第86話 壁を張りながら修行中
少し時間は遡りラジカセの依頼を正式に受けた後。
いつも通り、ニワトリの鳴き声で目が覚めた。
「……おはよう。今日も元気だな」
布団から起き上がり、コーン缶をひとつ。
庭先に撒くと、真っ白い羽毛の塊が元気に突っつき始めた。
「そうだ、炊飯器……まだ買いに行ってないんだった」
《米はありますが、鍋で炊くのは効率が悪いですね》
「わかってるよ。近いうちにホームセンターついでに買うさ」
ふと横目に置いた酒のお椀を見ると、すっかり空になっていた。
「……ああ、カラスか」
《夜の間に飲んでいたのでしょう》
「酒好きだなぁ、あいつ」
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ラジカセが届くまで、時間はある。
せっかくなら、と一階の壁に手をつけることにした。
「社畜時代は時間が無くて、休みの日も寝るだけだったのにな……」
《今は“やる気さえあれば”時間は無限です》
「ありがたいことだ」
感慨に浸りながら、地下室から工具を持ち出す。
まずは胴縁を壁に打ち付けて下地を作るところからだ。
ところが――
「……ん? ビスが入っていかないぞ」
電動ドライバーを押し当てても、先端が弾かれるように進まない。
コンクリートの壁が、強化魔法でカチカチになっているせいだった。
《強度強化の効果ですね。通常の工具では穴が開きません》
「ええ……どうすんだよこれ」
《方法を提案します。
胴縁を壁に当てた状態で“ゴミ捨て魔法”を応用し、ビスが通る分だけ空間を削除します。
そのままビスを差し込み、リペアで周囲を補修すれば固定可能です》
「……なるほど。工具要らずってわけか」
胴縁を壁に合わせ、魔法を発動。
壁に小さな穴を“削り取る”イメージで、ビスを押し込む。
最後にリペアで固めれば――
「おおっ、ガッチリ止まった!」
《成功です》
「魔法DIY……慣れると怖いな」
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ふと気配を感じて窓を見ると、黒い影が覗き込んでいた。
あのカラスだ。
「お前……朝から見てたのか」
『身体を使わずに、力だけでやってみろ』
脳裏に直接声が響く。念話だ。
「力だけって……ああ、念動力でやれってことか」
『そうだ』
ためしに、胴縁を念動力で固定し、ゴミ捨て魔法で穴を開ける。
だが、穴が大きく外の景色が見えた。
「あーー!やっちまった!!」
《リペアで修復、強度アップで元通りです》
何度か失敗してはリペアで修復。
それでも繰り返すうちに、少しずつ狙い通りに打ち込めるようになってきた。
『次は複数箇所同時にやれ』
「いきなり難易度上げすぎだろ……!」
『修行し放題だな』
カラスは笑っているように見えた。
やがて一階の壁下地が完成。
二階の壁に取りかかる頃には、同時に三本までビスを打ち込めるようになっていた。
「……成長した気がする」
《実際に成長しています》
三階の胴縁は、練度が上がったせいであっという間に終わった。
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「次は……石膏ボードだな」
地下室から余っていた石膏ボードを念動力で運び上げる。
分厚い板が何枚も宙を舞って階段を上がってくる様子は、ちょっとしたホラーだ。
「割るなよ……割るなよ……」
《重量バランスは調整済みです》
壁にボードを当て、ビスを打ち込もうとすると――
『その作業も念動力でやってみろ』
「またか」
『ネジを回し、押し込む感覚を覚えろ』
「……はいはい」
ビスを浮かせ、回転を与える。
だが高速で回るだけで壁に入っていかない。
「うわ、空回りだ」
押し込みを強くすれば、今度は石膏ボードがバキッと割れた。
「やっちまった……」
《リペアで補修します》
「便利すぎて怖いな……」
何度も失敗を重ねながらも、徐々にコツを掴んでいく。
回転と押し込みの力加減。
それが噛み合った瞬間、スッとビスが沈み込んだ。
「よっしゃ……入った!」
《学習速度は上々です》
