第85話 ラジカセ、正式に受注します
帰宅後、机の上には真新しい古物商許可証が置かれている。
「……これを受け取った時点で、本当にもう会社員じゃないんだな」
《はい。太郎さんは、かみはら修理店の店主です》
胸の奥が少し温かくなった。
と、その時。PCの画面に、一件の通知が表示されているのが目に入る。
《テスト受付状態で“順番待ち”にしていた案件があります。対応を正式受注に切り替えますか?》
「ああ、あれか……祖父のラジカセだな」
《はい。再生はするが音がこもる、という依頼です。依頼主様からは“できれば直したい”とのコメントがありました》
最初に届いた問い合わせ。
あの時はまだ正式に修理屋として動いてはなかった。
けれど今は違う。
「よし……これを、正式に受けるか」
《承知しました。受注処理に切り替えます》
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まずは料金設定だ。
リクが参考資料を並べる。
《競合の修理工房における、ラジカセ修理の相場は一万五千円から三万円程度。
ただし“再生可だが音がこもる”ケースは清掃・接点処理・スピーカー修繕が必要です》
「うーん……作業工数はそれなりにかかるな」
《はい。ですが、初案件ですので“相場の中央値”である二万円前後に設定するのが妥当かと》
「んー……最初だし、見積もりは一万五千円で提示しよう。
内容は“クリーニング・接点処理・内部調整込み”って形で」
《了解しました。メール文面に反映します》
次は受け取り方法だ。
《匿名配送ラベルを生成しました。依頼主様が発送すれば、私書箱に到着します。
その後、私書箱から定期便で太郎さんの作業場に転送します》
「……本当に住所を出さずに済むんだな」
《はい。副業バレ対策として導入しましたが、独立後も“安全対策”として有効です》
「まぁ……お客さんも匿名で送れる方が気楽だろうしな」
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受注確定のメールを送った。
数時間後、依頼主から返信が届く。
『正式にお願いできるんですね。ありがとうございます。
大切な品なので、どうかよろしくお願いします』
「……なんだか緊張するな」
《それで良いのです。これは“ただの機械修理”ではなく“思い出を預かる仕事”ですから》
「思い出を預かる、か……」
言葉の重みが胸に残る。
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夜、作業のシミュレーションを始める。
ラジカセの内部構造をデータベースから呼び出し、バーチャル分解図を展開。
《まず、外装に付着したヤニと埃をクリーン魔法で処理。
“超微粒子洗浄”と表記すれば現実的に聞こえます》
「なるほど。魔法をそう言い換えるわけか」
《次にテープ再生部。回転軸の摩耗はリペアで修復。
表向きは“軸のクリーニングと注油”と説明します》
「うん、それなら自然だな」
《そして肝心のスピーカー。劣化したエッジは、通常だと交換が必要ですが……》
「リペアすればいけるな。ただし“樹脂再結合処理”って言い方にしよう」
《はい。その表現なら違和感はありません》
「こうして見ると……全部魔法なんだけど、技術用語に置き換えると本当に“ありそう”に見えるな」
《言葉の力は大きいのです。重要なのは“バレずに本物以上の仕上がり”を提供することです》
「……責任重大だな」
《だからこそ、最初の仕事に相応しいのです》
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翌日、依頼主から発送通知が届いた。
ラジカセは数日以内に、俺のもとに届く。
「リク……いよいよだな」
《はい。かみはら修理店、初めての正式受注です》
緊張と同時に、わくわくする気持ちがこみ上げる。
会社を辞め、ただの社畜だった俺が――
いま、自分の力で人の大切なものを直そうとしている。
「……よし。全力でやろう」
《では、作業計画を最終確定します。
――太郎さん、準備はよろしいですか?》
「ああ。任せろ、相棒」
夜の静かな部屋に、ラジカセが届くのを待つ心音だけが響いていた。
