第8話:コツを掴んだ日、体が軽くなった
金曜の夜、仕事終わり。
久しぶりに同期の佐藤と部下の小鳥遊に誘われて、居酒屋の暖簾をくぐった。
「いやー……今週も地獄だったな」
ジョッキを呷りながら、佐藤がぼやく。
学生時代からの腐れ縁で、俺と同じ38歳。
真面目で、仕事にも手を抜かない、でもちょっと不器用なやつだ。
理不尽を押し付けられても歯を食いしばってやり遂げる姿を何度も見てきた。
俺は何度、こいつに救われたかわからない。
「ですねぇ……。今日なんか、午前と午後で現場指示が正反対でしたからね」
小鳥遊が笑いながら言う。
まだ二十代前半の若手で、明るくて人付き合いが上手い。
施主にも職人にも好かれるタイプで、若手の中でも有望株だ。
俺が新人の頃なんて、怒鳴られっぱなしだったのに……。
「社長、また言ってたぞ」
佐藤がぼそっと言う。
「“昔は3日徹夜した”ってさ」
「ははっ……それ、もう社長の呪文だよな」
「いやほんと、毎日聞かされて洗脳されそうです」
小鳥遊が乾いた笑いを浮かべる。
「……俺ら、何年かしたら“昔は3日徹夜した”って言い出すのかな」
「いやぁ、それ言い出したらもう負けだろ……」
3人で笑い合った。
だけど、笑ってるのに、目の下のクマは三人おそろいだ。
「定時で帰れるって、どこの異世界の話だ?」
佐藤が呟く。
「ファンタジーの世界っすね」
小鳥遊が肩をすくめる。
「ほんと、どっかの魔法使いが来て、俺たちの残業を消し飛ばしてくれないかな……」
ジョッキがカチンとぶつかった。
笑っているけど、胸の奥が少しだけ痛い。
(俺だって……こんな日々を変えられるなら、どんな魔法でも欲しい。
もう一度、“普通に笑って暮らせる毎日”が欲しいんだ)
――
深夜、アパートに帰りついた俺は、玄関で崩れ落ちそうになった。
「……足が終わってる……」
靴を脱ぐだけで精一杯。腰はバキバキ、足の裏はジンジン。
でもシャワーを浴びた後、ソファに倒れ込みながらスマホを手に取った。
「リク……起きてるか」
『オンラインです。お疲れさまです、太郎さん』
「……今日も練習するぞ」
『疲労度92%。休養を優先することを推奨します』
「だからやるんだよ……疲労を消す魔法が欲しいんだ……」
俺は深呼吸し、丹田に意識を向ける。
火種はもうはっきりそこにある。
最初は幻覚だと思ってたのに、今は確かな存在だ。
「今日は指先まで流す。絶対だ」
集中する。呼吸を合わせる。
……動かない。
もう一度。
……動かない。
「くそっ!」
『肩の緊張が強いです。リラックスを推奨します』
「無理だろ、もう足もしびれてきたし!」
三回目、腹筋が攣った。
「あだだだっ……!」
『ただの筋トレになっています』
「やかましい!!」
もう笑うしかない。
でも、今日だけは諦めたくなかった。
深く息を吸い、ゆっくり吐く。
魔力を、血流みたいに指先に運ぶイメージを強く描く。
ピリッ。
「……来た……!」
指先にじんわりと熱が走った。
さっきまでの失敗が嘘みたいに、スムーズに流れる。
「あ、これか……」
わかった瞬間、笑いがこみ上げた。
力んで押し出そうとしてたのが間違いだった。
道を作ってやれば、魔力は勝手に走る。
「なんで今まで、こんな簡単なことできなかったんだ……?」
自転車に初めて乗れた子供みたいだ。
一度掴んだら、もう迷わない。
もう一度意識を向けると、指先がすぐに熱を帯びる。
『全身への巡回も可能です』
「……よし、やってみる」
呼吸を整え、体全体を思い浮かべる。
ただ巡らせるんじゃない。
細胞一つひとつをイメージして、そこに魔力を柔らかくまとわせる。
「頼む……回復してくれ……」
擦り減った筋肉、張り詰めた肩、腰の痛み。
それがふわっと溶けるように消えていくイメージを描く。
魔力が、体の隅々まで染み渡っていく。
湯船に浸かったような心地よさが体の奥から広がる。
「あ……体が……軽い……」
腰の鈍い痛みが和らいでいく。
足のだるさが薄れ、頭の奥の重さが抜けていく。
息がしやすい。全身がほぐれていく。
『損傷修復の兆候を検出。筋肉疲労が回復しています』
「……マジか……これが魔法の力……?」
ただ力が強くなるわけじゃない。
ボロボロだった俺の体が、自分の中の力で癒えていく。
「これさえあれば……もう現場でぶっ倒れることもないかもしれない」
夢みたいだと思った。
でも確かに、魔法は回復の力をくれる。
妄想が止まらない。
現場で無限体力を発揮する俺。
社長が驚愕して、「お前薬やってんのか?」と疑われる未来。
「魔法です」なんて絶対言えない。
でも今は、ただ嬉しかった。
疲労が軽くなり、胸の奥に希望の火が灯った。
――
布団に潜り込むと、体が羽根みたいに軽い。
リクの声が穏やかに響く。
『本日、練習効果は過去最高です』
「……ありがとな、リク。
……俺、本気で魔法で人生やり直すからな……」
目を閉じると、暗闇の中で小さな火種がまた灯った気がした。
そして俺は、久しぶりに“希望の夢”を見ながら眠りに落ちた。