その後も失敗を繰り返しながら、二階、三階と仕上げていく。
気づけば石膏ボードで壁が整い、部屋全体の雰囲気が一変していた。
「……終わったな」
《はい。社畜時代には得られなかった“時間を使った修行”の成果です》
カラスが窓辺で羽を揺らし、クァッと鳴いた。
(...習得の早さが尋常ではないがな)
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石膏ボードを貼り終えた壁に、白いクロスを合わせる。
作業場が一気に部屋らしくなる仕上げだ。
「よし、クロス貼りだな。糊を塗って……」
《待ってください。手でやるのも可能ですが、せっかくなので魔法を練習しましょう》
「練習?」
《はい。クロスを浮かせて壁に密着させ、ローラーを念動で転がしてください。
力加減は“押す”と“転がす”を同時に制御する必要があります》
『……身体を使わずに、力だけでやれ』
窓辺にとまったカラスが、こちらを鋭く見ている。
「またお前か……いや、確かに練習にはなるけどさ」
《説明します。まずクロスを寸法にカット。糊を塗布して二つ折りの“わさ折り”状態に。
これを壁の上部に合わせて展開し、中央から外へローラーで空気を抜いていきます》
「わかった……よし、やってみるか」
クロスを念動で持ち上げ、壁へ寄せる。
だが端がずれて、角がくしゃりと折れてしまった。
「くっ、シワになった!」
《力が均等ではありません。浮かせたまま位置を決め、中央から順に押さえましょう》
『焦るな。やり直せ』
「はいはい……」
貼り直し。今度は気泡が入り、ぷくりと膨れた。
「……空気が抜けない!」
《ローラーを回転させながら、空気を端へ追い出してください》
念動でローラーを転がすが、力が強すぎて糊がはみ出した。
「うわっ……汚れた!」
《弱めすぎてもシワが残ります。加減を学んでください》
何度も失敗し、リペアで痕跡を消しては貼り直す。
額に汗を浮かべながら挑戦を繰り返すうちに、ようやく――
クロスがぴたりと壁に収まった。
「……できた!」
《綺麗に貼れました。力加減を掴みましたね》
『次は二枚同時にやれ』
「はぁ!? 一枚でやっとなのに!」
《確かに難度は跳ね上がりますが、練習には最適です》
「お前ら、揃って無茶振りしかしないな……!」
文句を言いつつも挑戦する。
二枚のクロスを同時に浮かせ、糊を塗って展開。
しかし片方がずれて、継ぎ目がガタガタになった。
『やり直せ。修行し放題だな』
「……くそ、笑ってやがる」
それでも諦めず、何度も修正。
ついに二枚同時でも、継ぎ目が自然に仕上がった。
《完成です。修行成果、十分》
「ただのクロス貼りでここまで疲れるやつ、俺くらいだろ……」
『フッ……悪くない』
三階までのクロスを貼り終えた頃には、すっかり外が暗くなっていた。
リクの指示で寸法を測り、念動でクロスを浮かせ、ローラーを転がす。
俺ひとりでは何度も失敗していた作業も、リクと協力すれば驚くほどスムーズに進んでいった。
《最後の一面、完了です》
「ふぅ……終わったな」
見渡せば、一階から三階まで真っ白に整った壁。
あの殺風景だったコンクリートの空間が、今ではまるで新築みたいに清潔感を放っている。
気づけば朝から何も食べずに作業していた。
時間を忘れるほど没頭していたのだ。
「……自由な時間があるって、こういうことなんだな」
《はい。かつての社畜生活では得られなかった感覚です》
社畜時代も、毎日忙しかった。
けれどその忙しさは、ただ削られていくような疲労感しか残さなかった。
今の忙しさは違う。
身体はクタクタなのに、心の奥がじんわり温かい。
やり切った充実感に満たされていた。
「……不思議だな。あの頃よりずっと忙しいはずなのに、今の方が楽しいなんて」
《それが“自分のために働く”ということです》
「なるほどな……」
見上げた真っ白な壁は、新しい生活のスタートラインそのものに見えた。
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85話ラジカセの修理費用を修正しました。




