第80話 祠とコーン缶と日本酒
荷物を運び終えて、とりあえず一息。
「……となると、次は“ご近所付き合い”か」
いくら偽装でボロ社宅に見えるとはいえ、田舎で顔も出さずに暮らすのは怪しすぎる。
変人扱いされるのは勝手だが、余計な噂が広がると後々面倒になる。
《常識的な行動ですね。ご近所への挨拶は日本における基本マナーです》
「だろ? 別に気合い入れて長話するわけじゃないけど……せんべいくらいは持っていく」
路地を戻り表通りに出ると、社宅の向かいと斜向かいに住宅が並んでいた。
正面に見える神社と合わせて、これが太郎の“新しいご近所”になる。
ただ、改めて振り返ると気づく。
「……なぁリク、これ、向かいの家の玄関が反対側にしかないんだよな」
《はい。壁面しか見えません。通行人がわざわざこの路地に入ってくることは、ほぼ皆無でしょう》
「やっぱそうだよな……。孤立感すげぇ」
隣は使われていない工場。奥の神社は荒れ放題。
要するに――人の気配がほとんどないのだ。
「まぁ静かでいいっちゃいいけど……余計“変なやつが住んでる”って噂になりそうだな」
まずは向かいの家に行ってみる。
玄関側に回り込むと、そこは団地になっていた。
昭和感が漂う、古びた外観。植え込みや洗濯物に生活の匂いがある。
「……ここだな」
昔ながらのインターホンを押す。
「はい?」
出てきたのは六十代くらいの女性。
柔らかい雰囲気だが、こちらを見る目に少し警戒が混じる。
「あ、どうも。裏の社宅に住むことになった神原です。これ、つまらないものですが……」
菓子折りを差し出すと、女性は一瞬きょとんとした顔をした。
「……裏の? あそこに? へぇ……」
少し驚いたような、なんとも言えない表情。
だがせんべいは受け取ってくれて、「まぁまぁ、ありがとう」と笑顔を見せてくれた。
世間話の流れで、俺はふと思い出す。
「あの……すみません。この辺りって毎朝ニワトリが鳴いてません?」
「ニワトリ?」
女性は首をかしげる。
「この辺りで鶏なんて見たことないし、鳴き声も聞かないわよ」
「……えっ?」
毎朝けたたましく鳴いて、俺を強制的に目覚めさせる“あいつ”。
それを知らないってことは――
「……ってことは、鳴き声、聞こえてるの俺だけ……?」
心臓がドクンと跳ねた。
やっぱり、あのニワトリは“ただの鳥”じゃない。
《上位存在である可能性が極めて高いです》
「……マジかよ。いや、なんとなくそんな気はしてたけど……」
背筋に変な汗が流れる。
でも、一応コーン缶を買いだめしておいたのは正解だったな、と心底思った。
その後、斜向かいの家にも挨拶に行った。
だが、留守だったようで誰も出てこなかった。
菓子折りはまた今度にするか、と踵を返す。
社宅に入る路地から、正面に小さな神社が見える。
鳥居は雑草に覆われ、祠は古びて寂れている。
「……たぶん、あそこだよな」
鳥居の前に立ち、一礼。
鳥居をくぐった瞬間、空気が変わった。
ピンと背筋が伸びる。神社特有の厳かな雰囲気――いや、それ以上に、肌にビリビリと走る“何か”。
「……なんだ、この感じ……」
《解析開始》
リクの声が響いた。
《境内に入った時点で、地磁気に微細なノイズが発生しています。通常の地場変動では説明できません》
「ノイズ?」
《はい。太郎さんの結界と同様、“空間の揺らぎ”を抑え込む効果が働いています。そのため、境内全体の魔力量が通常の数倍に増幅されていると推測されます》
「……つまり、ここ一帯がでかい結界みたいなもんか」
《その解釈で問題ありません。外から見ると荒れた神社ですが、内部は異常に安定した魔力環境になっています》
「……やっぱりな」
奥へ進むと、小さな祠の脇で草をついばんでいる姿が見えた。
例のニワトリだ。こちらには目もくれず、悠々と草を食んでいる。
「ここが……あいつの居場所か」
境内は荒れ放題だった。
苔むした石畳、折れかけの鳥居、祠の前には落ち葉が積もっている。
「……さすがにこれはひどいな」
俺は思わず、クリーンの魔法を展開した。
落ち葉や土埃がふわりと浮かび、風もないのに一斉に祠の外へと流れ落ちていく。
あっという間に、境内は静謐さを取り戻した。
それだけのことなのに――空気がさらに澄み渡ったように感じる。
《太郎さん。スキャン結果に異常が出ています》
「……は?」
《磁場に強いノイズ。加えて、この範囲内だけ魔力濃度が異常に高い。……まるで、太郎さんの結界を強化したような構造です》
「結界……って、これ、俺の仕業じゃねぇよな?」
《違います。これは“もともとここにある力”です》
俺は無意識に喉を鳴らした。
祠を見つめると、どこか背筋がぞわりとする。
「……ちょっと、リペアも試してみるか」
ひび割れた祠の表面に手をかざし、魔力を流す。
だが――。
バチッ!
「うおっ!?」
火花のようなものが散り、俺の魔力は弾かれた。
《……やはり。ここは人が容易に干渉できる領域ではありません》
淡々としたリクの声。
けれどその響きには、かすかな緊張すら感じられた。
「……じゃあ、俺、さっきリペアしたのは……」
《“門をノックした”のと同じことです》
「ノックって……おいおい、そんなつもりじゃなかったんだけど」
笑って誤魔化そうとしたが、心臓が無駄にバクバクしていた。
ただの荒れた神社だと思っていた。
けれど、どうやら――とんでもない場所に手を出してしまったらしい。
祠の奥から、風もないのに木の葉がざわめいた。
「……ははっ。これ、絶対ただの神社じゃねぇよな」
俺は自分に言い聞かせるように笑い、深々と一礼した。
背後でリクが静かに告げる。
《太郎さん。ここは“特別な領域”です。決して忘れないでください》
しばらく境内を見回してから、俺はふと呟いた。
「……これ、敵意はないですよって意味も込めて……お供えしたほうがいいよな」
社宅からコーン缶を取ってきて、例のニワトリ用に草むらのそばへ。
さらにプチウォーターで器に水を張って並べてやった。
「ついでに……」
コンビニで買った日本酒を祠の前に置く。
「よし。コーンと水はニワトリ、日本酒は……まぁ祠行きだな」
《供物のチョイスが偏ってますね》
「他に持ってねぇんだよ!」
声を張りながらも、心の奥では少しだけホッとしていた。
これで“ここに敵意はありません”って通じればいい――そんな願いを込めて。