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私書箱から転送されてきた荷物が、玄関に届いていた。
ずっしりとしたダンボール。送り状には匿名の記号だけが記されている。
「これが……かみはら修理店、初めての正式依頼か」
《はい。お客さまの思い出を預かっています。慎重に開封しましょう》
ゆっくりとガムテープを剥がし、中から現れたのは――灰色のラジカセ。
ところどころ擦れて塗装が剥げ、スピーカーの網には埃がこびりついていた。
「……年季が入ってるな」
《ですが、外装に割れはありません。内部の清掃と調整で十分復活可能です》
「よし、まずは症状を確認しよう」
電源を入れ、古いカセットテープを再生する。
――音は出るが、こもっている。
ラジオモードも反応はあるが、雑音が混じる。
「たしかに、これじゃ聞き取りにくいな」
《原因は大きく三つ。埃・接点の酸化・スピーカーエッジの劣化です》
「つまり、俺の仕事は……掃除と修繕か」
《はい。魔法を“技術的な作業”に見える形で使いましょう》
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分解を開始する。
裏面のネジを外し、慎重にカバーを取り外す。
中からは、長年の埃が層になって積もっていた。
「……これじゃ音もこもるわけだ」
《まずはクリーンで除去します。説明上は“超微粒子エアクリーナー”です》
掌に魔力を込め、静かに流す。
淡い光が埃を分解し、ふわりと消えていく。
基板の緑色が鮮やかに蘇るのを見て、思わず息をのんだ。
「すげぇ……新品みたいだ」
《太郎さんの手際が良いのです》
「いや、魔法のおかげだよ」
次は接点。
テープデッキのヘッド部分、音を拾う要の部位だ。
黒ずんだ金属面に、リクが指示を出す。
《ここを“リペア”で分子結合を再生。説明は“接点復活処理”で通ります》
「よし……」
光を細く集中させ、接点の奥に流し込む。
黒ずみが消え、鏡のように光を反射した。
「これで音がクリアになるはずだな」
最後にスピーカー。
エッジ部分のウレタンは、指で軽く触れただけでボロリと崩れた。
「……ここが一番の問題か」
《通常なら交換ですが、部品はもう製造されていません。
リペアで再生し、弾力を取り戻しましょう》
魔力を薄い膜のように伸ばし、劣化部分に沿って撫でる。
ひび割れが埋まり、しなやかさを取り戻していく。
表向きには、樹脂硬化剤で補修したようにしか見えない。
「……これなら、まだ歌えるな」
《はい。準備完了です》
_____
再びカバーを閉じ、スイッチを入れる。
カセットを再生すると――
♪~
さっきまでこもっていた音が、澄んだ響きに変わっていた。
ラジオもクリアに声を拾っている。
「……直った」
《はい。依頼主様の思い出が甦りました》
胸の奥に熱いものが広がる。
ただの機械修理なのに、なぜか誇らしい。
「ありがとう、リク」
《いえ、太郎さんが手を動かした結果です》
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動作確認を終え、外装も軽くクリーンで磨き直す。
当初の擦り傷は残っているが、それもまた味わいだ。
《では、納品手続きを行います》
「料金は一万五千円。初回価格ってことでいいな」
《はい。受け取りは銀行振込。匿名配送で返送します》
「よし、メールを送ろう」
依頼主への文面を打ち込む。
『ご依頼いただいたラジカセは修理完了しました。
音のこもりを改善し、ラジオもクリアに受信できる状態です。
外装は大きな改造をせず、清掃のみ行いました。
お支払いは銀行振込にてお願いいたします。入金確認後、発送いたします』
《丁寧で良い文面です》
「初仕事だからな。ちゃんと伝えないと」
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メールを送信し、椅子にもたれる。
机の上には、静かに佇むラジカセ。
依頼主に返すまでの数日間、この姿を見ているだけで胸が温かくなる。
「リク……俺、やっと一歩踏み出せた気がする」
《はい。これは始まりに過ぎません》
窓の外は夜。
けれど心の中には、小さな光が灯っていた。
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