56話 契約成立、残置物確認
AIによるタスク管理の初日。
現場は驚くほどスムーズに回っていた。
遅延や承認待ちで止まることがなく、報告もすべてチャットで即時に処理される。
気づけば、残業らしい残業はほぼゼロ。
(……本当に、こんなに早く終わるんだな)
魔法で体を回復させなくても、今日はまだ体力に余裕がある。
夕暮れの空を見上げながら、俺は不動産屋へと足を運んだ。
――そして。
「では、こちらが契約書になります」
580万円の数字が印字された契約書に署名と押印を終えたとき、胸の奥がじんわりと熱くなる。
(……ほんとに、買っちゃったな)
『これで“次の戦場”が決定ですね』
リクの声音はいつになく楽しげだった。
不動産屋を出て、車で十分ほど。
街の外れ、突き当たりの左奥にその社宅はあった。
外壁の塗装はところどころ剥がれ、錆びた手すりが風に揺れてかすかに軋む。
敷地は雑草が伸び放題で、遠目にも人の手が入っていないことが一目でわかる。
左隣には小さな神社。
右隣には今は稼働していない工場。
向かいには住宅の壁面が立ちはだかり、日当たりの悪さを際立たせていた。
(……やっぱり、雰囲気は“廃墟”寄りだな)
『立地条件だけ見れば、今のアパートより断然良好です。スーパー・コンビニ・飲食店・主要道路、いずれも近い。駅まで車で十分。生活圏としては最適です』
「……確かに便利だな。問題はこの建物をどう使うか、だ」
車を降りて、古びた社宅を見上げる。
築五十年の三階建てRC造。
その姿は、挑戦状のようにも見えた。
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「まずは、この家を自宅にするか、売家にするか……そこからだな」
『間取りを整理します。
一階:共同風呂、共同トイレ、食堂、キッチン。
二階:ワンルーム三部屋。
三階:ワンルーム三部屋。
地下:倉庫』
「部屋数は多いけど……そのまま住むのはちょっと窮屈だな」
『壁をぶち抜いて広くすれば解決します。むしろ自由度が高い構造です』
「なるほど……。だったら二部屋分をリビングにして、寝室は別にして……地下は秘密基地か」
口に出した瞬間、心が少しだけ躍った。
『秘密基地構想、太郎さんらしいですね。屋上も利用可能です。家庭菜園や倉庫代わりにもできます』
「……夢は広がるな」
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ただし、とリクの声が続いた。
『ここは住宅に囲まれています。改造作業を行う際は、必ず目張りと防音処理が必要です。魔法を使う場合も同様』
「……まぁ、確かに。隣から丸見えじゃ気まずいしな」
俺はもう一度、雑草に覆われた敷地を見渡す。
ここから始まる生活を想像すると、不安よりも期待のほうが大きく膨らんでいった。
俺は深呼吸して、錆びついた玄関ドアを見据えた。
「……よし。ここを、俺の家にしよう」
『了解です。新居計画、正式にスタートですね』
リクの声音が、いつもより少し誇らしげに聞こえた。
俺は早速、中に入って軽い掃除から始めることにした。
「まずは環境を整えないとな……」
結界、隠蔽、セルフヒール――いつもの三点セットを常時展開。
さらに建物全体を結界で覆い、外からの視線を遮断していく。
『これで安心して作業できますね』
「よし、とりあえず各部屋を回って、クリーンをかけていこう」
埃を舞い上げないように一部屋ずつ魔法を流し込み、薄汚れた空気を一掃する。
それだけでも見違えるほど空気が軽くなった。
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続いて、残置物の山に挑む。
適当に手近な段ボールを開けてみると――
「……おもちゃ?」
中に詰まっていたのは、鮮やかなパッケージのガンプラ。
他の箱を開ければ、カードゲームの未開封BOX。
さらに別の部屋からは食玩の箱や、ミニ四駆のパーツ、小さなソフビ人形まで。
どの箱も、ぎっしりと詰まったまま時間が止まっているようだった。
「……やっぱり、ここ、玩具会社の倉庫代わりにされてたんだな」
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俺は段ボールのひとつを手に取り、しげしげと眺める。
「……ん? このカードゲーム、昔やってた記憶あるな」
思わず箱を開けそうになり、慌てて手を止める。
パッケージのイラストに、小学生のころ友達とカードを並べて遊んでいた光景が一瞬よみがえった。
「……懐かしいなぁ。あの頃は“社畜になる未来”なんて想像もしなかったのに」
気づけば少しテンションが上がっている自分に苦笑する。
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だが、すぐに現実的な思考が追いついた。
「でも、古いおもちゃなんて……今さら売れるのか?」
つぶやきながら別の箱を開ける。
出てくるのはやはり同じような古い玩具ばかり。
「ネットオークションに出しても二束三文じゃないのか?」
俺は首をかしげ、スマホのリクへと視線を向けた。
「なぁリク、これ……資金回収にはちょっと厳しいんじゃないか?」




