第52話 潜入スタッフ、まさかの成約目撃
今週を一言で表すなら――まさに地獄だった。
現場で監督の仕事をこなしつつ、初めての「総まとめ役」。
アパート五棟同時進行という狂気の案件は、打ち合わせ、全書類の確認、決裁印……次から次へと終わりが見えない。
サポートについてくれた上司も「次はこれやっとけよ」と丸投げするだけで、やり方は教えても手伝いは一切なし。
部下に仕事を振ればいいのだろうが、俺には“社畜の心情”が痛いほどわかる。
だからこそ、無理に押しつけられず、結局は自分で抱え込んでしまう。
結果――毎日帰るのは日付が変わってからだった。
「太郎はやる気あるなぁ。深夜まで頑張ってるなんて! 任せて正解だったよ!」
社長はいつものテンションでそんなことを言ってくる。
俺の頭の中では即座にツッコミが飛ぶ。
(不正解です! 終わらないだけなんです! その目はどれだけ節穴なんですか!?)
……だが、結局出てくるのは社畜定型文。
「……ありがとうございます」
『本心と正反対の言葉を自動再生するスキル……太郎さん、恐ろしいです』
魔法もフル稼働だ。
常時展開している結界、セルフヒール、隠蔽に加えて、ヒールを重ねがけしてしまう。
体の疲れは吹き飛ぶ。筋肉痛も即座に回復する。
だが――精神の疲弊はまったく回復しない。
深夜にアパートへ戻ってからは、短時間で済む魔法の練習。
ショートスリープで二時間だけ寝て、また出社。
「……これが社畜が使う、正しい魔法の使い方ってやつか……」
『正しい、というより“歪んだ利用法”です。健康管理における重大なバグです』
「バグ扱いすんな!」
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それでも俺が乗り越えられたのは、今日、この日があったからだ。
そう――初めて魔法で仕上げた売家の、内覧会。
ついに、その日が来た。
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売家の前に立った瞬間、思わず息を呑んだ。
かつてボロ家だったはずの建物が、今や「商品」として堂々と並んでいる。玄関脇には「オープンハウス開催中」の立て看板。スーツ姿のスタッフが来客を迎え、庭には子どもの声が響いていた。
(……本当に、俺が直した家なんだよな)
魔法と工具と汗で積み上げた日々が、今こうして形になっている。その感慨と同時に、「隠蔽して全部消えてると思うけど、もし魔法の痕跡に気づかれたら」という不安がじわりと滲む。
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「おはようございます、太郎さん」
田野さんが笑顔で声をかけてきた。
「今日は臨時スタッフってことでお願い。立って笑顔でうなずいてるだけで大丈夫だから」
「新人バイト並みにシンプルな仕事ですね……まぁ助かります」
『笑顔と会釈のループはCPU負荷が高いです』
「はいはい、気をつけますよ」
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中に入ると、すでに何組もの見学者が家を歩き回っていた。
小学生の子どもを連れた家族連れは、リビングを駆け出そうとする子を慌てて止めている。
「走っちゃダメでしょ! ……でも広いから、ここなら安心だね」
老夫婦は和室で腰を下ろし、「新築みたいだねぇ」「老後もここなら快適だ」としみじみと語り合っていた。
若者カップルは庭先でスマホを構え、「ここで撮ったら映えるな!」「いや配信とかしたらすぐ人気出そう!」と笑っている。
(……なんか、想像以上に好反応だな)
『心拍数150。リラックス推奨です』
「……努力はしてるんだけどね」
そんな中、一組の家族が入ってきた。
三十代前半くらいの夫婦と、まだ幼い子ども。
玄関をくぐった瞬間、奥さんが小さく息を呑み――
「わぁ……すごい。床、ピカピカ」
「壁紙も新しいね。……これ、リノベなんですか?」
旦那さんも感心したように壁を撫でる。
「庭も、子どもが遊ぶのにちょうどいい広さだ」
(ちょっと待て……魔法でやった部分、バレてないよな……?)
『ご安心を。一般人は“職人の丁寧な仕事”と解釈します』
「……そういうことにしておこう」
田野さんがすかさず前に出て、営業スマイルを見せた。
「ご覧いただいたとおり、床・壁・天井はすべて貼り替えてあります。断熱材も入れ直してますから、冬は暖かく、夏も冷房の利きが段違いです」
「……断熱材まで? そこまで手間かけてたのか」
(いや、それ魔法で一瞬で仕上げたんですけど……!)
「水回りはキッチン・お風呂・洗面・トイレすべて新品。これだけでリフォーム費用にして数百万はかかりますが、買った方はすぐ使える状態です」
奥さんが小声で「新品って嬉しいよね」と目を輝かせる。
『実際は新品+微調整済みです』
(リク、それ余計だから!)
「外壁と屋根も防水処理までやり直してありますので、10年以上は大きな修繕の心配はありません」
旦那さんが天井を見上げて頷く。
「……確かに、塗り直した壁は色ムラもないな」
(そりゃ魔法で整えたんだから当然だ……いや違う違う、今は黙ってろ俺!)
「新築を買うと固定資産税も高いですが、この家は中古扱いになる分、毎年の税金も数十万円単位で安くなります。長く住めば住むほど、この差は大きいですよ」
『国に払う分が減る=太郎さんも嬉しいはずですね』
(俺の懐事情を説明するんじゃない!)
「さらに庭。人工芝と砂利を敷き詰めてありますから、草むしりの手間はほとんどありません。お子さんが遊ぶには安全ですし、将来ウッドデッキを付けるのも簡単です」
奥さんが子どもを見て、柔らかく笑う。
「ここなら安心して遊ばせられるわね」
太郎の胸にじわりと温かさが広がる。
「このエリアで新築を建てると、土地と建物で4,500万前後。それに対してこの物件は“ほぼ新築”で3,980万。実際、同じ条件ならすぐ売れていきます。この価格は早い者勝ちですね」
夫婦は目を合わせる。
「……これ、決めてもいいんじゃないか?」
「うん、ここがいい」
『奥様の購買意欲、現在95%……98%……100%! 成約確率カンストしました』
(実況すんなリク! 心臓止まるだろ!)
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田野さんは慣れた様子で夫婦を商談スペースへ案内していく。
玄関先に残された俺は、棒立ちのまま呆然とその背中を見送った。
(……本当に、売れた……のか?)
手のひらは汗でびっしょり。胸の奥に誇らしさと安堵、そして現実感のない浮遊感が渦巻く。
『太郎さん、胸が熱くなっているのは感動ですか? それとも軽度の自律神経の乱れですか?』
「……感動ってことにしといてくれ」




