第47話 魔法封印と水回りの完成
休み明けの朝。
いつもなら布団から這い出すのも嫌になる曜日だけど——今日は違う。
売家の完成が、もう目の前まで来ている。
あとは水回り工事が終われば、形としてはほぼ完成だ。
工事の打ち合わせは電話で済ませてあるし、今日の朝には業者が入ってくれる予定。
仕事が終わる頃には、きっと家の中も見違えているはずだ。
……そう思うだけで、妙に足取りが軽い。
会社に着くと、同僚の佐藤が事務所前で缶コーヒーを開けていた。
「おはよー」
「おお、太郎。……ってお前、最近元気すぎじゃない? ついに気でも触れて、全てを諦めたのか?」
「そんなわけあるか。ちょっとだけ、趣味に全力投球してるだけだよ」
「それならいいんだけどさ……太郎、お前、社長から変な勘違いされてるぞ」
「えっ? 何それコワい」
「バカ、冗談じゃないぞ。社長が、『太郎が最近元気でやる気に満ちてる。やっと仕事にやりがいを感じてるみたいだから、でかい仕事やらせてみるか』って話してるの、俺聞いたからな」
「えっ、それはリアルに怖い。そんなの望んでないから、ほんとやめてくれ!」
「はははっ。まぁ太郎の気が触れてなくてよかったよ。今週も三徹気合いで頑張ろうぜ……」
「ははは……自虐ネタやめろよ」
……ヤバいな。これは完全に魔法が裏目に出てる。
体力有り余ってるように見えるのも考えものだ。
疲れてる演技なんて、うまくできるか?
……いや、今日は試しに魔法無しでやってみるか。
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魔法封印
朝から現場は鉄骨の搬入、資材運び、ボルト締めとフルコース。
いつもなら結界で暑さと埃を遮断して、セルフヒールで筋肉疲労を消し、身体強化で重量を軽く感じさせる。
だが今日は一切なし。
素の自分だけで、全力で働く。
……一時間で息が上がった。
腰は重いし、腕はパンパン。昼休憩にはシャツの色が変わるくらい汗をかいていた。
午後も容赦なく作業は続き、夕方には脚が鉛のようになっていた。
本当は仕事終わりに庭の植物を買いに行く予定だった。
草止めシートや砂利の映える低木……いくつか候補も考えていたのに、駐車場で車に座った瞬間、動く気力が全部蒸発した。
……無理。今日は一歩も動けん。
なんとか売家にたどり着き、
仕方なくヒールを発動。
魔力が体の隅々まで巡り、筋肉の痛みがふっと軽くなる。
血が巡る感覚と一緒に、重たかった瞼が自然に持ち上がる。
——ああ、これだ。この落差。
魔法が使えなかった頃の自分なら、このまま家に帰って風呂も入らず倒れ込んでいただろう。
それが今は……すぐにでももう一仕事できるくらいに回復している。
......やっぱ魔法ってすげぇ。
昨日の猫の件が頭をよぎる。
あの上位存在らしきものに比べれば、俺の魔法なんてまだまだだ。
もっと精度を上げなきゃ。
「……よし、後で練習メニュー見直すか」
玄関から室内へ足を踏み入れると、ほのかに新しい木材と接着剤の匂いが漂ってきた。
靴を揃え、スリッパに履き替えて廊下を進む。
「お、キッチン……だいぶ変わったな」
白を基調とした新品のシステムキッチンが、壁際に収まっている。
天板のステンレスがまだ傷ひとつなく、スポットライトを反射して輝いていた。
《収納容量も増えていますね。料理効率は向上するでしょう》
「俺のじゃないけどな」
軽口を返しつつ、浴室へ移動する。
ガラス扉越しに見える浴槽は真新しい。壁パネルは落ち着いた木目調で、ホテルの一室のようだ。
《湯温保持性能も高そうです》
「毎日これに浸かれる人は幸せ者だな……」
洗面台とトイレも新品に交換されており、全体的に統一感がある。
リノベーションの完成度が一気に上がったのを感じた。
ただ、今日は仕事で精神的にすり減っている。
工具に手を伸ばす気力はなく、作業は明日に回すことにした。
「リク、結界の精度上げたいんだけど、やり方ない?」
《現状、結界内の感知は“曖昧なイメージ”に依存しています。もっと具体的な判別基準が必要です》
「判別基準?」
《スキャン魔法で使用している状態識別魔法を応用します。正常部位には反応せず、異常部位だけに反応します》
「ああ……それを感知にも応用するってことか」
《はい。これにより、結界内に“異常存在”が入った時、即座に位置を把握できます》
説明を聞きながら、実際にイメージを組み替えていく。
その瞬間、外にかすかな“何か”が反応した感覚が走った。
「……猫?」
結界に、またあの感覚が引っかかった。
しかし、次の瞬間にはふっと消える。
視線を窓の外へ向けると、あの猫がこちらを見ていた。
「……まだまだ上には上がいるな」
敵意は相変わらず感じない、窓を開け、生活スペースから昨日と同じツナ缶を持ってくる。
缶を開けると、猫は足音もなく近寄り、匂いをかいでから静かに食べ始めた。
「なぁ、この家が完成したら、あんまり来なくなると思うけどさ……」
「もし、この家を買ってくれる人がいたら、たまにでいいから助けてやってくれよ」
猫は一瞬こちらを見上げ、短く「にゃー」と鳴いた。
そして、缶を舐め終えると、また夜の闇に溶けていった。
胸の奥が、ほんのり温かくなる。
窓を閉めながら、明日の予定を口にする。
「……明日は仕事帰りに庭の植物、買って帰るか」




