹ずつ転がり落ち始めたのだ。そして、やがては雪崩が起き、立っている沙世の姿が現れる。ボロボロになってはいたが、瞳には力がある。

 「何万匹だか、何十万匹だか知らないけどさ」

 それから、沙世は言う。

 「その程度の数のネズミで、わたしを抑えられるはずないでしょうが!」

 椿は返す。

 「そんなにおらへんけど……」

 沙世はまた言った。

 「睡眠ガスで眠ってもらったの。でも、近くにいるネズミは殺してしまったかもしれない。お願い、無駄な抵抗はやめて… 殺したくないの」

 椿はそれにやや引きつった声でこう返した。

 「無駄な抵抗って、オーバーちゃう?」

 それに静かに沙世は返す。

 「わたしはね。その気になれば、ボツリヌス毒素も創り出せるのよ? ボツリヌス毒素は1グラムで5500万人の命を奪えるとも言われている… しかも、それをわたしは自由に操れる。これが何を意味するか分かるでしょう?」

 「1グラムで5500万人?!」

 椿の声が響いた。その後で「バシッ」という叩く音。また男の声がした。「驚き過ぎだ」。そして、続ける。

 「しかし、そうか。あんたが報告にあった“長谷川沙世”だな。と、くれば大人しく退散するしかない。おい、逃げるぞ!」

 それを聞いて、沙世は“え?”と思う。

 慌ててビルのドアを開けようとするが、当然、開くはずもない。睡眠ガスを出して、ビルの中に入れてみたが、それにどれだけの効果があるのかは分からなかった。状況から判断するに、恐らく効果はない。

 沙世がようやく壊せそうな窓を見つけて、中に入った時は、既にそこはもぬけの殻になっていた。恐らく、裏側から逃げたのだ。

 沙世はそこで呆然と立ち尽くす。

 “どうしよう? わたしが勝手に動いたから、またアキ君の居場所が分からなくなちゃった!”

 そして、そう思った。

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