第68話 社畜卒業の決意
次の日の昼休み。
弁当をかき込んでから、俺は足早に警察署へ向かった。
「すみません、古物商の申請に来たんですけど」
カウンターの事務の女性が、ちらりと俺の用紙を覗き込む。
……自分でも、正直あまり見たくない字だ。
「字が汚いですけど……これ、読めますか?」
「読めれば問題ないですよ」
クスっと笑われて、思わず肩の力が抜けた。
《……人間性は字に出ますからね》
「うるさい。今の俺は“常識的に生きてれば取れる資格”に挑戦してんの」
《ギリギリ滑り込みという感じです》
「黙れぇ!」
昼休みはあっという間に過ぎ、午後の現場に戻る。
こうして俺は、人生初の“合法的な商売”に一歩を踏み出した。
夜。
会社事務所には残業組の空気が漂っていた。
「ほら、コーヒー淹れてきたぞ。休憩しろ」
「ありがとうございます、太郎さん!」
小鳥遊が受け取り、佐藤も黙ってカップを取る。
コーヒーを一口飲んで、ふぅ、と息をついた。
「……俺、この五棟建て終わったら辞めようと思う」
手を止める二人。
事務所の空気が、わずかに重くなる。
「ちょっとやりたいことがあるんだ」
真っ先に声を上げたのは小鳥遊だった。
「えっ!? 太郎さんやめたら、うち回りませんよ!?」
慌てすぎだろ。
でもその言葉に、少しだけ胸が温かくなった。
「……太郎、本気なのか?」
佐藤の低い声。
真面目な眼差しが突き刺さる。
「ああ。本気だ。俺が先に社畜卒業だな!」
わざと笑ってそう言うと、二人も思わず吹き出した。
「……まったく、太郎さんは。
でも、そういうのなら応援しますよ!」
「背中くらいなら押してやる」
冗談交じりの笑い声が、事務所にふわりと広がった。
事務所を出て、社宅へ戻る途中。
ふと、頭にあのニワトリの姿が浮かんだ。
「……そういや、あれ。どう考えても普通の鳥じゃなかったよな」
上位存在っぽいオーラをまとった、不思議なニワトリ。
もし本当に“神様的な存在”だとしたら、手ぶらで放置してるのはちょっと悪い気がしてくる。
「なんかエサでも買っとくか」
そう思って立ち寄ったコンビニで、サラダとコーンの缶詰をカゴに入れた。
ついでに……神様ならお供え物は酒か?と考えて、一合売りの日本酒まで手に取る。
《……サラダと日本酒を同列に考えるあたりが太郎さんらしいですね》
「だってニワトリ、酒飲むかもしれないだろ」
《人間にすら推奨されませんけどね》
社宅に戻ってみると――肝心のニワトリの姿はなかった。
「いないのかよ……まぁ、置いとけばまた来るだろ」
玄関に袋を置き、深く息をつく。
気持ちの整理もついた。社畜を卒業するために、やることは山ほどある。
「……まずは拠点の整備だな」
《はい。では間取りを決めましょう》
頭の中で、リノベーション後のプランを描いていく。
「二階は……壁を抜いてワンフロアにして、リビングとキッチンにする」
《合理的です》
「三階は寝室と物置、それから一室は洋室にして……」
《ゲストルームにも使えますね》
「一階は……もともとの浴室と脱衣所を残して、あとは作業場か」
そこでふと、口をついて出た。
「リク。修理屋をやるなら……簡易なカウンターくらい置いた方がいいかな?」
《それは便利ですね。ただし、人が大勢来ると困りますが》
「そうなんだよ。周りにも迷惑になるしな……」
少し黙って考え込んでから、声に出してみた。
「……方向性としては、まずはネットオークションだな。壊れた物を直して出品。これはすぐできる。
それから、ネット経由で日用品とか思い出の品の修理依頼を受ける。
あとは田野さんとか、今つながりのある人には、資格いらない範囲の補修なら受けるって感じだな。
……まぁ、法に触れない限りは、できそうなことは何でも受ける」
自分で言いながらも、頭の中が少しずつ整理されていく。
《……太郎さん、思ったより筋が通っていますね》
「“思ったより”ってつけんな」
《それなら直接来られる方もいるかもしれませんので、カウンター程度は設けた方が効率的です。
“知る人ぞ知る修理屋”にするのが妥当でしょう》
「知る人ぞ知る、か」
《はい。普段は社宅にしか見えないよう偽装。視線誘導を施して、必要な人だけが入口を認識できるようにしておきましょう》
「めっちゃいいな、それ。周りに迷惑かからないし、基本はネットがメインだから人もそんなに来ないだろうし……」
想像しているだけなのに、心が少しずつ軽くなる。
「……なんか考えてるだけでテンション上がってくるな」
《そのテンションを維持できるのなら、すぐにでも卒業できるでしょうね。社畜を》
「なんで最後だけバッサリなんだよ……」
《事実です》
「ぐぅ……」
ビールを開けて、ごくりと流し込む。
今度こそ本当に、俺は動き出すんだ。




