第89話 業者オークション参戦からの酔っ払い
朝から妙にソワソワしていた。
今日は――業者オークション、初参戦の日だ。
「……ほんとに登録できるのか?」
《もちろんです。古物商許可証を取得済みですから》
パソコンの画面に映るのは、業者専用オークションサイト。
許可証番号と身分証をアップロードし、会員登録フォームに必要事項を打ち込んでいく。
送信ボタンを押すと、承認完了のメールが届いた。
「……意外とあっさり通ったな」
《参加者はプロばかりです。太郎さんも、もう“業者側”なのです》
胃のあたりが少し重い。
ついこの前まで社畜だった自分が、今は古物市場に足を踏み入れている。
不思議な感覚だった。
***
いよいよオークション画面にログイン。
ズラリと並ぶブランド名に目がくらむ。
「ヴィ、ヴィトン……グッチ……シャネル……」
《通常のリサイクルショップでは見ない量ですね。業者間市場は規模が桁違いです》
目を奪われつつも、リクが冷静に解説を入れてくる。
《狙うべきは“ブランドオンリーのジャンクロット”です。真贋鑑定済みなので転売しても問題ありません。ただし状態は最悪》
「最悪って……どのくらい?」
《例えばこちら》
画面に出てきたのは「ルイ・ヴィトン バッグ5点セット」。
写真には、ベタついて型崩れしたモノグラムのバッグたち。
《開始価格 50,000円。状態は“ベタつき・剥がれ・破損あり”》
「五万!? でも……直せたらすごい化けそうだな」
次に現れたのは「グッチ・プラダ財布10点ロット」。
ファスナーが壊れたり、革が擦れて色落ちしていたり。
《こちらは40,000円。単価にすると1点4,000円です》
「……思ったより安いんだな」
《最後は“コーチバッグ・小物20点まとめ”。開始価格 60,000円》
「20点で六万!? ひとつ3,000円……」
指先がじっと汗ばむ。
社畜時代の飲み代一回分で、ブランドバッグが手に入るのか。
しかも魔法で直せる自分なら……。
《入札は自己責任です。ですが、ここが最初の分岐点ですよ》
「……わかった。やる」
***
手に汗を握りながら、入札ボタンを押す。
最初はヴィトンの5点セット。
数人と競り合ったが、最終的に55,000円で落札。
「よし! ……やったぞ!」
次にグッチ&プラダの財布10点。
こちらもライバルが多かったが、48,000円で落札。
「……胃が痛い……」
そして最後のコーチ20点ロット。
緊張の末、63,000円で落札成功。
「……全部で……えっと……16万6千円!?!?」
《計算上はそうです。炊飯器と同額です》
「やめろ、言うな!」
合計3ロット。
ブランドオンリーのジャンク品、計35点。
太郎の手に渡った。
《これらを修理し、売却できれば数十万円の利益も夢ではありません》
「……夢じゃなくて現実にしてくれ」
太郎は深く息を吐いた。
胸の奥は高鳴り、胃はきゅうっと縮まっている。
「……また残業みたいな顔になってるぞ、俺……」
《でも残業代は青天井です》
「それブラック企業の常套句だろ!」
リクの冷静なツッコミに、頭を抱える。
けれどその笑い混じりの苦しさこそが、新しい生活の始まりの証だった。
オークションを終えて、カードの決済メールを確認した俺は、しばらく机に突っ伏していた。
胃がきゅうっと縮まっている。
「……これ、ほんとに取り返せるんだろうな」
《修理できれば十分黒字です》
「“できれば”って言い方やめろ……」
そんな時だった。
『……人間の世界は、金で縛られて大変だな』
「うわっ!? なんだ!?」
突然の念話に飛び上がる。
振り向くと、窓辺に黒い影。
――あのカラスだ。
「お前……結界内にいたのか!?」
『気づかなかったか。ニワトリは分かったのだろう? それだけでも大したものだ』
「……やっぱりニワトリ、ただの鶏じゃないんだな」
『あれも“神に連なるもの”よ。感知できただけでも一歩前進だ』
「でも、なんでお前は気づけなかったんだ?」
『簡単なことだ。己の力……お主で言う“魔力”を、周囲と同調させているだけ』
「周囲と……同調?」
『この世には常に力が漂っている。生き物すべてがそれを持ち、吐き出しながら生きておる。
昔は扱える者も多かったが、科学が発展し必要がなくなった。ただそれだけのこと……時の流れよ』
「……そんな簡単に言うなよ」
『ならば練習してみるがいい。――酒があるだろう? それに自分の力を同調させてみよ。確認はわしがしよう』
「練習方法が酒って……」
仕方なく、買ってきたばかりの酒を取り出す。
瓶を開け、魔力を流し込むように意識を集中させる。
『ふむ……悪くない。同調できておる……』
そう言うと、カラスは酒に嘴を突っ込んでごくごく飲み始めた。
『……これも旨い! おお、こっちも旨いではないか!』
片っ端から並べていた酒を飲み比べ、羽をバサバサ震わせながら上機嫌になるカラス。
『カァァァ! カァァァ! わっはははは!』
「……おい」
俺は額を押さえながら、じっとカラスを見下ろした。
「……お前、飲みたかっただけなんじゃないのか?」
――結界の中で響くカラスの酔いどれ鳴き声は、やけに楽しそうだった。




